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☆昭和SP歌謡  歌謡史を支えた主な名歌手(戦前・戦中) 1,

1 名前:名無しさん@お腹いっぱい。 投稿日:2016/02/12(Fri) 23:17

「昭和」も遠くなりました。昭和は明治、大正を合わせたより長く、1926年12月から1989年1月まで62年あまりあります。

「昭和」と言う、まだ日本がまだ草深かった時代、日本がまだ貧しかった時代、レコード歌謡が花開き、人々に迎えられたのです。SPレコードの時代です。
その歌手の多くは音楽学校出身者でした。以下にその歌謡史と歌謡史を支えた主な歌手と主な歌を。



71 名前:名無しさん@お腹いっぱい。 投稿日:2016/03/23(Wed) 10:27

作曲家は数多のにのぼるが「哀しみ」を曲に昇華できるのは古賀政男をおいてない。

72 名前:名無しさん@お腹いっぱい。 投稿日:2016/03/30(Wed) 22:11
哀調を帯びた古賀メロディ、その青春を、青春の苦悩を謳った哀調を帯びた一連のメロディ−は貴重で、傷ついた心の癒しとして人に勇気を与え、歴史を超えて長く愛され記憶され歌われている。

73 名前:名無しさん@お腹いっぱい。 投稿日:2016/03/30(Wed) 22:26

◇戦後の主な古賀メロディ・・

圧倒的に西條八十作詞が多い!。


麗人の歌     1946〈西條八十作詞 霧島 昇歌〉
悲しき竹笛    1946〈西條八十作詞 近江敏郎、奈良光枝歌〉
こころ月の如く  1947〈西條八十作詞 二葉あき子歌〉
旅の舞姫     1947〈西條八十作詞 霧島 昇 二葉あき子歌
嘆きの小鳩    1947 (西條八十作詞、藤山一郎歌)
あの夢この歌   1948〈西條八十作詞 霧島 昇 二葉あき子歌〉
三百六十五夜   1948〈西條八十作詞 霧島昇、ミス・コロムビア歌)
恋の曼珠沙華   1948〈西條八十作詞 二葉あき子歌)
湯の町エレジー  1948(野村俊夫作詩 近江俊郎歌)
雨の夜汽車    1948(西條八十作詞、奈良光枝歌)
待ちましょう   1948(西條八十作詞、松田トシ歌)
トンコ節     1948(西條八十作詞、久保幸江歌)
誰に恋せん    1948(藤浦洸作詞、 高峰三枝子歌)(大映映画「誰に恋せん」主題歌)
友情の歌     1948(藤浦洸作詞、藤山一郎歌)  (大映映画 『誰に恋せん』挿入歌)
なつかしのヴエノスアイレス1948(藤浦洸作詞、二葉あき子歌)
シベリヤエレジー 1948(野村俊夫作詞、伊藤久男歌)
愛の灯かげ    1949(西條八十作詩 近江俊郎、奈良光枝歌)
夢よもう一度   1949(西條八十作詩 二葉あき子歌)
希望に燃えて   1949 NHKラジオ「希望音楽会」テーマソング/新東宝映画「影を慕いて」より)(*)
(サトウハチロー作詞、伊藤久男、霧島昇、近江俊郎、二葉あき子、奈良光枝、高倉敏歌)
湯の町夜曲    1949(野村俊夫作詞、近江俊郎歌) (新東宝『湯の町夜曲』主題歌)
たそがれの湖   1949(西條八十作詞、近江俊郎歌) (新東宝『湯の町夜曲』挿入歌)
赤い靴のタンゴ  1950(西條八十作詞、奈良光枝歌)
嘆きの孔雀    1950(西條八十作詞、奈良光枝歌)(新東宝映画「処女宝」主題歌)
愛のカレンダー  1951(西條八十作詞、藤山一郎歌)
青いガス燈    1951(野村俊夫作詞、岡本敦郎歌)
夜の湖      1952(藤浦洸 作詞、藤山一郎歌)
ギター月夜    1952(西條八十作詞、霧島昇歌)
富士エレジー   1952(西條八十作詞、青木光一歌)
ゲイシャワルツ  1952(西條八十作詞、神楽坂はん子歌)
ザビエルの鐘   1953(西條八十作詞、青木光一歌)
見ないで頂戴お月様1953(野村俊夫作詞、神楽坂はん子歌)
長崎ブルース   1954(藤浦洸 作詞、山一郎歌)
湖畔のギター   1954(野村俊夫作詞、霧島昇歌)
おらんだ屋敷の花 1954(西條八十作詞、永田とよこ歌) (映画「春色お伝の方」挿入歌)
湯の町椿     1954(西條八十作詞、神楽坂はん子歌)
渚の子守歌    1954(西條八十作詞、織井茂子歌)
浪花ばやし    1954(西条八十作詞、青木光一神楽坂歌)
オランダ屋敷の花 1954(西條八十作詞、永田とよ子歌)
ピレネエの山の男 1955(西條八十作詞、岡本敦郎歌)
娘船頭さん    1955(西條八十作詞、美空ひばり歌)(松竹キネマ「娘船頭」主題歌)
シクラメン咲けど 1955(西條八十作詞、奈良光枝歌) (映画「暁の合唱」主題歌)
りんどう峠    1955(西條八十作詞、島倉千代子歌)
花のゆくえ    1955(門田ゆたか作詩、及川由子歌)(ラジオ東京『花のゆくえ』主題歌)
怒涛の男     1955(野村俊夫作詞、美空ひばり歌)  (映画「力道山物語」主題歌)(原曲「櫛巻きくずし」)
都に花の散る夜は 1955(丘灯至夫作詞、青木光一歌) (原曲は「さらば青春」)
逢わないで      (西條八十作詞、山本富士子歌)
恋の曽根崎    1955(西條八十作詞、美空ひばり歌) (『曽根崎心中』より)
お染久松     1955(西条八十作詞、空ひばり歌)
乙女心の十三夜  1956(西條八十作詩、島倉千代子歌) (映画「乙女心の十三夜」主題歌)







74 名前:名無しさん@お腹いっぱい。 投稿日:2016/03/30(Wed) 22:27
青春サイクリング 1956(田中喜久子作詞、小坂一也歌)
馬喰一代     1957(野村俊夫作詞、村田英雄歌)
思い出さん今日は 1958(星野哲郎作詞、島倉千代子歌)
無法松の一生   1958(吉野夫二郎作詞、村田英雄歌)
夜の酒場     1958(西條八十作詞、宝田明歌)
白い小ゆびの歌  1960(関沢新一作詞、島倉千代子歌)
雪之丞変化    1963(西條八十作詞、美空ひばり歌)
遊侠街道     1964(西條八十作詞、美空ひばり歌)
東京五輪音頭   1964(宮田隆作詞、 三波春夫歌)
柔        1964(関沢新一作詞、美空ひばり歌)
悲しい酒     1966(石本美由起作詞、美空ひばり歌)
我が心の歌    1968(古賀政男作詞、アントニオ古賀歌)
銀座音頭     1968(西條八十作詞、美空ひばり歌)
若い銀座     1968(西條八十作詞、美空ひばり歌)
(明治百年大銀座祭記念作品、「銀座音頭」とともに西條八十最晩年の作品でもある。)
浜昼顔      1974(寺山修司作詞、五木ひろし歌)(原曲は「さらば青春」)
ひろしまの母   1977(石本美由起作詞、島倉千代子歌)


*「古賀政男作品集 希望音楽会による古賀政男作曲集( ハーモニカ譜付)」新興音楽出版社/全音楽譜出版社, 1949頃




75 名前:名無しさん@お腹いっぱい。 投稿日:2016/04/29(Fri) 21:31
>>74

浜昼顔

作詞は寺山修司、作曲は古賀政男である。

原曲は古賀政男が1936年に日活映画『慈悲心鳥』の主題歌として作曲した「さらば青春」(佐藤惣之助作詞、歌:藤山一郎)が原曲。
寺山修司の歌詞は全く違うが、失意の青年が新しく旅立つモチーフは同じ。





76 名前:名無しさん@お腹いっぱい。 投稿日:2016/04/29(Fri) 21:47
>>74

ひろしまの母   1977(石本美由起作詞、島倉千代子歌)

(昭和52年7月発売)
*ひろしま音楽祭参加作品、最後の古賀メロディー

77 名前:名無しさん@お腹いっぱい。 投稿日:2016/05/02(Mon) 09:21

昭和の巨星スペシャル 作曲家・古賀政男
.

