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支那・東洋史における「宦官」の歴史
- 51 名前:名無しさん@お腹いっぱい。 投稿日:2019/04/24(Wed) 19:56
- 宮刑を受ける司馬遷
URLリンク(www.t3.rim.or.jp)
URLリンク(plaza.rakuten.co.jp)
「宮刑」という、死刑よりもむごく、人間として最も屈辱的な刑を
受ける事を、自ら選び取ったんだね・・・。宮刑が、何かって?いや〜!
女性の私からは、とても口に出来ない刑でございますよ・・・ま、いわゆ
る去勢ってやつです。
URLリンク(rekishi.jugem.jp)
去勢は、その原因がナンであれ、生きながら性器のすべとを切除される事。刑となれば、宮刑ともなれば、
宮刑を受けた司馬遷と同じなんでしょうね。司馬遷は46歳で、かなり高年齢。多くは
少年時に受けた(少年宦官)ものが多いのでは。こうした形で宦官にされた優秀な少年が宦官学校に入って
出世したと言う、これが宦官跋扈の原因とか。
宦官のための学校が内廷にあったのは、明の一時期のみのはず。
基本的に宮廷奴隷なので、教育などのコストはかけない方針だった。
克己心・向上心のある宦官だけが、自腹を切って読み書きを習ったりしていた。
どんなに学んでも幼少期から勉強漬けの科挙官僚には及びもつかないため、
宦官と官僚は本質的にソリが合わなかった。それ故に政治を壟断する宦官が
出ると国が乱れた。
もし100年前の北京に行けるものなら、少年宦官に銀を握らせて排尿シーンを
ビデオに撮りたいものだ(ハァハァ
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