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三方ヶ原の戦いの謎

[1:名無しさん@お腹いっぱい。 (2015/02/01(Sun) 00:14)]
何故あのタイミングで病死?


[2:名無しさん@お腹いっぱい。 (2015/08/09(Sun) 22:02)]
三方ヶ原の合戦は、元亀3年(1572)、武田信玄と徳川・織田連合軍が浜松市郊外の三方ヶ原台地で激突した戦いで、家康の生涯で最大の敗戦と言われています。武田軍3万人に対して家康軍はわずか1万人足らず。これでは勝負にならないと兜を脱いだ家康は、家臣に化けて命からがら浜松城に逃げ帰ったのでした。城に帰った家康は、敗戦直後の意気消沈した自分の顔の絵を描かせ、生涯この絵を大切にし、敗北を自戒したと伝えられています。
合戦の夜、家康はなんとか一矢を報いようと、三方ヶ原台地の南端にある犀ヶ崖で夜営していた武田軍を奇襲。崖に白い布を架けて橋と見せかけ、地理に疎い武田軍は次々と崖下に転落したと伝えられ、いまも「布橋」という地名が残っています。現在、犀ヶ崖では、毎年7月15日に三方ヶ原合戦の死者を供養するために「遠州大念仏」という郷土芸能が奉納され、市の無形文化財に指定されています。


[3:名無しさん@お腹いっぱい。 (2015/08/10(Mon) 13:50)]
てててしししししい


[4:名無しさん@お腹いっぱい。 (2020/12/17(Thu) 11:33)]
いくさじゃ


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