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歴史・世界史

1 名前:レゲーさん 投稿日:2011/08/05(Fri) 11:29
歴史について詳しく解説していきます。

28 名前:名無しさん@お腹いっぱい。 投稿日:2011/08/20(Sat) 16:53
権力は腐敗するものだよ

絶対的な権力は絶対に腐敗する

29 名前:名無しさん@お腹いっぱい。 投稿日:2011/08/26(Fri) 01:23
>>28
アクトン卿のパクリやんけwww
"Power tends to corrupt, and absolute power corrupts absolutely."

30 名前:レゲーさん 投稿日:2011/09/09(Fri) 14:25
しばらく留守にしてすみませんでした。
最初からいきます。

31 名前:レゲーさん 投稿日:2011/09/09(Fri) 14:46
第1エピソード・・・ 【先史の世界 人類の出現』

はい皆さんこんにちは。今日はね第1回目という事で若干ね時間を取って
オリエンテーションやっていこうと思っています。
皆さんこの世界史という科目ですが一言でいうと『歴史』ですね。
歴史を学ぶという事についてちょっと考えてみましょう。今現在を考えてみて下さい。
今という時間あるいは突然出来たものじゃないんですね。
それまで何十年も何百年も、いや・・何千年もの間という時間をこえて現在があるんです。

僕は歴史を学ぶという事は過去を学ぶ事だと確信しています。過去を学んで現在に生かすそして現在を見る。
そういう視点を得る事が歴史を学ぶ事なんじゃないかな〜とレゲーさんは思っています。
過去があってこその現在です。過去のない現在はありません。
そういう視点からね世界史・歴史を見ていこうと思っています。
世界史の後は日本史がありますからね。世界史・日本史、二つ合わせて歴史なんです。

いつの時代でもそうですが歴史というのは必ずね原因があり結果がある。
何かがあったからこそ何かが起きるんですね。アクションがありリアクションがある。
つまりそれが歴史なんです。どんな世界であっても過去の時間というのは変わりませんし
過去の積み重ねで現在が出来たという事実も変わりません。そういう事をね頭脳にインプットしながら世界史スタートです。

できるだけ分かりやすくポイントを絞って解説していこうと思います。
また、フッと笑えるようなお話や数学的なお話も織り交ぜながらお話をしていこうと思っていますので
どうぞ皆さんついてきて下さい。果たしてついてこれるかな?
過去の生徒さんの話では歴史というのは非常に難しいとの事。
難易度が高いらしいです。でもこれを全て暗記できればいいですね。

では早速ですが授業を進めていきます。今日のテーマは『先史の世界(せんしのせかい)』
という事でねお話をしていきます。まあ今突然『先史』という言葉が出てきましたが
これはいったい何の事でしょう?
先史というのは文字ができる前の歴史という事です。つまり文字により資料ができる前の事を先史と言います。
じゃあ文字ができてから、資料が残ってるそういう時代を何というかというとこのように言うわけです。
先史に対して『歴史』と。こういうわけなんですね。

今日は『人』について考えていきましょう。私達も勿論ヒトですけどね。
ますこのヒトというのは猿から進化したと呼ばれていますね。
その事を述べた人物がいます。人物名は『ダーウィン』です。ダーウィン。
ダーウィンはね『人は猿から進化したものだと』いうそういう進化論をとなえた人物なんです。
当時としては非常に画期的な理論だったそうですよ。
当時、人間は神様が作ったものだと思いこまれていた時代にこういう事を述べたんです彼は。

そのダーウィンが書いた本というのが『種の起源(しゅのきげん)』というものです。
これ覚えておきましょうか。ダーウィンといえば種の起源です。

きちんと文字写ってますか?文字うつってます?
そしてねこうやって授業をやりながら『あれ?これちょっと分からなかったな〜』とか
『もうちょっと詳しく聞いてみたいな〜と』というのがあればまた質問して下さいね。

さあこのダーウィンがね進化論をとなえたわけです。
皆さんにちょっと質問してみましょうね。『人』というと何を連想しますか?
人ができるものって何でしょうね〜。ちょっと考えてみて下さい。
まあそうですね〜道具を使用できるというのも人の特徴ですよね。道具。
その他には言葉を持っている。その他はまあ立つという事もそうですね。



32 名前:レゲーさん 投稿日:2011/09/09(Fri) 14:48
今日はチンパンジーのお話をしましょう。
日本ではねこのチンパンジーの研究というのが非常に進んでるんですよ〜
日本にはチンパンジーの研究化が数多く存在します。
チンパンジーって見ててもあきませんよね〜?

まあレゲーさんもね動物園よく行くんですよ。ゲームセンターの帰りとかにね。
ゲーセンの次に動物園が好きなんです僕。

必ずチンパンジーじゃないんです猿山というのを必ず見て帰るんですよ。
猿の行動見てたらね結構飽きませんよ。

皆さんも機会があったら足を運んでみて下さい。
猿tぉいうのはなかなか、いやし系です。
まあある研究者がねアフリカに行ってたわけです。
そこでアフリカのチンパンジーを研究しておったわけです。
そしてね何日かこう研究しておると、まあ観察しておったわけです。

ある日・・このチンパンジーが変わった行動をし始めたんですね。
どういう行動かというと、その辺に落ちてる木の枝を探してきたんです。
木の枝を。その研究者は面白いから、じ〜っと見てるわけですよ。

そうするとある一本の枝に辿り着いてその枝についてる葉っぱを綺麗に取り出したんです。
むしるといいますかね〜。そうするとまあ葉っぱをとるわけですから一本の枝になるんです。
でチンパンジーはこのね綺麗になった枝を持ってテクテクと歩き出したわけなんです。
数キロ歩いたら突然チンパンジーlが座ったんです。
そこに何があったかというと地面にこんもりと土があったんですね。
でその土の前にチンパンジーが座ったわけです。
するとそのチンパンジーは持っていた木の枝を土の中に入れたんです。
出したりひっこめたりするわけですよ。すると何と木の枝に沢山のねアリがくっ付いてきたんです。



33 名前:レゲーさん 投稿日:2011/09/09(Fri) 14:48
アリ。この土はねアリづかだったんです。
つまりどういう事かというと・・・
チンパンジーはそのがそこにいるのを分かってその場所まで行ったんです。
そこを発見してから枝を作ったんじゃなくて、ここに行く為に、ここでアリを捕まえる為に
枝を取った。非常に計画的な犯行ですね。その他ね〜勿論この基本ではどっちかというと地面があってその中にアリがいます。
しかしアフリカは若干異なります。まあその他にチンパンジーといいますと
結構かしこいですからね。手話も覚える事ができたそうです。あるいは言葉も若干覚える事が可能だそうです。

まあそしてね〜もう一つ面白いのが、まあこれも研究者がずっとチンパンジーを研究しておったわけなんですが
ある一匹のチンパンジーが必ず決まった時間になると群れから外れるんです。
それが何日も続くんです。そのチンパンジー、lがけっぷちに座ってるんですよ。
夕日を眺めているんですチンパンジーが。動物というのはね特に野生動物というのは無駄な行動は一切しないんです。
意味のない行為も行わないんです。

つまりチンパンジーは夕日を見て感動したかったんです。非常に人間的なんですよね〜
ですから猿人(猿)から人間が進化していったというのはよくうなずけるお話です。
まあちょっとねチンパンジーのお話をしましたけれども、まあ人間。私達もそうです。
人間とチンパンジーの決定的な違いはいったい何でしょう>
やっぱりこれだと思うんですよね。『直立2足歩行(ちょくりつにそくほこう)』
直立2足歩行・・つまり歩く事ですね。
これができるかできないかが猿と人間の分かれ目だったんじゃないでしょうか。

直立2足歩行ができる事によって人間はいったい何を得たか。2点あります。
一つ目が手が自由になった。物を掴むという事が可能になった。
そしてもう一つがですね立つ事により背骨が安定する。背骨が安定するとつり合いがちゃんととれるんですね。
バランスが良くなるんです。すなわち脳が発達する。脳が大きくなるんですね。
こうして人類は発達を遂げていったわけです。

拘る力もある。動物はあまり物事に拘らないですが
人間は好きなものは好き。嫌いな物は嫌いと主張できる能力があります。
動物はそういう力がないです。だから皆同じ行動に出る。それも分かれ目ですね。


さあちょっとね〜余談が長くなりました。今回は余談ばかりでしたね。
簡単に整理しておきましょう。
人類の出現・・こういう形で人類は発達していきます。
猿人類、原人類、旧人類、現性人類、へと発展を遂げます。

彼らは大きくなった脳みそをフルに生かして文明を築き上げていくわけです文明。
一つ、『ネアンデルタール人』llという人物に注目しておきたのですが、ネオンデルタール人に
関しまして彼らは埋葬の瞬間を持っていたんだという事をおさえておいて下さい。

世界の4大文明、エジプト、メソポタミア、インダス、黄河
という形で文明が生まれていきました。

今日はね一番最初のお話でした。
今後もまたよろしくお願いします。


34 名前:レゲーさん 投稿日:2011/09/09(Fri) 14:49



          エピソード1終了・・データをセーブしますか?

          YES・NO

35 名前:レゲーさん 投稿日:2011/09/09(Fri) 14:50
セーブ終了・・・。
続きましてエピソード2です。

36 名前:レゲーさん 投稿日:2011/09/09(Fri) 15:33
エピソード2・・
     
        【古代オリエント】

本日のテーマです。今日のテーマは古代オリエントという事で
メソポタミヤと小アジアという事でお話をしていこうと思います。
さあ早速ですけれどもね『オリエント』という言葉に注目して下さい。
この言葉はいったい何を示しているのかというと『日の昇る方向』を意味してる言葉なんです。
いうなればこれは現在の西アジア方面の事をさしています。
そのエリアの事をオリエントといいます。

イタリア半島がありギリシアがあり、そして地中海ですよね。
で、アフリカがありアラビアがあり、で、インド、東南アジア、といった具合いですね。
そしてエジプト、メソポタミアとその周辺『肥沃な三日月地帯(ひよくなみかづきちたい)』とあります。
この言葉というのは非常に重要な語句です。開放的な地形。
つまりね開放的という事は何を意味するかというと色んなエリアから民族の侵入があったというわけです。

諸民族の興亡が著しい(いちじるしい)。
それにひきかえましてエジプトは『閉鎖的(へいさてき)』。
エジプトは閉鎖的な地形ですから異民族の侵入が少なく長期間独立を維持する事が可能でした。
こういうね地形的な違い、閉鎖的なのか開放的なのかという事です。

さて・・・それでは次ですね。まあこの中で今日は特にですけども
まあ学習のポイントの@としてはここですね。そして2番目、今日覚えておいてもらいたいのは
こういう民族ですね。民族。まあ一つ『シュメール人』というのがおりました。
このシュメール人という民族、彼らはね実は非常に高度な文明を築き上げていったんです。
ただ文明というのも突然出来るものじゃありません。必ず文明ができるには背景があります。

その背景というのは非常に農業生産性が高かったんですね。
シュメール人は農業技術を持っていたんですよ。

ちょっと字が汚くてごめんなさいね。
僕はね本当はね字は綺麗なんですよ。手書きでは結構綺麗なんです。
でもねコンピュータで字を書くというのは非常に難しい・・。
若干読みずらい部分もあるかもしれませんがどうか我慢して下さい。
本当は綺麗なんですよ字は。まあそんな事はどうでもいいですが・・どうでもよくないか・・?