2015/10/11 に公開 YOU TUBE

これで検索のこと>


〜時代を駆け抜けた 日本のメロディー〜


78 名前:名無しさん@お腹いっぱい。 投稿日:2016/07/24(Sun) 12:02
いいなあ!今の時代みたいにテレビのなかった時代にラジオから流れる美声に家族みんなで拍手したものです。 やはり時代を超えて心に残る、懐かしく温かみを感じますね

79 名前:名無しさん@お腹いっぱい。 投稿日:2016/08/09(Tue) 23:38

【美輪明宏】作曲家・古賀政男について
.


美輪明宏さんが昭和の国民的な作曲家・古賀政男さんについて語っています。
(TBSラジオ『岡村仁美 プレシャスサンデー』 薔薇色の日曜日2014,6.1より。)
この表題で検索のこと。


80 名前:名無しさん@お腹いっぱい。 投稿日:2016/08/11(Thu) 22:27

古賀政男総合スレ 2CH BBS

h ttp://ai.2ch.sc/test/read.cgi/natsumeloj/1320231349/


81 名前:名無しさん@お腹いっぱい。 投稿日:2016/12/03(Sat) 16:02
日本の大衆音楽を含めて音楽分野での「東京音楽学校」の果たした役割は非常に大きい。
滝廉太郎、三浦環、本居長世、山田耕筰、弘田龍太郎、中山晋平から佐藤千夜子、四家文子、関種子、藤山一郎、ミスコロムビア・・・、

日本で最も歴史ある芸術分野の官立専門学校が「東京美術学校」「東京音楽学校」である。
1949年(昭和24年)5月、戦後の学制改革により、「東京美術学校」と「東京音楽学校」の両専官立専門校が統合設立され、新制「東京芸術大学」ができた。

82 名前:名無しさん@お腹いっぱい。 投稿日:2016/12/14(Wed) 14:43
【日本の音楽文化遺産】日本の名歌・名唱を語ろう!!

http://www.10ch.tv/bbs/test/read.cgi?bbs=history&key=466329511&ls=50

83 名前:名無しさん@お腹いっぱい。 投稿日:2016/12/17(Sat) 10:35
☆昭和SP歌謡  歌謡史を支えた主な名歌手(戦前・戦中) 1,

http://www.10ch.tv/bbs/test/read.cgi?bbs=history&key=443967449&ls=50

84 名前:名無しさん@お腹いっぱい。 投稿日:2016/12/17(Sat) 10:41
訂正

☆昭和SP歌謡  歌謡史を支えた主な名歌手(戦前・戦中) 1,
 http://www.10ch.tv/bbs/test/read.cgi?bbs=history&key=455286679&ls=50

85 名前:名無しさん@お腹いっぱい。 投稿日:2016/12/20(Tue) 17:22
丘を越えて 藤山一郎/古賀政男.


2012/10/29 に公開
昭和6年発売の「丘を越えて」です。青春をテーマにした藤山一郎・古賀政男の合作芸術の傑作です。演奏は明治大学マンドリン倶楽部(男子部員時代)。藤山一郎は東京音楽学校(現東京芸術大学音楽部)在学する将来を嘱望された期待のクラシック音楽生でした。昭和恐慌で破産した生家の借財返済のためにアルバイトの流行歌歌手となりコロムビアからデビューしました。青春を声量豊かに高らかに弾むように歌いあげています。躍動感溢れる歌唱は永遠の名唱です。

86 名前:名無しさん@お腹いっぱい。 投稿日:2016/12/20(Tue) 17:28
藤山一郎 影を慕いて.


2012/07/15 に公開
藤山一郎独唱・「影を慕いて」。声楽技術を駆使した歌唱芸術で古賀政男の名曲を歌いあげます。明治大学マンドリン倶楽部の定期演奏会(昭和4年6月)で初演、ギター合奏でした。その後、佐藤千夜子がビクターで吹込みましたが、レコードは売れませんでした。藤山一郎の登場をまたなければなりませんでした。


87 名前:名無しさん@お腹いっぱい。 投稿日:2017/02/13(Mon) 00:18
古賀政男総合スレ 2Ch,懐メロ・邦楽

h ttp://ai.2ch.sc/test/read.cgi/natsumeloj/1320231349/l50

88 名前:名無しさん@お腹いっぱい。 投稿日:2017/02/14(Tue) 21:44
【昭和最大著作権王】昭和歌謡史と作曲家古賀政男【古賀メロディー!!】

http://www.10ch.tv/bbs/test/read.cgi?bbs=history&key=487062431&ls=50

89 名前:名無しさん@お腹いっぱい。 投稿日:2017/04/02(Sun) 00:21
■古賀メロディを支えた名歌手たち・・その古賀メロディ第一作。

日本歌謡界の王道と言うべき作曲家である古賀政男の作り出すメロディは戦前・戦後に亘って『古賀メロディ』と呼ばれ、日本人の琴線をがっちりと掴んで離さないものとなった。
つまり、歌謡曲の『源流』の大半を彼が占めていると言っても過言ではない。

「古賀メロディ」の始まりは、昭和4年(1929)12月23日から、昭和5年(1930)10月28日にかけての、佐藤千夜子による「文のかをり」や「影を慕いて」「日本橋から」など古賀作品7曲のビクターレコード吹き込みに始まる。

古賀政男がコロンビア専属作曲家となるのは昭和6年(1931)3月である。以後、古賀メロディを支えた名歌手〈戦後を除く〉たちと、その古賀メロディ第一作。


☆古賀メロディを支えた名歌手 と最初の歌(戦前戦後)

佐藤千夜子  東京音楽学校  文のかおり(古賀正夫作詞)1929.12
関 種子     東京音楽学校  乙女心 (鹿山鶯村作詞) 1931.6
藤山一郎    東京音楽学校  キャンプ小唄 (島田芳文作詞) 1931.7
河原喜久恵    東京音楽学校 月の浜辺 (島田芳文作詞)    1931.7
淡谷のり子   東洋音楽学校  私此頃憂鬱よ (高橋掬太郎作詞)   1931.10
渡辺光子     東京音楽学校  強くなってね (西條八十作詞) 1933.2
ミス・コロムビア 東京音楽学校 お蝶夫人の唄 (西條八十作詞)   1933.3
松平 晃   東京音楽学校 サーカスの唄 (西條八十作詞) 1933.5
楠木繁夫   東京音楽学校 国境を越えて (佐藤惣之助作詞) 1934.3
ディック・ミネ    立教大学     戀は荷物と同じよ (瀬川与志作詩) 1935.6
杉狂児 東京音楽学校 のぞかれた花嫁(玉川英二作詞) 1935.10
千早淑子(松島詩子)       純情一座の唄  (玉川映二作詞) 1936
奥田瑛子(ミス・タイヘイ) 別れの唄 (山川あさを作詞)  1936
有島通男    東洋音楽学校  春まだ浅く  (石川啄木作詞)  1936.4
由利あけみ  東京音楽学校  黒いパイプ (倉仲佳人作詞〉 1937.9
李 香蘭(山口淑子)*     紅い睡蓮   (西條八十作詞)   1939.9
二葉あき子  東京音楽学校 あの花この花 (西條八十作詞) 1940.2
霧島 昇    東洋音楽学校  誰か故郷を思わざる(西條八十作詞) 1940.2
奥山彩子   東洋音楽学校  蛇姫絵巻(西條八十作詞)1940
(省略されました・・全てを読むにはここを押してください)


