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日本の大衆歌曲・歌謡曲の歴史

652 名前:名無しさん@お腹いっぱい。 投稿日:2019/03/16(Sat) 22:14

大正から昭和の初めにかけて、大衆が誰でも歌える歌といえるものが
民謡など除いて存在しなかった。

誰でもが歌える歌ずくり、それを一貫して目指した作曲家、それが中山晋平。

晋平の歌は【晋平節】と言われた。

劇中歌から、童謡、新民謡、歌謡歌曲。

中山晋平は詩人の野口雨情、歌手の佐藤千夜子と組んで、大正から昭和の初めにかけて「新民謡・新童謡コンサート」(全国歌の旅)を行っていた。

まだ新幹線も飛行機もない時代に全国行脚を行い民謡採譜や新民謡など普及運動を行っていた。

この中から生まれたのが新民謡「波浮の港」、が昭和3年、ビクタ―発足に伴いレコード第一号となり、レコード歌謡(流行歌といった)第一号となった。

これを歌った佐藤千夜子は『レコード歌手第一号』と言われ、昭和53年、NHK朝の連続テレビ小説「いちばん星」で取り上げられた。

「晋平節」の中山晋平の時代と「古賀メロディ」の時代をつなぐ歌手それがレコード歌手第一号佐藤千夜子である。

古賀政男は、このレコード歌手第一号佐藤千夜子の力添えで誕生するのである。 古賀政男は自伝「我が心の歌」で『終生の恩人』と書いている。

昭和の初め、まだ日本が貧しかったころ、満州事変の勃発と東北大凶作、宮沢賢治が「雨にも負けず風にも負けず‥」と歌った、日本の歴史に残る最後の飢饉とされた。

昭和東北大凶作の中、昭和6年(1931)1月、佐藤千夜子の歌で、7年3月藤山一郎の歌で「影を慕いて」などが世に出た。

そして、【古賀メロディ】は、晋平の【晋平節】の次に世の流れになっていく。

「古賀メロディ」の「メロディ」とは、「晋平・節」の「節」のに対するもので、古賀政男が「メロディ」を大切にその重要性を主張していたそのことによる。

今年、昭和を継ぐ平成最後の平成31年(2019)は『古賀メロディ誕生88年』。

もうすぐ90年!


影を慕いて、丘を越えて、酒は涙か溜息か、窓に凭れて、月の浜辺・・ これら「古賀メロディ」は今もなお延々と歌い継がれているが、誕生したころ、今ある歌のほとんどすべてはまだ存在しなかった。

殆どの「古賀メロディ」の名曲がもうすぐ、一つの区切りとなる「80年」を超える。

「古賀メロディ」は、聴いていてすぐ場面が想い浮かぶ。

それは古き良き日本人の、心優しき、節度ある、清爽な気持ちを表す名曲です。

露骨な自己主張が氾濫する現今のとはちがう、素晴らしい歌曲です。


いつ聞いても懐かしさで涙があふれてくる、80年前の歌が、昨日のことのように。そして、生きる喜びを与えてくれる、それが名曲の名曲たるところ。


80年の歴史をもつ多くの「古賀メロディ」、それは今や「古賀メロディ」を越えて、【日本の名曲・日本のクラッシック・日本のスタンダード】になっているのではないでしょうか。





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