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筑豊てなんであんなに柄悪いの

[1:名無しさん@お腹いっぱい。 (2013/07/25(Thu) 21:12)]
在日?部落


[9:名無しさん@お腹いっぱい。 (2013/08/03(Sat) 21:07)]
終戦後の日本は極度の食糧不足と石炭不足に見舞われた。

NHKでは,食料とエネルギー源確保のため,「農家へ送る夕」(昭和20年10月より),「炭坑へ送る夕」(昭和21年8月より)といったラジオ番組を定期的に組むようになった。



[10:名無しさん@お腹いっぱい。 (2013/08/03(Sat) 21:15)]
柄が悪いかどうか、そんなことは
知らないし、興味もない

ただ、こうした事実を知れば

日本の近代化を蔭で支えた築豊の名もなき人々に敬意を表するしかない。


[11:名無しさん@お腹いっぱい。 (2017/07/31(Mon) 09:25)]
age


[12:名無しさん@お腹いっぱい。 (2017/08/02(Wed) 17:59)]
日本の主な炭鉱事故

1875年      高島炭鉱爆発事故 死者・行方不明者 40人
1880年      高島炭鉱爆発事故 死者・行方不明者 47人
1899年      豊国炭鉱爆発事故        死者・行方不明者 210人
1903年      潤野炭鉱爆発事故    死者・行方不明者 64人 
1903年      赤池炭鉱爆発事故    死者・行方不明者 33人
1903年      古河大峰鉱爆発事故    死者・行方不明者 65人 
1906年      高島炭鉱蠣瀬抗爆発事故 死者・行方不明者 307人
1907年      豊国炭鉱爆発事故        死者・行方不明者 365人
1908年      新夕張炭鉱爆発事故        死者・行方不明者 91人
1909年      貝島大之浦炭鉱爆発事故     死者・行方不明者 243人
1911年   住友忠隅炭鉱ガス爆発事故 死者・行方不明者73人
1912年4月  北炭夕張炭鉱爆発事故   死者・行方不明者 276人
1912年12月 北炭夕張炭鉱爆発事故   死者・行方不明者 216人
1913年      二瀬炭鉱爆発事故      死者・行方不明者 101人
1914年      新夕張第二斜坑爆発事故  死者・行方不明者 49人
1914年      新夕張炭鉱爆発事故        死者・行方不明者 423人 
1914年      方城炭鉱爆発事故    死者・行方不明者 687人 
1916年      東見初炭鉱海水流入事故 死者・行方不明者 235人
1917年      桐野炭鉱爆発事故     死者・行方不明者 361人 
1917年      松島炭鉱坑内火災     死者・行方不明者 41人 
1918年      貝島大之浦炭鉱爆発事故     死者・行方不明者 376人
1920年      北炭夕張炭鉱北上坑爆発事故    死者・行方不明者 209人
1920年      新浦炭鉱浸水事故  死者・行方不明者 34人
1924年      北海道坂岩炭鉱爆発事故   死者・行方不明者 104人
1924年      入山炭鉱爆発事故     死者・行方不明者 75人
1927年      内郷炭鉱坑内火災事故   死者・行方不明者 136人
1929年      松島炭鉱海水流入事故   死者・行方不明者 42人
1933年      崎戸炭鉱爆発事故      死者・行方不明者 60人


[13:名無しさん@お腹いっぱい。 (2017/08/02(Wed) 18:03)]
1934年      松島炭鉱海水流入事故   死者・行方不明者 54人
1934年      弥生炭鉱爆発事故   死者・行方不明者 42人
1935年      端島炭鉱ガス爆発事故   死者・行方不明者 25人
1935年      茂尻炭鉱ガス爆発事故  死者・行方不明者 95人
1935年      三井田川炭鉱ガス爆発事故  死者・行方不明者 67人
1935年      赤池炭鉱爆発事故   死者・行方不明者 83人
1936年      三井砂川炭鉱爆発事故   死者・行方不明者 21人
1938年      北炭夕張炭鉱天竜坑爆発事故  死者・行方不明者 161人

1939年      大之浦炭鉱爆発事故  死者・行方不明者 92人
1940年      小倉炭鉱崩落事故  死者・行方不明者 46人
1940年      北炭真谷地炭鉱爆発事故  死者・行方不明者 51人
1941年   浅野炭鉱ガス爆発事故  死者・行方不明者27人

1941年      見唄炭鉱爆発事故         死者・行方不明者 177人
1941年      九州採炭新手二坑浸水事故    死者・行方不明者 23人
1943年      長生炭鉱海水流入事故     死者・行方不明者 183人
1944年      見唄炭鉱爆発事故         死者・行方不明者 109人