さっきの続きです。
まあどんどん食物が育つというのは土も良かったんでしょうね。
どんどんどんどん増えていくわけです。20粒まけば200に!400に!
という具合いにね非常に効率のいい生産性を持っていたわけです。
シュメール人がウルとかウルク。ラガッシュという町を作っていったんだという事も覚えておいて下さい。

ウル、ウルクがやってきたのがね『青銅器(せいどうき)』。
そして政治のスタイルがね『神権政治(しんけんせいじ)』。
そして彼らが作っていた文字は『さびがた文字』

変換しても漢字が出ない場合は仕方ないので平仮名で書き込みます。予めご了承下さい。

さびがた文字という文字を使っておったわけです。
まあ神権政治という政治は神様という漢字で書いてありますから神様を色々聞きながら、
神の意見を受け入れながら政治を行っていく。神による占いとかですね。
といっても実際に神様がその場にいるわけじゃないので会話はできませんが
まあそういう事を信じながら政治を行っていく。それが神権政治。












37 名前:レゲーさん 投稿日:2011/09/09(Fri) 15:34
やがてシュメール人という民族の後に現れる『アッカド人』。
アッカド人という民族もメソポタミアにね最初の『統一国家(とういつこっか)』
というものは建立しました。作った。そういった意味では非常に有名な民族です。

『シュメール人』および『アッカド人』是非覚えておいて下さい。
実在した人物です。

その次なんですねもう一つ・・学習のポイントのそのB
このメソポタミアのエリアにどういう民族が出現してどういう国を建国したか
それがポイントですよ。
すでに数多くの民族が出現しています。シュメール人だとかアッカド人だとかそういう
民族が出てきてますけども何故そんなに沢山民族が現れるのか・・?
その理由はメソポタミアというエリアが開放的だからですね。開放的。
メソポタミアはね〜こばむものがないんですよ。それに対してエジプト。

エジプト見て下さい!エジプトってねやっぱりアフリカ大陸という事で離れてるんです。
しかも入り口というのはほとんど存在しない。分かりますか?
陸地が繋がってるのはごく一部分だけなんです。突破するのは不可能です。
不可能かどうかは分かりませんが非常に困難なんですね。
というのが理由です。メソポタミアは開放的。エジプトは閉鎖的。これ覚えておいて下さい。

さあ『ウル第3王朝』という事でね、え〜シュメール人復活して
ウル=ナンム法典やシュルギ法典といった世界の法典というものを作っていきました。
その後ですね、今Bと書きましたが、ここにこういう王国が登場してくるんです。

『古バビロニア王国』、そして今度は『アムル人』という民族です。
そしてその古バビロニア国の筆頭格(ひっとうかく)。筆頭格というのはすなわちリーダー王様ですね、
筆頭格(王)が『ハムラビ王』といいます。これはね〜重要ですよ。
ハンムラビ王。ハムラビ王。言い方はどっちでもいいです。

ハムラビ王というのは全メソポタミアの統一を完成させた人物。
これくらい強い人になるとねきちんと規則を作ろうとするんです。
その規則・・・それが『ハムラビ法典(ほうてん)』というものなんです。

ハムラビが作った規則だからハムラビ法典なんです。
これ実は現存しておいります。今でもまだあるんです。
何処に行けばあるか今実はちょっとよく分かってないんですけども
これはね完全に現存してるものです。

さあそのハムラビが作ったハムラビ法典という法典。
特徴が2点存在します。まず身分法だった。身分によって様々な差があったという事。
それがまず一つ。もう一つが『同害復讐の原則(どうがいふくしゅうのげんそく)』。
というものが存在したんですね。分かりますかね。

身分法というのは身分の低い者、例えばAさんとBさんがいたとしましょう。
AさんはBさんよりも身分が低いです。
でAさんがBさんを殴ったとしましょう。そうしますとBさんはAさんの腕を切り落とす事が可能
というちょっとえぐい身分です。そういった身分によって差が出てくる法典を身分法といいます。

そして同害復讐の原則というのは、同じ害を復讐するという意味ですから
例えば殴られたら殴り返しなさい。叩かれたら叩き返しなさい。
カタナで刺されたら、カタナで刺し返しなさい。というものです。

もう一つエピソードとしましては、大工さんがいまして。家を建てる大工さんですね。
例えばその大工さんが自分より身分の高い(エライ)人の家を建てたとしましょう。
でその家が何らかの理由で例えば潰れてしまったとしましょう。
一家の大こく柱(主人)がその事故によって亡くなってしまった場合、
その家を建てた大工さんは何と死ななければならない。そういう決まりが実はあったんです。
大工さんが別に直接壊したわけじゃないんですよ。
事故で壊れただけなのに大工さんの責任となり殺害されるという何ともお気の毒というか
かわいそうな話です。

同害復讐の原則・・・有名な言葉としては皆さんご存じですかね?
『目には目を』目を突かれたら突き返せ!『歯には歯を』歯を折られたら折り返せ!
まあ今現在ねこういう法律があったら非常に危ないですね。恐いです。

でも当時としては非常に重要な法典です。
こんなものが国の法律ですからねたまったもんじゃないです。
むかしの話ですけどねこれは。

38 名前:レゲーさん 投稿日:2011/09/09(Fri) 15:35
さてでは続きまいりましょう。え〜とね今日はねまあ最後ここです。
諸民族の移動という事でメソポタミアエリアでは更に民族の興亡が激しくなります。
『ヒッタイト人』。こういう人達も登場します。そして『カッシード人』

39 名前:レゲーさん 投稿日:2011/09/09(Fri) 16:36
あるいは『フリル人』こういう形で色んな民族が入れかわり立ち替わりやって来る。
でもね実はこの開放的な地形という事が一方では大きな問題となっていたわけです。

メソポタミア・小アジアの文化ですね〜。彼らが『くさびがた』文字を使っておったというのはお話したとおりです。
くさびがた文字。シュメール人が発明したんでしたね。そして『ダレイオス1世』という人物
まあダレイオス一世が行ったきょうさいを書いた本があるんですが、そこにね『楔形文字(くさびがた文字)』が刻まれていたとか。
この文字をですね『ローリンソン』という人物が解読したんですよという事を覚えておいて下さい。

ローソンではありませんよ。ローリンソンです。
よく間違える人がいるんですよね。ローリンソンとローソンを。


そのローリンソンさんが解読したんだと。その碑文(ひぶん)の名を『ベヒストゥーン碑文』と言います。
ベヒストゥーン碑文。というわけなんですがねまあ時間も押し迫っているんですけども、

こういう時はね世界史の扉コーナーという事でね突然こういうコーナーを作ってしまったわけなんですが
まあ皆さんにできるだけ世界史の面白さ歴史の面白さを伝えていきたいが為にこういうコーナーをもうけてね
ちょっとした小話をしていこうと思っています。
え〜今日のテーマはですね。『原始人も実は右ききが多かったんじゃないか?』というお話です。
『アウストラロプテクス』最初の授業のほうでやりましたね。そのアウストラロピテクスの発見者『ダート』という人によると
猿人類(えんじんるい)もすでに右ききだったらしい。その証拠になるのは猿人類に殺害された『ひひ』の頭蓋骨(ずがいこつ)。
頭蓋骨(骨)なんです。それによると数十のひひの頭骨、頭の骨のうち大多数は前頭部左側か
後頭部右側に打たれた傷があった。

また、その傷の形から見て武器は、かもしかの上腕骨らしくこの骨のとっきが、
ひひの頭骨のくぼんだ部分にピッタシ当てはまる例がいくつかあるという。
これから想像すると猿人類は前から向かってくる、ひひや逃げていくひひの頭に右手で握ったかもしかの
上腕骨で殴りつけたらしい。もし左手で骨を持っていたら、ひひの受けた傷は逆の側についていたに違いない。

ちょっとややこしい話ですが・・猿人類の頃からすでに右ききだったという説がありました。
それでは終わりますさようなら。

40 名前:レゲーさん 投稿日:2011/09/09(Fri) 16:37


      第2エピソード終了・・データをセーブしますか?
        YES・NO

セーブしました。

41 名前:レゲーさん 投稿日:2011/09/09(Fri) 17:19
エピソード3・・・第3章!

        【エジプトの統一】

今日はですね『エジプト』というところにしょうてんをあててお話していこうと思います。
エジプトといえばピラミッド
エジプトのエリア・・まずそれを確認しておきましょう。
まず地中海がありまして、アフリカですね〜。で、アラビアがあってインドがあってという感じですね。

ポイントはねナイル川の重要性という事。そしてエジプトの政治史。
まあ細かい事に触れてませんが・・という事についてお話を。
ポイントは2点です。さあ早速ポイント@。学習のポイントその@です。

『エジプトはナイルのたまもの』という言葉・・。これは覚えて頂けたらな〜と思うんですが
古代ギリシアの歴史家『ヘロトドス』という人物が、彼が著者(ちしょ)。著者というのは歴史の中でもちいた言葉です。
エジプトはナイルのたまもの・・・まあねこの言葉を解釈いたしますと
エジプトはナイル川が存在したからこそ繁栄したんだと・・
ナイル川がなければエジプトは繁栄しなかったというような意味のメッセージだと思って下さい。

さあこのエジプト、このナイル川との関係をちょっとお話しましょう。
このエジプトでは、紀元前5000年頃に農耕が始まっています。
紀元前2700年頃には統一王朝が成立するんです。エジプトは周囲が砂漠に囲まれてるので
メソポタミアのような、めまぐるしい民族の侵入とか興亡、王朝の興亡ですね。
そういった事はあんまりなかったらしいです。え〜前回やりましたね閉鎖的な地形と開放的な地形の違い。

閉鎖的な地形。メソポタミアの辺りは開放的な地形。その差なんですこれは。
閉鎖的なのが結果的に良かったんですね。まあ独特の文化を築き上げていった。
エジプトが文明を始めたのは何といってもナイル川。これのおかげなんです。
ナイル川が毎年もたらす肥沃な土壌と水がエジプトの豊かな農業を可能にしてしまうんです。
肥料をやらなくても毎年ナイル川の洪水で栄養分をたっぷりふくんだ土がね流れてくるんです。
だから何もしなくても地力が期待できるわけなんです。そしてこの地力の維持にも繋がるわけなんです。

ナイル川はですね『ディグリス ユーフラテル川』という川のように不定期な大洪水は一切起こりませんし
1000キロメートル離れた遠くに離れた上空のエチオピアの高原に降った雨、この雨でナイル川は増水するんですが
毎年決まった時期に同じペースで水かさが増していくんです。
エジプト人はいったいいつになったらナイル川が増水するんだろう?水が増えるんだろう?
それがね最大の感心ごとだったんです。神官達は観察しながらナイル川の増水の時を調査していったんです。

神官というのは神様に仕える御役人の事です。彼らの研究によって少しずつ明らかになっていくんです。
7月の中半・・明け方の東の空にですねシリウスがいときわ輝く時があるんです。
ちょうどその時からナイル川が増水するという事が明らかになりました。
翌年(次の年)同じエリアにシリウス輝くまでが365日である事が分かりました。
またその時にシリウスが光っていくんですね、まあこんな風に太陽暦(たいようれき)と
いわれておるんですが正確にいうと洪水歴(こうずいれき)といいますか。シリウス歴といいますか。

でのこのこよみが古代ローマというエリアに伝ってヨーロッパに伝わりですね〜
今では世界的にもちいられています。凄いと思いませんか〜。
過去の積み重ねが現代(2011年・21世紀)に生きてるんですよ。


42 名前:レゲーさん 投稿日:2011/09/09(Fri) 17:20

カレンダー皆さんも自宅にありますよね?カレンダー
実はあのカレンダーは『太陽暦』なんですよ。この何年も昔の人が考え出した事を
時代をこえて今現在使ってるんですよ。凄い事なんですよこれは。

またね1日24時間これにしたのもエジプト人なんです。
エジプトは『じゅしんほう』の国でした。したがって始めは昼と夜をそれぞれ10に分けていたわけなんです。
10と10合わせて20と考えておった。ですけれども昼と夜の境目の時間もね合わせてたといいますか
使って合計24という数字にしたといわれています。
そしてね洪水の水がひいた後、農民たちはその上で農耕をやるわけですが
その境界線が増水の後には泥に埋もれて全然分からなくなってしまったらしいです。
そこでエジプトは側地術(そくちじゅつ)というものを発展していくわけなんです。測地術。

まあナイル川との関係のお話はこの辺にさておきまして・・
ポイントのAに移りましょうか。
エジプトはナイル川にとっては切っても切れない縁なんだという事をね理解して頂けたらな〜とこのように思います。

それでは本日二つ目のポイントです。エジプトの簡単な政治史
ポイントは3点ほどあります。
古王国時代、中王国時代、新王国時代、以上3つです。

さあ、え〜っとねエジプトというのは閉鎖的な地形だという事から民族あるいは王朝の興亡が
非常に少ないエリアでした。古王国時代、中王国時代、新王国時代、の3国。

しかしねその他に王朝がなかったという事はありません。実はありました。
ただ、取り上げるまで何か特別な事があったというわけじゃないんですね。
非常にちっぽけなものですから・・すぐなくなくなりました。

なので主に先ほどの3つです。
古王国(こおうこく)・・文字通り古い王国です。
古王国



43 名前:レゲーさん 投稿日:2011/09/12(Mon) 16:27
古王国・・都は『メンフィス』というエリアです。
エジプトの下流地域をまあエジプトというんですがその辺りが都です。
古王国はですねピラミッドが作られた時代なんです。
特にその中でも最大のものは『クフ王』のものなんです。

