掲示板に戻る 全部 前 50 次 50 1 - 50 最新 50 スレ一覧

昭和「日本映画黄金時代」と映画主題歌

1 名前:名無しさん@お腹いっぱい。 投稿日:2015/10/04(Sun) 23:04
昭和前半、昭和の初頭から昭和30年代にかけ、日本映画は黄金時代にあった。

まだ日本が草深かった時代、日本がまだ貧しかった時代、まだテレビもなかった時代、
娯楽は「映画」だった。

どんな小さな街にも、ちいさな映画館があった。そして映画公開を楽しみに待った。
その映画には主題歌があって、レコード全盛時代で映画とともに人々は、それを愛唱し
口ずさんだのが今に残る多くの名曲だった。

日本におけるトーキ―映画の最初は田中絹代主演の昭和6年「マダムと女房」。日本における「映画主題歌」は、
昭和4年、佐藤千夜子「東京行進曲」(西條八十作詞、中山晋平作曲)。

特に、映画と提携したのが昭和6年に彗星のごとく登場した古賀政男で、「古賀メロディー」の名で愛されたその多くの名曲の、その多くは映画主題歌でもある。



43 名前:名無しさん@お腹いっぱい。 投稿日:2015/12/05(Sat) 10:09
☆日活「検事とその妹」1937(監督:渡辺邦男 原作:竹田敏彦)


『検事とその妹』(けんじとそのいもうと)は、竹田敏彦の小説『検事の妹』を原作とした日本の映画である。1937年(昭和12年)に日活で映画化され、ディック・ミネの歌う主題歌『人生の並木道』(作詞:佐藤惣之助、作曲:古賀政男) がヒットした。1956年(昭和31年)には新東宝でリメイクされた。また1961年(昭和36年)11月28日には、フジテレビの『シャープ火曜劇場』でテレビドラマ化された。

あらすじは、「幼くして父母を失い、妹と二人で生きてきた矢島健作は念願の検事になることができた。妹の明子も柴野秀雄という男性との結婚が決まり、順風満帆の人生かに見えた。しかし、ある事件をきっかけに健作は柴野秀雄を検挙することになる・・・・」というものである。



キャスト
矢島健作:岡譲二
矢島明子:原節子
柴野秀雄:伊沢一郎
小林重四郎
高木永二
広瀬恒美
星玲子 

スタッフ
監督:渡辺邦男
原作:竹田敏彦
脚本:荒巻芳郎・玉川映二
撮影:渡辺孝

1956年版

キャスト
矢島健作:丹波哲郎
矢島明子:日比野恵子
秋本静江:筑紫あけみ
秋本亮一:北原隆
芝野秀雄:天知茂
芝野貞雄:中村彰
前田民蔵:高村洋三
押本:江川宇礼雄
上田:北沢彪
上田夫人:徳大寺君枝
堀川署長:高松政雄
阿部事務官:御木本伸介
橋本医師:三原純
橋本夫人:万代裕子
中本敏江:宮田文子
お春:真山くみ子
源助:武村新
ヤエ:藤村昌子
裁判長:高田稔


44 名前:名無しさん@お腹いっぱい。 投稿日:2015/12/05(Sat) 10:49
日活映画1937「検事とその妹」は、昭和10年に執筆しました竹田敏彦の小説「検事の妹」を原作とした作品で、
1937年(昭和12年)に日活で、のちリメイクで1956年(昭和31年)に新東宝で製作された。


1937年オリジナル版で、岡譲二、原節子が主演されております。
他に星玲子,伊沢一郎
監督:渡辺邦男

映画【検事とその妹】
矢島健作(岡譲二)は裁判所の検事をしております。その妹の矢島明子(原節子)、
このふたりは幼い頃に両親を失いまして、お互いかばい合いながら東京に出て来ました。
そして妹はお兄さんに勉強させる為、苦労に苦労を重ねましたが必死に働いたそのお陰で、
矢島健作は裁判所の検事になったのです。
そして、その妹にも縁談のお話が持ち上がりました。
で、故郷の町役場に勤めている芝野秀雄、土木課の係長なのです。
これで妹もやっと幸せになったかと思うと兄の健作は嬉しかった。