1944年5月   見唄炭鉱北部第一斜坑爆発事故 死者・行方不明者 107人
1944年9月   赤池炭鉱炭塵爆発事故 死者・行方不明者 93人


[14:名無しさん@お腹いっぱい。 (2017/08/02(Wed) 18:06)]
1947年   日炭高松炭鉱爆発事故 死者・行方不明者 37人
1948年      三菱勝田堅坑爆発事故     死者・行方不明者 62人
1950年      見唄炭鉱爆発事故         死者・行方不明者 109人 
1950年10月  若冲炭鉱坑内浸水事故       死者・行方不明者 35人
1950年12月  日鉄鹿町矢岳若坑爆発事故    死者・行方不明者 21人

1954年2月  久垣志岐炭鉱出水事故     死者・行方不明者 36人
1954年8月  太平洋炭礦ガス爆発事故    死者・行方不明者 39人
1955年  安倍鉱業ボタ山崩落事故   死者・行方不明者 73人
1955年11月  雄別茂尻鉱爆発事故    死者・行方不明者 60人
1957年      東中鶴炭鉱坑内浸水事故   死者・行方不明者 18人 
1958年      三井砂川炭鉱爆発事故   死者・行方不明者 10人
1958年      池本鉱業大昇炭鉱爆発事故  死者・行方不明者 29人
1958年5月   中興江口坑内出水事故  死者・行方不明者 14人

1959年      三菱新入炭鉱六抗爆発事故  死者・行方不明者 23人
1960年      豊州炭鉱水没事故         死者・行方不明者 67人
1960年2月   北炭夕張炭鉱爆発事故     死者・行方不明者 42人
1961年3月  上清炭鉱坑内火災事故     死者・行方不明者 71人
1961年   大辻炭鉱坑内火災事故     死者・行方不明者 26人
1961年11月  日炭福住炭塵爆発事故  死者・行方不明者 20人 
1963年   三井三池炭鉱炭塵爆発事故     死者・行方不明者 458人
1965年2月   北炭夕張鉱業所爆発事故  死者・行方不明者 61人
1965年      三井山野炭鉱爆発事故   死者・行方不明者 237人
1965年      長崎日鉄伊王島爆発事故  死者・行方不明者 30人 
1968年      北炭平和坑内火災事故  死者・行方不明者 31人 
1970年      三井砂川炭鉱爆発事故   死者・行方不明者 19人

1971年      住友歌志内炭鉱ガス突出事故 死者・行方不明者 30人

1972年      石狩炭鉱石狩鉱業所爆発事故 死者・行方不明者 31人
1974年      三井砂川炭鉱爆発事故   死者・行方不明者 15人
1975年      幌内炭鉱ガス爆発事故    死者・行方不明者 24人
1977年      三井芦別炭鉱爆発事故   死者・行方不明者 25人
1981年      北炭夕張新炭鉱ガス突出事故 死者・行方不明者 93人
1984年     三井三池炭鉱有明坑坑内火災 死者・行方不明者83人
1985年     三菱南大夕張炭鉱爆発事故  死者・行方不明者62人


[15:名無しさん@お腹いっぱい。 (2017/08/02(Wed) 18:16)]
筑豊炭田とは、福岡県の中央部から北部にかけて広がる炭田である。炭田の存在する区域が律令国の筑前国と豊前国に跨がっているため、「筑豊」という名称が付いている。八幡製鐵所を背景に抱えていたため、戦前日本では最大規模の炭田であった。
第二次世界大戦後も長い間、炭田としては日本一の石炭産出量を誇っていた。しかし、1950年代後半からエネルギー革命が起こり、エネルギー源の主体が石炭から石油に移行し、1959年に産出量日本一の座を石狩炭田に明け渡して急速に衰退が進んだ。1976年に貝島炭礦が閉山したのを最後に、すべての炭鉱が閉山した。

筑豊炭田は明治の初めから昭和51年までの約100年間に、約8億トンの石炭を産出し、日本の産業発展、近代化に貢献してきた。昭和46年に「炭鉱の歴史」を後世に伝えるため、直方市石炭記念館が誕生した。


[16:名無しさん@お腹いっぱい。 (2017/10/14(Sat) 14:41)]
age


[17:名無しさん@お腹いっぱい。 (2017/10/14(Sat) 16:00)]
ひとえに「福岡県」と言いますが、元は筑前、筑後、豊前と言う異なる3つの国が合併して誕生した県です。つまり、博多、久留米、北九州と言う県内で大きな3つの都市はその歴史も文化も大きく違うと言ってかまいません。

ではなぜ柄の悪い連中が増えたのか?

