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【日本のクラッシック】 古賀メロディの歴史

1 名前:名無しさん@お腹いっぱい。 投稿日:2019/05/27(Mon) 08:43
昭和6年(1931)「酒は涙かため息か」「丘を越えて」「影を慕いて」・・いずれも藤山一郎、
今から88年前、まもなく90年を迎える「古賀メロディ」。
《日本のクラッシック》「古賀メロディ」の歴史を振り返る。


228 名前:名無しさん@お腹いっぱい。 投稿日:2020/05/27(Wed) 08:31
☆『東京ラプソディ』・・モダン東京のテーマソング (メロディコンサート)

藤山一郎主演、PCL映画『東京ラプソディ』1936.12.1の主題歌(門田ゆたか作詞、古賀政男作曲)他に「東京娘」(佐藤惣之助作詞、古賀政男作曲)、「青春の謝肉祭(カーニバル)」がある。「50銭の入場料で藤山一郎の歌を聴きながら東京見物ができます」という宣伝。門田ゆたか作詞は西條八十の弟子。

映画『東京ラプソディ』の制作には技師として、後にソニーの創業者の一人となる井深大が参加していた。井深と交流を持つようになった藤山は後にソニーに嘱託として勤務し、さらに社友となった。

古賀には音楽監督料として900円が支払われ、古賀は全額を(昭和9年1934)に死去した母親を祀るための仏壇の購入に充てたという。

昭和9年にテイチクに移った古賀政男は、他にも次々とヒット曲を生み出し「テイチク黄金時代」といわれる第二期黄金時代を築く。昭和11年、東京音楽学校を卒業した藤山一郎をテイチクに迎え入れた最初の曲で、《モダン東京のテーマ曲》ともいえるエポック曲とといえる。

作曲を担当した古賀政男は『東京ラプソディ』について、自身が「銀座、浅草、新宿という盛り場が見事に歌い込まれて心憎いばかり」と評価する『東京行進曲』(1929年(昭和4年)発売。
作詞・西条八十、作曲・中山晋平)を目標に、「もう少しモダンになった東京を書いてみたい」という考えのもとに制作したと述べている。古賀によるとフォードのクーペの新車に乗って初夏の明治神宮外苑付近を走行中に、自然とメロディーが浮かんできた。

こうして曲が先に完成し、後から古賀と門田ゆたかが共作のような形で詞を作ったという。門田が起用された時点ですでにレコード吹き込みの日程は決まっており、B面の『東京娘』は完成していた。西條八十の弟子でもある門田は重圧と闘いながら、3日間ほとんど寝ずに作業をして詞を完成させた。

歌唱を担当した藤山一郎はこの曲を、「銀座、神田、浅草、新宿と、東京の盛り場を楽しく歌いあげた清潔にして軽快なフォックストロット調の歌」と解説している。吹き込みにあたって門田や古賀から注文をつけられることはなく、自由に歌うことができたという。

東京音楽学校で「声楽の基礎を完全にマスターした」という自負からフォックストロット調の流行歌は容易に歌えるという自信のあった藤山は、声音を明瞭に保ちつつ、曲調に合わせて「ある時は歯切れよく、あるときはシットリと」歌うことに神経を使ったと回顧している。

藤山にとってこの曲は、ビクターからテイチクへの移籍後第1作であった。藤山に移籍の話を持ちかけたのはテイチクの重役を務めていた古賀で、藤山はテイチクをレコード会社としては二流だと感じながら、かつて『酒は涙か溜息か』や『丘を越えて』、『影を慕いて』でヒットを飛ばした古賀とのコンビに魅力を感じて移籍を決断した。
歴史家の今西英造は、『東京ラプソディ』の歌詞には戦時色が濃くなり、権力によって昭和モダンが抑圧され分解しつつあった世相にあっても消えることのなかった、モダニズムを追求する人々の心が表れていると分析し、『東京ラプソディ』を「モダニズムの残響」と評している。





229 名前:名無しさん@お腹いっぱい。 投稿日:2020/05/27(Wed) 08:48
昭和の大作曲家・古賀政男を取りあげる。彼は敗戦の虚脱状態から、どう立ち直ったのかを、『自伝 我が心の歌』で、こう綴っている。

「無条件降伏を告げる玉音放送をつたえ聞いたのは、疎開先の山梨県のいなかであった。……終戦とともに、私はこれで自分たちの世代はすべてが終ったのだと思った。私が再び作曲を発表するような時代や、また、すでに発表した歌が、再び唄われる日も決してめぐって来ないのだと覚悟した。故郷に帰って僅かな土地を耕し、暇があればギターを手にする“晴耕雨唱”の生活を送ろうと、心にひそかに決めていたのである。」
「私たちが疎開していた素朴な田舎にも、飢えと貧困、悪徳と混乱の戦後がやってきた。犬畜生にも劣る激しい人間社会の変りようにただ驚きあきれた。心のささえのすべてを失い、絶望の日日が続いた。今後何をたよりになにを求めて生きていけばいいのだろうか。
 
