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支那・東洋史における「宦官」の歴史

1 名前:名無しさん@お腹いっぱい。 投稿日:2019/04/21(Sun) 19:58
宦官の歴史は,人類の歴史、中国殷の時代から20世紀初頭まであった。中国を中心としてイスラム、インド、シリア・・・など宮廷に仕えた「宦官」と呼ぶ去勢された男子がいて宮廷の雑務をつかさどっていた。

何千人、何万人もいた宮廷に、男子は皇帝ただ一人、皇帝以外の女官を除く男は宦官と言って女官と交接できぬよう去勢され男の資格を完全に奪われた去勢男子のみ。中国清代は其のほとんどは少年の時去勢(完全去勢)された少年宦官だった。



49 名前:名無しさん@お腹いっぱい。 投稿日:2019/04/24(Wed) 19:32
「日本は、古代から中国大陸文化の影響を受けてきたが、宦官制度だけは日本では取
り入れられなかくてよかった。」ってよく言われる。一方、三田村泰助「宦官」(中公
新書)にはちょっと触れられてるが、紀元107年 - 倭国王帥升ら、後漢の安帝に生口
160人を献上するとある。(後漢・永初1、丁未;『後漢書』安帝紀、同東夷伝) 
         Wikipedia項目リンク。
「宦官」には、生口は宦官にされたのではないかというのだ。生口(いくち)というのは、
「奴隷」のことだが(ほかに奴隷には「奴婢」というのもある。)日本人が「奴隷」と
して160人も「献上」されてるということ。ベトナム(越)等からも献上
され宦官にされてる。

この頃後漢時代で、宦官黄金時代、宦官蔡倫が製紙法(紙)を発明した。
男女がいたようだが、多分男の何人かは、去勢されて宦官にされたかもしれないという
想像も否定できない!?。皆さんどう思いますか?。
    URLリンク(drhnakai.hp.infoseek.co.jp)



50 名前:名無しさん@お腹いっぱい。 投稿日:2019/04/24(Wed) 19:48
>>48

3.法律により没収した子・・謀反者は一族死刑となるが、14歳以下の男子は
死一等を減じ宮刑にする。宦官にされた。・・

鄭和もそうだが、これに当たる、宦官が多い・少年のとき、捕まり、どこかに
送られて宮刑を受けた。たとえば・・
◇ 孫小
父の[王贊]は後秦第三代皇帝の姚泓に仕え、安定護軍であった。夏の赫連屈
丐に攻められたとき、周りの者が逃げまどう中、一人兵を率いてこれを防ご
うとして殺された。孫小はこの時に捕らえられ、統万城(夏の首都)に送ら
れて宮刑をうけた。
◇ 張宗之
父の孟舒が東晉に協力したために北魏軍に追われて一家離散となり、張宗之は
捕らえられて宦官とされた。成長すると性格が謹慎である事を買われて、侍御
中散に任じられ鞏県侯を封爵された。
◇ 張祐
父の成は扶風太守であったが太武帝の末期に死罪となり、連座して宮刑に処された。

入宮した後、曹監、中給侍となり黎陽男に封じられた。後に散騎常侍となり内藏曹
すべてを統括した。
◇ 抱嶷
父の睹生は罪を怖れて逃亡し、母と共に都に連行され、そこで宮刑に処せ
られて宦官となった。





イスラムは奴隷の存在を容認したので、奴隷商人は初期の時代から白人奴隷
や黒人奴隷の売買にたずさわった。白人奴隷とは、トルコ人・スラヴ人・ギ
リシャ人・クルド人・アルメニア人・グルジア人・フランク人などであり、
黒人奴隷とはスーダン・エチオピア・ヌビアなどの出身者である。これらの
奴隷は奴隷商人の手をへてバグダード、ダマスクス、カイロ、コルドバなど]
の大都市へ運ばれ、奴隷市場で売却された。

マムルーク朝時代の奴隷商人は、イランや中央アジア、あるいはビザンツ領域
のアナトリアへと出かけていき、健康で優秀な異教徒の少年を奴隷(マムルーク
 mamluk)として買い集めた。首都カイロやシリアのダマスクスに運ばれた
これらのマムルークは、スルタンやアミール(武将)に売却された後、アラビア語
の読み書きやムスリムとしての教養にくわえて、乗馬・槍術・剣術・弓術などの
軍事訓練を授けられた。これらの課程を修了したマムルークは、奴隷身分から解放され、
スルタンやアミールの軍団に編入され昇進の道を歩みはじめた。
       URLリンク(drhnakai.hp.infoseek.co.jp)





