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日本における飢饉の歴史

53 名前:名無しさん@お腹いっぱい。 投稿日:2016/12/30(Fri) 00:51
「日本災異志」によると、567年から1869年まで大小合わせて225回も飢饉が発生し、内江戸時代だけで35回に達したといます。

この中でよく知られている飢饉は

・養和の大飢饉 1181年に京を含めて西日本一帯を天災(日照り、大風、洪水など)が襲う。数万人の死者を出したという。


・寛正の大飢饉 1461年に発生した中世最大の飢饉

前年(1460年)の長雨、異常低温、台風により、近畿、山陰、北陸地方が大飢饉となる。餓死者は8万人を超えたという。


・寛永の大飢饉 1642〜43年にかけて起った飢饉

1636年に九州で発生した牛疫病から始まる。西日本での日照り、北陸、東北、関東の長雨や冷害などの異常気象による全国規模の凶作、虫害や洪水の被害も多かった。餓死者は全国で5〜10万人といわれる。


・享保の大飢饉 1732年に西日本一帯を襲った飢饉。天候不順とセジロウウンカ、トビイロウンカが大量発生したことによる蝗害(こうがい)が原因

「日本災異志」では餓死者は12172人(過少報告の疑い大)、「徳川実記」では96万9900人とある。


・天明の大飢饉 1782〜87年 全国規模に起った飢饉。特に東北地方の被害甚大。原因は1783年7月の浅間山大噴火、1782年に各地で大雨による洪水、関東地方の大地震、1787年まで続いた天候不順。

死者数は100万人余(浅間山の大噴火、洪水被害、病死者数を含む)


・天保の大飢饉 1832〜39年に起った飢饉。連年の日照りや大雨などの天候不順、冷害(各地で冷夏が繰り返される)が原因。

推定死者数20〜30万人で、東北地方だけで10万人余。1日に7〜8人が餓えのため倒れたという記録がある。ただ餓死より疫病死の方が多かったという。


飽くまで日本の記録に残っている飢饉のデータです。

養和の飢饉 1181年 関西地方 正確な数値は不明。京都市中での死者は42,300人(方丈記)
寛喜の飢饉 1230年〜1231年 国内全体 正確な数値不明
長禄・寛正の飢饉 1459年〜1461年 国内全体 1461年の京都の死者は82,000人 正確な数値不明。

江戸時代
寛永の大飢饉 1640年〜1643年 国内全体 死者不明
享保の大飢饉 1732年 西日本一帯 餓死者12,000人(徳川実紀によれば969,900人)
天明の大飢饉 1782年〜1788年 後見草曰く20000人ほどだが、実態は200,000人ほど
天保の大飢饉 1833年〜1839年 日本全国 死者不明

昭和
昭和東北大飢饉 1930年〜1934年 東北地方 死者不明。 満洲事変などの原因とされる。



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