折しも泥棒と傷害の疑いで、ひとりのバーのホステスが逮捕されました。
何故そのような事をやったのか、尋問しても言いません。

その裁判を担当しつつ検事でもある矢島健作はある日、妹に関係した事件に愕然とします。
故郷の町で殺人未遂事件が起こったのです。
その事件の被害者を調べてみたら、県の土木工事に汚職が見つかり、
それに妹の婚約者の芝野秀雄が大きく関わっているのです。
検事である兄の健作は涙を飲んで、妹の婚約者を拘置します。


その頃、窃盗傷害の疑いで逮捕したバーのホステスさんが、
「今まで隠しておりましたけれど、証人として弟を法廷へ呼んで下さい。」と言う。
そのホステスさんの弟が初めて証言いたします。
「私と姉は幼い頃から両親を失い苦労して頑張って来た。
姉は私の学費を稼ぐためバーのホステスさんになったのです。ところが私が交通事故を起こしまして、
その治療費の捻出に思い悩んでいる時に、
ひとりのお客さんがお金を出してやるから言う事を聞けと言って来たのです。・・・ナイフで脅かされたのです。それに抵抗して私の姉はその嫌な客を傷付けたのです。
」。

これを聞きまして検事である健作は心に思うのです。
自分達と同じような境遇で、二人仲良く力を合わせてがんばって来たのかと――。
姉弟愛からこの犯罪が生まれたのかと。
その事情は分かるとしても、法は法で同情のあまり法を曲げる事は出来ない、
検事は有罪の求刑をしました。・・・


やがて判決がでました。




今ではこの程度の傷害窃盗事件ではニュースにもならない時代になってしまいました。

また、この時代は今とは違ってまだ日本が貧しかった時代です。

教育の機会均等ができたのは戦後も24年からでした。
今のように物の有り余る「飽食の時代」ではありませんでした。

昔は義務教育は小学校までで、12歳で人生が決まってしまったのでした。
小説「二十四の瞳」に描かれてるように、昔はどんなに優秀でも、勉強したくても、貧しさから小学校卒業を待たず「奉公」にだされる・・、
そんなことは当たり前だったのです。


この主題歌「人生の並木路」(佐藤惣之助作詞、古賀政男作曲)(テイチク1200)を20代の若きディック・ミネが歌っているのですが、
このようなお話を、時代背景を知ったうえで聞くとまた違った味わいを受けると思います。




45 名前:名無しさん@お腹いっぱい。 投稿日:2015/12/05(Sat) 11:05
検事とその妹

岡譲二と原節子

h ttp://www.wikiwand.com/ja/%E6%A4%9C%E4%BA%8B%E3%81%A8%E3%81%9D%E3%81%AE%E5%A6%B9

46 名前:名無しさん@お腹いっぱい。 投稿日:2015/12/06(Sun) 00:04
「人生の並木路」(佐藤惣之助作詩,古賀政男作曲、ディックミネ)


もはや昭和は遠くなりにけり。昭和が平成に変わった頃、『人生の苦悩』を歌った歌の特集があったが、内容は『神田川』などだった。“四畳半フォーク”が゛“人生の苦悩”じゃ、世も末だなと寂しくなりました。


『人生の並木路』は、昭和12年(1937)1月、日活映画.渡辺邦男監督「検事とその妹」(竹田敏彦原作 「検事の妹」)の主題歌です。

日本はいつの間にか豊かになりましたが、長く貧しい時代が続きました。昭和戦前、日本がまだ草深い貧しかった時代、幼くして両親を失った兄と妹が支え合って生きていく兄弟の絆を歌った名曲です。

まだ20代の若きディック・ミネが歌う原曲(テイチク1200)。この歌を聴くと詩の世界に引き込まれそしてなぜか自然に涙が溢れ出てしまう。

昭和の歴史が生んだ歴史に残る究極の名曲といえるでしょう。是非歌い継いでいってほしいです。

今は昔の人から言えばハッピーな時代ではないでしょうか。

昔は昭和戦前まで、貧しさゆえに子供を小学校卒業を待たず奉公にだす、そんな時代であったことでしょう。このころの歌には、優しさと温かさがあると思います。

日本が豊かになるにつれ、こうした優しさ、温かさが、だんだん失われてゆくのは大変残念なことです。
家族の絆や心の豊かさは、今の日本よりも至る所にあふれていたでしょう。