そして続きまして・・中王国なんですが中王国の都は変わっています。
今度は『テーペ』というエリアです。中王国時代に関しましてはこれだけなんですが
一つ覚えておきましょうか。この王国の末期にですね『ヒクソス』という異民族が侵入して衰亡していったんです。
エジプトとしては非常に珍しいですね。こういう形で侵入者が現れるというのは
前にも言いましたがエジプトというのは閉鎖的でしたからね。
まあそういう事を理解しておいて下さい。

続きまして・・新王国時代なんですが新王国の都は同じく『テーペ』
一時、『テル=エル=アマンナ』というエリアに都を移しましたよと。
その事を遷都(せんと)と言います。遷都。そして中王国時代にエジプトに侵入してきた
『ヒクソス』という異民族を撃退して、倒して、『ヒッタイト』や『カッシード』と呼ばれる連中と戦いを繰り広げます。戦争ですね。

まあこの新王国というのは一つ・・この王様の話をしないわけにはいきません。
新王国といわれてもあまりピンとこないかもしれませんがこの王様の話をすれば何となく時代背景がつかめるかもしれませんね。
皆さんご存じでしょうか?『ツタンカーメン』という人物。

ツタンカーメンといえば黄金のマスクで有名ですね。実はこの時代なんですよ。
これ見た事あるかもしれませんね。さあこのツタンカーメン。
この時期の王族のお墓は『王家の谷(おうけのたに)』という所に集中していたそうです。
勿論ツタンカーメンのお墓もそこにあったんです。ほとんど全てが発見されています。

19世紀頃からヨーロッパ人による発掘(はっくつ)が始まるんですが完全な形で発見される事はなかなかありませんでした。
結果的には発見されたんですけどね。ところがツターンカーメンのお墓だけは盗掘されていなかったんです。何故でしょう?

その理由の一つはツタンカーメン自身が非常にスケールの小さい王様だった。
実は彼名前あまり知られていなかったんです。そういう事が挙げられます。
まあね8歳〜18歳。約10年ほどしか座位についていなかったので非常に幼かった。
特にこれと言って大きな業績もない。それがツタンカーメンだったんです。











44 名前:レゲーさん 投稿日:2011/09/12(Mon) 16:27
もう一つはツタンカーメンの後の時代の『ラムセス6世』という非常に偉大な王様が登場して
ラムセス6世というスケールの大きい王様のお墓がツタンカーメンのすぐ隣に作られたんです。
しかもその工事の人が住む小屋というものが何とツタンカーメンのお墓のすぐ上にね建設されていたんですよ。
そんなわけで時代と共に存在も忘れ去られていたんです。
なのに現代を生きる我々は何故ツタンカーメンという名を知っているのか?これが不思議なところなんですよね。歴史の七不思議です。

結果的に発見されるわけです。発掘者は『ハワード・カーター』というイギリスの人なんです。
イギリス貴族のカーナボンキョウという人がね出資者にあって王家の谷の発掘をしていったわけなんですね。
しかしなかなか発見されなかった。
それから5年ほど経ったある日の事でした・・・
仕方なく渋々この発掘を中止しようと決めたその年・・ドラマが起きるんですよね〜
何とね発見してしまうんです入り口を!『ハワード・カーター』という人がね唯一掘っていない所に気づくんです。
この小屋の下はまだ掘っていないんじゃないか!?まさか!
そしてね掘ったら何と出てきたんですよ。中に入る入り口がね。
非常に素晴らしい瞬間だったと思います。

時代は1922年・・・約90年前です。
中の階段に進んでいきましてついに見るんですよ!ツタンカーメンのお墓を!
財宝がねほぼそのまま、当時のままの形で残ってたんです。
しかも例のね『黄金のマスク』もそこにあったんです。非常にね歴史的感動の一場面でしょうね。

そういうお墓にあった財宝などは色々展示されて博物館とかに展示されているんですけれども
実はその中にお花も展示されているんです。何千年も前のお花ですよ。完全にドライフラワーになっていることでしょう。
けれども綺麗に残ってるんですよ。まあね歴史というのは感動の繰り返しですよ。
勿論その中には涙も怒りも楽しさも全て混じっています。そういう過去の積み重ねがあったからこそ現在があるんだという事を
常に心の何処かに置いておいてもらえたらなとこのように思います。それが世界史・歴史という授業であります。

今回はね時間がきましたのでこの辺でおひらきします。ではさようなら

45 名前:レゲーさん 投稿日:2011/09/12(Mon) 16:28



           エピソード3終了・・データをセーブしますか?
           YES・NO


46 名前:レゲーさん 投稿日:2011/09/12(Mon) 17:15
エピソード4

      【アッシリアとアケメネス朝ペルシア】

はいっ皆さんこんにちは。お元気でしょうか。歴史・世界史の時間がやってまいりました。
え〜今日はですね〜アッシリア帝国とアケメネス朝ペルシアという事でお話を進めていきます。
タイトルの確認ですね。アッシリア帝国そしてアケネメス朝ペルシア
ポイントはまずアッシリア帝国だという事が一つ。そしてこの英国が滅び去った後というのが二つ目のポイントです。
そして3つ目のポイントがまあ宗教(しゅうきょう)。ゾロアスター教という宗教がここではじめて登場します。

さあそれではね早速中身を見ていこうと思います。
歴史の繰り返しという事その事を念頭に置きながら、原因と結果、
アクションおよびリアクションという頃を頭の隅に置きながら見ていけたらな〜とこのように思います。

さあ早速ですけれども『アッシリア』ですね。このアッシリアというのは非常にスケールの大きい帝国を築いていったわけなんです。
主都が『ニネヴェ』と呼ばれるエリア。メソポタミアとかシリアを支配し小アジアを遠征し、世界帝国を形成しました。
この当時の人物、筆頭格(ひっとうかく)ですね。『サンゴル2世』といいます。サンゴル2世。
世界帝国!この時で全世界を掌握(しょうあく)したわけじゃないのにすでに世界帝国形成というような書き方をしておるわけですけどもも
当時の世界観ですよねこれは。
まだ当時、誰もがそうなんですが地球上の規模というのは知ってる人は誰一人存在しませんでした。
ですから、そういう中で全世界を掌握したようなとらえ方をするという事はよっぽど力(パワー)があったという事なんですね。

そして紀元前7世紀エジプトを支配していったわけです。
まあね、でこの次に繁栄、独立、繁栄、滅亡とまとめているわけですが
ちょっとここでお話しておきましょうかね。
このアッシリアという国はですね『ちから』で政治を進めていったわけです。力があるからこそ天狗にもなる












47 名前:レゲーさん 投稿日:2011/09/12(Mon) 17:15

だからこそ『軍国主義的な支配が周辺諸民族の反発を招いた』んです。
軍国主義的な支配そして反発!という事です。一番最初お話しましたよね。

アクション、これに対してリアクションが必ずある。いいですね。
アクションがあってリアクションがくるんです。
この場合ちからでおさえつけようとしたから力による反動がきたんです。いいですね。
軍国主義的な支配というのがアクションだとしたら、反発(反論)というのはリアクションです。
歴史というのはアクションとリアクションの繰り返しなんですよ。これは避けられない運命なんです。
原因と結果の繰り返しなんです。

それが積み重ねていく中で今現在、現代人(今を生きる人)というのものを作っていったんですね。
今生きてる我々は大むかしの子孫なんです。もしかしたら血がつながってる人もいるかもしれない。
まあねこのアクションとリアクションの関係、今後非常によく出てきますのでしっかり頭に入れておいて下さい。

先ほどの続きですが再しぅゆ的に滅亡していくわけです。
王様というのはちからがあるんです。それが滅亡するんですから皮肉な話ですよね。
力の国というのはその時は凄まじいんですけれどもね案外もろいんですね。
潰れやすいんです力というのは。逆にいうとね、もろい部分が非常に多いからこそ力に頼ってしまうんです。

むかしの人間というのは、今もそうかもしれないけどもね
ちからでしか解決できない人がいます。どうしてもパワーに頼っていまう。

まあこうして滅亡していくわけですが。その後です。
4国分立時代というのがありますね、アッシリアという一つの国が4つに分解していくんです。
このアッシリアという国が4つに別れる。元々一つだったのがバラバラになってしまうんです。分かりますか?

@・・まずエジプトができる。Aに新バビロニアができる。そしてBリディア Cメディア
それぞれできた。4つの国が誕生します。



48 名前:レゲーさん 投稿日:2011/09/12(Mon) 17:30
エジプト、 新バビロニア、 リディア、 メディア

ところで新バビロニアって覚えてますかね〜?
前回『古バビロニア』だったんですけど・・・。え〜ハムラビ王とかハムラビ法典が出たところ。
で、エジプト、新バビロニア、リディア、メディアという具合いに4つに分裂しました。

ハビロニアにおいては『ネブカドネザル2世』という人物がいたんですが彼の時代が全盛です。
全盛(ぜんせい)というのは一番安定した時代の事であります。

ちょっとここでね〜。もう一つお話しておかなければならない事がございます。
今ちょっとね『全盛』という文字が出てきましたが・・。
歴史上の上で全盛期がきたら、あるいは最盛期がきたらその後というのは必ず衰退(すいたい)に向かうんです。
衰退というのは簡単にいうと力が落ちる・・漫画風にいうならばパワーダウンといったところでしょうか。

MAX(マックス)までいくとその後は必ず衰退します。
いくとこまでいったら後は落ちていくしかなくなるんです。
こういう事これから非常に数多く出てきますのでどうか頭の隅にね入れておいて下さい。
全盛期がきたら落ちていく。

さあ次いきましょう。『メディア』。メディアはイランを中心として『エクタバナ』を都とした。
紀元前6世紀末、アケメネス朝ペルシアがオリエントを再統一・・とあります。
アケメネス朝ペルシア、この後登場しますが実はまあメディアから誕生した国なんですけどね。


さてと・・ここだけ残したのには意味があります。『リディア』というエリア。
リディアというのはこれはしっかりと覚えておいて下さい。
リディアは世界最古の『鋳造貨幣(ちゅうぞうかへい)』
鋳造貨幣というのはお金ですね。を作ったんだと言う事!
本格的なマネー(金)です。これを作ったという事はしっかりと覚えておいて下さい。
これは大事です。世界で一番最初の本格的な金



49 名前:レゲーさん 投稿日:2011/09/12(Mon) 17:31

今日はアッシリアについてお話しました。そして4つの国に分裂したという話をしました。
アケメネス朝ペルシアがまあ出てきました。初期はメディアに服属していたという事ですね。
紀元前550年・・・『キュロス2世』という王様がメディアより独立した。
その後リディアを支配し、リディアというのは鋳造貨幣のところですよ

更にバビロニアを支配していった。そして紀元前525年にはエジプトも征服していきましたよと・・。
そして次、紀元前522年・・・『ダレイオス1世』という人物が即位し、さあこの時全盛期ですよ。最盛期!