関種子(昭和4年卒、国立音楽学校、名古屋音楽学校教授、東京芸術大学講師歴任)、藤山一郎(増永丈夫、昭和8年卒、昭和6年よりアルバイトで吹き込み)はいずれも、
東京音楽学校本科主席卒業。



90 名前:名無しさん@お腹いっぱい。 投稿日:2017/04/02(Sun) 00:29

■古賀メロディを支えた名歌手たち・・その古賀メロディ第一作。

日本歌謡界の王道と言うべき作曲家である古賀政男の作り出すメロディは戦前・戦後に亘って『古賀メロディ』と呼ばれ、日本人の琴線をがっちりと掴んで離さないものとなった。
つまり、歌謡曲の『源流』の大半を彼が占めていると言っても過言ではない。

「古賀メロディ」の始まりは、昭和4年(1929)12月23日から、昭和5年(1930)10月28日にかけての、佐藤千夜子による「文のかをり」や「影を慕いて」「日本橋から」など古賀作品7曲のビクターレコード吹き込みに始まる。

古賀政男がコロンビア専属作曲家となるのは昭和6年(1931)3月である。以後、古賀メロディを支えた名歌手〈戦後を除く〉たちと、その古賀メロディ第一作。


☆古賀メロディを支えた名歌手 と最初の歌(戦前戦後)

佐藤千夜子  東京音楽学校  文のかおり(古賀正夫作詞)1929.12
関 種子     東京音楽学校  乙女心 (鹿山鶯村作詞) 1931.6
藤山一郎    東京音楽学校  キャンプ小唄 (島田芳文作詞) 1931.7
河原喜久恵    東京音楽学校 月の浜辺 (島田芳文作詞)    1931.7
淡谷のり子   東洋音楽学校  私此頃憂鬱よ (高橋掬太郎作詞)   1931.10
渡辺光子     東京音楽学校  強くなってね (西條八十作詞) 1933.2
ミス・コロムビア 東京音楽学校 お蝶夫人の唄 (西條八十作詞)   1933.3
松平 晃   東京音楽学校 サーカスの唄 (西條八十作詞) 1933.5
楠木繁夫   東京音楽学校 国境を越えて (佐藤惣之助作詞) 1934.3
ディック・ミネ    立教大学     戀は荷物と同じよ (瀬川与志作詩) 1935.6
杉狂児 東京音楽学校 のぞかれた花嫁(玉川英二作詞) 1935.10
千早淑子(松島詩子)       純情一座の唄  (玉川映二作詞) 1936
奥田瑛子(ミス・タイヘイ) 別れの唄 (山川あさを作詞)  1936
有島通男    東洋音楽学校  春まだ浅く  (石川啄木作詞)  1936.4
由利あけみ  東京音楽学校  黒いパイプ (倉仲佳人作詞〉 1937.9
李 香蘭(山口淑子)*     紅い睡蓮   (西條八十作詞)   1939.9
二葉あき子  東京音楽学校 あの花この花 (西條八十作詞) 1940.2
霧島 昇    東洋音楽学校  誰か故郷を思わざる(西條八十作詞) 1940.2
奥山彩子   東洋音楽学校  蛇姫絵巻(西條八十作詞)1940
菊池章子   東洋音楽学校  相呼ぶ歌   (西條八十作詞) 1940.9
伊藤久男 帝国音楽学校 熱砂の誓い(建設の歌)(西條八十作詞)1940.11
中野忠晴   武蔵野音楽学校 歓喜の歌  (西岡水朗作詞)  1933.1
渡辺はま子  武蔵野音楽学校 サヨンの鐘  (西條八十作詞) 1941.7
奈良光枝   東洋音楽学校   青い牧場  (サトウハチロー作詞) 1942.12
波平暁男 東京音楽学校 月夜船 (藤浦洸作詞) 1944.11
近江俊郎   武蔵野音楽学校  明日もまた  (サトウハチロー作詞) 1944.11
轟由紀子   宝塚音楽歌劇学校 勝利の日まで (サトウハチロー作詞) 1945.1

*李 香蘭
幼少時に奉天(現:瀋陽)に住むイタリア人オペラ歌手マダム・ポドレソフのもとで声楽を習い、日本では三浦環に師事。

瀬川与志、 倉仲佳人、玉川英二は、サトウハチローの変名。
東京音楽学校(現東京芸術大学音楽学部)東洋音楽学校(現東京音楽大学)武蔵野音楽学校(現武蔵野音楽大学)

主な門下生、弟子
竹岡信幸、清水保雄、山本丈晴、アントニオ古賀、猪俣公章、鶴岡雅義、団しんや、
美空ひばり、島倉千代子、村田英雄、森進一、美川憲一、五木ひろし、大川栄策、小林幸子

関種子(昭和4年卒、国立音楽学校、名古屋音楽学校教授、東京芸術大学講師歴任)、藤山一郎(増永丈夫、昭和8年卒、昭和6年よりアルバイトで吹き込み)はいずれも、
東京音楽学校本科主席卒業。




91 名前:名無しさん@お腹いっぱい。 投稿日:2017/04/08(Sat) 23:25
昭和6年、「酒は涙か溜息か」「丘を越えて」、昭和7年「影を慕いて」 の連続ヒットで一躍スターダムに登り詰めた古賀政男作曲の曲が流行した。古賀の曲はそれまで主流であった中山晋平の「晋平節」に対し、「古賀メロディー」と呼ばれた。

昭和一桁、初期の頃、彗星のように現れたまだ作曲家になったばかりの駆け出しの頃、古賀政男について、新聞に「中山晋平の時代から古賀メロディの時代へ」という意味の記事が大きく載った。
古賀は、大慌てで大先輩の「中山晋平先生」のところに謝りに出向いた。
そしたら「中山晋平先生」から、「いいですよ、あなたは私には無いいいところを持っています。頑張ってください。」と逆に励まされたという。
これが、「中山晋平の時代から古賀メロディの時代へ」を決定ずけ、かつ『古賀メロディ』の名を普遍的なものとした。


92 名前:名無しさん@お腹いっぱい。 投稿日:2017/04/09(Sun) 21:31
昭和前半の歌は現在のプロでも簡単に歌えない歌が
たくさんあります。カバーして歌ってるのを聴くと
よく分かります。


93 名前:名無しさん@お腹いっぱい。 投稿日:2017/04/09(Sun) 21:44
丘を越えて 藤山一郎/古賀政男.


