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昭和歌謡が好きな人集まれ!

572 名前:名無しさん@お腹いっぱい。 投稿日:2020/10/15(Thu) 14:58
昭和16年、軍関係の慰問演奏が多数行われ、この年発売されたレコードは「蘇州の夜」「夜霧の馬車」を初めとする等13曲。
この時期、李香蘭が参加した最も巨大規模と思われる音楽イベントが、
読売新聞主催・後楽園球場で2万人の観客を集めた「そうだその意気」発表会である。

製作過程
当時、各メディアは軍や国家機関の協力を得て、国策協力の歌を積極的に作っていた。


「露営の歌」東京日日新聞(現・毎日新聞)   
「兵隊さんよありがとう」朝日新聞
「婦人愛国の歌」主婦之友                 「出征兵士を送る歌」キング

「そうだその意気」もその流れの中、読売新聞が作った歌である。
後援は陸軍・海軍を含めた全ての省。情報局・大政翼賛会・日本放送協会。
作曲・古賀正男。作詞・西條八十。歌手は李香蘭・霧島昇・松原操。
多くの政府関係機関が後援を行い、コロムビアを代表する人気歌手と製作陣が参加する
大規模な音楽プロジェクトだった。

「聖戦完遂 国民総意の歌 募集」と題された記事が3月21日付に掲載され、
歌詞のテーマは「一億国民老若男女が朝夕高らかに唱和する如き平面にしてしかも神国に
第一線の将兵と共に戦いつつある決意を全国民に促し得る画期的名作を切望」して一般募集されたが
当選作が無く、結果的に作詞家の西條八十が担当する事になった。

作曲は古賀正男が担当したが、二晩徹夜して作ったメロディを軍人が気に入らず、
「戦意を高めるどころか、なんだ悲しくなるじゃないか」と作り直せと注文をつけた。
しかし古賀政男はこれ以外のメロディは作れないと、突っぱねたというエピソードがある。

実際聞いてみると前半は比較的静かで、後半にかけての盛り上がりがメリハリが効いている。
前半部分を軍人は気に入らなかったのかもしれないが、
注文通り作り直したら、勇ましいけれども単調な歌になっていたかもしれない。

5月10日、東京日比谷のコロムビア本社にてレコーディングが行われた。
合唱形式で歌われており、歌詞によって担当が異なっている。
1番 霧島昇 
2番 松原操 
3番 霧島昇と李香蘭の合唱 
4番 全参加者による合唱
4番は、この歌の副題が「国民総意の歌」という事もあって、全国民が歌う事をイメージしているのだろう。

銃後の全国民を対象にした歌で、歌詞を簡単に説明すると、
「中国戦線で戦う兵士達に感謝し、彼らに負けないように、銃後にいる私たちも仕事や社会奉仕に励もう」
という歌である。


そうだその意気(国民総意の歌、陸・海軍礼式歌)

西条八十作詞、古賀政男作曲 
歌;霧島昇/松原操/李香蘭  昭和16年


1 なんにも云えず 靖国の 
  宮のきざはし ひれ伏せば 
  熱い涙が こみあげる 
  そうだ 感謝の その気持 
  揃う揃う気持が 国護る

2 雁の鳴きわたる 月の空 
  今夜いまごろ 戦地では 
  弾丸(たま)を浴びてる 
  朋友(とも)がある 
  そうだ 済まない その気持 
  揃う揃う気持が 国護る

3 戦に勝つにゃ お互いが 
  持場 職場に 命がけ 
  こんな苦労じゃ まだ足りぬ 
  そうだ その意気 その気持 
  揃う揃う気持が 国護る

4 かがやく勲  皇軍に
  まけず遅れず  がっちりと
  共に戦う  銃後軍
  そうだ  進めば 盛り上がる
  凱歌凱歌  あかるい
  大アジア


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