ダレイオス1世はね自らの功績をこういう碑文(ひぶん)に残したんです。
『ベヒストゥーン碑文』という碑文。ダレイオス1世といえばベヒストゥーン碑文です
まあ自分のね、僕はこんなに凄い事をやったんだぞ〜というような事をね碑文に残したんです。
当時多かったですよそういう人。
ですけれどもさっきも言いましたよね。全盛期がきたという事はその後は遠征失敗!
マラトンの戦いという戦乱で敗北・・負ける。その他には・・ギリシアの遠征またまた失敗!
『サラミスの海戦』に敗北。

ねぇ言った通りになったでしょう?じわ〜っと最盛期がきて全盛期がきてガク〜ン!と下がってしまいました。
パワーがダウンするんです。MAXまできたら後は落ちていくしかないんです。
逆にいうと落ちないうちはまだMAXになってないという事なんですね。

まあそういうアケメネス朝ペルシアなんですけれども・・・
最後のお話なんですがこのアケメネス朝ペルシアの宗教です。
ペルシアの宗教はいったいどんなだったのかという話ですが・・ポイントの3つ目ですね。
『ゾロアスター教』という宗教!アケメネス朝ペルシアはこの『ゾロアスター教』という宗教を頼っていたというか
信じ込んでいたんですね。後にユダヤ教やキリスト教に影響しております。

それとこれは余談ですが合気道という武道道場の先生も神様を信じ込んでいます。
あまりに神に拘るから最初は何か変な宗教団体かと思いましたね
キリスト教かイスラムか分かりませんけどね。

まあそんな話はさておき続きまいりましょう。

ゾロアスター教というのは先手です。ユダヤやキリストよりも古い宗教になります。
このゾロアスター教というのは善の神『アフラ・マズダ』と悪の神『アーリマン』がいるという考えですね。
彼らの宗教はね勿論ゾロアスター教。後にまとめられる拠点が『アヴェスター』です。非常に面白い宗教でね
ユダヤ教が一神教とすればゾロアスター教は二神教です。今言いましたね。

一つが光まあ善の神『アフラ・マズダ』。そして対立するのが闇の神まあ悪の神『アーリマン』
ゾロアスター教によれば『アフラ・マズダ』と『アーリマン』は永遠に闘い続ける!
それぞれ天使の軍隊と悪魔の軍隊をね、ひきいて戦ってるわけです。
そしてこの世に起こるあらゆる出来事は全てこの2人の神の戦いのあらわれなんです。

『アフラ・マズダ』と『アーリマン』は永遠に戦い続けるわけですがいつかは決着がつきます。
いつかは分からないけれどいつかは決着がつく。
最後はね光の神『アフラ・マズダ』が勝つわけです。ここからが興味深い話なんですが、
え〜アフラ・マズダがね勝利した後どうなると思いますか?
救世主が現れるんです。この救世主はそれまでこの世に生をうけて死んでいった人々を全てよみがえらせていくんです。

そして復活した人々を善・悪に振り分けて天国行きと地獄行きに選別していくんだと。
これがゾロアスター教の最後の審判と呼ばれるものなんですね。

実はね〜オマケの話ですけれども『マツダ』という自動車メーカーありますね。
まあファミリアとかそういう車を製造してるんですが、そこのロゴ・・どうでしょう。思いだしてみて下さい。
『mazDA』こんな感じじゃなかったですか。これよく読んでみて下さい。
マズダと読めませんか?世間ではマツダと呼ばれているらしいですが、もしマツダだったら
『Z(ゼット)』は入れないはずです。

mazDA    matuDA

Tになるはずなのに実際はZです。これは初代社長のちょっとしたシャレたいきごみが
ここに入ってるんじゃないかな〜と思います。決してメジャーじゃない宗教からそういう善の神に
あやかりたいという思いがねここに出ているのでしょうか。
非常に面白い話であるはずなんですけれども皆さんはどうだったでしょうか?
ちょっと参考になりましたか。それでは今日はこの辺でお別れしましょう。さようなら!

50 名前:レゲーさん 投稿日:2011/09/12(Mon) 17:32
ちなみにレゲーさんの歴史の成績は5です。


51 名前:レゲーさん 投稿日:2011/09/15(Thu) 18:25
エピソード5

      【ギリシア世界 エーゲ文明 ポリス世界の成立】
はいっ皆さんこんにちは。世界史の時間がやってまいりました。
今日はですねギリシア世界、タイトルのほうがエーゲ文明、ポリス世界の成立という事で
授業のほう展開していこうと思います。まあギリシアという事なんですけれども、
だいたい何処にギリシアがあるか、だいたいイメージつくでしょうか。そうですね〜地中海
え〜地中海のほうにあります。まあギリシアの大まかな位置ですね〜
世界の中でだいたいどういうエリアにあるのかといいますと・・

アラビア半島があって、インドがあると・・。アメリカはちょっと省略しましたけれども。
え〜教科書や地図表でねエリア確認してもらったらいいと思います。そしてエーゲ海!
トロヤ。トロヤというのは遺跡があるエリア。で、クレタ島というかクノッソス。宮殿があるところですね。
でミケーネ。で、アテネ。

だいたいこういう形ですね。今日はこういう部分で特にミケーネという地名出てきますしそういった所に注意して
お話のほう聞いてもらえたらと思っております。え〜何度も何度も言いますけども大切なのはやっぱりイメージする事!
縦の繋がりと横の繋がりをきちんと合わせる。で、やっぱりポイントというのがあるんですね。
原因と結果。こういう原因でこういう結果になったんだという事をきちんとおさえながら話をしていこうと思います。

まずは地中海の風洞なんですが地形的にはね非常に山が、後は大河が存在しないという事で
耕地面積が非常に少数なんですね。耕す土地がない。すなわち田がないという事で食料が不足しがちです。
したがって、彼らは食料生産という方法がとりにくいからという原因で結果的に商業活動を行っていくわけです。
夏は非常に乾燥する気候です。逆に冬は非常に温暖。で、そういう気候を利用して夏の乾燥に強く冬の温暖に強い
そういう果じゅつ(かじゅつ)やオリーブ、レモンといった柑橘系(かんきつけい)そういったものを製造するようになった
で国土の80%は石灰石で海岸線が非常に複雑なんですね〜。そういう背景をもったギリシア世界で一つの文明が誕生するわけです。
エーゲ海で展開された文明についてそれが今回のポイントになるわけです。

このエーゲ海で繰り広げられた文明それを見ていこうと思います。
さて・・エーゲ文明のほうは紀元前3000年くらいから1200年頃まで栄えた『青銅器(せいどうき)』文明の、
総称なんですね。で、前期のクレタ文明、そして後期のミケーネ文明に区別されます。
エーゲ文明というのは前期のクレタ文明そして後期のミケーネ文明に大きく分けられます。
さてその前期のクレタ文明なんですけれどもエーゲ文明の中で最も有名であると言っても過言ではありません。
別名、前期エーゲ文明。でこの文明の特色というものは非常に明るい海洋文明なんですね。

写実的、動的で優美な海洋都市国家。ここがいわゆる明るい海洋文明であるわけですね。写実的なんです。
で海洋文明というわけですから非常に海を連想させる背景がある。
例えばそこから発見される遺跡というものは例えばイルカの絵が描いてあったり非常に海を連想させるような文明であったわけなんですね。
海に拘る、執着するエーゲ文明。そういう意味なんですねこれは。
写実的で動的で優美な海洋都市国家!それらの背景をもつ文明がエーゲ文明なんだという事を
是非頭脳にインプットしておいて下さい。この時代が全盛期・最盛期でした。

中心地はクレタ島のクノッソスというエリア。エーゲ海にフタをするような感じで浮かぶ島ですね。
そのクレタ文明、一時非常に栄えたわけですけどもこの時がまさに全盛期でした。
しかしこのクレタ文明もやがて滅び去ってしまうんですね。いい島なのに滅んでしまう・・皮肉な話ですよね。皮肉。
そのクレタ文明を滅ぼした連中がおるんですね。それがタイトルに出てるギリシア人なんです。
ギリシアの『アカイア人』という民族がこのクレタ文明を滅ぼします。

元々ギリシア人というのはギリシア半島に居住していたというわけではありません。
現在地はもっと北側の森林地帯だったという説があります。

52 名前:レゲーさん 投稿日:2011/09/16(Fri) 14:58
ところが人口が増加したにも関わらず食料生産があまりふるわなかったんですね。
空腹と寒さの彼らは半数が最初に南下を展開していく。南下。
だいたいこれがねBCの2000年くらいだといわれています。
彼らはテロポンネソス半島の一番端っこまで行ったわけです。
ここまで来た時にキラっと光り輝く文明を発見したわけなんです。
その文明がすなわち『クレタ文明』なんです。クレタ文明が幸せをクレタ(くれた)文明なのであります。クレタがくれた。ね。今のはシャレです。

そのクレタ文明を目の当たりにして感動したんです。『うわ〜こんな凄い文明があるのか〜』
これをどうにかして自分たちの物にできないだろうか・・欲望に走ってしまうんですね彼らは
そして彼らはそのクレタ文明をぶち壊してその感動をペロポンネソス半島に持ち帰るというムチャな行動に出ました。



53 名前:レゲーさん 投稿日:2011/09/16(Fri) 15:47
ギリシア人はクレタ文明を滅ぼして自分達のものにした。
こうしてエーゲ文明の影響を受けた新たな文明の花というものがギリシア。
それだけペロポンネソス半島で広がっていくわけなんです。これをミケーネ文明といっております。
ミケーネ文明の特色というのは非常に模倣的(もほうてき)であるという点ですね。模倣的。真似っこです。
ミケーネ文明はクレタ文明とは若干異なり非常に模倣的でしかも好戦的なしきさいがあるわけなんですね。

で、どういう部分で好戦的なのかといいいますと例えば『城さい(じょうさい』
城さいといったものも非常に、まあ敵から身を守る為のものですね。こういう事からしてミケーネ文明は
攻撃的なあるいは防御的な性格を持った文明であるとこのように言えるわけですね。
外敵の侵入に備えるというね大きな意味があります。

さあそのミケーネ文明ですが結局は滅びてしまうんですね。
さっきも言ったようにね、ミケーネ文明はクレタ文明を滅ぼした
ミケーネ文明を栄えさせたのはギリシア人でした。ギリシア人の一派のアカイア人という事でですね〜

ギリシア人のもう半分の連中はどうなったのかというとBC1200年頃まで、すなわち東の連中よりも更に800年という年月
頑張って空腹と寒さを我慢したんです。その我慢がどうしようもなくなった段階で彼らも南下を開始したんですね。
彼らは『鉄器(てっき)』をもちいていたわけなんです実は。鉄器をもたらす『ドーリア人』という民族が南下してミケーネ文明を破壊しようとした当時
その時にはじめて鉄器という機具がもたらされたわけなんです。
鉄器をはじめてもちいたのがドーリア人という民族。是非覚えておいて下さい。
ドーリア人。ドドリアではありませんよ。ドードリオでもありません。ドーリア人です!ドーリア人。
よく間違える人がいるので注意して下さい。

ドーリア人・・・現在は『海の神様だ!』という説もあるんですが、まだまだメジャーなのは
そのドーリア人という説ですね。ちなみにドーリア人が作ったポリスっていったい何でしょうね〜?書きましょう。
これが『スパルタ』なんです。そう・・スパルタ教育とかのスパルタです。スパルタンXではありませんよ。スパルタです。
これ以降・・ギリシアの半島でも鉄器時代に突入する。そしてこれからBC9世紀頃までの時代というのはヨーロッパ史上『暗黒時代』と
このように称されるようになってきます。で、何をもって『暗黒(あんこく)』というかという部分なんですが
歴史を証明するようなものがないという意味なんですねこれは。
そういう理由からまあ暗黒時代とこのように呼ばれているわけであります。

さあポリスの成立というわけなんですけども、一つ一つ確認していきましょうか。
まあ成立の過程・・過程は数百年間の期間!さっき言いました『暗黒時代』という時代を過ごしていきます。



54 名前:レゲーさん 投稿日:2011/09/16(Fri) 16:13
そしてBC9世紀もしくは8世紀頃にはもうすでにギリシアにはポリス
いわゆる都市国家ですよね。都市国家が生まれてゆく。まだなかったんですよそれまでの時代は。
で、これを形成する際にギリシア人はどうするかというとまず貴族の集まりが行われるわけなんです。

その貴族の集まりの事をこのように表現します。『ツノイキスモス』
ツノイキスモスはまさに集まると集住(しゅうじゅう)という意味の言葉なんですね。
こういう事によってポリスが一つ一つ成立していきます。で、その中心地というのがあるんですね〜
その中心地が『アクロポリス』ね。アクロポリス。で、ここを中心にして集会とか裁判、市場などに使われるまあ広場ですよ。
その広場の事を『アゴラ』と言っております。アゴラ。
で周囲を城壁で囲み、外に田園を配置した。このような都市の構成を築き上げていったわけなんですね。
で、え〜連帯感というものはまあ非常に素晴らしいものがあった。
自ら自分達はギリシア人ですから自分達を『ヘレネス』そしてその国土を『ヘラス』といって

異民族を『バルバロイ』と表現したんですね。バルバロイ。英語でいうとバーバリアン
バルバロイ・バーバリアンというのを日本語に訳すと『何を言ってるのかよく分からない連中』といった感じでしょうか。
バルバロイ・・昔ギリシア人がギリシア語をしゃべれない連中の言葉を耳にしてそのように音声として読みとった
というのが語源だと言われています。まあ『バーバー!バーバー!』という雑音に聞こえたんでしょうねきっと。
つまり分けの分からん事をしゃべる連中だという事でバルバロイという名前が付きました。

今ではそれが『異民族』というような言葉で表現されています。もっとも異民族というのは分けの分からん連中
今までの授業でも異民族を倒したとか殺したとか色々な話してきましたよね?
その度に皆さんは『そんなヒドい事をしなくてもいいのに』とか『争わずに話し合いで解決すればいいのに』とか
ひょっとしたら思った人もいるかもしれません。