2012/10/29 に公開
昭和6年発売の「丘を越えて」です。青春をテーマにした藤山一郎・古賀政男の合作芸術の傑作です。演奏は明治大学マンドリン倶楽部(男子部員時代)。藤山一郎は東京音楽学校(現東京芸術大学音楽部)在学する将来を嘱望された期待のクラシック音楽生でした。昭和恐慌で破産した生家の借財返済のためにアルバイトの流行歌歌手となりコロムビアからデビューしました。青春を声量豊かに高らかに弾むように歌いあげています。躍動感溢れる歌唱は永遠の名唱です

94 名前:名無しさん@お腹いっぱい。 投稿日:2017/04/19(Wed) 23:59
日本の大衆歌曲・歌謡曲の歴史

http://www.10ch.tv/bbs/history/index2.html#2



95 名前:名無しさん@お腹いっぱい。 投稿日:2017/04/20(Thu) 09:55

☆【昭和最大著作権王】昭和歌謡史と作曲家古賀政男【古賀メロディー!!】

http://www.10ch.tv/bbs/test/read.cgi?bbs=history&key=487062431&ls=50



☆古賀政男総合スレ 2ch,懐メロ・邦楽

h ttp://ai.2ch.sc/test/read.cgi/natsumeloj/1320231349/l50

☆昭和SP歌謡  歌謡史を支えた主な名歌手(戦前・戦中) 1,

http://www.10ch.tv/bbs/test/read.cgi?bbs=history&key=455286679&ls=50


☆昭和「日本映画黄金時代」と映画主題歌

http://www.10ch.tv/bbs/test/read.cgi?bbs=history&key=443967449&ls=50


☆【日本の音楽文化遺産】日本の名歌・名唱を語ろう!!

http://www.10ch.tv/bbs/test/read.cgi?bbs=history&key=466329511&ls=50






96 名前:名無しさん@お腹いっぱい。 投稿日:2017/09/11(Mon) 22:48
昭和歌謡が好きな人集まれ!

97 名前:名無しさん@お腹いっぱい。 投稿日:2017/09/19(Tue) 15:31
日本の大衆歌曲・歌謡曲の歴史

http://www.10ch.tv/bbs/test/read.cgi?bbs=history&key=354361110

98 名前:名無しさん@お腹いっぱい。 投稿日:2017/09/20(Wed) 21:01
昭和歌謡が好きな人集まれ! 音楽BBS 10cH

99 名前:名無しさん@お腹いっぱい。 投稿日:2017/10/13(Fri) 18:24
>>98

昭和歌謡が好きな人集まれ

http://www.10ch.tv/bbs/test/read.cgi?bbs=music&key=494943486&ls=50

100 名前:名無しさん@お腹いっぱい。 投稿日:2018/02/10(Sat) 22:31
コガミュージアムコンサート 

三代目 海沼実の唱歌・童謡にんげん史
第22回 童謡誕生100年記念 西條八十


2018年は児童雑誌「赤い鳥」創刊100年の年で、童謡誕生100年記念の年とされます。
第22回は「赤い鳥」にも多数の作品を発表した、詩人西條八十さんを取り上げます。
懐かしのレコードと、ゲストの音羽ゆりかご会の歌唱で「カナリヤ」や「肩たたき」などの作品を
お楽しみいただきながら、人物像と魅力に迫ります。


2018年2月18日(日)

開演 14:00  (13:30開場)

古賀政男音楽博物館(コガミュージアム)けやきホール
入場料 指定席制 2000円 (要予約)
東京都渋谷区上原3−6−12
TEL.03−3460−9051
主催 一般財団法人 古賀政男音楽文化振興財団

東京メトロ、小田急線代々木上原駅
南口1 井之頭通り 駅前交番前



101 名前:名無しさん@お腹いっぱい。 投稿日:2018/02/25(Sun) 23:20
藤山一郎(1911〜1992)
 東京出身、本名・増永丈夫。大正10年慶応幼稚舎時代に童謡歌手としてレコードを吹込むんでいる。童謡歌手の魁とされる本居みどりが、大正10年(1921)に、ニッポノホンレコードに「十五夜お月さん」を吹き込んでいる。あまり知られてないが、丁度同じころ、幼稚舎4年生(1921)のとき、ニッポノフォンレコード(日本蓄音器商会の前身東京三光堂、スタークトン・レコード)に童謡を吹き込んでいる。「半どん」「春の野」(田辺友三郎作詞・田村虎蔵作曲)・・♪ましろにみえし ゆき消えて・・・「何して遊ぼ」などの童謡を歌っている。  
 当時は、電気吹込みではなくスタジオの壁から突き出たおおきなメガホォンのような集音ラッパ吹き込むロー管吹込みだったという。この頃、大正時代、本居三姉妹が全国行脚(一部レコード)で活躍していた頃である。電気吹込みになったのは昭和3年からで、このラッパ吹込みをしてる童謡歌手は、本居三姉妹のほか平井英子(1918東京生)くらいだという。

 藤山一郎がラジオに登場したのは、昭和3年の慶応普通部時代で、それ以来、音楽放送の歴史とともに歩んできた。『日本放送史』(日本放送協会編)には、「藤山は、《丘を越えて》《影を慕いて》などの古賀政男のいわゆる古賀メロディーで流行歌手としての地位を確立、音楽学校卒業後、増永丈夫の名でクラシック曲を、藤山一郎の名で流行歌曲を歌いのち、指揮者として活躍し、戦前、戦後を通じて放送音楽に重要な役割を果した。」とある。平成四年、国民栄誉賞受賞。愛宕山のNHK放送博物館には彼のコーナーがあり、業績や記念物の展示があり、ビデオが見れる。


102 名前:名無しさん@お腹いっぱい。 投稿日:2018/02/25(Sun) 23:23
昭和のレコード歌謡は昭和3年(1928)、新民謡『波浮の港』(野口雨情作詞、中山晋平作曲、佐藤千夜子歌)に始まる。

直後、昭和6年(1931)に古賀政男が台頭。これまでの主流だった中山晋平の「晋平節」が古賀政男の「古賀メロディ」にとってかわられた。

古賀政男(正男)をメジャーデビューさせるに至ったのは、まだレコード普及もない頃から中山晋平の歌(晋平節)を世に広めた歌手・佐藤千夜子の力添えによる。

古賀正男の「影を慕いて」など計7曲をビクターに吹き込んだ。

古賀政男は自伝で佐藤について「私に作曲家の道を与えてくださった終生の恩人」と書いている。


「古賀メロディ」を支えた主な名歌手が27人いる。(1929‐1945)

このうち音楽学校卒業が22人。

藤山一郎などこうした歌手がほとんどの「古賀メロディ」の歌手である。

22人のうち、「東京音楽学校」(現在の「東京芸術大学」音楽学部)卒業のクラッシックの声楽家・歌手がなんと12人。

関種子、藤山一郎(増永丈夫)は本科主席卒業。レードデビューは古賀政男のデビューそのもの。

今のクラッシック歌手でも歌えない・・!「古賀メロディ」・・その理由だ!。


・佐藤惣之助、西條八十など第一級の詩人が心を込めて作った詩に,第一級の作曲家古賀政男が心を込めて作曲し、それに藤山一郎などの第一級の歌手が心を込めて歌った文句なしの第一級の文化遺産・それが古賀メロディ・・・

第一級の文化遺産・大切に歌おう!


