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日本の大衆歌曲・歌謡曲の歴史
- 496 名前:名無しさん@お腹いっぱい。 投稿日:2015/04/19(Sun) 08:16
- 大衆音楽の歴史を考える上で、レコード歌謡は昭和3年「波浮の港」に始まるとされる。
それ以前は演歌歌手と呼ばれる人のバイオリンによって広められた。
なお、今にいう「演歌」とは、これとは別に日本が戦後復興から豊かになる戦後に出てきたものである。
昭和29年の「お富さん」がそのはじめで、春日八郎が歌った。作曲は渡久地政信である。
演歌歌手の走りとなった「春日八郎」は、演歌として他に
「赤いランプの終列車」(1952 江口夜詩作曲)
「お富さん」 (1954 渡久地政信)
「別れの一本杉」 (1955 船村徹)
などたくさんあって、戦後演歌の原点江口夜詩に始まる、渡久地政信、船村徹は戦後≪演歌≫の
創始者と言えよう。
なお、昭和29年というのは大きな転換点で、古賀政男とともに昭和のレコード歌謡を引っ張ってきた藤山一郎が、レコード会社専属をやめ、
NHKの嘱託となったのだ。
また古賀政男と「演歌」を結び付けるのがあるが、これは間違いであることを付け加えておかねばならない。
演歌の走りは江口夜詩であり、渡久地政信、船村徹あたりだ。
昭和30年代の古賀政男と言えば、誰しも認める「歌謡界の大御所」であるとともに、
押しも押されもせぬ『日本の名士』であった。
そんな本筋から外れたことを推進するまでもない大御所であった。
彼は、著作権で他を圧倒し、指には大きなダイアをつけ、大きな邸宅に住み、リンカーンなど大きな外車を何台も持ち、
草創期のテレビの「ものまね歌合戦」など歌番組の審査員として「よかったね!、よかったね!」と出場者を励ます。
昭和33年には「日本作曲家協会」を作り、自ら会長として作曲界に尽くした。日本レコード大賞を創設したり、古賀政男記念音楽隊賞を作ったことで知られる。
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