しかし・・・しかしですね・・彼らが異民族を追い払おうとしたのもうなずけます。
まあ当然といえば当然です。無理もありません。

なにせ異民族というのは本当に分けの分からない連中。うっとうしい連中でした。
意味の分からない言葉を話す上に、自分達は優れた連中だと優越的区別してたりしていたわけです。

最初のほうの授業で開放的な地形はあまりよくなかったというお話をしました。覚えてますでしょうか?
開放的な地形はそういう、うっとうしい連中が異民族ですね。異民族の興亡が激しいからこそ不都合が生じた!
閉鎖的な地形のほうが良かった。そういう意味なんです。


今回の異民族はその時の異民族とは若干異なるかもしれませんが(?)
異民族という民族の存在をねまあ是非覚えておいて下さい。これからも数多く出現します。

その他では『隣保同盟(りんぽどうめい)』ですとかオリンピアの競技大会。
これがいわゆるオリンピックの事ですが当時は実はオリンピアという名前だったんです。
オリンピックというのは今でこそ、陸上あって、水泳あって、野球があって、サッカーがある。
でまあ格闘なら柔道とかテコンドーとかそういったものがあります。
で、そういう武道は今現在はユニフォーム、道着ですね。道着を身に付けますけども
むかしは陸上のみだったんですね実は。しかも肉体美を全てさらけ出す!
生まれたまんまの姿で競技を行うというのは最低限のルール。要するにハダカですね。

オリンピックというのは元々全裸でスタートした。今では信じられない事です。
そしてどんなに戦争が起ころうとオリンピアだけは必ず行ったという説があります。
それくらい重要なものだった。

では今日はこれくらいにしておきますさようなら





55 名前:レゲーさん 投稿日:2011/09/16(Fri) 16:19



エピソード5終了・・データをセーブしますか?
           YES・NO


56 名前:レゲーさん 投稿日:2011/09/16(Fri) 17:04
エピソード6

           【ポリスの発展と衰退】

本日のテーマはポリスの発展と衰退という事で、
はじまるところから落ちてゆく(衰退していく)ところまでいっきにお話しようと思います。

まずはねポリスという意味から確認しておきましょう。
これは警察ではありませんよ。『都市国家(としこっか)』ですよ。お間違えのないように。
もしね勘違いしてる人がいたらいけないので年の為に言っておきます。ポリス=都市国家です。

さあこの都市国家(ポリス)。都市でありながら国家というわけなんですけどもこれはどういう事かというと
昔はね、ここの町というのは非常に制度が存在した。整っていたという事でこのポリスというのをギリシアでは『アテネ』
そしてもう一つは『スパルタ』この2つが代表として取り上げられるものです。

今日は『アテネ』について。アテネの場合という事でポリス生体の変化というお話を進めていこうと思います。
今日はねゆっくりと解説していこうとこのように思っておるわけです。

このアテネ、ギリシアなんですけどもね元々は『王政』。王政というのはつまり王が中心に存在したわけなんです。
王が政治を行っていた国。だから王政なんです。え〜ミケーネ時代は王政でした。暗黒時代に貴族性となります。

暗黒時代・・前回言いましたがこれは真っ暗だった時代とかそういう意味ではありませんよ。
太陽が出なかったとか暗いとかそういう事じゃないんです。
資料が非常に少なかった時代という意味なんですね暗黒時代というのは。
その暗黒時代にも貴族が政治を、そして裁判権というものを独占していく。
また土地の割り当て制というものも独占していくわけですね。
その結果、自分達の都合のいいように『大土地所有制(だいとちしょゆうせいど)』という制度を誕生させていきます。
大土地所有制度。土地というのはね今現在(21世紀)もそうですが金になるんですよ。財産になるんです。
土地というのは大切ですよ〜。ね。まあ今はマンションとかあるけど昔は大半が1個建てですからね。マンションなんてないからね。




















57 名前:レゲーさん 投稿日:2011/09/16(Fri) 17:05
そしてこの貴族性の中ですね〜。最も重要な官職は何かといいますと『執政官(しっせいかん』なんです。執政官!
で、長老で構成する貴族会から選出していった。この執政官というのは非常に重役なんです実は。
重役であるがゆえに、任期が1年で毎年2人を貴族から選択していたのであります。
そういう中で平民がからんでくるんですよこれが・・。その辺りがねやっぱりアテネがとりあげられる由縁なんですね。由縁。
アテネというポリスはね、この平民との戦いを行っていったわけです。
平民と貴族が戦って、争って、この戦うというのは血を流すとかじゃありませんよ。
まあ自分達の主張を戦い合わせながら形成していった。そういう歴史があるんですね実は。

まああの〜平民・・貨幣経済の発達により非常に裕福な家も出てくるんですね。金持ちになる家も出てくる。
紀元前8世紀以来、植民活動により商工業が発達していくわけです。こういうね〜非常に生活が安定してくる
安定してくると商工業者の発言力が更に増すんですよ。そして『重装歩兵(じゅうそうほへい)』となる者も出現して
『参政権(さんせいけん)』というものを要求し出すんですね。ここはちょっと具体的に説明しておきましょうか。

当時のポリスの規則・・参政権というものを得る為にはこういう規則が存在したんです。
『武器は自弁の原則(ぶきはじべんのげんそく)』。

武器は自弁の原則というのはどういう事かというとつまり武器は自分で購入しなさい。調達せよという意味です。
こういう原則が存在したんです。つまり武器を自分で買って戦争(闘い)に参戦した者こそが参政権を要求できるんだと
つまり戦争で血を流す覚悟のないヤツは参政権なんか要求する権利はない!という原則が『武器は自弁の原則』
しかしこういう形でね金が入ってくる。ある程度お金持ちも増加する。
そうすると武器をね自腹で購入して『重装歩兵』まあ兵隊ですね。そういう者が出現する。
そして実際に戦争に参戦する。戦う。ですからその人達は勿論、参政権を要求する事が可能なんですよ。
参政権を要求する権利がある。また貴族とか工業者が大土地をねけんぺいした。合併していった。



58 名前:レゲーさん 投稿日:2011/09/16(Fri) 17:05
でも実はここで問題が発生するんです・・・。
一方で没落農民(ぼつらくのうみん)が発生して貴族の行う政治に不満をもつようになってきたんです。
貴族政治に不満。こういうところにね民主エネルギーはね集中するんですよ。
民主、一般人というのは決して馬鹿にしちゃいけないんです。
しかしね貴族らは自分が有能だと確信して狗になってるからそれが分からないんですよね。
フランスにしてもそうでした。後半部分でやりますけどもね。

なかなかその平民にまで耳を傾けられない。独裁的な政治を行う。独裁者ですね。
それは非常にマズいわけなんですね。こういう事でね平民が立ちあがっていったわけです。

なんとかして自分達の権利を認めてもらおうという事でねまず第一回として『成文法(せいぶんほう)』
それまでは文章といいますか法律がね残っていなかったんですよ実は
文字として残っていなかった。口伝えでしかなかった。そんなんいくらでもごまかしききますよね?
例えば・・タバコを吸ってはいけないという決まりがあったとしましょう。
それを破ってる人がいるんです実際に。でそいつに向かって『おいっお前タバコ吸っちゃいかんだろう』と言っても
『どこにそんな証拠があるんだ?え!?証拠ないだろうがっ!』と反発されたらそれまでですからね。

ですからきちんと文章にして残そうとした。それが『成文法』というものなんですね。
つまり貴族はね〜平民を見下してる、馬鹿にしてるわけですから
どうやっても自分達の都合のいいようにいいように言いくるめようとするわけですよ。
それを防いだもの、それが『ドラコン法』というんですね。ドラコン法。ドラゴンボールではありませんよ。ドラコンホーです。
ドラコン法・・非常に厳格なものでしたね。

そしてねそういう時にこういう一人の人物が登場して改革しようとするんです。『ソロンの改革(そろんのかいかく)』
ソロンの改革という改革を行った人物は財産政治、財産の所有で市民を4段階に分けて家柄よりも財産の多いものほど要職につけた。
そういう改革を行いました。また負債(ふさい)の帳消し。負債の帳消しとはつまり借金をチャラ(なし)にするんですね。
で大土地所有の制限も決めていった。これをね言葉で綺麗に表現すると『債務奴隷の禁止(さいむどれいのきんし)』というんです。
債務奴隷の禁止の意味は、つまり兵隊に出る者達というのは平民です。
金があるないに関わらず平民です。それ以上でもそれ以下でもありません。平民なんです。
これが奴隷になってしまうと人間的な扱いではなくなりますから勿論平民とは別の存在になるわけです。
奴隷というのは戦争に参戦する事さえ不可能なんです。もしも奴隷が増加したらどうなりますか・・?
ポリスを保護する者が誰一人存在しなくなる!これはヤバイ!

59 名前:レゲーさん 投稿日:2011/09/16(Fri) 17:25
奴隷が増加すると平民が少数になるわけですからポリスを守る人が誰もいなくなる。
昔は結構いたんですよ。借金を返済できずに奴隷になってしまう人が。
でもそれが皮肉にもポリスの弱体化を意味する。パワーをダウンされるキッカケにも繋がるわけです。

そういう問題があって、債務奴隷を禁止しました。そしてまあ財産政治が開始されます。
それがまあ次の段階として『僭主政治(せんしゅせいじ)』。
この僭主政治というものを行った人物名ここチェック!『ペイシストラトス』という人です。ペイシストラトス。
彼はまあ僭主、独裁権を握ったんですけどもまあ珍しくね人の意見を聞いていた。こういう人は珍しいです。
ペイシストラトスという人は民意を反映する政策を行っていきました。だからそれまでのようにあまり批判は出なかったんですよ。
むしろ、拍手かっさい!って感じです。穏健で民主的。こういう独裁者はね非常に素晴らしいんですね。
といっても結局は独裁者ですけどね。

だけども・・・・ペイシストラトスの息子『ピッピアス』というのがあるんですけども
これが非常に暴軍(ぼうぐん)。暴軍というのはまあムチャクチャでまあ市民によく追放されてたわけです。
父親のペイシストラトスとは全く正反対です。そして僭主という時代を経て・・
民主政治へと移行していくわけですね。クレイテネスの改革のたまものなんですけども・・
貴族の勢力源である血縁的部族を解体し、アテネを10区に編成。
そして僭主ムチャクチャ悪質な独裁者を事前に防ぐために『陶片追放(とうへんついほう)』』
そして陶片の事をカタカナでオストラシズムというんですがこれをどういうことかといいますと
つまり気に入らない、気にくわんヤツの名前を書いて投票するんです。
まあその陶片、これが6000票集まった人物は追い出されるというシステムですね。
非常に分かりやすいです。知らないヤツの名前を書けばそれで済むんですからね。
まあ書かれた人はたまったもんじゃないですけどね。
そうやって要は、コイツはひょっとしたら独裁者になるんじゃないかという恐れのある人物を
事前に防いでいくというものなんですね。

今度はね『ペルシア戦争』という事が大きなテーマになってます。戦いが起きていくんです。
ポリスとアケメネス朝ペルシア。ここが争っていくんですね。争いの原因は、
地中海域の利権を求めるペルシアと、植民地の確保・拡大を期するギリシアとの衝突なんですけども
イオニアの植民地『ミレトス』のペルシアに対する反乱をアテネが支援した事が直接の原因だと言われております。
戦況↓

【第1回 紀元前492年・・ペルシア隊の撃破。軍を引き上げる。
 第2回 紀元前490年・・(マラトン)の戦いでアテネ圧勝。
 第3回 紀元前480年・・(テミストクレス)の指揮・しきするアテネ海軍が決定的勝利を収めた
              紀元前448年 カリアスの和約で終結



60 名前:レゲーさん 投稿日:2011/09/16(Fri) 17:46
問題なのは『意義』ですね。意義。どうしてペルシア戦争が重要なのかという事であります。それはこれです。
東方の先制専制主義に対する自由の勝利!そして、ポリス世界におけるアテネの指導権の確立!
まあこういう事をね経てですね。『民主政の完成』といくわけなんですね。
ギリシアの黄金期がここに訪れます。ついに来ましたね。全盛期!