その原因のひとつが筑豊の炭鉱です。筑豊とは造語で「筑前国」と「豊前国」をあわせ「筑豊」です。分かりやすく言うと、飯塚地区は筑前国で、田川地区は豊前国です。

明治維新後、当時の明治政府は西洋列強に追いつくために必死でした。

イギリスの産業革命クラスの発展をするには、まず軍隊の強化と国民の教育を徹底し情報網を確立(東京中心の中央集権国家)することが目先の命題だったわけです。

西洋列強に対抗するための強力な軍隊、特に海軍を強化するためには鉄を量産し、銃器や軍艦を作る必要がありました。

その為に八幡に官営製鉄所(現新日本製鉄の全身の八幡製鉄所)を作り、高炉を燃やすための良質な石炭の鉱脈を筑豊地区に見つけ24時間稼動の量産体制を作ります。

もともとそれまでは八幡は寒村な漁村で、田川地区(後藤寺・伊田)も風情のよいのんびりとした農家が軒をならべる地域だったのです。

ところが時代が江戸から明治に入り、良質な石炭が発見されたことで筑豊地区の社会情勢が大きく変わります。

工事現場の仕事で、鉄筋工や型枠大工工。つまり外での辛い作業の多くは当時「刑務労働」の一環で、特に強盗や殺人を犯した重罪犯が見せしめのためにそういう仕事に就かされていました。

その他には「屠殺(とさつ)」の仕事もそうです。屠殺場では、その昔は豚や牛を大きな棍棒で殴り殺していたわけですね。
この仕事も刑務労働者の仕事でした。

そして、この「炭鉱労働」も同じ。

筑豊地区は昔はのどかな農業地帯でしたから、明治政府が求める石炭を量産するためには人手が当然足りません。

そこで、日本全国からいわゆるそういう人たちを集めて炭鉱労働に従事させた、、、と言う歴史があります。ま、三井財閥ですが。当時の炭鉱労働は命がけですからね。現在のような空調設備や安全設備なんてあるはずがありません。

鯨の油を使ったランプを片手に、つるはしなどで石炭を掘り出し、長く続くトンネルの坂を蓑に包み地上へ上げていく重労働です。炭塵爆発事故など日常茶飯事。普通の人たちを炭鉱労働に従事させるわけには行きません。

石炭はその昔は「黒いダイヤ」と言われ、掘れば掘るほどお金になり、日本の財閥もこぞって炭鉱経営をしたものです。

財が集まるところには、権力も、どす黒い裏の世界も動くのが常識です。アメリカのゴールドラッシュとかと同じですよ。マフィアでもなんでも集まります。

福岡県における暴力団などはこの炭鉱の産物だと言っても構いません。

他の人の回答を読んでも、質問でも福岡県民を半ば侮蔑したようなことを書いている人がいますが、私から言わせればあなた達の住む場所からもいわゆる凶悪犯罪者が福岡県に連れて来られていることくらい教えてもらえ! と言いたいのです。

筑豊炭鉱の中心都市だった田川市。最盛期には10万人を超える人口を誇っていましたが、炭鉱が発見される以前は、当時の後藤寺村が約500戸、隣の伊田村が300戸ほどの民家しか存在していなかった事を考えるとよく分かると思います。

八幡もそうですよ。江戸時代後期八幡村は150戸ほどの民家しかなかったのですから。

不貞の輩を全国から連れてこられて、福岡県民がどうだとか言われる筋合いは無いのです。

逆に、福岡県の柄が悪くなった原因は明治政府にあり、三井財閥にあり、全国の不貞の輩を福岡県が引き取ってやった、、、と言うのが本当の歴史です。

もちろん当時の筑豊地区の農家の人たちにとってははた迷惑だったでしょう。勝手に農地を取り上げられ、大きな重機が連日連夜石炭を掘り続けるのですから、、、、

こういう学校では決して教えない真実があります。

ただ言えることは、筑豊地区と八幡製鉄所があったから今の近代日本があったと言えます。だからと言って、暴力団や暴走族を野放しにすることはできません。

ここはもっと市民や地域住民、国民が物事の現実とそのルーツをしっかりと知って撲滅に向けた運動、そして立法をして市民の安全を今異常に強固なものにする必要があると思います。

まずは正しい歴史認識を持っていただくことです。何事にも原因があって結果があるのですから。


[18:名無しさん@お腹いっぱい。 (2018/08/23(Thu) 07:11)]
昔から柄悪い


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