かつての中東に去勢奴隷が多くいたのは確かだが、コーランの教えで身体を
故意に傷つけてはならないとあるので意外にも自国内で去勢は行っていなか
った。
で、どうやって去勢奴隷を調達してたかというと、

・奴隷商人がスラブ系白人やアフリカの黒人を仕入れる
・その内の少年の一部をイベリア半島にある港町に運んで行く。
・そこにいる「手術屋」の所に持って行って少年達に去勢を施す。
・中東の奴隷市でセリにかける。

黒人はハレムの女たちの世話役


51 名前:名無しさん@お腹いっぱい。 投稿日:2019/04/24(Wed) 19:56
宮刑を受ける司馬遷
  URLリンク(www.t3.rim.or.jp)
  URLリンク(plaza.rakuten.co.jp)

   「宮刑」という、死刑よりもむごく、人間として最も屈辱的な刑を
受ける事を、自ら選び取ったんだね・・・。宮刑が、何かって?いや〜!
女性の私からは、とても口に出来ない刑でございますよ・・・ま、いわゆ
る去勢ってやつです。
  URLリンク(rekishi.jugem.jp)
  


去勢は、その原因がナンであれ、生きながら性器のすべとを切除される事。刑となれば、宮刑ともなれば、
宮刑を受けた司馬遷と同じなんでしょうね。司馬遷は46歳で、かなり高年齢。多くは
少年時に受けた(少年宦官)ものが多いのでは。こうした形で宦官にされた優秀な少年が宦官学校に入って
出世したと言う、これが宦官跋扈の原因とか。

宦官のための学校が内廷にあったのは、明の一時期のみのはず。
基本的に宮廷奴隷なので、教育などのコストはかけない方針だった。
克己心・向上心のある宦官だけが、自腹を切って読み書きを習ったりしていた。

どんなに学んでも幼少期から勉強漬けの科挙官僚には及びもつかないため、
宦官と官僚は本質的にソリが合わなかった。それ故に政治を壟断する宦官が
出ると国が乱れた。

もし100年前の北京に行けるものなら、少年宦官に銀を握らせて排尿シーンを
ビデオに撮りたいものだ(ハァハァ




52 名前:名無しさん@お腹いっぱい。 投稿日:2019/04/24(Wed) 20:03
香港映画に「チャイナフィナーレ 清朝最後の宦官」
という作品があったな。少年が家が貧しく宦官に志願させられるため親によって去勢(自宮)されて、去勢シーンが生々しかった。
そしてラストが泣けた。

53 名前:名無しさん@お腹いっぱい。 投稿日:2019/04/24(Wed) 20:13
宦官・高力士

 URLリンク(www002.upp.so-net.ne.jp)

54 名前:名無しさん@お腹いっぱい。 投稿日:2019/04/24(Wed) 23:30
高力士は、宦官とは思えないたくましい肉体を持っていました。高力士は、少年時代、金剛という少年と共に、則天武后に捧げられた 宦官であったと伝わっています。女帝である則天武后はおそらく、中性的な宦官を望まなかったでしょう・・・・ ひょっとすると、高力士は、他の宦官とは違 う特殊な去勢を施されていたのかもしれません。

55 名前:名無しさん@お腹いっぱい。 投稿日:2019/04/24(Wed) 23:40
本名は馮元一。則天武後が政権を握っていた時、高家が皇帝反対の叛乱に参加した疑いで、ほぼ一家全員が殺されました。当時11歳の彼は未成年ということで死を免れましたが、そのかわりに宮刑を受け、後宮に送られ、宦官になりました。力士という名前はその時に付けられたのです。やがて高延福という宦官の養子になったので,高力士と呼ばれるようになりました。

56 名前:名無しさん@お腹いっぱい。 投稿日:2019/04/26(Fri) 22:18
・マルセル・シュウォッブ著 多田 智満子訳「少年十字軍」(王国社1998)
1212年フランスのヴァンドーム地方に少年十字軍という子供の集団が発生。マルセイユから船で出帆した彼らはアレクサンドリア
へ奴隷として売られてしまう。神に導かれた彼らの悲しい運命を天才作家が透明な詩情でうたう。

・古屋兎丸「インノサン少年十字軍」(上・中・下 )大田出版2008 (マンガ・エロティクス・エフ)
無垢なる少年たちを待ち受ける、残酷な 運命。――鬼才・古屋兎丸、渾身の衝撃歴史絵巻、誕生! この名もなき少年たちが、
歴史 に名を残すことになる――1212年の春、フランス北部の田舎町。神に愛されし“奇跡の子” ...


