掲示板に戻る 全部 前 50 次 50 1 - 50 最新 50 スレ一覧

日本の大衆歌曲・歌謡曲の歴史

175 名前:名無しさん@お腹いっぱい。 投稿日:2013/09/08(Sun) 15:20
☆古賀メロディ、その隠れた名曲!・・沖縄民謡となった《二見情話》など

日本のレコード歌謡の草創期、レコード歌手第一号・佐藤千夜子の時代から5000曲とも言われる国民栄誉賞作曲家古賀政男の作品群はまさに「名曲の宝庫」に相応しいといえるが、殆ど知られていない隠れた名曲も多い。

「いっちょら節」や、沖縄民謡になった「二見情話」など、「新民謡」を含む創作民謡曲や、会津磐梯山(佐藤惣之助作詩・日本民謡曲)など、日本民謡の編曲作品、「荒城の月」「宵待草」など日本歌曲の編曲作品。「アリランの唄」〈朝鮮民謡〉、「のぞかれた花嫁」(アメリカ民謡)「南の花嫁さん」(原曲・任光「彩雲追月」)など外国曲の編曲紹介などあるが、あまり知られていない隠れた名曲がある。

特に、昭和7年の大ヒット曲『嘆きの夜曲』( 1932.2 西岡水朗作詞、関種子歌)や、「影を慕いて」(藤山一郎)コロムビア発売と同じ、80年前、古賀政男初期の作品「二見情話」〈1932コロムビア〉は沖縄・二見を歌った民謡曲で、沖縄民謡の大家が補作詞、編曲している古賀メロとの融合した作品だから沖縄民謡『二見情話』になったのだろう。

『二見情話』について、「情話」という言葉が一般的でなかった時代のたぶん最初の作品のはずで、古賀メロディのメロディライン(DNA)をもち、古賀メロをまねたものと沖縄民謡の大家筋や作詞・作曲者とされる周辺からも言われ続けてきたもの。


南国・沖縄民謡には一般的でないはずのあの東北民謡のような、あるいは古賀メロのような哀調、そして「歌謡調」のような曲調。それは誰が見ても生粋の沖縄人(ウチナーという)で突然できるようなものでもない。


「荒城の月」と同じレコード産業もなかった明治32年に作られ、その後レコード産業も黄金時代を迎えるのだが、昭和45年に全面改正されるまでそのままだった。不明な処がタタあるようだが、名曲というものはいずれ作者を離れ日本の歌となるのだろうが、欠陥だらけの旧著作権法の下で、古賀メロディは、まねられパクられされたことだろう。
そして、沖縄民謡『二見情話』として沖縄の風土の中に定着したということだろうか。

(『二見情話』『荒城の月』などは、You Tubeできける。)



◎以下に古賀政男作品と「編曲」作品等について参考に挙げる。

◇古賀政男以外による編曲の古賀作品例
「サヨンの鐘」(西條八十作詞、古賀政男作曲、奥山貞吉編曲、渡辺はま子)
「誰も知らない「(サトウ ハチロー作詞、古賀 政男作曲、奥山 貞吉編曲、ミス コロムビア(松原 操))
[馬」 (佐藤惣之助作詞、古賀政男作曲、 仁木他喜雄編曲、伊藤久男、菊池章子)
[いさをを胸に」(サトウハチロー作詞、古賀政男作曲、弘田龍太郎編曲,楠木繁夫、松原操)
[二見情話」〈西岡水朗作詞、照屋朝保補作詞、古賀政男作曲、佐々永治編曲〉1932



掲示板に戻る 全部 前 50 次 50 1 - 50 最新 50 スレ一覧
名前: E-mail(省略可)

read.cgi ver.4.21.10c (2006/07/10)