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嫌われている子…ハブっていい?

139 名前:名無しさん@お腹いっぱい。 投稿日:2011/11/29(Tue) 18:55
>>136
>平等である所に公平さを生徒が訴えてきても
>それは無であると言うようなものである。

本当に無なんだよ。 公平と平等が違う事を理解するべきだ。
せっかくネット環境があるのだから公平と平等の違いを調べてみてはどうかな?。
調べるのが面倒なら、もういちど公平と平等の違いを解説しよう。

学校の給食でデザートに苺が支給されたとする。
この場合、一律に全員に苺が渡される。これが公平性だ。

公平性は、ぱっと見では平等に見えるが、利益という観点ではまったく平等ではない。
なぜなら、苺が好きな人にとっては苺の支給は利益であるが、
苺が死ぬほど嫌いな人にとっては苺の支給は利益ではなく
人によっては苺を食べる行為は拷問だからだ。

※公平の元では、そばアレルギーの人に、公平を理由にそばを食べさせる事となる。(実際に事件になった)

これに対して「好きな方を選んでいいよ」というのが平等である。
各々が自分の好きな物・方法を選べるので、各々が自分の利益を選択できる。
この、選択肢を与えられる事が平等性だ。

ここで勘違いをしてはいけないのが、
みなが得る事を指して、平等と言うのでは無いという事だ。

平等とは、個々が利益を追求できると言う物で、放棄もまた選択肢の一つとなる。
なぜなら、先のデザートの話に戻れば、すべての人の嗜好をカバーできるとは限らないからだ。
というか、現実的にすべての人を満足させるのは困難だといえる。だから利益の追求となる。
平等(利益の追求)の元では、選択しない事(取得の放棄)も利益の追求になる。
絶対に食べなければならないなら、それはただの強制(不利益)だからだ。

※だから、平等の元では公平にそばが支給されても、「アレルギーなので食べない」という選択肢が与えられる。

「選択権」これが平等の本体であるので、平等はすべての人に公平な利益を担保しない。
そして、人それぞれ嗜好性や価値観が異なるので、公平もまた個々に対して同一の利益を担保できない。
つまり、公平も平等も一律に個々の利益を担保できない訳だ。

でだ、先生にとって「公平」ほど楽な物はない。
もしも生徒全員を一律に扱えるなら、友達を10人作らなければならないなら
一律に友達を10人作るように生徒に対して公平の名の元に強制ができるからだ。

だが実際には平等の名の下に、生徒は友達を選ぶ自由と権利を主張してくる。
先生は平等という生徒間でバラバラな要求に答えるよう求められるために困惑する。
どう考えても、先生が生徒全員の要求を満たすなど理屈で考えれば限りなく不可能だからだ。

これらを踏まえて本題に戻る。生徒はそれぞれ価値観が異なる。
なので仮に先生が公平に対処していたとしても、先生の公平な対応に満足する生徒と
満足できない生徒が出てくる。なので満足できない生徒は自分も公平に満足させろと訴えてくる。

幼稚園児や小学生には言えないが、高校生くらいになれば理解力もあるので
平等は公平を担保できない事について説明してあげれば大抵は納得してもらえる。


>>137
どういう意図で書かれた物なのか判断に困るな。
公平と平等が違う事について、私は(笑)に同意しているのだが・・・ 。


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