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☆昭和SP歌謡  歌謡史を支えた主な名歌手(戦前・戦中) 1,

1 名前:名無しさん@お腹いっぱい。 投稿日:2016/02/12(Fri) 23:17

「昭和」も遠くなりました。昭和は明治、大正を合わせたより長く、1926年12月から1989年1月まで62年あまりあります。

「昭和」と言う、まだ日本がまだ草深かった時代、日本がまだ貧しかった時代、レコード歌謡が花開き、人々に迎えられたのです。SPレコードの時代です。
その歌手の多くは音楽学校出身者でした。以下にその歌謡史と歌謡史を支えた主な歌手と主な歌を。



105 名前:名無しさん@お腹いっぱい。 投稿日:2018/04/03(Tue) 12:11
名歌手 徳山 l(たまき)P(1903〜42)

神奈川県藤沢出身。
昭和三年、東京音楽学校卒業後、武蔵野音楽学校の講師となる。
講師時代の教え子に渡辺はま子がいる。
昭和四年、日本ビクターに入社し、レコード吹き込みを本格的に開始。
昭和五年、流行歌吹き込みの風当たりが強くなってきたので、武蔵野音楽学校講師を退職。クラシック歌手と流行歌手、双方に集中。
昭和六年、映画主題歌『侍ニッポン』、『ルンペン節』が大ヒットし、一躍人気歌手の座につく。
昭和七年、四家文子と吹き込んだ『天国に結ぶ恋』が大ヒット。
昭和九年、皇族懇話会にて、小唄勝太郎、渡辺はま子、藤山一郎らと美声を披露し、「河原乞食」よばわりされていた流行歌手の地位向上に一役買う。
その後も、古川緑波とコンビを組み、映画・舞台出演する一方で、オペラ「カルメン」などに出演。クラシック(バリトン)と流行歌の世界で大活躍。
昭和14年『太平洋行進曲』『大陸行進曲』、昭和15年『空の勇士』『隣組』…と戦時歌謡でもヒットを連発。一世を風靡した。
昭和17年一月二十八日、敗血症のため死去。38歳。
満州慰問での怪我がもと、過労と戦時中の物資不足が祟った死であった。
大柄で豪放磊落そうな見た目とは裏腹、小心者で恐妻家であったと言われる。

106 名前:名無しさん@お腹いっぱい。 投稿日:2018/04/03(Tue) 12:13
戦前日本の歌手
 h ttp://karomama.com/answers.html



・放送オペラ一覧
 h ttp://www.sound78rpm.jp/air/opera_air.html

 藤原義江、佐藤美子、奥田良三、船橋栄吉、大下保、長門美保、下八川圭祐、佐藤千夜子、二村定一、河原喜久恵、天野喜久代、川崎豊、四家文子、関種子、徳山l、増永丈夫(藤山一郎)、東海林太郎、・など蒼々たる顔ぶれが見える。


徳山 l(とくやま たまき、1903年7月27日 - 1942年1月28日)は、戦前から戦中に活躍した日本の声楽家(バリトン)・流行歌手。似た名前のソプラノ歌手三浦環(みうらたまき)は女性だが、徳山lは男性である。

神奈川県高座郡藤沢町(現・藤沢市)生まれ。1928年東京音楽学校声楽科(現・東京芸術大学音楽学部声楽科)を卒業。武蔵野音楽学校(現・武蔵野音楽大学)の講師になったが、流行歌手として日本で初めて大スターになった佐藤千夜子のピアノ伴奏をした縁で、1931年ビクターから「侍ニッポン」で流行歌手としてデビュー。大ヒットとなった。その後も「ルンペン節」や、四家文子と共演の「天国に結ぶ戀」など数多くのヒット曲に恵まれた。「隣組」「歩くうた」など、国民歌謡からヒットした曲もある。
一方、声楽家としても活躍し、ビゼーのオペラ「カルメン」のエスカミリオが当たり役であった。ベートーヴェンの交響曲第9番の演奏にも、バリトン・ソロとして何回か出演している。昭和10年代前半には古川ロッパ一座に入り「ガラマサどん」「東海道中膝栗毛」などの舞台に出演したり、「シネオペレッタ」と呼ばれた音楽映画にも出演するなど幅広く活躍した。
レコードとして残っているのはほとんどが流行歌だが、明るく軽やかなバリトンで、小節などの「邦楽的」な発声法は全く使われていない。音楽学校出身の歌手としては珍しい、コミック・ソングも得意としており、多数の傑作を遺している。
ルンペン(ホームレス)・療養所・盲学校などへの慰問活動にも熱心で、東京の盲学校で全盲の生徒に自慢の太鼓腹を触らせ、「お相撲になっていたら今頃は双葉山を負かしていたかもね」などと笑わせたという話も残っている。
1942年、敗血症のため死去。享年38。