57 名前:名無しさん@お腹いっぱい。 投稿日:2019/04/30(Tue) 22:01
中国といえば宦官、清朝末期には、紫禁城の近辺には宦官を作る去勢場があった。清の低級官吏である七品官の畢五家と小刀劉の2家が、政府公認の手術小屋「小廠(チャンツ)」を開いていて、そこで「刀子匠(タオツチャン=切り師) が、があった。自宮といって宮刑という刑罰によらない宦官製造(去勢)を行っていた。
その2ヶ所とも、今は宦官に関する博物館となっている。


58 名前:名無しさん@お腹いっぱい。 投稿日:2019/04/30(Tue) 22:05
ここでは1912年の清朝崩壊後も、残された旧王室や、地方の有力者が宦官を募集していたので、1940年代まで自宮が行われていたそうだ。

59 名前:名無しさん@お腹いっぱい。 投稿日:2019/04/30(Tue) 22:33
性器を切断してしまう宮刑(きゅうけい)は、「書経」の篇名の一つで周の穆王時代(前10世紀頃)の刑書と云われる「呂刑」と云う書物の中に、黥(顔面に入れ墨をする刑)・?(鼻そぎの刑)・?(足切りの刑)といった刑(五刑という)の一つで、死刑に次ぐ重刑。
死刑に処せられるところ、少年とかで死一等を減ぜられるときは宮刑。
宮刑は、去勢され生殖能力を完全に奪われて宦官として、一生紫禁城に閉じ込められるが実際には宦官が権力をほしいままにした。

そこで、貧しい貧民が志願して、あるいは親にされて宦官を志願するようになった、これを刑罰によらない自宮宦官、志願して金を払って去勢されることを自宮という。清代〜清末は宦官の殆どは自宮宦官で、ほとんど親に去勢されたり、親に去勢場に連れていかれてした貧しい少年だった。


60 名前:名無しさん@お腹いっぱい。 投稿日:2019/05/02(Thu) 00:38
14歳以下の少年は死刑でも宮刑とされた。
その代わり、男の資格と生殖能力を奪われ宦官として紫禁城に一生閉じ込められた。
宦官は外に出てはならないとされ、出たものは死刑とされた。清末少年宦官で宦官にされた安徳海は外に出て死刑になった。


61 名前:名無しさん@お腹いっぱい。 投稿日:2019/06/23(Sun) 22:51
清末、つまり20世紀初頭まで、ほとんどが少年宦官で自宮による。北京にはチャンツという自宮宦官を作る去勢場があった。
今でも宦官博物館になってるそうだ。(自宮体験ができるとのことだが、本当にするという。)

62 名前:名無しさん@お腹いっぱい。 投稿日:2019/06/23(Sun) 22:52
三田村 泰助「宦官―側近政治の構造 」(中公新書7)中央公論社
池島信平著「歴史よもやま話・東洋編」文芸春秋社

宦官: 中国四千年を操った異形の集団 (徳間文庫カレッジ) 文庫 ? 2015/12/3
顧 蓉 (著), 葛 金芳 (著), 尾鷲 卓彦 (翻訳)

________________________________________
寺尾 善雄 「宦官物語―男を失った男たち」 (河出文庫) 文庫 ? 1989/9
賈 英華 (著), 林 芳 (原著, 翻訳), NHK出版 (翻訳) 「最後の宦官秘聞ーラストエンペラー溥儀に仕えて」 NHK出版
加藤 康男 (著) 「ラストエンペラーの私生活 」(幻冬舎新書) 新書 ? 2019/1/30
加藤 康男 (著)「禁城の虜 ラストエンペラー私生活秘聞」 ? 2014/1/9

賈 英華「最後の宦官―」溥儀に仕えた波乱の生涯」NHK出版
「桑原隲藏全集 第一卷 東洋史説苑」岩波書店  1968(昭和43)年2月13日発行
(親本:「東洋史説苑」1927(昭和2)年5月10日発行)
「トプカプ宮殿の光と影」法政大学出版局 (1992-01-25出版)
「紫禁城探検3・最期の宦官が明かした秘話」(「週間朝日」1991.11.22号)
「最後の宦官」(上下2巻、朝日ソノラマ文庫)
ラストエンペラー [Blu-ray][DVD]
ジョン・ローン (出演), ジョアン・チェン (出演), ベルナルド・ベルトルッチ (監督) 形式: Blu-ray


63 名前:どんなものか 投稿日:2022/08/18(Thu) 22:06
(自宮体験ができるとのことだが、本当にするという。)とありましたが本当に小刀劉?小廠博物館に申し込めば、手術を受けられるのでしょうか。

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