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日本の大衆歌曲・歌謡曲の歴史

699 名前:名無しさん@お腹いっぱい。 投稿日:2020/05/21(Thu) 20:05


作詞:西條八十、作曲:古賀政男、唄:霧島 昇

1 花摘む野辺に日は落ちて
  みんなで肩を組みながら
  唄をうたった帰りみち
  幼馴染(おさななじみ)のあの友この友
  ああ誰(たれ)か故郷を想わざる
2 ひとりの姉が嫁ぐ夜に
  小川の岸でさみしさに
  泣いた涙のなつかしさ
  幼馴染のあの山この川
  ああ誰か故郷を想わざる
3 都に雨の降る夜は
  涙に胸もしめりがち
  遠く呼ぶのは誰の声
  幼馴染のあの夢この夢
  ああ誰か故郷を想わざる

誰か故郷を想わざる(西條八十 作詞 古賀政男 作曲 昭和十五年)

本当に、心の奥深くに染み入る、魂の歌ではないでしょうか。日本人の心の歌だと思います。

「一人の姉が嫁ぐ夜に 小川の岸で淋しさに」・・・深い姉弟愛を感じさせるフレーズですね。
決して軽くはない内容を織り込んだ歌でありながら、軽快なリズムが我々を惹き付けてやまない昭和の名曲です。

出だしの「花摘む野辺に 日は落ちて」の歌詞に、平易、簡潔この上ない表現で日本人の心をとらえていると思います。

「都に雨の降る夜は 涙に胸も湿りがち」に、私などはフランス文学者の西條八十を感じます。
それにもまして、古賀メロディーの前奏、間奏を含めた構成力の大きさに圧倒されます。

この歌は台湾、中国でも根強い人気があるそうです。田舎、村落共同体、そしてその地縁、人脈が息づいている国では受け入れられるでしょうね。日本の農村の衰退がさびしいです。
 
 昭和15年にこの曲を出す時、レコード会社の上層部には慎重論があったとか。「誰か故郷を想わざる」という反語表現は国民の知的水準では難しいのではないかという意見だ。失礼な奴らだ。同時に、軍部の上層部にも慎重論があったという。「四面楚歌」の例を出して望郷の念の高まりが戦意の低下を招くと心配したのだ。これまた日本人の情感、魂の根底を知らぬ輩だ。


霧島昇唄、作詞:西條八十、作曲:古賀政男「誰か故郷を想はざる」の歌碑が、茨城県日立市から車で約1時間の福島県いわき市大久町(霧島昇さんの生誕地)にあります。震災後の何年か前に、訪ねた事があります。

新興キネマより同名映画が製作された。 ふるさとを遠く離れ、友と遊んだ野山や、嫁ぐ姉を見送ったさびしさなどを回想する思いを、流麗なメロディーに乗せて歌う。西條・古賀・霧島それぞれにとって代表的なヒット曲となり、晩年に至るまで霧島は懐メロ番組などでよく歌っていた。

タイトルは「故郷を想わない人はいない」という意味の反語であるが、当初、こういった点が難解すぎてヒットしないと判断され、慰問用レコードとしてすべて戦地に送られたという。
ところが戦地で望郷の想いやみがたい兵士の間で大ヒットし、内地に逆輸入された。慰問に訪れた渡辺はま子がこの歌を歌うと、居合わせた畑俊六大将から末端の兵士まで等しく泣き渡辺も思わずもらい泣きして、満場涙に暮れたというエピソードもある。

内地の工場などでは「曲調が哀愁に満ちており士気が下がる」と禁止したところもあったという。四面楚歌の故事にもあるように望郷の念をかきたてるのは士気を下げるための有効な方法であるから無理もないが、この曲の人気には影響しなかったようである。



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