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筑豊てなんであんなに柄悪いの
- 17 名前:名無しさん@お腹いっぱい。 投稿日:2017/10/14(Sat) 16:00
- ひとえに「福岡県」と言いますが、元は筑前、筑後、豊前と言う異なる3つの国が合併して誕生した県です。つまり、博多、久留米、北九州と言う県内で大きな3つの都市はその歴史も文化も大きく違うと言ってかまいません。
ではなぜ柄の悪い連中が増えたのか?
その原因のひとつが筑豊の炭鉱です。筑豊とは造語で「筑前国」と「豊前国」をあわせ「筑豊」です。分かりやすく言うと、飯塚地区は筑前国で、田川地区は豊前国です。
明治維新後、当時の明治政府は西洋列強に追いつくために必死でした。
イギリスの産業革命クラスの発展をするには、まず軍隊の強化と国民の教育を徹底し情報網を確立(東京中心の中央集権国家)することが目先の命題だったわけです。
西洋列強に対抗するための強力な軍隊、特に海軍を強化するためには鉄を量産し、銃器や軍艦を作る必要がありました。
その為に八幡に官営製鉄所(現新日本製鉄の全身の八幡製鉄所)を作り、高炉を燃やすための良質な石炭の鉱脈を筑豊地区に見つけ24時間稼動の量産体制を作ります。
もともとそれまでは八幡は寒村な漁村で、田川地区(後藤寺・伊田)も風情のよいのんびりとした農家が軒をならべる地域だったのです。
ところが時代が江戸から明治に入り、良質な石炭が発見されたことで筑豊地区の社会情勢が大きく変わります。
工事現場の仕事で、鉄筋工や型枠大工工。つまり外での辛い作業の多くは当時「刑務労働」の一環で、特に強盗や殺人を犯した重罪犯が見せしめのためにそういう仕事に就かされていました。
その他には「屠殺(とさつ)」の仕事もそうです。屠殺場では、その昔は豚や牛を大きな棍棒で殴り殺していたわけですね。
この仕事も刑務労働者の仕事でした。
そして、この「炭鉱労働」も同じ。
筑豊地区は昔はのどかな農業地帯でしたから、明治政府が求める石炭を量産するためには人手が当然足りません。
そこで、日本全国からいわゆるそういう人たちを集めて炭鉱労働に従事させた、、、と言う歴史があります。ま、三井財閥ですが。当時の炭鉱労働は命がけですからね。現在のような空調設備や安全設備なんてあるはずがありません。
鯨の油を使ったランプを片手に、つるはしなどで石炭を掘り出し、長く続くトンネルの坂を蓑に包み地上へ上げていく重労働です。炭塵爆発事故など日常茶飯事。普通の人たちを炭鉱労働に従事させるわけには行きません。
石炭はその昔は「黒いダイヤ」と言われ、掘れば掘るほどお金になり、日本の財閥もこぞって炭鉱経営をしたものです。
財が集まるところには、権力も、どす黒い裏の世界も動くのが常識です。アメリカのゴールドラッシュとかと同じですよ。マフィアでもなんでも集まります。
福岡県における暴力団などはこの炭鉱の産物だと言っても構いません。
他の人の回答を読んでも、質問でも福岡県民を半ば侮蔑したようなことを書いている人がいますが、私から言わせればあなた達の住む場所からもいわゆる凶悪犯罪者が福岡県に連れて来られていることくらい教えてもらえ! と言いたいのです。
筑豊炭鉱の中心都市だった田川市。最盛期には10万人を超える人口を誇っていましたが、炭鉱が発見される以前は、当時の後藤寺村が約500戸、隣の伊田村が300戸ほどの民家しか存在していなかった事を考えるとよく分かると思います。
八幡もそうですよ。江戸時代後期八幡村は150戸ほどの民家しかなかったのですから。
不貞の輩を全国から連れてこられて、福岡県民がどうだとか言われる筋合いは無いのです。
逆に、福岡県の柄が悪くなった原因は明治政府にあり、三井財閥にあり、全国の不貞の輩を福岡県が引き取ってやった、、、と言うのが本当の歴史です。
もちろん当時の筑豊地区の農家の人たちにとってははた迷惑だったでしょう。勝手に農地を取り上げられ、大きな重機が連日連夜石炭を掘り続けるのですから、、、、
こういう学校では決して教えない真実があります。
ただ言えることは、筑豊地区と八幡製鉄所があったから今の近代日本があったと言えます。だからと言って、暴力団や暴走族を野放しにすることはできません。
ここはもっと市民や地域住民、国民が物事の現実とそのルーツをしっかりと知って撲滅に向けた運動、そして立法をして市民の安全を今異常に強固なものにする必要があると思います。
まずは正しい歴史認識を持っていただくことです。何事にも原因があって結果があるのですから。
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