103 名前:名無しさん@お腹いっぱい。 投稿日:2018/03/09(Fri) 18:27
日本の歌こころの歌

http://www.10ch.tv/bbs/test/read.cgi?bbs=radio&key=508252044&ls=50


104 名前:名無しさん@お腹いっぱい。 投稿日:2018/03/20(Tue) 09:25
日本の名曲 【日本の優れた文化遺産!】


http://www.10ch.tv/bbs/test/read.cgi?bbs=history&key=521471093&ls=50

105 名前:名無しさん@お腹いっぱい。 投稿日:2018/04/03(Tue) 12:11
名歌手 徳山 l(たまき)P(1903〜42)

神奈川県藤沢出身。
昭和三年、東京音楽学校卒業後、武蔵野音楽学校の講師となる。
講師時代の教え子に渡辺はま子がいる。
昭和四年、日本ビクターに入社し、レコード吹き込みを本格的に開始。
昭和五年、流行歌吹き込みの風当たりが強くなってきたので、武蔵野音楽学校講師を退職。クラシック歌手と流行歌手、双方に集中。
昭和六年、映画主題歌『侍ニッポン』、『ルンペン節』が大ヒットし、一躍人気歌手の座につく。
昭和七年、四家文子と吹き込んだ『天国に結ぶ恋』が大ヒット。
昭和九年、皇族懇話会にて、小唄勝太郎、渡辺はま子、藤山一郎らと美声を披露し、「河原乞食」よばわりされていた流行歌手の地位向上に一役買う。
その後も、古川緑波とコンビを組み、映画・舞台出演する一方で、オペラ「カルメン」などに出演。クラシック(バリトン)と流行歌の世界で大活躍。
昭和14年『太平洋行進曲』『大陸行進曲』、昭和15年『空の勇士』『隣組』…と戦時歌謡でもヒットを連発。一世を風靡した。
昭和17年一月二十八日、敗血症のため死去。38歳。
満州慰問での怪我がもと、過労と戦時中の物資不足が祟った死であった。
大柄で豪放磊落そうな見た目とは裏腹、小心者で恐妻家であったと言われる。

106 名前:名無しさん@お腹いっぱい。 投稿日:2018/04/03(Tue) 12:13
戦前日本の歌手
 h ttp://karomama.com/answers.html



・放送オペラ一覧
 h ttp://www.sound78rpm.jp/air/opera_air.html

 藤原義江、佐藤美子、奥田良三、船橋栄吉、大下保、長門美保、下八川圭祐、佐藤千夜子、二村定一、河原喜久恵、天野喜久代、川崎豊、四家文子、関種子、徳山l、増永丈夫(藤山一郎)、東海林太郎、・など蒼々たる顔ぶれが見える。


徳山 l(とくやま たまき、1903年7月27日 - 1942年1月28日)は、戦前から戦中に活躍した日本の声楽家(バリトン)・流行歌手。似た名前のソプラノ歌手三浦環(みうらたまき)は女性だが、徳山lは男性である。

神奈川県高座郡藤沢町(現・藤沢市)生まれ。1928年東京音楽学校声楽科(現・東京芸術大学音楽学部声楽科)を卒業。武蔵野音楽学校(現・武蔵野音楽大学)の講師になったが、流行歌手として日本で初めて大スターになった佐藤千夜子のピアノ伴奏をした縁で、1931年ビクターから「侍ニッポン」で流行歌手としてデビュー。大ヒットとなった。その後も「ルンペン節」や、四家文子と共演の「天国に結ぶ戀」など数多くのヒット曲に恵まれた。「隣組」「歩くうた」など、国民歌謡からヒットした曲もある。
一方、声楽家としても活躍し、ビゼーのオペラ「カルメン」のエスカミリオが当たり役であった。ベートーヴェンの交響曲第9番の演奏にも、バリトン・ソロとして何回か出演している。昭和10年代前半には古川ロッパ一座に入り「ガラマサどん」「東海道中膝栗毛」などの舞台に出演したり、「シネオペレッタ」と呼ばれた音楽映画にも出演するなど幅広く活躍した。
レコードとして残っているのはほとんどが流行歌だが、明るく軽やかなバリトンで、小節などの「邦楽的」な発声法は全く使われていない。音楽学校出身の歌手としては珍しい、コミック・ソングも得意としており、多数の傑作を遺している。
ルンペン(ホームレス)・療養所・盲学校などへの慰問活動にも熱心で、東京の盲学校で全盲の生徒に自慢の太鼓腹を触らせ、「お相撲になっていたら今頃は双葉山を負かしていたかもね」などと笑わせたという話も残っている。
1942年、敗血症のため死去。享年38。

h ttp://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%BE%B3%E5%B1%B1%E7%92%89
h ttp://shisly.cocolog-nifty.com/blog/2008/11/post-8220.html


107 名前:名無しさん@お腹いっぱい。 投稿日:2018/04/03(Tue) 12:27
徳山l (とくやま たまき) 随筆集 (翻訳版) 口語訳: 戦前・戦中に活躍、『ドリフの大爆笑』主題歌の元歌「隣組」を歌い、絶大な人気を誇った流行歌手のエッセイ集 Kindle版
徳山l (著), Shimizu Terumasa (編集)
出版 (有)音羽クリエーション
販売  AMAZON





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紙の本の長さ: 163ページ


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108 名前:名無しさん@お腹いっぱい。 投稿日:2018/04/03(Tue) 12:32
>>107
徳山l (とくやま たまき) 随筆集 (翻訳版) 内容紹介

戦前・戦中にかけて絶大なる人気を誇った流行歌手、
徳山 l (とくやま たまき) の貴重なエッセイ集!

徳山 lは東京音楽学校声楽科(現・東京芸術大学音楽学部声楽科)を
卒業し、教職を経て歌手デビュー、声楽家としてオペラへの出演、
俳優として古川ロッパとの共演、流行歌歌手として「侍ニッポン」
「ルンペン節」「天国に結ぶ恋」などを歌い、戦前・戦中にかけて
一世を風靡した歌手でした。

彼の名前を知らなくても、ザ・ドリフターズのテレビバラエティ
『ドリフの大爆笑』のテーマソングや、メガネドラッグのCMソングは
一度は耳にしたことがあるかもしれません。

実は、現在でも知名度が高いこの曲の元歌を歌っていたのが
「徳山 l」だったのです。曲名は「隣組」(昭和15年) といいます。

彼は昭和17 (1942) 年にわずか38歳でこの世を去ったため、
現在までほとんど顧みられることがありませんでした。

このエッセイ集は、彼の死後にすぐ出版されたもので、
生誕111周年を記念して復刻しました。
復刻に当たっては、表紙を新しくデザインし、
文章は読みやすいように口語に訳しました。

戦前・戦中の音楽や風俗はもちろんのこと、
勝太郎、市丸、渡辺はま子といったそうそうたる
歌手や映画俳優との交友録や、歌手になるために
家出をした話など、他では読めない貴重な話が盛りだくさん。
歌だけでなく、エッセイストとしての
徳山 lの魅力にも触れることができます。

また、巻末には300曲を超えるディスコグラフィーを
発売年代順に掲載しています。

レイアウトは、変動するリフロー型を採用、
縦書きで一度文字の大きさを設定しておけば
そのままの状態で読み続けることができます。

この機会に、貴重なエッセイ集を1人でも多くの方に読んでいただき、徳山lの魅力を感じていただければ幸いです。

目次
はじめに
序(菊池寛)
記念の時計
満州だより
北支行
楽団変人奇人伝
流行歌手出世道
三六五〇日の足跡
オペラ歌手列伝
署名の好きな人々
森蔭の旋律
真白き富士の根
僕の居候時代
結婚写真
映画スター交友録
崔承喜さまへ
はま子の先生
啄木の歌
性格歌手チェンキン
レビュー言
夏日閑談
吉本君の批評に対して
秋の感傷
烏を飼う