支え合って真面目に生きてゆく真摯な兄と妹の姿。

そこに嘘・偽りが無い、だから聴いていて思わず涙が溢れるのでしょう。
どんなに苦しくとも貧しくとも、まじめに生きていればきっといいことがある。

この歌は、日本人が忘れかけていたことを思い出させてくれます。



「人生の並木路」は、味わえば味わうほど、聴けば聴くほど深みのある、それぞれの人生に重ね合わさるすばらしい歌です。まだテレビも無かった昭和戦前から戦後にかけて、「日本映画黄金時代」で、どんな小さな街にも、小さな映画館があって、こうした映画に浸れた、貧しくとも心豊かな時代だったでしょう。

映画「検事とその妹」は、その昔、公の支援も無かった貧しい時代、・・幼くして自ら人生を切拓くべく世に出ていく、兄と妹の青春の葛藤の姿と言えるでしょう。その詩は「簡潔にして適切」、もう今ではけっしてできない誌です。

「佐藤惣之助」という稀有な詩人であり作詞家によって、そして自らも故郷喪失体験を持つ古賀政男という第一級の作曲家が、楽譜を大粒の涙で濡らしながら生れた究極の名曲と言えます。

心をこめて一所懸命に歌う、若きディック・ミネの『人生の並木路』、その3分には、そっと寄り添い包みこむ温かさと優しさが溢れている。

・詩人・佐藤惣之助と四季の卓子(たくし=テーブル)
h ttp://blogs.yahoo.co.jp/hanakoamemiya/37942741.html



47 名前:名無しさん@お腹いっぱい。 投稿日:2015/12/06(Sun) 00:08
昔、日本が農村主体のまだ貧しかった時代、たいてい貧乏人の子だくさんでした。兄は弟や妹を一身に面倒見る、それが当たり前だったそうです。

「飽食の時代」といわれる今の世では、絶対に書けない。

詩人・佐藤惣之助は、「兄弟の絆」というものを短い言葉で簡潔に歌い上げています。現代にはありえないすばらしい歌詞だと思います。

「人生の並木路」はなんといっても昭和12年「オリジナル原盤」で聞かなければ味わえない。若きディックミネが歌うオリジナル版は、まさに悲壮感漂う名曲です。

なお、もうひとつ『聖処女(きよおとめ)の唄』(佐藤惣之助作詩、古賀政男作曲、藤山一郎歌)は同挿入歌です。


以前、NHK教育テレビの『大希林』という番組で、「樹木希林」さんが、なんか「作詞」の講義をしていて、何回試みてもどうしても長くなってしまって、何言ってるんだか良くわからないと。

そして『簡潔で、適切で、これを超えるものはない』として、樹木希林さんが出した「最高の詩」それが何と『人生の並木路』でした。

別に歌番組でも、まして「古賀メロディー」番組でもなかったのですが、・・泣くな妹よ 妹よ泣くな・・という詩とともにこの曲が流れた。

古賀政男自らも、7歳にして一家で貧しい故郷を捨てて朝鮮に渡り、17歳まで朝鮮で過ごした。

古賀政男は、『詩はお姉さん、曲は弟』と詩を大切にした人で、この佐藤惣之助の詩に触れ「大粒の涙で五線紙を濡らしながら」作曲したといわれます。



48 名前:名無しさん@お腹いっぱい。 投稿日:2015/12/07(Mon) 22:11

人生の並木路

(佐藤惣之助 作詞、古賀政男 作曲 )

1.泣くな妹よ 妹よ泣くな
  泣けば幼い二人して
  故郷を捨てた甲斐がない
 
2.遠いさびしい日暮れの路で
  泣いて叱った兄さんの
  涙の声を忘れたか
 
3.雪も降れ触れ 夜路のはても
  やがて輝くあけぼのに
  わが世の春はきっと来る
 
4.生きて行こうよ 希望に燃えて
  愛の口笛高らかに
  この人生の並木路

CD『古賀政男生誕100年記念 SP原盤による古賀政男名曲集(上・ 
下)』    テイチクTECE 24459,25460

この歌はデイックミネが歌ったものだが、普通戦後30〜40年代ごろに歌っているのは
オリジナルのものとはだいぶ違っている。

若きディックミネの歌う 昭和12年オリジナル(テイチク1200)は悲壮感漂うものでいい!!。






掲示板に戻る 全部 前 50 次 50 1 - 50 最新 50 スレ一覧
名前: E-mail(省略可)

read.cgi ver.4.21.10c (2006/07/10)