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『名曲』って!?・・消えてほしい最近の歌

1 名前:名無しさん@お腹いっぱい。 投稿日:2012/09/12(Wed) 13:49
テレビの歌番組では、一番多く出てくる言葉が『名曲』、何でも名曲!?なのです。

「名曲」って、どういう意味?。

何でも「名曲」とは、何でも「名曲」ではないということでは?。

みんな同じ最近の歌、どうおもいますか?

消えてほしい歌は?

157 名前:名無しさん@お腹いっぱい。 投稿日:2020/03/22(Sun) 19:26
のぼる朝日に照る月に (銃後家庭強化の歌)松原操

落久保音市 作詞 山田耕筰作曲 昭和十四年
「のぼる朝日に照る月に」。
ミスコロムビア松原操さんが、昭和14年に発表したなんとも爽やかで美しい国民歌謡です。


158 名前:名無しさん@お腹いっぱい。 投稿日:2020/03/23(Mon) 23:44
近年、変な言葉が使われている。

テレビで頻繁に使われている言葉に「いらっしゃる」の多用がある。
何でもかんでも後ろに敬語のつもりなのか・・・「でいらっしゃる」とつけるのだ。

これによって、「敬語」はうしなわれてしまった!!。、
あきらかに敬語の誤用だ。

なんでも敬語を乱用したら、もはや敬語が「敬語」でなくなってしまう。

「名曲」も同じ。」・・

何でもかんでも「名曲」だ!。

何でもかんでも「名曲」とは、何でもかんでも名曲でないということ。

名曲とは、時代を超えて普遍性をもって、分野を超えて時間の経過を超えて普遍的な値打ちをもっているもののこと。

今のなんでも名曲は、今の若者世代に限定的に歌われ聞かれする、主にロックだとかPOPS,演歌という、ごく狭い若者文化の中の出来事なのだ。

名曲であるためには、少なくとも50年、80年の時のフルイにかけられたものであるべきだ!。


159 名前:名無しさん@お腹いっぱい。 投稿日:2020/03/24(Tue) 10:07
「眞白き富士の根」 ミス・コロンビア(松原 操)

1935年(昭和10年)の 映画「眞白き富士の根」主題歌 三角錫子作詩、ガードン作曲、奥山貞吉編曲 歌 ミス・コロムビア(松原 操)、合唱附、コロムビアオーケストラ伴奏 Columbia 28507 (1200481)  なお、作曲者はガードンとあるが、賛美歌研究者である手代木俊一(当時 フェリス女学院図書館事務室長)の研究で、実際にはアメリカ人ジェレマイア・インガルス(Jeremiah Ingalls)であることが判明した。


160 名前:名無しさん@お腹いっぱい。 投稿日:2020/03/24(Tue) 12:17
敬語は乱用すべきでない。
選別・区別する能力が求められる。

161 名前:名無しさん@お腹いっぱい。 投稿日:2020/03/24(Tue) 18:25
、「名曲」も「いらっしゃる」も敬語はいらない、正しくあれ!。

最近の言葉「なんでも「名曲」」の99%は、その実態は「へたくそ」の別称!。

「ヘタクソ」という言葉がなくなり「名曲」に変わった。頼むから「名曲」はやめてくれ!。

162 名前:名無しさん@お腹いっぱい。 投稿日:2020/03/25(Wed) 08:33
「名曲」も「いらっしゃる」も敬語はいらない。いいものはいい。、悪いものは悪い!。

163 名前:名無しさん@お腹いっぱい。 投稿日:2020/03/25(Wed) 23:30
日本の歌謡の歴史は、80以上前の日本がまだ貧しかった昭和の初めに遡る、戦後ではない。
日本の文化遺産である日本の歌謡を、その歴史を守りつぎたいものです。
今の歌謡番組に言いたいこと書きましょう。

60年を超える昭和も末期ごろから平成、令和と時代がどんどんかわってしまった。
最近の歌の世界を一言で言い表せば、ド素人天下ではないだろうか。
歌もロックとかJ-POPとか、みなアチラ系のものばかり。
そのうえ、素人歌手たちの、グループサウンズ、シンガーソングライター、・・もう聞くに堪えない!.