動物園
船出は眠し
故郷の新聞
のんびり演奏会
夏の葬式
円タクの話
百鬼園先生と初対面
僕の憂鬱
行水と夕立
泣くな漫才
良人の体操
隣組五人男
[付録資料]徳山lディスコグラフィー

109 名前:名無しさん@お腹いっぱい。 投稿日:2018/04/04(Wed) 22:02
>>105-108

徳山 l髄筆集

徳山 l (とくやま たまき) といえば、
「侍ニッポン」「天国に結ぶ恋」などのヒットを飛ばした歌手で、
戦前・戦時歌謡に詳しい人であれば「オッ」と思うかもしれません。
彼の名前を知らない人でも、『ドリフの大爆笑』のテーマソングや
メガネドラッグCMソングなら聞いたことがあるかもしれません。
実はこれらの曲は替え歌で、元歌は徳山 lが歌っていたんです。
メガネドラッグCMソング

『ドリフの大爆笑』のテーマソング

曲名は「隣組」。昭和15年にリリースされました。
こちらの動画では、本人も出演しています。
ヒゲを生やして歌っているのが徳山 lです。

ちなみに、この曲を作詞した岡本一平は、
「芸術は爆発だ!」でおなじみの芸術家、
岡本太郎の父親です。
絶大な人気を誇った徳山は、戦時中の昭和17年に
38歳の若さで亡くなってしまいます。
そのため、1970年代に懐メロブームが起こった際には
市丸や東海林太郎、藤山一郎らが戦前、戦中のヒット曲を
テレビの前で歌い、曲を語り継いでいったのに対して、
彼の曲は徐々に忘れられていきました。
また、彼の名前に使われている「l (たまき)」という文字も
常用漢字ではなくて、ネットでの表示や変換も難しいため、
なかなか表示や検索が困難であることも、
再評価になかなかつながらない一因にもなっています。
事実、Amazonのタイトルでは「l」の文字が
一部表示されない箇所があるのが、そのよい例だと思います。
しかし、流行歌、本業としての声楽家、俳優など
多面的な活動をしていた徳山は、エッセイを残していました。
それが『徳山 l随筆集』です。

これは彼の死後すぐに刊行されたもので、
作家の菊池寛が序文を寄せています。
徳山が日本の歌謡界に与えた影響は大きかったため、
生誕111周年を記念して復刻しました。
随筆集とあって文章はわかりやすく、
専門用語などもほとんど出てきません。
時節柄、満州の話や中国へ行ったときの話、
市丸や勝太郎とのかかわりなど、
当時の風俗や世相、流行などが手を取るように分かります。
また、飼っていた烏が逃げ出して1日中追いかけた話など、

ユーモラスな文章で楽しませてくれます。


復刻に当たり、口語訳に直し、旧字体や表記も原本を尊重しながら
編集しています。表紙は私がデザインしました。
ちなみに、表紙のレコードは私が所有している
SP盤を使用しています。
巻末には、ディスコグラフィーも可能な限り調べて
掲載しています。
この機会に、徳山 lの貴重なエッセイ集を
1人でも多くの方に読んでいただき、
魅力を感じていただければ幸いです。
(Amazon)


110 名前:名無しさん@お腹いっぱい。 投稿日:2018/04/05(Thu) 09:43

  「古賀政男音楽博物館」  <大衆音楽の殿堂顕彰者>  >>100



「古賀政男音楽博物館」には明治以降、日本の大衆音楽に尽くした音楽家、詩人・作詞家、作曲家、歌手について、「大衆音楽の殿堂」で顕彰している。

滝廉太郎、野口雨情、、本居長世、山田耕作、中山晋平、弘田竜太郎・・から                                          
西條八十、古賀政男、藤原義江、藤山一郎、・・ から
美空ひばり、島倉千代子、北島三郎・・までほとんどをカバ―している。

大衆音楽の殿堂顕彰者には明治以降、明治、大正、昭和、これまでのほとんどの大衆音楽に尽くした
作曲家、詩人・作詞家、歌手・演奏家併せて246名が顕彰展示されており、入館料だけで7000曲のうちから選んで無料で十分聞くことができ非常に貴重です。

最近の歌は、なんでも「名曲」、しかも60年以上の長い「昭和」の歴史になかで、ほんの昭和の最末期飽食の時代の歌だけで、昭和歌謡と言ってますが、これを見ると,聞くと
もっと深いことが分かります。昭和の本当の名曲を堪能することができるでしょう。

昔は大衆音楽というのは民謡くらいしかなかった。多くの音楽家のすぐれた才能や、たゆまぬ努力によって、大衆音楽の名曲は生まれました。
古賀政男音楽博物館では、日本大衆音楽の歴史を振り返り、その発展に貢献された方々の功績を顕彰する「大衆音楽の殿堂」,この殿堂ホールには、顕彰者のレリーフが掲げられているほかに、その年の顕彰者ゆかりの品々を展示さえている。



顕彰者の代表曲などは、地下1階「音楽情報室」の検索システムで入館料500円だけで何曲でも聞ける。 他に、作詞者名、歌手名、もちろん題名でも検索できる。


顕彰者一覧 h ttp://www.koga.or.jp/information/sanctuary/index.html




<大衆音楽の殿堂 顕彰者>  作曲家(抜粋) 75人

滝廉太郎、岡野貞一、田村虎蔵、下總壯一、本居長世、山田耕作、中山晋平、弘田竜太郎、
成田為三、草川 信、梁田 貞、杉山長谷夫、河村光陽、海沼 實、佐々木すぐる、佐々紅華、古賀政男、江口夜詩、竹岡信行、町田佳声、佐々木俊一、万城目正、仁木田喜雄、池田不二夫、古関裕而、服部良一、大村能章、阿部武雄,長津義司、上原げんと、団 伊久磨、中田義直、飯田三郎、中村八大,大久保徳次郎、いずみたく、倉若春生、吉田矢健治、利根一郎、市川昭介、八州秀章、細川潤一、宮川 泰、田村しげる、富田 勲、米山正夫、吉田正、猪俣公章、船村徹、遠藤実、・・



<大衆音楽の殿堂 顕彰者> 歌手(抜粋)100人
松井須磨子、藤原義江、佐藤千夜子、藤山一郎、関 種子、徳山 l(たまき)、田谷力三、淡谷のり子、松平 晃、楠木繁夫、中野忠晴、上原 敏、東海林(しょうじ)太郎、ミス・コロムビア(松原操)、二葉あき子、霧島 昇、ディックミネ、山口淑子(李香蘭)、伊藤久男、高峰三枝子、松島詩子、渡辺はま子、塩まさる,市丸、小唄勝太郎、高田幸吉、川田正子・孝子、河村順子、平井英子、安西愛子、松田トシ、灰田勝彦、岡晴夫,神楽坂はん子、美空ひばり、笠置しず子、小畑実、近江俊郎、竹山逸郎、榎本健一、高 英男、森繁久彌、奈良光枝、並木路子、宮城まり子、織井茂子、菊池章子、宮城まり子、三波春夫、村田英雄、、田端義男、三橋美智也、初代コロムビアローズ、ペギー葉山、橋幸夫、坂本 九、島倉千代子、こまどり姉妹、神戸一郎、菅原洋一、三浦光一、テレサテン、岸 洋子、小坂和也、フランク永井、ザ・ピーナッツ・・・



