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【昭和歌謡】『東京大衆歌謡楽団』で、「日本の文化遺産」昭和SP歌謡を聞こう!

47 名前:名無しさん@お腹いっぱい。 投稿日:2020/09/11(Fri) 15:14
作曲家・古賀政男と明治大学マンドリン倶楽部

日本のもっとも大きく伸びんとするとき、日本人の心を支えた音楽があります。

古賀政男は、日本に歌謡曲という新しい音楽の分野を根ずかせることを心に、メロディーの重要性を訴え、かつ広く世界の色々な分野の音楽を取り入れました。

また、佐藤惣之助、西條八十など詩人と詩を大切にし、多くの名歌手を傍に育て、映画ともタイアップしたことで知られます。

昭和一桁代、その新鮮な新しい音楽を、人は主流だった『晋平“節”』に対し、『古賀“メロディー”』と呼んだのでした。

優しい詩、優しく哀調を帯びた、誰にも真似できない独特のメロディー、その多くは映画音楽でもある。

人生の、青春の苦悩や喜びという時代を越え、世代を越えた永遠の、青春のテーマを秘めているので、80年を超えた今でも古さを感じさせない。

古賀政男のもっとも脂の乗り切った時期、それは昭和12年ごろ、テイチク黄金時代、

「人生の並木路」「青い背広で」(いずれも佐藤惣之助作詞)のころとされる。

古賀作品には映画主題歌がとりわけ多い。

古賀はとくに映画会社とタイアップして映画音楽、主題歌に力を入れ,
今に残る映画主題歌がたくさんある。

昭和12年当時の各社の映画主題歌のなかでもテイチクの多さがひときわ際立つ。

テイチク  90曲
コロムビア 49曲
ビクター  41曲

テイチクの90曲のうち古賀政男作曲が43曲

昭和9年〈1934)5月15日、専務取締役兼文芸部長兼・・兼作曲家として、古賀政男は
東京銀座にテイチク東京文芸部(通称古賀文芸部)を発足され、ここにテイイクが発足。

ここに「七人の侍」と言われる旧来の「明大マンドリ倶楽部」の仲間を呼び寄せた。

彼らは時に秘書であり、懐刀であり、パッカードやリンカーンの運転手である。

また「明大マンドリ倶楽部」も名前を変えて参加している。

「明大マンドリ倶楽部」は大正12年(1923)創設だが、古賀政男の音楽の隆盛と切っても切れない関係にある。

「明大マンドリ倶楽部」は古賀政男の音楽にかける情熱そのものである。


テイチクにはテイチクオーケストラのほかにも、古賀政男サロンオーケストラ、古賀政男オーケストラなどがそうである。

○古賀政男サロンオーケストラ
男の純情
愛の小窓
緑の月
真実一路の唄
白衣(びゃくえ)の佳人 ‥

○明大マンドリン倶楽部
青い背広で
荒城の月(古賀政男編曲 1942
宵待草 (同)・・

○テイチクオーケストラ

○古賀政男オーケストラ
女の階級
回想譜
青春の謝肉祭(カーニバル)
南国の乙女
ああそれなのに
人生の並木路
黒いパイプ
人生劇場・・

昭和53年(1978)6月17日、明治大学マンドリン倶楽部・第102回定期演奏会(杉並公会堂)で指揮者を務めたのが、55年にわたる古賀自身最後の公の姿となった。

それから約1か月後、昭和53年7月25日の午後1時15分、代々木の自宅で急性心不全により死去、享年73歳。

「影を慕いて」の初演をはじめ、佐藤千夜子、三浦環や藤山一郎が歌った、古賀政男の音楽の情熱と隆盛そのものの関係にある伝統の「明大マンドリン倶楽部」。


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