最近消えた言葉に「ヘタクソ」がある。
最近の歌は歌唱も曲もドヘタクソの限り!
その代わり「名曲」という言葉がはやっている。

思わず耳をふさぎたくなるドヘタクソな歌が、曲が何んでもかんでも・・「名曲」とは世も末・・・!!

なんとかならないのだろうか、早く淘汰され変わるべきである・・

・・へんな【名曲】はやめてもらいたい!!。・・


164 名前:名無しさん@お腹いっぱい。 投稿日:2020/04/05(Sun) 11:21
典型的な糞曲メーカーたる、グループサウンズ、シンガーソングライターなる勉強もしないカタカナド素人歌手たちが、大手を振ってヘタクソな糞曲を振る舞う。
いつのまにこんなになってしまったのか!?。

やはり勉強が何より大切




165 名前:名無しさん@お腹いっぱい。 投稿日:2020/04/05(Sun) 13:08
グループサウンズ、シンガーソングライターなど、ほとんどは。楽譜さえ満足に読めない、
楽譜もないのが実態11.すべて自分流、我流!。

166 名前:名無しさん@お腹いっぱい。 投稿日:2020/05/10(Sun) 20:08
何といっても、詩が一番大切でしょう。

詩の内容が、誰でも、簡単にできない詩、短くも、簡潔なな中に、詩が重厚で凄みがあり、内容が薄っぺらで、ありきたりで一般的で、軽いものでない。
やはり、「叱られて」とか「影を慕いて」のような歴史の重みを、歴史を凝縮したような曲、すばらしい!!。

167 名前:名無しさん@お腹いっぱい。 投稿日:2020/05/11(Mon) 12:41
「白鳥の歌」というのはそれ自身が「歌」(短歌)であり」、短歌自体が歌であることが、それを別の「歌」にしてしまう意味が分からない歌。
短いので、他の同じ短歌を二つ持ってきて、長さはかせいだものの、まだ寂しさで完結してしまっていて、肝心の知りたい、その先が見えない。
だったら、短歌のまま詠めばいいのではと思ってしまう!。


168 名前:名無しさん@お腹いっぱい。 投稿日:2020/05/25(Mon) 23:06
何でも作くりゃいいってもんじゃない、詩は歌になるが、短歌を盗んできてもねえ!

169 名前:名無しさん@お腹いっぱい。 投稿日:2020/05/26(Tue) 12:14
作っちゃいけばなものがあるなはず!。

170 名前:名無しさん@お腹いっぱい。 投稿日:2020/05/26(Tue) 12:43
「短歌」とは「意味」だけでなく、それ自身が歌であり、「意味」だけでなく「調べ(リズム)」について意識して「詠む」もの。


171 名前:名無しさん@お腹いっぱい。 投稿日:2020/05/26(Tue) 12:48
「詠む」べき短歌を何と間違えてるだろうか!?。

172 名前:名無しさん@お腹いっぱい。 投稿日:2020/05/27(Wed) 22:27
「短歌は人の体温に一番近い表現形式」といわれるもの。
 侵すべからず!
 わけもわからず、この視点が欠けてはだめ!。

173 名前:名無しさん@お腹いっぱい。 投稿日:2020/05/28(Thu) 07:25
戦後草創、まだだった東京が焼け野原だった昭和20年代早々は、音楽暗黒時代。
そこに取り込まれてしまったのが藤山一郎。
藤山一郎は昭和18年に慰問に東南アジアに慰問に駆り出された藤山一郎は、抑留されてしまって、長い抑留生活を続けて、昭和22年に帰国。
右も左もわからない浦島太郎で日本に帰ってきた藤山一郎。
最初に嗅ぎつけたのがNHKで、そこで「音楽五人男」など戦後ラジオ番組に出演。うまく使われた感はある。

174 名前:名無しさん@お腹いっぱい。 投稿日:2020/05/28(Thu) 20:36
昭和20年、30年代は童謡黄金時代でした。
優れた童謡歌手がたくさん出て、名作童謡を聞かせてくれました。
頭には大きなリボンをつけ、今のクラッシック歌手でこれほどまでに歌えない、そんな童謡歌手が輩出した時代でした。

でも、それは突然、崩壊してしまったのです。
戦後自由主義の名のもとに、芸術の名のもとに数々のおかしなことが、戦後の音楽暗黒時代を代表する出来事、それが「ロバの会」による童謡排斥運動でした。