つまりねアケメネス朝ペルシアというのは非常にスケールの大きい国です。
そういった国を小さいアテネがやっつけたという事が大きいんですね。
またアテネが小さいアテネが大きいアケメネス朝ペルシアを大したという事で
アテネの指導権が確立されていったわけです。さあいよいよ最終ページに突入します。
でもね何だかんだいってもそのポリスもやがては衰退していくんです。すいたい。

毎度毎度の事ですが全盛期がきたらその後は必ず衰退に向かいます・・。
いい人悪い人に限らず衰退していきます・・。いい人でも滅びるんですから皮肉な話ですよね。ホント皮肉です。
ポリスが衰退した流れを最後確認しておきましょう。ポリスが崩壊した原因というのは
『ペロポンネソス戦争』という戦争がありました。そこでスパルタというのが登場するんですが
アテネとスパルタの宿命的な対決!要するにポリス同士で潰し合いを始めてしまったんです。仲間割れというやつでしょうか・・?
結局仲間打ちでそういう争いを始めると案外もろいものなんです。

『デロス』同盟を率いるアテネの繁栄を妬んでスパルタは『ペロポンネソス同盟』という同盟を結成して対抗したんですよ。
コリントの植民市コルキラの反乱を発端として両軍が交戦!スパルタはアテネを包囲して更にペルシアの資金援助で海軍を補強して攻撃!
紀元前404年・・アテネ降伏。なんとアテネ負けてしまうんです。
負けた後のアテネというのはもう見るに見れない状況。
それを表現した言葉が『衆愚政治(しゅうぐせいじ)』。
衆愚の『愚(ぐ)』というねこの漢字があるだけでもどれだけ堕落した政治が行われたか察しがつくと思います。
さあ今日はポリス(都市国家)の発展と衰退(滅亡)という事について最初から最後までお伝えしたわけですけども
世界史(歴史)にちょっとは興味が湧いてきているでしょうか。
色んな話を織り交ぜながら展開していこうと思っています。

余談ですが僕(レゲーさん)の嫌いな科目は数学、保健、家庭、でございます。
強いて言えば・・現社も。これは余談です。


それでは次回またお会いしましょうさようなら!



61 名前:レゲーさん 投稿日:2011/09/16(Fri) 17:47
ちなみに趣味は音楽鑑賞、格ゲー、絵画です。


          エピソード6終了・・

62 名前:レゲーさん 投稿日:2011/09/16(Fri) 17:49
次回予告・・次回はエピソード7いきます。
もうすでに解説まとめてあるので後は書きこむだけです。
それでは次回お会いしましょうさようなら!

63 名前:レゲーさん 投稿日:2011/09/20(Tue) 19:02
エピソード7

          【ギリシア文化】

はいっ皆さんお元気でしょうか世界史の時間がやってまいりました。
今回はギリシア文化という事で、今日はまあお話が中心に、いつもお話が中心になってますがね
文化ですから主にどういう人物がどういう事を行ったのかというようなお話ができたらなとこのように思います。
まずはまあそうですね〜ギリシア文化の特色というものなのですが人間的で合理的な文化
非常にそのキリスト教精神と共に西洋文明の2大潮流(にだいちょうりゅう)となっていったと。
でまあ世界で最初にね哲学を生み出した人物・・誰だと思いますか?哲学!
まあ誰というよりもギリシア人なんですね。

古代ギリシアの市民というのは非常に暇なんです。
畑仕事などの労働は下の者がしてくれるし夫婦で家事を分担するなどというような事は
100%女性がやるものでした。食器を洗ったりとか男性はまずそのような事はしません。今はしてる人もいるかもしれませんがね。
当時はいませんでした。だから基本的に市民といえばまあ男性なんですけども暇で暇で仕方ないんですね。分かります?
だって労働は奴隷がやる。昔は家事は女性がやる。男は暇なんです。
で、暇をもてあまして昼間から『アゴラ』という広場に集まって皆ブラブラするわけです。








64 名前:レゲーさん 投稿日:2011/09/20(Tue) 19:03
ペチャクチャおしゃべりしたり戦争の為に身体を鍛えたり、そんな事をしてもやっぱり暇なんですね。
人間ヒマだと余計な事色々考えてしまう。そんな事はないですか?
皆さん、あまりに暇過ぎてしょうもない事を考えてしまったりするような事ないですか?
まあ人それぞれでしょうね。

で彼らは色々考えていったわけです。何で?という事なんですね。
『何で世界はできてるんだろう?』それが最初の哲学だったそうです。
一番最初の哲学は『自然哲学』というんですね。自然哲学。今なら科学にあたるもんですが
そういう事を考え出した。世界の成り立ち。
でもまあ当時は実験道具とかも何にもないから実際に調べる事はできません。
頭脳の中で考える事しかできないわけです。そりゃそうでしょう。
まああの〜自然哲学・・科学的な事なんですけれども自然現象を合理的に説明しようと。
実験道具が存在しないのはよく分かりますよね。時代が時代ですからね。
当時は今のようにフラスコがあったわけでもなく、薬物とかがあったわけでもありません。

自然現象を合理的に説明する。まあひたすら頭脳の中で考えていくんです。
論理で考えていったんですね論理。そして最初の有名な人、最初のその記念すべき人物それが『タレース』なんです。タレース
ターレスではありませんよ。タレースです!タレース!

タレースという人はイオニア地方のミレトスという地方の人なんですが
解説ですよ。そういう街に生まれた。
で、ギリシア本部ではないんです。タレース以外にも自然哲学者はイオニア地方とかシリア地方の人が
非常に目立つわけなんですけれどもギリシア本部ではない分、伝統にとらわれずに他民族の刺激を受けて
豊かな発想が生まれていったわけです。まあタレースの有名な言葉があるんですがご存じでしょうか?



65 名前:レゲーさん 投稿日:2011/09/20(Tue) 19:03
タレースの言葉・・・万物の根源はいったい何でしょう?タレースは言ったんです。
『万物の根源は水だと』。『水(みず)』全ての根源は自らスタートしたんだと。
今思うと当たり前の事じゃないかと思うかもしれませんが当時としては非常に画期的なんですよ。
全ての根源は水と言いきったわけですからね。それまでそんな事を口にする人物は誰一人として存在しなかった!
全ての根源は水だと言い尽くしたところからタレースの非常に素晴らしい部分があるといえるでしょう。

で一つは世界の成り立ちを追求した点で、でその2つ目というのが更に重要なんですが・・
世界の成り立ちを精神抜きで考えていったんです。精神論ではない。
彼もいろんな神様を信じていたでしょう。とりあえずはこっちに置いて・・自分で考える。
神様を置いて自由な発想を出していくというのが非常に画期的だったわけです。

 また『ヘラクレイトス』という人物は彼は万物の根源は『火(ひ)』であるとね。万物の根源は火である。
でヘラクレイトスはこの言葉の他に『万物は流転する』という言葉も残しているんですね。
こっちのほうが言葉としては有名じゃないかな。炎はまあじっとしてませんよね。
炎は常にメラメラと燃えている。で、全ての物は一瞬も同じところに留まらない。
そういう事をね考えたんです。凄いですよね。そういう事を思いつくというのは。
で、火でも水でも空気でも何でもアリで色んな考え方が出てくるんです当時は

やがて発想というものが非常に抽象的な形になっていく。その中でも『デモクリトス』とか
デモクリトスという人物の発言は非常に、それはそれで画期的でした。デモクリトス。
彼は万物の根源は『アトム』だと、原子だと、これがデモクリトスの考えで物をどんどん細かく分けていく
すると最後に残るのは小さな原子なんだと言ったんですね。
現在の我々が持ってる物理学の知識と基本的には一緒なんです。万物の根源は原子だと。ね。
頭脳の中で考えていただけでここまで到達できるというのがやっぱり彼らの凄さではないでしょうか。

抽象の基礎づくりというのがまあ『ピタゴラス』
数学の基礎づくりで有名な人物なんですね彼は。万物の根源は『数(かず)』であると
このように表現した。

まあこれは余談なんですが・・以前NHK教育テレビで『ピタゴラスイッチ』という番組がありました。
実はそのピタゴラなんですねこれは。

皆それぞれあらゆる表現の仕方がありますけれどもそういう形でね考えて考えて
考え抜いていったわけです。でまあこの哲学者・・こうやって自分達の暮らしに刺激を与えようとしたんですね。
元々はたんなる暇人。その暇なところからスタートしたんですが、で
一つ皆さんにねお話しておこうと思いますけどね。暇の事をギリシアでは『スカラ』と表現したんですね。
スカラ。え〜スカラというのは実は現在の『スクール』の語源だそうです。
暇な人達が集う場所というのがスクールらしいです。
もちろん今の学生や先生は別に暇だから勉強してるあるいは指導してるわけではありませんよね。
そうじゃないけど元々の語源はそうだったらしいです。

ただ当時の暇というのは今現在とちょっと考え方というか発想が異なりますよ。
当時(昔)の暇というのは余裕がある、非常に豊か・平和、という意味なんですね。
今と昔の違いを忘れないようにして下さい。

でまああの〜重要な人物がいます。『プロタゴラス』という人物名、
彼についてお話しておきましょう。で、まあ感心ごとというのは自然の成り立ちから今度は
人間の生き方へと変わっていきます。人間の生き方の部分ですね。
いかに生きていくべきか、で、『しん』とはあるいは『美』とはそういった事をねギリシア人は考えはじめたわけなんです。
この中で活躍したのが『ソフィスト』と呼ばれる人達なんですね。ソフィスト
ソフィアではありませんよ。ソフィストですよ



66 名前:レゲーさん 投稿日:2011/09/20(Tue) 19:04
ソフィスト・・『知者(ちしゃ)』とと書いていますね。
何でソフィストという連中が活躍するようになったかというとやっぱりそれはね
民主性の発達という事と大きく関係してくるんです。民主性の発達。
つまり民主主義!ここが大きな基点となってきます。え〜どういう事かというと
『アテネ』の民会を思い出してみて下さい。6000人が集う会議で自分の意見を聞いてもらい
更に人々の支持を得て、自分の意思を通そうと思ったらやっぱり話術。
トークが上手くないと駄目なんですね。面白くなかったら誰も聞いてくれないんです。
議論で相手にされなかったら意味がないんです。議論や話術というものが上手くなっていかないと相手にされない
で結局その話術なり議論というものが上手くなっていく方法というものはやっぱり
あまりよくない言い方ですが・・悪智恵を働かせる。悪智恵。
あまりよくない表現ですがね。悪い表現をあえて使うならば・・屁理屈をこねるという事なんです実は。
屁理屈をこねる。そういう努力を行う徹底的に!屁理屈がうまいのは知識のある人達。
つまり哲学者なんですね。意外でしょう。
そういう哲学者にね政治家志望の若者達が教えをこうわけなんです。
まあソフィストというのはね知者といいましたけれども知識のある人、智恵のある人。
要するにそれが哲学者というわけなんです。

で、そのソフィスト(知者)の中で最も有名な人物というのが『プロタゴラス』という人物です。
プロタゴス(プロタゴラス)は物凄い授業料を頂戴して指導してたそうなんです。
今なら10000000(一千万)くらいだと思います。それくらいの莫大な金を頂戴して授業していた。
今では考えられない時代です。意外なのが、それでも教えてもらいたいこの人に!という者も現れます。

『プロタゴス(プロタゴラス)』が発した言葉にこのような言葉があります
『人間は万物の尺度(にんげんはばんぶつのしゃくど)』と。万物の尺度!
すなわちエジプトは人間の身体に犬の頭を付けたものを神様と考えて、
ペルシアは『火』を神様と崇めたわけなんです。でフロヤはヤーベね
で我々ギリシア人はまた別の神様を持っていくんんです。いいですか。
神様はそれぞれ異なるんですよ。何処に絶対的な真理とかその他のもろしろのものがあると
貴方の正義と私の正義は違う!そのような意味なんですね。つまり万物の尺度というのは
人間なんだというのがその意味なんです。非常に難易度の高い言い方をするならば
『かちそうたい主義』とかね。『心理の相対化』『絶対的真理の否定』というような表現が存在します。

67 名前:レゲーさん 投稿日:2011/09/27(Tue) 15:49
そして紀元年5世紀の後半には『ソクラテス』という人物が登場します。
今度はソクラテスは絶対的真理の追究を主張していった。
彼はね『問答法(もんどうほう)』という方法を編み出したんです。
有名なセリフでは『汝自身を知れ(なんじじしんをしれ)』汝自身を知れというのは
つまり自分自身を知れという事です。『無知の知』。『悪法も法(くほうもか』

そのような言葉が有名なんですけれども、彼はひたすら問答法というものをとなえていくんです。
でまああの・・・しょうもない事なんですよ。で〜まああのね〜実際にどういう事が展開されたのかというと
例えばこんな形です。

ソクラテスはある人に質問するんです。『友人にウソをつくのは正しいか正しくないか』
相手は答えますね。皆さんはどうですか。まあそれは正しくないと答える人が多いんじゃないでしょうか。
更にねソクラテスは質問を続けるんです。『では病気の友人にクスリを飲ませる為にウソをつくのは正しいか正しくないか』
すると相手はね『いや、それは正しいだろう』と答えるんですね。
そうするとソクラテスはここぞとばかりに突っ込むんです。
『貴方は先ほどはウソつくのは不正だと言った。でも今は正しいと言った。』聞かれたほうは困りますよね。
『う〜んそう言われると私にはもう分からない』

でまあここで引き下がったらいいんですけどもソクラテスは更に追いうちをかけていくんです。
『貴方は何が正しい事で何が正しくない事なのかも分からないくせに今まで知ってると思っていたんですね』と
結構キツい一言ですよね。今の時代でもこういう言い方する人いますよね時々。
こういう相手はやりにくいですよね。これがいわゆる『無知の知』
自分が無知である事を知れ。それと同時に無知だという事を知るところからスタートするんだよと
いう意味がね実は隠されていたんですよ。ご存じでしたか?