<大衆音楽の殿堂 顕彰者> 詩人・作詞家(抜粋)71人

吉丸 一昌、井上 赳、大和田建樹、高野公男、井上 赳、近藤朔風、林 柳波、武島羽衣、中村雨紅、清水かつら、加藤省吾、久保田宵二、斎藤信夫、加藤省吾,武内俊子、東くめ、

野口雨情、西條 八十、佐藤惣之助、島田芳文、サトウハチロー、藤浦 洸、菊田一夫、高橋 掬太郎、佐伯 孝夫、長田幹彦、門田ゆたか、藤田 まさと、野村俊夫、島田欣也、清水みのる、寺山修司、横井 弘、西沢爽、宮川哲夫、石本美由樹、矢野亮、星野哲郎、やなせたかし・・・

(平成30年4月現在)


111 名前:名無しさん@お腹いっぱい。 投稿日:2018/04/05(Thu) 10:29
古賀政男音楽博物館は小田急線代々木上原駅前3000坪の旧古賀政男邸の跡に,没後、古賀政男の遺志と、数百億ともいわれるその莫大な著作権など資産を受け継いだ「古賀政男音楽文化振興財団が」が設立され、音楽博物館が作られました。
ここには西新橋にあった日本音楽著作権協会(JASRAC)本部も入って、その威容は音楽の聖地にふさわしいもの。

小田急線と交差する井の頭通りに面した小田急線代々木上原駅すぐ前です。
代々木上原駅(南口1)を右へ、音楽村通り2分、井之頭通り代々木上原駅南交差点 駅前交番すぐ目の前です。

新宿、渋谷に行ったらぜひ足を延ばしてみるのもいい。


古賀政男音楽博物館 h ttp://www.koga.or.jp/
〒151-0064 東京都渋谷区上原三丁目6−12
電話 Tel:03-3460-9051

交通
・新宿駅より小田急線、地下鉄千代田線 代々木上原駅下車 徒歩3分
・京王バス 笹塚循環(渋谷〜笹塚) 古賀音楽博物館下車 徒歩1分
・渋谷区循環コミュニティバス「ハチ公バス」【丘を越えてルート】(上原・富ヶ谷ルート)古賀音楽博物館前、渋谷駅西口バスターミナルから7分
 小田急線代々木上原駅は新宿駅から5分、渋谷区循環コミュニティバス「ハチ公バス」【丘を越えてルート】(上原・富ヶ谷ルート)(京王バス 電話:03-5300-6011)で、始発の渋谷駅西口バスターミナルより古賀音楽博物館停留所まで7分です。料金は大人も子供も一律100円で8時から20時まで、1時間に3循環、です。次の渋谷109ビルを右に入った東急百貨店前本店前停留所らものれます。

入館料 500円


112 名前:名無しさん@お腹いっぱい。 投稿日:2018/04/06(Fri) 00:40
名歌手徳山l(とくやまたまき) 
戦前、昭和の初めの大衆歌謡といえば、むしろクラシック系歌手が大勢を占めていた。佐藤千夜子、徳山l、四家文子、中村淑子、長門美保、増永丈夫(藤山一郎)、波岡惣一郎、滝田菊江、東海林太郎などなど。
徳山l(1903-1942)は、昭和3年、東京音楽学校を出て武蔵野音楽学校で教えたり、ベートーベンの「第九交響曲」のバリトンを歌ったり、「侍ニッポン」「ルンペン節」「歩くうた」「かんかん蟲は唄う」「悲しきジンタ」「夜の酒場に」「ブン大将」などのヒット曲を飛ばす。「♪トントントンカラリンと隣組」という国民歌謡「隣組」は一代の人気歌手徳山lの最後のヒット曲となった。なお、卒業に際し御前演奏を行った四家文子とは東京音楽学校同期である。
昭和17年に徳山が38歳の若さで亡くなっため、波岡惣一郎(1910-1951)がビクターのトップ歌手となった。昭和20年の大晦日に放送された「紅白音楽試合」のトップバッターは紅組の小夜福子「小雨の丘」、白組の波岡惣一郎「春雨小唄」である。
戦地慰問で傷を負ったのがもとで敗血症を負った、戦時下の混乱がもとであった。

戦前・戦後を通じてレコード歌手があまた現われたが、徳山lほどの豪快で幅の広い名歌手は他にいない。戦後まで生きていれば、戦後の歌謡史も大きく変わったであろう。
豪快な中に哀調を帯びた徳山、軍歌も四家文子とともに、愛国行進曲、太平洋行進曲、満州行進曲、日の丸行進曲、愛馬進軍歌など多くの軍歌(軍国歌謡)も歌っている。日本の軍歌・軍国歌謡はなぜか哀調を帯びている。それ日本がまだ貧しかった時代、そしてほとんどが農家だった時代、多くの兵隊が貧しい農村出身であったという歴史的風土にも関係するだろう。なお、直接関係はないが、同じ昭和17年には詩人佐藤惣之助が亡くなっている。義兄萩原朔太郎の葬儀に疲れ、その5日後に相次いで亡くなり、二人の詩人が亡くなった。同じく戦後まで生きていれば、その後の歌謡史も大きく変わったでしょう。


113 名前:名無しさん@お腹いっぱい。 投稿日:2018/04/06(Fri) 00:44
豪快な「侍ニッポン」と、繊細で哀調を帯びた「天国に結ぶ恋」(四家文子)がある。いずれも西條八十作詞、松平信博作曲の名曲、(「天国に結ぶ恋」は、昭和7年伊豆の坂田山で実際に起きた慶応大生の心中事件をテーマにしたもので、両方とも変名)。
この対照的な二つの歌を聴き比べると、徳山の名歌手たるすごさがわかる。とても同じものが歌っているとは思えない。今のクラッシックの歌手が何でも大声を張り上げるのと比べ、とてもクラッシックの歌手とは思えない、言い方を変えれば本当のクラッシック歌手、いかに名歌手であったかがわかる。徳山lのレコード吹き込みは400曲ある。
古賀政男音楽博物館で、名歌手徳山lのレコードが聞ける。


114 名前:名無しさん@お腹いっぱい。 投稿日:2018/04/06(Fri) 00:51
参考にCDをあげる。
(CDアルバム)

タイトル:昭和を飾った名歌手たち 3 徳山l 侍ニッポン  ビクターVICL-60328

収録曲:
(1)侍ニッポン
(2)かんかん蟲は唄う
(3)雪の渡り鳥
(4)ころがせころがせビール樽
(5)夜の酒場に
(6)ミミの歌
(7)天国に結ぶ恋(四家文子)
(8)想い出のギター
(9)ルンペン節
(10)赤い灯青い灯
(11)百万人の合唱〜幸福な朝
(12)悲しきジンタ
(13)サラリー・マンよ
(14)ブム大将
(15)ガラマサどん
(16)天から煙草が  


115 名前:名無しさん@お腹いっぱい。 投稿日:2018/04/06(Fri) 10:50
1999年 昭和を飾った名歌手たちシリーズ(全15タイトル)ビクター



昭和を飾った名歌手たち(1)~東京行進曲 佐藤千夜子
昭和を飾った名歌手たち(2) 君恋し 二村定一
昭和を飾った名歌手たち(3)~侍ニッポン 徳山l
昭和を飾った名歌手たち(4)~銀座の柳 四家文子
昭和を飾った名歌手たち(5)~祇園小唄 藤本二三吉
昭和を飾った名歌手たち(6) 小唄勝太郎
昭和を飾った名歌手たち(7)~僕の青春 藤山一郎
昭和を飾った名歌手たち(8)~赤城の子守唄 東海林太郎
昭和を飾った名歌手たち(9)~待ちましょう 淡谷のり子
昭和を飾った名歌手たち(10)~港が見える丘 平野愛子
昭和を飾った名歌手たち(11)~異国の丘 竹山逸郎
昭和を飾った名歌手たち(12)~夜来香 山口淑子 / 灰田勝彦
昭和を飾った名歌手たち(13)~ミネソタの卵売り 暁テル子
昭和を飾った名歌手たち(14)~ガード下の靴みがき 宮城まり子
昭和を飾った名歌手たち(15)~船頭小唄 森繁久弥