「青い山脈」がでた昭和24年、NHKラジオ放送で「歌のおばさん」が主体となっている、出来事。

「さっちゃん」とか「犬のおまわりさん」とか、[あたらしいこどもの歌」というのは。
、でした。NHKラジオ放送で昭和24年「歌のおばさん」が主体となっている。

当時は童謡黄金時代であったがこれはレコードであなくラジオである。
磯部俶、宇賀神光利、大中恩、中田一次、中田喜直ら若手二世五人の作曲家グループは、
昭和三十年「ろばの会」を作って、(レコードでなく)新しいラジオ番組「歌のおばさん」で
「あたらしいこどものうた」をつくろうとした。

そしてこれまでの(レコード)「童謡」の「排斥運動」を展開したのだ。
自らと競合する『童謡』を排斥したのだ。(「童謡排斥運動」という。)

昭和30年代後半から40年代にかけて、大中恩らの「さっちゃん」とか「犬のおまわりさん」とか、
[あたらしいこどもの歌」がテレビの子供歌番組などでよく歌われた。

しかし、今から考えればそれは、あくまでちいさなこどものたわいもない歌でしかなかった。
現在保育園とか幼稚園位で歌われる位。

子供は大きくなる。童謡と言うのは大きくなって再び蘇る、しかし、この
さっちゃんなどは所詮幼児の歌、大きくなれば顧みられることは無い。


「ぞうさん」「サッちゃん」「おなかのへるうた」。。こうしたたあいないへんな歌は童謡黄金時代、「童謡」に対抗して、昭和30年に作られた「ロバの会」による「新しいこどものうた」というものです。対象就学期前の幼児でした。

そしてなんと、「童謡排斥運動」を起こしたのです。「ロバの会」自体が童謡排斥のためで、5人の若手二世音楽家によって作られたものでした。

「子どもに媚びない、新しい芸術的な“こどものうた”を作って行こう」ということで、“童謡”を“こどものうた”と言いあらためたと言うのだが、結局こどものうたにすぎなかった。そして排斥に依って自分たちの世はこなかった。

名もなきたった4人の若手二世で、大正時代からの『童謡』を変えるなどとても無理な事だった。 宇賀神光利、中田喜直らが相次いで亡くなり、2000年には解散となった。


<「ろばの会」について>
磯部俶(いそべとし)の提案で、“こどものうた”の作曲家グループとして、昭和三十年(1955年)に 中田喜直、磯部俶、中田一次(、宇賀神光利(昭和42年(1967年)に死亡)、大中恩の5人で結成。 まどみちおなど詩に加わる。

童謡をさんざん排斥した中田喜直は、その後、その「童謡」をそのままかすめ取って
『童謡協会』を作り、会長に収まった。

動機不純そのもので、さすがに最初から会長では露骨すぎとかんがえたのだろうか、初代はサトウハチロー、仲田は二代目として入った。
これいったいどういうこと。

日本童謡史における最大の汚点として、中田喜直ら、ロバの会の悪行は記録されるでしょう。

「童謡の聖人」・・実は戦後童謡排斥運動の最右翼・・だったのでした。・・


童謡の歴史の中の、戦後、「ロバの会」と童謡排斥運動
http://www.10ch.tv/bbs/test/read.cgi?bbs=radio&key=561794206&ls=50


175 名前:名無しさん@お腹いっぱい。 投稿日:2020/05/28(Thu) 20:46
戦後草創のラジオ放送はいいものもたくさんあるが、おかしなことがいろいろある。
戦後復員であった藤山一郎は本当にこれから何をしていいのか途方に暮れていた。
古賀政男と「酒は涙か溜息か」を吹き込んだのは、まだ25歳の若さだったが、すでに40歳を超えていた。
そうした藤山を引き込んだのはNHKだった。