まあ他にも『プラトン』ですとか『アリストテレス』というような哲学者が当時登場してギリシアを
非常に盛り上げていったんですね。『プラトン』彼の書いた本ではこの『国家論』というのが
非常に有名です。そしてアリストテレスは実は『アレクサンドロス大王』の家庭教師であったわけです。
で、自然哲学の分野のほうでは三平方の定理ピタゴラスのね考え出した、数学の時間にやったのではないでしょうか。
あるいは医学の父である『ヒッポクラテス』。歴史学の分野では『ヘロドトス』そして『トゥキディデス』この2名有名な人物ですね。
ヘロドトスとトゥキディデス。え〜どちらも『歴史』という本を書いているんですが、ヘロドトスが書いた歴史はペルシア戦争。
物語風に書かれています。一方、トゥキディデスが書いた歴史という本はペロポンネソス戦争であります。
非常に批判的。でこれよく試験とかで出題されて、大学試験とかにも出題されますからねこういった内容は。
おんなじ歴史という本を書いているんだけど書いてる本も違えば書いてる内容も違う。これどう覚えるか・・?これポイントですね。

ヘロドトス・・・何文字ですか?ヘ・ロ・ド・ト・スと5文字ですね。
で、もう一個のトゥキディデス・・7文字ですね。これがみそなんです実は。
トゥキディデスは7文字・・ヘロドトスは5文字・・。

ペロポンネソスは7文字です。ペルシア戦争は4文字。
7文字同士を合わせるこれをアタマにインプットしておくと『トゥキディデス』が出てきた時に
あ〜彼は歴史という本を書いた。その歴史は何を扱っていますかという質問にパッと答えられる
少なくともペルシア戦争という事はないでしょう。7文字ですからね。
トゥキディデス(7文字)・・そういえば7文字何か言ってたな〜。7文字7文字・・あそうか!ペロポンネソス(7文字)だ
このような形で区別というか覚えやすくしていったらいいんじゃないかな〜と思います。
さあそれでは今回はギリシア文化という事でお話しました。それではさようなら!


【歴史学】
・ヘロドトス・・『歴史の父』、『歴史』(ペルシア戦争)→物語風
・トゥキディデス・・『歴史』(ペロポンネソス戦争)→批判・客観的




68 名前:レゲーさん 投稿日:2011/09/27(Tue) 15:49
エピソード7終了・・・。


         データをセーブしますか?
        YES・NO


69 名前:レゲーさん 投稿日:2011/09/27(Tue) 16:21
エピソード8

         【ヘレニズム文化】
はい皆さんお元気でしょうか。世界史の時間がやってまいりました〜。
今日はねヘレニズム文化とこのようにタイトルにも書いていますけれども
ヘレニズム時代およびその時代の文化という事でヘレニズム文字という事をお話していこうと思います。
え〜まず黒板を見てみますとヘレニズム時代とはいったいどんな時代なのかというとポイント@です。

『アレクサンドロス大王』の東征。まあ『東征遠征』ですね。この東征遠征の約300年間をヘレニズム時代と
このように言っておるんだという事をまず第1点おさえておきましょう。
じゃあこの時代をどういう風に理解するかというとやっぱりキーパーソンが出てくるわけなんですね。
すでに人物の名前が出ました。『アレクサンドロス大王』。彼の業績というものを追いながらその政治史というものを確認していくのが
このヘレニズム時代を理解する為の大きなポイントとなるわけです。
あっちいったりこっちいったりというんじゃなしにアレクサンドロスの業績を追いながら展開していこうと思います。
ではね中身に入っていきましょう。



70 名前:レゲーさん 投稿日:2011/09/27(Tue) 16:21
ギリシアのね北の方にマケドニアという国が大昔建国されていたんです。
マケドニアという国。重要な語句ですね。え〜バルカン半島の南側でアテネなどのポリスが数多くあるエリアです。
マケドニア人はギリシア人の一派なんですね。ギリシア人の仲間と考えても良いでしょう。
アテネなどギリシアの中心部の人達と比べてだいぶまあ、なまりがあったみたいなんで彼らはバルバロイ
これもやりましたね〜覚えてますかバルバロイ。
英語でいうとバーバリアン。ね。汚い言葉を話す連中とこのように呼ばれてケイベツされていたんですね。
まあいわゆるヤバン人扱い。とでもいいましょうか。
でまあマケドニア人はポリスを形成していなくて王の元に貴族そうが支配下になっていたんです。
そう言った意味でも非常に遅れていた連中だとこのように思われていたのでしょう。
だいたい大まかな背景というのはそういう感じですね。

しかしここから逆転劇が始まっていくんですね。ところがこのマケドニアという国
南方の、せいしん地域が指導権争いでどんどん衰退していった。そういう時代背景だったんです。
それとは逆点する形で遅れていたマケドニアが力をつけてきた。いいですか?
マケドニアを1大強国(強い国)に発展させたのが『フィリッポス2世』という人物です。
キーパーソンですよ!フィリッポス2世!彼がマケドニアの国を1大強国にした立役者です。
フィリッポス2世は若かりし頃にテーベに人質になっていたそういう時代があったんですね実は
重装歩兵の戦術をじっくりと学んだんですそこで。人質の時代に『ファランクス戦法』という戦術をマスターした。
ファランクス戦法・・分かりますよね?別名『徴集密集戦法(ちょうしゅうみっしゅうせんぽう)』というんですが・・。

ファランクス戦法・・人が並ぶわけです。横に並んで縦にも並ぶわけです。
前にいる人は『たて』をもちます、たて・・防御・ガードする器具。
隣の人の『たて』がまた隣の人を防御する。守る。ガードですね。
そして後ろの列の人達は『ヤリ』です。一番前の列が『たて』を持って
で、2列目の人は『ヤリ』を持つ。こういう形で的に迫っていくわけです。
その形を崩さずにね。その形のまま相手にぶつかっていくわけです。
真正面から見ると1列目は『たて』に守られています。だから1列目の兵隊は安全なんです。
『たて』の間から矢を、ヤリを構えている。そして敵をやっつけるわけですね。
でもこの『ファランクス戦法』実はウィークポイントが存在します。ウィークポイント・・弱点があります。
何処が弱いか、弱い部分は右サイドと左サイドの人です。

つまり隅っこにいる人。一番端っこに立ってる人が一番危険なんです。
何故ならば自分が一番隅にいるから横から攻撃されたらアウトなんです。
真ん中の人達は相手の『たて』でガードされてるので半分身を守られているのでまだ安全なんです。
でも一番隅(端っこ)にいる人は身体半分はみ出してしまっているから危ないんです。
という事はこのファランクス戦法・・一番隅に行く人物が非常に英雄(ヒーロー)として称えられるわけです。

こういうね『徴集密集戦法』というんですが、その『ファランクス戦法』という戦い方・戦術を
人質時代にテーベで学んだわけですフィリッポス2世という人はね
こうしてフィリッポス2世さんは非常に戦術にたけたそういう人物になっていった。
その能力を精一杯利用していったんです。勿論、マケドニア国で王位の座について活躍したんですね。
マケドニアという国の軍隊は貴族の騎兵が中心だったので、農民を『重装歩兵』にして、
フィリッポス2世は軍制改革を成功させていきます。それと同時に王様の権利を強化します。
で、ごたごたが続くギリシアに向かって攻めていったんです。戦いです。

ラウンドワン(第1ラウンド)というのが『アテネ・テーベ』連合軍がマケドニア軍を迎え撃った!
これが紀元年338年・・・『カイロネイアの戦い』という戦争。カイロネイアの戦い。
これね実は迎え撃ったわけですから、やられちゃったんですね。やられたのは勿論アテネ・テーベの連合軍ですよ。
破ったのはマケドニアです。そりゃスキをつかれた形になるんでしょうね。
表向きは迎え撃ったとなっていますが実際は不意打ちらしいですよこれ。

まさかギリシアのごたごたが続いてる間に、あんなに遅れているマケドニアが
パワー(力)を身に付けて、まさか自分達に攻めてくるなんて思いもしなかった。
そういう時に、フッと攻撃されたんで慌ててしまってねアテネ・テーベの連合軍は
ズタズタにやられてしまったわけです。そういう説があります。


71 名前:レゲーさん 投稿日:2011/09/27(Tue) 16:46
その後、フィリッポス2世はアケメネス朝ペルシアの企画中にね暗殺されてしまったんです。
殺害されてしまったんです。
当時彼は40代半ばでした。これからいよいよというところで暗殺されてしまう。皮肉な話ですよね。
この暗殺された背景というのは実は分かっていません。半マケドニアの連中によっては、

こんなチャンスはないですよね。だってフィリッポス2世がお亡くなりになられたんだから
独立を回復するにはフィリッポス2世の死ほどアリがたいものはありませんからね。
何しろマケドニアはフィリッポス1代でこんなに強い国になった。
彼さえいなければマケドニアの支配というのはすぐに崩れるだろうとこのように考えられていたわけですね。

そしてフィリッポス2世には息子がおりました。息子はまだ20歳(ハタチ)です。
このハタチの息子にフィリッポス2世の偉大な業績というものが受け継げるわけがないでしょう。
まあ非常に常識的な考え方で当時もそのように考えられていたわけですね。
しかしこのハタチの後継ぎが・・実はそれが『アレクサンドロス大王』という人物なんですが
彼がね〜実はやってしまうんですよ色々と。

周囲の連中はね『ハタチそこらの若僧にこの国を守れるわけがない!任せるわけにはいかん!』
などと否定したんですが、ところがどっこいの世界なんですね。
どんどん実力を発揮していったわけです。まあ英語では『アレキサンダー』と呼ばれていますね。
でまあアレクサンドロスは非常に英雄なんですね。政治的にも優れていたし軍事的な能力でも非常に優れていた。



72 名前:レゲーさん 投稿日:2011/09/27(Tue) 16:47
で、以前お話したかと思いますが『アレクサンドロス』は少年時代、家庭教師についてもらって学んだんです。
で、父(フィリッポス2世)の死を即位するとギリシアの独立運動を徹底的におさえてペルシア遠征を実行するんです。
そのペルシア遠征の出発の年、重要ですここ。紀元前334年!という時代です。
紀元前334年・・・まず当然エジプトを支配していきます。近いですからね。
エジプトを支配した後、アケメネス朝ペルシアを紀元前333年『イッソスの戦い』という戦乱
そして紀元年331年『アルベラの戦い』という田tか合いで打ち破っていく。

で、『ダレイオス1世』という人物は負けて逃げている時に家臣に暗殺されて
実はこの王朝というものが滅亡してしまうんです。
で、エジプトから今度は真反対の方に行くんですね。え〜、東進、東に進んでいく
イランとか中心アジアというエリアを経て、『インダス川』のエリアにまで進出
このインダス川・・ポイントですね。最初の授業でやりましたね。インダス川

ヘレニズム文化・・ギリシア人が東方に移ったという事、それによってギリシア文化が普及されて
更に東方の文化も融合されていったわけなんです。その結果生まれたのがヘレニズム文化という
非常にまあ美しい、美しいというのは物が美しいとかじゃなくて精神ですね。
そういう文化が生まれた。『世界市民主義の風潮』ね。『世界市民主義』・・政治からの逃避
心の安静を追求していった。その有名な人物というのが『ゼノン』であり『エピクロス』という人物でありました。