h ttp://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%BE%B3%E5%B1%B1%E7%92%89
h ttp://shisly.cocolog-nifty.com/blog/2008/11/post-8220.html


107 名前:名無しさん@お腹いっぱい。 投稿日:2018/04/03(Tue) 12:27
徳山l (とくやま たまき) 随筆集 (翻訳版) 口語訳: 戦前・戦中に活躍、『ドリフの大爆笑』主題歌の元歌「隣組」を歌い、絶大な人気を誇った流行歌手のエッセイ集 Kindle版
徳山l (著), Shimizu Terumasa (編集)
出版 (有)音羽クリエーション
販売  AMAZON





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紙の本の長さ: 163ページ


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108 名前:名無しさん@お腹いっぱい。 投稿日:2018/04/03(Tue) 12:32
>>107
徳山l (とくやま たまき) 随筆集 (翻訳版) 内容紹介

戦前・戦中にかけて絶大なる人気を誇った流行歌手、
徳山 l (とくやま たまき) の貴重なエッセイ集!

徳山 lは東京音楽学校声楽科(現・東京芸術大学音楽学部声楽科)を
卒業し、教職を経て歌手デビュー、声楽家としてオペラへの出演、
俳優として古川ロッパとの共演、流行歌歌手として「侍ニッポン」
「ルンペン節」「天国に結ぶ恋」などを歌い、戦前・戦中にかけて
一世を風靡した歌手でした。

彼の名前を知らなくても、ザ・ドリフターズのテレビバラエティ
『ドリフの大爆笑』のテーマソングや、メガネドラッグのCMソングは
一度は耳にしたことがあるかもしれません。

実は、現在でも知名度が高いこの曲の元歌を歌っていたのが
「徳山 l」だったのです。曲名は「隣組」(昭和15年) といいます。

彼は昭和17 (1942) 年にわずか38歳でこの世を去ったため、
現在までほとんど顧みられることがありませんでした。

このエッセイ集は、彼の死後にすぐ出版されたもので、
生誕111周年を記念して復刻しました。
復刻に当たっては、表紙を新しくデザインし、
文章は読みやすいように口語に訳しました。

戦前・戦中の音楽や風俗はもちろんのこと、
勝太郎、市丸、渡辺はま子といったそうそうたる
歌手や映画俳優との交友録や、歌手になるために
家出をした話など、他では読めない貴重な話が盛りだくさん。
歌だけでなく、エッセイストとしての
徳山 lの魅力にも触れることができます。

また、巻末には300曲を超えるディスコグラフィーを
発売年代順に掲載しています。

レイアウトは、変動するリフロー型を採用、
縦書きで一度文字の大きさを設定しておけば
そのままの状態で読み続けることができます。

この機会に、貴重なエッセイ集を1人でも多くの方に読んでいただき、徳山lの魅力を感じていただければ幸いです。

目次
はじめに
序(菊池寛)
記念の時計
満州だより
北支行
楽団変人奇人伝
流行歌手出世道
三六五〇日の足跡
オペラ歌手列伝
署名の好きな人々
森蔭の旋律
真白き富士の根
僕の居候時代
結婚写真
映画スター交友録
崔承喜さまへ
はま子の先生
啄木の歌
性格歌手チェンキン
レビュー言
夏日閑談
吉本君の批評に対して
秋の感傷
烏を飼う

動物園
船出は眠し
故郷の新聞
のんびり演奏会
夏の葬式
円タクの話
百鬼園先生と初対面
僕の憂鬱
行水と夕立
泣くな漫才
良人の体操
隣組五人男
[付録資料]徳山lディスコグラフィー

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