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【日本のクラッシック】 古賀メロディの歴史

95 名前:名無しさん@お腹いっぱい。 投稿日:2019/07/12(Fri) 08:57
昭和3年(1928)にはレコード歌手第一号とさあれる佐藤千夜子の「波浮の港」(野口雨情作詞、中山晋平作曲)の他、二村定一の「アラビヤの唄」、「青空」など外国曲の訳詩曲や、藤原義江の「出船」(杉山長谷夫作曲〉、「出船の港)(野口雨情作詞、中山晋平作曲)など。昭和4,5年には、映画主題歌第一号「東京行進曲」(西條八十作詞、中山晋平作曲)、「紅屋の娘」(野口雨情作詞、中山晋平作曲)など佐藤千夜子の中山晋平の曲、二村定一の「君恋し」(時雨音羽作詞、佐々江華作曲)など。

昭和6年に、ここに彗星のように現れるのがコロムビアの若き古賀政男。

丘を越えて  (藤山一郎)
キャンプ小唄 (藤山一郎)
影を慕いて  (藤山一郎)
月の浜辺   (河原喜久恵)
乙女心    (関種子)
窓に凭れて  (関種子)
酒は涙か溜息か(藤山一郎)

昭和6年(1931)に入ると、ビクタ‐1月新譜「影を慕いて」(佐藤千夜子、昭和5年10月吹込)以降、3月にコロムビア専属作曲家となった新星古賀政男は次々にヒット作品を世に送り出し、これまでの晋平節とは一味違う哀調を帯びた「古賀メロディ」と呼ばれることになる新しい歌謡曲(歌謡歌曲)のジャンルを確立してゆく。
影を慕いては、昭和7年藤山一郎に依って再び吹き込まれる。
「古賀メロディー」を支えたのは、河原喜久恵、関種子、藤山一郎など、東京音楽学校(東京芸大音楽学部の前進)出身の若き首席卒業歌手たちなどだった。当初ビクターの一人勝ちで出発したレコード界の主流は古賀政男のコロムビアに移ってゆく。
他に昭和6年には、「侍ニッポン」(西條八十作詞、松平信博作曲、徳山 l(たまき))などがある。

昭和7年から8年にかけて

鳩笛を吹く女の唄(西條八十作詞、古賀政男作曲) 藤山一郎
影を慕いて   〈古賀政男作詞作曲〉 藤山一郎
銀座の柳    (西條八十作詞、中山晋平作曲)  四家文子
「お蝶夫人」の唄(西條八十作詞、古賀政男作曲)  ミス・コロムビア
笛は冴ゆれど  (佐藤惣之助作詞、古賀政男作曲)  関種子
朝顔の唄    (佐藤惣之助作詞、古賀政男作曲)  関種子
あけみの唄   (原 阿佐緒作詞、古賀政男作曲)  関種子
嘆きの夜曲   (西岡水朗作詞、古賀政男作曲)   関種子
二見情話    (西岡水朗作詞、古賀政男作曲)
美はしの宵   (島田芳文作詞、古賀政男作曲)  関種子
去りゆく影(西條八十作詞、古賀政男作曲) 関種子
サーカスの唄(西條八十作詞、古賀政男作曲) 松平晃


昔は、大方、詩人が詩を作り作曲家が曲を作り、歌手たちが歌った。
歌手達は、たいてい音楽学校出身者で、オペラとかにも出演していた。
古賀メロディを支えた藤山一郎、関種子など東京音楽学校(現、東京芸術大学音楽学部の前進)の首席であった。





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