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『名曲』って!?・・消えてほしい最近の歌

1 名前:名無しさん@お腹いっぱい。 投稿日:2012/09/12(Wed) 13:49
テレビの歌番組では、一番多く出てくる言葉が『名曲』、何でも名曲!?なのです。

「名曲」って、どういう意味?。

何でも「名曲」とは、何でも「名曲」ではないということでは?。

みんな同じ最近の歌、どうおもいますか?

消えてほしい歌は?

175 名前:名無しさん@お腹いっぱい。 投稿日:2020/05/28(Thu) 20:46
戦後草創のラジオ放送はいいものもたくさんあるが、おかしなことがいろいろある。
戦後復員であった藤山一郎は本当にこれから何をしていいのか途方に暮れていた。
古賀政男と「酒は涙か溜息か」を吹き込んだのは、まだ25歳の若さだったが、すでに40歳を超えていた。
そうした藤山を引き込んだのはNHKだった。




176 名前:名無しさん@お腹いっぱい。 投稿日:2020/05/30(Sat) 07:16


藍川由美「古関裕而を歌う」
――戦後六十年に響く『長崎の鐘』――
2005年8月6日(土)19:00開演/東京文化会館小ホール
敗戦から60年――とはいえ、自ら体験していない時代について思いを馳せることは難しい。 所詮、想像の世界を越えることはできないと思われるからだ。 しかし、だからといってそれを避けていては、前世紀どころか数世紀前の音楽を研究したり演奏したりする意味も稀薄になってしまう。 音楽作品が命を永らえるためには演奏が不可欠であり、演奏家の仕事は楽譜を通して創作者の意想を酌み取り、再現することに他ならない。 そこで今回のコンサートでは、古関の代表作を演奏することで、激動の時代を見つめてみたいと思う。
 邦人作曲家として初めて国際的に認められた古関裕而は、紛れもなく昭和を代表する作曲家であった。 それゆえ、彼には戦前・戦中・戦後を通して創作依頼が相次いだ。
昭和4年の英国国際作曲コンクールでオーケストラ曲が第二位入賞した古関裕而は、日本音楽界の情況からオーケストラ作曲家として歩むことは困難であると山田耕筰に諭され、留学を断念して昭和5年に日本コロムビアと専属契約を結ぶ。
h ttp://www.jade.dti.ne.jp/~onodera/koseki_yuuji.html


177 名前:名無しさん@お腹いっぱい。 投稿日:2020/05/31(Sun) 11:22
>昭和4年の英国国際作曲コンクールでオーケストラ曲が第二位入賞した古関裕而は、日本音楽界の情況からオーケストラ作曲家として歩むことは困難であると山田耕筰に諭され、留学を断念して昭和5年に日本コロムビアと専属契約を結ぶ。
h ttp://www.jade.dti.ne.jp/~onodera/koseki_yuuji.html

古関裕而が正式にコロムビア専属になったのは昭和6年10月。

このあたりが、食い違っているのだが、これは古関サイドが専すら専すら隠匿している山田からの強いダメ押し・・日本音楽界の情況からオーケストラ作曲家として歩むことは困難であると山田耕筰に諭された・・ことによるもの。

178 名前:名無しさん@お腹いっぱい。 投稿日:2020/05/31(Sun) 22:36
昭和24年(1949)「青い山脈」に象徴される、戦後自由主義(自由奔放主義)。それはまさに、戦後「自由」の名のもとに今までの重石であったルール(正義)が解き放たれた自由奔放な時代の産物であって、今殆ど顧みられない。
音楽の世界も童謡排斥とか・・大きく変えることとなった。

「青い山脈」と同じ昭和24年に焦点を当てると、同じ年、同じ服部良一作曲「東京ブギウギ」という訳の分からないアチラの、対局の歌がはやった。
これを境に日本の歌の世界は大きく変わってしまった。

また、「人の体温に一番近い表現形式」、それが「短歌」、人が詠み、それ自身リズムを持つ音楽でもある「短歌」。
同年、その名だたる「短歌」を、そのまま「歌」(白鳥の歌)にしてしまった(「音楽五人男」))。
作曲以前に、戦後自由奔放主義が招いた、聞いたことがない困ったことにしかみえないだろう。

何でも作くりゃいいってもんじゃない、詩は歌になるが、短歌自体がすでに歌である短歌は「歌」にならない。 それは決して「名曲」にもならないもの。歌以前のことだが、藤山一郎によって歌われると隠れてしまう。
「短歌」とは「意味」だけでなく、それ自身が歌であり、「意味」だけでなく「調べ(リズム)」について意識して「詠む」もの。

また、同年NHKラジオ放送では「歌のおばさん」が主体となって「あたらしいこどものうた」なるものをつくろうとした。
これは昭和30年に作られた中田喜直ら若手二世五人の作曲家グループは、対抗する「童謡」を排斥する運動を起こすのです。

これらは、「戦後自由主義(自由奔放主義)」という混乱の時代の産物でしょう。

残念なことは、戦後のこうしたラジオ音楽番組に、ちょうど長い抑留生活から解放され、浦島太郎そのままに焼け野原に帰ってきた藤山一郎、されて40を過ぎて、これからどうしたらいいのかわからない藤山一郎が、丁度よくそのまま取り込まれ、「音楽番組」に格好のお助け効果となって利用されてしまったことだろう。



179 名前:名無しさん@お腹いっぱい。 投稿日:2020/06/01(Mon) 08:46
何といっても、「詩」を超えるものはない。
曲は「詩」を超えることはできない。

誰が歌おうと!。

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