終戦のあのとき、これからの身の処し方を決め、心の整理ができたはずであったが、あまりに激しい世相に再び虚脱状態に陥ってしまった。そんなある日のこと、村役場の女子事務員が私の許に血相を変え、息せききって駆けこんできた。「先生、大変です。アメリカ兵が来ました。先生をさがしているんです。いまのうちに早く裏山にでも逃げて下さい。」というのだ。その頃は、米軍がしきりに戦犯を逮捕して巣鴨に収容している頃であった。

お嬢さんの説明によると、ジープ二台に乗った米兵が村役場にやって来て、「ミスター・コガはどこにいるか」と村長を掴まえてしきりに尋ねているのだという。気をきかした村長が、時間を稼ぎながら、女子事務員をそっと裏口からは知らせて私に連絡してくれたのだった。私には逃げる理由はなかった。軍歌を多少つくったことがあっても、戦時中は被圧迫者の一人だったのだ。説明すればわかるはずである。「いや、ぼくは逃げないよ」と、心配する家人たちに私は答えたが、夜道にジープのヘッドライトがだんだん近づいて来るのを見たときは、さすがに不安であった。

 米軍の将兵たちは、私が探している当人だと知ると「オオ、ミスター・コガ」と、愛想よく、まるで百年の知己であるかのように握手を求めた。逮捕などという気配は全くない。いぶかる私に、一人が流暢な日本語で訪問の目的を説明してくれた。
 彼等は戦争中、日本進駐後の司令部要員として、米陸軍で日本語の教育を受け、テキストとして日本映画を見せられた。ところがそのとき、私がかつて作曲した東京ラプソディなどの歌をきき非常に感動したのだという。そして、日本に行くようなことがあれば、作曲した古賀政男という男に、是非とも会ってみようと相談していたのだったという。彼等は親切にも、食糧難で私も困っているだろうと、ジープに食糧を沢山積んで、私にプレゼントするためはるばる訪ねて来てくれたのだった。
 すでに夜となった。それに河口村は当時は電灯もない僻地の山村である。とにかく皆さん今夜は泊っていったらどうだと私が奨めると、彼等もそうしたいというので、私はなけなしのウイスキーを出して彼等の厚意に報いた。それから私の歌や外国の歌を唄いながら彼等と夜の明けるまで飲み明かし、朝になって私の歌を声一ぱい合唱して別れた。彼等の一人は別れ際に「ミスター・コガ、私たちの日本語が上達したのは、貴男のおかげです。心からお礼を申しあげたい」と、丁寧に頭を下げるのであった。……」
 




230 名前:名無しさん@お腹いっぱい。 投稿日:2020/05/27(Wed) 09:12
「それからしばらく後のこと、私は在日韓国人の代表らしい人たちの訪問を受けた。彼等は「古賀さん、絶対に他言はしませんから、ほんとうの名前を教えてください。そしてこんごわれわれの力になってください」というのだった。・・(略)・・
 この二つのできごとは、私にとって天啓であった。私はこれによって虚脱状態から立ち直る精神的糧を得たのだ。たとえ国はやぶれても、また私の築いた過去の基盤がうたかたのように消え去っても、私の歌は国境を越えて、人の心のなかに生き続けていることを私は改めて確認させられたのであった。私の歌だからということではない。それが歌というものなのだ。私はそのとき改めていのちのあるかぎり作曲を続けようと決意した。」
(古賀政男著『自伝 我が心の歌』(展望社、2001))
古賀政男は、昭和19年3月から20年8月まで河口湖畔に疎開。そして、戦後初の作品が「麗人の歌」(西條八十作詞 古賀政男作曲 霧島昇1946) 。
川口湖畔には、昭和20年に疎開のためにこの地を訪れた中で、地元中学校の校歌をはじめ、「河口湖おどり」「河口湖ワルツ」などの楽曲は、地域の音楽文化の礎となった。生誕100年を記念して平成16年に古賀政男記念公園として、「影を慕いて」音楽碑があって、懐かしいメロディーを奏でる。記念碑にはこの辺のことについて書かれている。

藤山一郎歌唱で、銀座を歌った戦後の歌に「夢淡き東京」(サトウハチロー作詞、古関裕而作曲)がある。「東京ラプソディ」(1936)に匹敵する、戦後の東京(銀座)の歌をということで、昭和22年(1947)につくられたもので、他にも戦後、銀座を歌った歌は山ほどある。

これらを含めて、あの青春の息吹溢れる、《モダン東京のテーマ曲》ともいえる「東京ラプソディ」(1936テイチク 門田ゆたか作詞)、や「なつかしの歌声」(1940コロムビア 西條八十作詞)。

これを超えるものはまだ出ていない、今後もでないだろう。


☆日本の大衆歌曲・歌謡曲の歴史
 http://www.10ch.tv/bbs/test/read.cgi?bbs=history&key=354361110


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