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歌番組、歌謡番組に物申す!

17 名前:名無しさん@お腹いっぱい。 投稿日:2020/02/20(Thu) 18:17
霧島昇と松原操「愛染かつら」で一世風靡
霧島昇(本名・坂本栄吾)さんは、大正3年、福島県―現在のいわき市大久町に生まれた。ボクサーを志し上京。その夢は実現しなかったが、苦学しながら東洋音楽学校(現・東京音楽大学)に学んだ。昭和11年、コロムビアから「赤城しぐれ」でデビュー。
一方の松原操さんは明治44年、北海道小樽市で生まれた。東京音楽学校(現・東京芸術大学)在学中、コロムビアにスカウトされた。しかし、当時はそれが発覚すると退学処分になるので、顔と身分を秘し、ミス・コロムビア(覆面歌手)として昭和8年、「浮草の唄」でデビュー。同年、松竹映画「十九の春」の主題歌が大ヒット。美貌と美声を兼ね備えたコロムビアの看板娘として不動の人気を得た。


▲霧島昇・松原操夫妻(松原操引退の翌年)
昭和13年、お二人は松竹映画「愛染かつら」の主題歌「旅の夜風」でデュエットし、これが空前の大ヒットとなり、〈愛染コンビ〉とも呼ばれ、昭和14年12月17日、音楽界の大御所である作曲家・山田耕筰夫妻の媒酌により、帝国ホテルで結婚式を挙げた。巷(ちまた)では、人気歌手、霧島さんとミス・コロさんの結婚を円盤(レコード)上の恋と呼んで、大きな話題となった。
「愛染かつら」は日本映画史上空前の大ヒットとなり、前・後・続・完結篇と合計4本も作られ、その主題歌も各篇毎に前述の「旅の夜風」に始まり「愛染夜曲」「愛染草紙」…とお二人のデュエット曲は一世を風靡し、その他映画の中で歌われたミス・コロさんの「悲しき子守唄」、同じく「朝月夕月」(「続・愛染かつら」)、ミス・コロさんと二葉あき子さんの「荒野の夜風」(完結篇)と「愛染かつら」関係の歌は各々記録的なヒットとなった。
その他お二人のコンビによる「一杯のコーヒーから」の大ヒット。「新妻鏡」は霧島さんと二葉あき子さんで、これも大ヒットしたが、同映画の「目ン無い千鳥」は愛染コンビお二人のこれまた大ヒット曲となっている。
霧島さんはミス・コロさん以外の女性歌手とのデュエット曲も多く、晩年は冗談でそれを自慢していたという話も、てる子さんから伺ったが、たしかに「純情二重奏」(高峰三枝子)、「蘇州夜曲」(渡辺はま子)、「相呼ぶ歌」(菊池章子)、「リンゴの唄」(並木路子)…等々書ききれない程のヒット曲がある。代表曲のひとつ「誰か故郷を想わざる」は今もって多くの人に愛唱されている。
一方のミス・コロこと松原操さんもヒット曲を挙げだしたらきりがない。「気まぐれ涙」(昭8)、「秋の銀座」(同)、「並木の雨」(昭9)、「光の王座」(昭10)、「おもかげの歌」(昭14・伊藤久男)、「兵隊さんよありがとう」(昭14)、「愛馬花嫁」(昭15・菊池、渡辺)、「大空に祈る」(昭18・菊池、三原純子)…等々大げさでなくヒット曲の題名だけで紙数が尽きてしまう。
戦後も復興したレコード界で霧島さんは、前述の「リンゴの唄」(昭21)を皮切りに、「麗人の唄」(同)、「旅役者の唄」(同)、「胸の振り子」(昭22)…とヒットを飛ばし、戦後の苦しい生活にあえぐ人々の心を慰めた。

▲霧島昇(右)と松原操

昭和23年、お二人のデュエットで大ヒットした「三百六十五夜」のレコーディングを最後に、生来身体が丈夫でなかったことと、子育てのため松原さんは歌手生活にきっぱりと別れを告げた。そして、松原さんは家庭人として4人のお子さんを育てた。霧島さんの歌手生活は続き、「サムサンデー・モーニング」(昭25)、「赤い椿の港町」(昭26)、「石狩エレジー」(昭28)、「湖畔のギター」(昭29)他ヒット曲を続いて送り出したが、昭和56年の「夕月慕情」が最後のレコードとなった。同じ年、霧島昇歌手生活45周年を記念して発売された「妻よ」に松原さんは台詞を吹き込んだ。実に30数年振りのレコーディングだった。健康には人一倍気をつけていた霧島さんだったが、病魔には勝てず、昭和59年4月24日、胃癌により不帰の人となった。天籟院秀峰淨霧居士。享年69歳だった。昭和54年に紫授褒章。同59年に勲四等旭日小授章を受章している。


その頃、他の病院に入院していた松原さんは霧島さんの入院先に駆けつけ、「パパ置いていかないで。私も連れてって!」と白い割烹着姿で少女のように泣きじゃくって遺体に取りすがっていたと、てる子さんから伺っている。病身の身をおして葬儀を執り行った松原さんは、夫の七七日の法要を終えた一週間後の6月19日、夫の後を追うかのように天国へ旅立った。桂月院雅心淨操大姉。享年73歳。松原さんは娘のてる子さんに「お前は絶対に歌をやめてはいけない」と、そう言い続けていたという。
父母の心を歌い継ぐ
母の遺志を継ぎ、大滝てる子さんは、声楽家として数々の演奏活動に追われている。





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