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【日本の音楽文化遺産】日本の名歌・名唱を語ろう!!
- 15 名前:名無しさん@お腹いっぱい。 投稿日:2016/06/21(Tue) 22:08
- ☆サトウハチローと「童謡」
童謡を書きたいと希望して、15歳の時、詩人・西条八十に入門したハチローだったが、童謡で生活は出来ない。父・紅緑の書いた小説の映画化で主題歌を書き、そのヒットによって、歌謡曲の世界を歩いてきたハチローは、敗戦という大きな社会の変化の中で、本来希望していた童謡の道への手がかりを得た。しかし、それはこれまでの「童謡」とはだいぶ違ったものだった。
戦後のサトウハチローの作品に「ちいさい秋みつけた」 「かわいいかくれんぼ」「わらいかわせみに話すなよ」 「とんとんともだち」などある。
しかし、詩としてはいいが、今でも広く歌われ続けているのは、こうしたもの(「あたらしいしいこどものうた」というらしい。)ではなく、この70年以上前に作られた童謡・「うれしいひなまつり」(1936年、山野三郎名義)だった。
サトウハチローが、東京・上野の百貨店で豪華なひな飾りを買ったのは昭和10年のことだった。
サトウハチローが、ちょうど「うら街の交響樂」を書いていたころだった。価格は200円。大卒の初任給が50円くらいの時代だった。
その頃、妻と別居して子供を引き取っていて、小学生の女の子が2人いた。贈り物に喜ぶ娘を見ているうちに歌詞が浮かんだ。
あかりをつけましょ ぼんぼりに はなをあげましょ 桃の花・・
ttp://www.mahoroba.ne.jp/~gonbe007/hog/shouka/ureshiihinamatsuri.html
ttp://www.youtube.com/watch?v=_zv8bCakElM&feature=related
2番の歌詞に〈お嫁にいらした姉様に よく似た官女の白い顔〉とある。ハチローには、大好きな姉がいた。結婚式の前に病気で亡くなっている、19歳だった。面影を歌詞にしのばせ、童謡の世界で嫁がせた。
ハチローが書いた「うれしいひなまつり」に翌年に、作曲家河村光陽が曲を付けた。光陽の長女河村順子が歌ってレコードになりヒットした。 戦後になっても多くの優れた童謡歌手によって歌い継がれた。
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