176 名前:名無しさん@お腹いっぱい。 投稿日:2020/05/30(Sat) 07:16


藍川由美「古関裕而を歌う」
――戦後六十年に響く『長崎の鐘』――
2005年8月6日(土)19:00開演/東京文化会館小ホール
敗戦から60年――とはいえ、自ら体験していない時代について思いを馳せることは難しい。 所詮、想像の世界を越えることはできないと思われるからだ。 しかし、だからといってそれを避けていては、前世紀どころか数世紀前の音楽を研究したり演奏したりする意味も稀薄になってしまう。 音楽作品が命を永らえるためには演奏が不可欠であり、演奏家の仕事は楽譜を通して創作者の意想を酌み取り、再現することに他ならない。 そこで今回のコンサートでは、古関の代表作を演奏することで、激動の時代を見つめてみたいと思う。
 邦人作曲家として初めて国際的に認められた古関裕而は、紛れもなく昭和を代表する作曲家であった。 それゆえ、彼には戦前・戦中・戦後を通して創作依頼が相次いだ。
昭和4年の英国国際作曲コンクールでオーケストラ曲が第二位入賞した古関裕而は、日本音楽界の情況からオーケストラ作曲家として歩むことは困難であると山田耕筰に諭され、留学を断念して昭和5年に日本コロムビアと専属契約を結ぶ。
h ttp://www.jade.dti.ne.jp/~onodera/koseki_yuuji.html


177 名前:名無しさん@お腹いっぱい。 投稿日:2020/05/31(Sun) 11:22
>昭和4年の英国国際作曲コンクールでオーケストラ曲が第二位入賞した古関裕而は、日本音楽界の情況からオーケストラ作曲家として歩むことは困難であると山田耕筰に諭され、留学を断念して昭和5年に日本コロムビアと専属契約を結ぶ。
h ttp://www.jade.dti.ne.jp/~onodera/koseki_yuuji.html

古関裕而が正式にコロムビア専属になったのは昭和6年10月。

このあたりが、食い違っているのだが、これは古関サイドが専すら専すら隠匿している山田からの強いダメ押し・・日本音楽界の情況からオーケストラ作曲家として歩むことは困難であると山田耕筰に諭された・・ことによるもの。

178 名前:名無しさん@お腹いっぱい。 投稿日:2020/05/31(Sun) 22:36
昭和24年(1949)「青い山脈」に象徴される、戦後自由主義(自由奔放主義)。それはまさに、戦後「自由」の名のもとに今までの重石であったルール(正義)が解き放たれた自由奔放な時代の産物であって、今殆ど顧みられない。
音楽の世界も童謡排斥とか・・大きく変えることとなった。

「青い山脈」と同じ昭和24年に焦点を当てると、同じ年、同じ服部良一作曲「東京ブギウギ」という訳の分からないアチラの、対局の歌がはやった。
これを境に日本の歌の世界は大きく変わってしまった。

また、「人の体温に一番近い表現形式」、それが「短歌」、人が詠み、それ自身リズムを持つ音楽でもある「短歌」。
同年、その名だたる「短歌」を、そのまま「歌」(白鳥の歌)にしてしまった(「音楽五人男」))。
作曲以前に、戦後自由奔放主義が招いた、聞いたことがない困ったことにしかみえないだろう。

何でも作くりゃいいってもんじゃない、詩は歌になるが、短歌自体がすでに歌である短歌は「歌」にならない。 それは決して「名曲」にもならないもの。歌以前のことだが、藤山一郎によって歌われると隠れてしまう。
「短歌」とは「意味」だけでなく、それ自身が歌であり、「意味」だけでなく「調べ(リズム)」について意識して「詠む」もの。

また、同年NHKラジオ放送では「歌のおばさん」が主体となって「あたらしいこどものうた」なるものをつくろうとした。
これは昭和30年に作られた中田喜直ら若手二世五人の作曲家グループは、対抗する「童謡」を排斥する運動を起こすのです。

これらは、「戦後自由主義(自由奔放主義)」という混乱の時代の産物でしょう。

残念なことは、戦後のこうしたラジオ音楽番組に、ちょうど長い抑留生活から解放され、浦島太郎そのままに焼け野原に帰ってきた藤山一郎、されて40を過ぎて、これからどうしたらいいのかわからない藤山一郎が、丁度よくそのまま取り込まれ、「音楽番組」に格好のお助け効果となって利用されてしまったことだろう。



179 名前:名無しさん@お腹いっぱい。 投稿日:2020/06/01(Mon) 08:46
何といっても、「詩」を超えるものはない。
曲は「詩」を超えることはできない。

誰が歌おうと!。

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