116 名前:名無しさん@お腹いっぱい。 投稿日:2018/04/06(Fri) 18:48
>>112-115

侍ニッポン  昭和6年
西條八十作詞・松平信博作曲 歌 徳山l

(一)
人を斬るのが 侍ならば
恋の未練が なぜ斬れぬ
伸びた月代(さかやき) さびしく撫(な)でて
新納鶴千代 にが笑い

(二)
昨日(きのう)勤王 明日(あした)は佐幕
その日その日の 出来心
どうせおいらは 裏切者よ
野暮な大小 落し差し

(三)
流れ流れて 大利根越えて
水戸は二の丸 三の丸
おれも生きたや 人間らしく
梅の花咲く 春じゃもの

(四)
命とろうか 女をとろか
死ぬも生きるも 五分と五分
泣いて笑って 鯉口切れば
江戸の桜田 雪が降る



天国に結ぶ恋  昭和7年
作詞:柳水巴、作曲:林純平  歌:徳山l・四家文子

1)
 今宵名残りの三日月も
 消えて淋しき相模灘(さがみなだ)
 涙にうるむ漁火(いさりび)に
 この世の恋の儚(はかな)さよ

2)
 あなたを他所(よそ)に嫁がせて
 なんで生きよう 生きらりょか
 僕も行きます 母様の
 お傍へ あなたの手を取って

3)
 ふたりの恋は清かった
 神様だけが御存知よ
 死んで楽しい天国で
 あなたの妻になりますわ

4)
 いまぞ楽しく眠りゆく
 五月(さつき)青葉の坂田山
 愛の二人にささやくは
 やさしき波の子守唄

いずれも、西條八十作詞・松平信博作曲 



117 名前:名無しさん@お腹いっぱい。 投稿日:2018/04/07(Sat) 09:53
【日本の音楽文化遺産】日本の名歌・名唱を語ろう!!

http://www.10ch.tv/bbs/test/read.cgi?bbs=history&key=466329511&ls=50


118 名前:名無しさん@お腹いっぱい。 投稿日:2018/04/07(Sat) 12:52
>>116

訂正

2)
 あなたを他所(よそ)に嫁がせて
 なんで生きよう 生きらりょう
 僕も行きます 母様の
 お傍へ あなたの手を取って

119 名前:名無しさん@お腹いっぱい。 投稿日:2018/04/07(Sat) 21:53
「天国に結ぶ恋」・・この歌は大磯、坂田山で昭和7年に起こった慶応大生の心中事件。

それは世間を驚かせる猟奇事件にも発展するのだが、映画になった。主題歌を頼まれた西條八十も
気が進まず拒否、でも名前を出さないということでで来たのが「天国に結ぶ恋」。

86年前に起きた、この事件は歌とともに、今でも市のホームページに大きく取り上げられている。

それは、西條八十の優しく清廉な、詩人ならでは簡潔な名詩、そして徳山l・四家文子、知る人ぞ知る二人の名歌手の優しい明唱のゆえんだと思われます。
ぜひ、聞かれることをお勧めいたします。

120 名前:名無しさん@お腹いっぱい。 投稿日:2018/06/22(Fri) 07:22
☆藤山一郎と古賀メロディ

藤山一郎がラジオに登場したのは、昭和3年の慶応普通部時代で、それ以来、音楽放送の歴史とともに歩んできた。
『日本放送史』(日本放送協会編)には、「藤山は、《丘を越えて》《影を慕いて》などの古賀政男のいわゆる古賀メロディーで流行歌手としての地位を確立、音楽学校卒業後、増永丈夫の名でクラシック曲を、藤山一郎の名で流行歌曲を歌いのち、指揮者として活躍し、戦前、戦後を通じて放送音楽に重要な役割を果した。」とある。

「藤山一郎」とは、昭和6年(1931)、「キャンプ小唄」をはじめとする古賀作品をレコード吹き込みにあたっての名前で、これが昭和歌謡史に残る「藤山一郎」の実質的レコードデビュー。

「歌う昭和史・藤山一郎」の原点は昭和6年(1931)、「キャンプ小唄」「酒は涙か溜息か」・・。

平成四年、国民栄誉賞受賞。愛宕山のNHK放送博物館には彼のコーナーがあり、業績や記念物の展示があり、ビデオが見れる。

ビクター時代の藤山は『燃える御神火』、『僕の青春』などがヒットしたが音楽学校在校中に吹込んだ『古賀メロディー』ほどの大ヒット曲には恵まれなかった。

藤山はこの時期を振り返り、「私の出る幕はなかった」、「レコードの売り上げ枚数をもって至上命題とするプロ歌手の壁は厚かった」と述べている。

ビクターのライバルコロムビアでかつて放ったヒットをしのぐことはできなかった。

ビクターとの契約期間は3年で満了を迎えた。ビクターは藤山との再契約を望んだが、当時コロムビアからテイチクに移籍して重役作曲家になっていた古賀政男はテイチクへの移籍を促した。契約金は1万円であった(ちなみに、同時期の内閣総理大臣の月給は800円)。

1936年(昭和11年)、古賀が作曲した『東京ラプソディ』が販売枚数35万枚のヒットとなった。これにより藤山はB面の『東京娘』とあわせて2万1000円の歌唱印税を手にし、学生時代から抱えていた生家の借金を完済することができた。

PCLによって『東京ラプソディ』を主題歌にした同じタイトルの映画も制作され、藤山が主演した。『東京ラプソディ』と同じく古賀が作曲し1936年に発売された『男の純情』、翌年の『青い背広で』『青春日記』もヒットした。

藤山はこの時期に歌った曲の中から印象に残る曲として、『東京ラプソディ』とともに『夜明けの唄』(大阪中央放送局が1936年に企画した、有名な詩人の作品に歌をつける企画、国民歌謡、国民合唱と呼ばれた)を挙げている。

1933年(昭和8年)3月、藤山は東京音楽学校を首席で卒業した。卒業直後にビクターに入社し、同社の専属歌手となった。ビクターは前年の春から藤山に接触し、毎月100円の学費援助を行っていた。『酒は涙か溜息か』などのヒット曲がコロムビアから発売された曲であったことから藤山はコロムビア入社も考えたが、停学となって以来長らく接触が途絶えた上、ようやく交渉を開始してからも藤山が求めた月給制を拒絶したため、月給100円に加え2%のレコード印税支払いを約束したビクター入社を決めた。

藤山は1931年から1932年にかけておよそ40の曲を吹込んだ。代表曲は古賀政男が作曲し1931年9月に発売された『酒は涙か溜息か』で、100万枚を超える売り上げを記録した。塩沢実信によると、当時の日本にあった蓄音機は植民地であった台湾や朝鮮を含めおよそ20万台で、「狂乱に近い大ヒット」であった。

デビュ−以来、ほぼ古賀政男と多くの「古賀メロディ」」の名曲を歌いあげてきた事で知られる、「古賀メロディ」の最大の功労者・「藤山一郎」の代表的な曲を次にあげる。



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