でも勿論ギリシア文化もそうでしたし、この時代の文化も自然科学が大いに発達したわけです。
その発達の中でねどうしても外せないのがやっぱり『アルキメデス』というもの。
数学でもありますよねアルキメデスの原理とか。聞いた事ありませんか?
数学物理の初原理を色々こう編み出していった。え〜アルキメデス
非常に有名な人物ですね。で、このアルキメデスという人の業績というのがありまして
プトレマオス朝・・エジプトですね。
エジプトの都、アレクサンドリアというのは学塾の都として多くの俊才(しゅんさい)を集わせたらしいです。
シラクサというエリアがあるんですがシラクサ出身のアルキメデスも実はここで学んだ一人なんです。彼の故郷なんですシラクサは。
アルキメデスが結果として多方面に数多くの業績を残していったんですね。
数学では円周率の丸(円)の、旧跡法を解いて物理学では『テコの原理』というものを明らかにして
『私に足場を与えよ!そしたら地球をも動かしてみせよう!』というような事を言ったらしいです。

テコの原理を考え出して自分自身に足場さえあれば大きい地球だって動かす事簡単なんだと言い放ったわけですね。
で、インダス川・・インドの直前まで行った。当時は勿論自動車なんて存在しませんよ。
そう考えるとね非常に広いエリアを支配していたんだという事が分かると思います。

広大な知識をハタチそこらの若僧(アレクサンドロス)がね支配してしまうんですから非常に有能な人物ですね

73 名前:レゲーさん 投稿日:2011/09/27(Tue) 16:50
↑訂正

      

74 名前:レゲーさん 投稿日:2011/09/27(Tue) 16:51
         【ヘレニズム文化】
はい皆さんお元気でしょうか。世界史の時間がやってまいりました〜。
今日はねヘレニズム文化とこのようにタイトルにも書いていますけれども
ヘレニズム時代およびその時代の文化という事でヘレニズム文字という事をお話していこうと思います。
え〜まず黒板を見てみますとヘレニズム時代とはいったいどんな時代なのかというとポイント@です。

『アレクサンドロス大王』の東征。まあ『東征遠征』ですね。この東征遠征の約300年間をヘレニズム時代と
このように言っておるんだという事をまず第1点おさえておきましょう。
じゃあこの時代をどういう風に理解するかというとやっぱりキーパーソンが出てくるわけなんですね。
すでに人物の名前が出ました。『アレクサンドロス大王』。彼の業績というものを追いながらその政治史というものを確認していくのが
このヘレニズム時代を理解する為の大きなポイントとなるわけです。
あっちいったりこっちいったりというんじゃなしにアレクサンドロスの業績を追いながら展開していこうと思います。
ではね中身に入っていきましょう。

ギリシアのね北の方にマケドニアという国が大昔建国されていたんです。
マケドニアという国。重要な語句ですね。え〜バルカン半島の南側でアテネなどのポリスが数多くあるエリアです。
マケドニア人はギリシア人の一派なんですね。ギリシア人の仲間と考えても良いでしょう。
アテネなどギリシアの中心部の人達と比べてだいぶまあ、なまりがあったみたいなんで彼らはバルバロイ
これもやりましたね〜覚えてますかバルバロイ。
英語でいうとバーバリアン。ね。汚い言葉を話す連中とこのように呼ばれてケイベツされていたんですね。
まあいわゆるヤバン人扱い。とでもいいましょうか。
でまあマケドニア人はポリスを形成していなくて王の元に貴族そうが支配下になっていたんです。
そう言った意味でも非常に遅れていた連中だとこのように思われていたのでしょう。
だいたい大まかな背景というのはそういう感じですね。


75 名前:レゲーさん 投稿日:2011/09/27(Tue) 16:52
しかしここから逆転劇が始まっていくんですね。ところがこのマケドニアという国
南方の、せいしん地域が指導権争いでどんどん衰退していった。そういう時代背景だったんです。
それとは逆点する形で遅れていたマケドニアが力をつけてきた。いいですか?
マケドニアを1大強国(強い国)に発展させたのが『フィリッポス2世』という人物です。
キーパーソンですよ!フィリッポス2世!彼がマケドニアの国を1大強国にした立役者です。
フィリッポス2世は若かりし頃にテーベに人質になっていたそういう時代があったんですね実は
重装歩兵の戦術をじっくりと学んだんですそこで。人質の時代に『ファランクス戦法』という戦術をマスターした。
ファランクス戦法・・分かりますよね?別名『徴集密集戦法(ちょうしゅうみっしゅうせんぽう)』というんですが・・。

ファランクス戦法・・人が並ぶわけです。横に並んで縦にも並ぶわけです。
前にいる人は『たて』をもちます、たて・・防御・ガードする器具。
隣の人の『たて』がまた隣の人を防御する。守る。ガードですね。
そして後ろの列の人達は『ヤリ』です。一番前の列が『たて』を持って
で、2列目の人は『ヤリ』を持つ。こういう形で的に迫っていくわけです。
その形を崩さずにね。その形のまま相手にぶつかっていくわけです。
真正面から見ると1列目は『たて』に守られています。だから1列目の兵隊は安全なんです。
『たて』の間から矢を、ヤリを構えている。そして敵をやっつけるわけですね。
でもこの『ファランクス戦法』実はウィークポイントが存在します。ウィークポイント・・弱点があります。
何処が弱いか、弱い部分は右サイドと左サイドの人です。

つまり隅っこにいる人。一番端っこに立ってる人が一番危険なんです。
何故ならば自分が一番隅にいるから横から攻撃されたらアウトなんです。
真ん中の人達は相手の『たて』でガードされてるので半分身を守られているのでまだ安全なんです。
でも一番隅(端っこ)にいる人は身体半分はみ出してしまっているから危ないんです。
という事はこのファランクス戦法・・一番隅に行く人物が非常に英雄(ヒーロー)として称えられるわけです。

こういうね『徴集密集戦法』というんですが、その『ファランクス戦法』という戦い方・戦術を
人質時代にテーベで学んだわけですフィリッポス2世という人はね
こうしてフィリッポス2世さんは非常に戦術にたけたそういう人物になっていった。
その能力を精一杯利用していったんです。勿論、マケドニア国で王位の座について活躍したんですね。
マケドニアという国の軍隊は貴族の騎兵が中心だったので、農民を『重装歩兵』にして、
フィリッポス2世は軍制改革を成功させていきます。それと同時に王様の権利を強化します。
で、ごたごたが続くギリシアに向かって攻めていったんです。戦いです。



76 名前:レゲーさん 投稿日:2011/09/27(Tue) 16:52
ラウンドワン(第1ラウンド)というのが『アテネ・テーベ』連合軍がマケドニア軍を迎え撃った!
これが紀元年338年・・・『カイロネイアの戦い』という戦争。カイロネイアの戦い。
これね実は迎え撃ったわけですから、やられちゃったんですね。やられたのは勿論アテネ・テーベの連合軍ですよ。
破ったのはマケドニアです。そりゃスキをつかれた形になるんでしょうね。
表向きは迎え撃ったとなっていますが実際は不意打ちらしいですよこれ。

まさかギリシアのごたごたが続いてる間に、あんなに遅れているマケドニアが
パワー(力)を身に付けて、まさか自分達に攻めてくるなんて思いもしなかった。
そういう時に、フッと攻撃されたんで慌ててしまってねアテネ・テーベの連合軍は
ズタズタにやられてしまったわけです。そういう説があります。

その後、フィリッポス2世はアケメネス朝ペルシアの企画中にね暗殺されてしまったんです。
殺害されてしまったんです。
当時彼は40代半ばでした。これからいよいよというところで暗殺されてしまう。皮肉な話ですよね。
この暗殺された背景というのは実は分かっていません。半マケドニアの連中によっては、

こんなチャンスはないですよね。だってフィリッポス2世がお亡くなりになられたんだから
独立を回復するにはフィリッポス2世の死ほどアリがたいものはありませんからね。
何しろマケドニアはフィリッポス1代でこんなに強い国になった。
彼さえいなければマケドニアの支配というのはすぐに崩れるだろうとこのように考えられていたわけですね。

そしてフィリッポス2世には息子がおりました。息子はまだ20歳(ハタチ)です。
このハタチの息子にフィリッポス2世の偉大な業績というものが受け継げるわけがないでしょう。
まあ非常に常識的な考え方で当時もそのように考えられていたわけですね。
しかしこのハタチの後継ぎが・・実はそれが『アレクサンドロス大王』という人物なんですが
彼がね〜実はやってしまうんですよ色々と。

周囲の連中はね『ハタチそこらの若僧にこの国を守れるわけがない!任せるわけにはいかん!』
などと否定したんですが、ところがどっこいの世界なんですね。
どんどん実力を発揮していったわけです。まあ英語では『アレキサンダー』と呼ばれていますね。
でまあアレクサンドロスは非常に英雄なんですね。政治的にも優れていたし軍事的な能力でも非常に優れていた。




72 名前:レゲーさん 投稿日:2011/09/27(Tue) 16:47
で、以前お話したかと思いますが『アレクサンドロス』は少年時代、家庭教師についてもらって学んだんです。
で、父(フィリッポス2世)の死を即位するとギリシアの独立運動を徹底的におさえてペルシア遠征を実行するんです。
そのペルシア遠征の出発の年、重要ですここ。紀元前334年!という時代です。
紀元前334年・・・まず当然エジプトを支配していきます。近いですからね。
エジプトを支配した後、アケメネス朝ペルシアを紀元前333年『イッソスの戦い』という戦乱
そして紀元年331年『アルベラの戦い』という田tか合いで打ち破っていく。

で、『ダレイオス1世』という人物は負けて逃げている時に家臣に暗殺されて
実はこの王朝というものが滅亡してしまうんです。
で、エジプトから今度は真反対の方に行くんですね。え〜、東進、東に進んでいく
イランとか中心アジアというエリアを経て、『インダス川』のエリアにまで進出
このインダス川・・ポイントですね。最初の授業でやりましたね。インダス

77 名前:レゲーさん 投稿日:2011/09/27(Tue) 17:04
インダス川・・インドの直前まで行った。当時は勿論自動車なんて存在しませんからね。
そう考えると非常に広いエリアを支配していたんだという事が分かると思います。
広大なエリアをハタチそこらの若僧(アレクサンドロス)がね支配してしまうんですから
非常に非現実的な話ですよね。でも現実ですよ。

紀元前334年・・・『アレクサンドロス大王』はね東方遠征いわゆる出発!
ひきいるギリシア軍は、騎兵、歩兵、合わせて40000(4万人)。
この当時の食料というのは30日分しかなかったらしいので確実に勝利して帰って来る!
というそういう意気込みで行ったんだと思います。そうとう自信があるんですね。

で、ヨーロッパとアジアを分けるエリアを渡ってまず最初の開戦!
『グラニコスのかはんの戦い』というんですがこの時ペルシア軍もだいたい4万人くらい兵がいました。
ここでアレクサンドロスは軽く敵を蹴散らせて途中の都市を征服しながらメソポタミア地方に向かっていくんです。
まあこの戦術的な能力というのは非常に父親(フィリッポス2世)譲りのものがあって
決断力もあったことから非常に勝利を収めていくのに好都合であったと言えるでしょう。

ですけれどもこのアレクサンドロス大王
こころざし半ばにして命を落としてしまうんです。どんな強い人間でも死は必ず訪れるものなんですね。
彼が亡くなると誰がアレクサンドロス大王の後を受け継ぐかという事でこういう争い・戦乱が起こるんですね。
『ディアドコイ』後継者争いの事をディアドコイと言います。
この争いがキッカケで国が3つに分かれてしまうんです。分裂です。バラバラになるんですね。
歴史の中では非常に多いんですよ。ケンカが原因でバラバラになるというのは。
どういう風に分裂したかというと、

3つに別れていく・・
『アンティゴノス朝』マケドニア。そして『セレウコス朝』シリア。
そして3つ目が『プトレマイオス朝』のエジプト。この3つの王朝が誕生するんです。いいですか?
マケドニア国から分裂して3つの国が建国されたんです。色々問題はあったけど
実はこういう中でお互いの文化、文明というものが栄えていくんですね。

そしていよいよ今回のテーマである『ヘレニズム文化』というものが誕生します。




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