掲示板に戻る 全部 前 50 次 50 1 - 50 最新 50 スレ一覧



レス数が 1000 を超えています。残念ながら全部は表示しません。

【オリジナル】異国小路の吸血姫 新館ノ壱

1 名前:名無しさん@お腹いっぱい。 投稿日:2016/04/23(Sat) 08:22
桜の花綻び、早くも儚げに花の嵐舞う様は殊の外美しゅうございますね
日本の春、長閑にして麗らかなる陽の光がこの身を包むことの何と嬉しいことでございましょう
異国より参りまして明るい青空の下、小路を染める花びらを箒で掃うのも情緒を誘うものがございます

わたくし、イタリアより参りました吸血鬼のアーチェロ・カルミーニオと申します
何卒よろしくお願いいたします

962 名前:吸血姫アーチェロ ◆ufrlRV4E 投稿日:2016/11/18(Fri) 23:45
>>959(柚葉さん)

『京都旅行 2日目』

>ええ、本当に京福嵐山線の沿線上は日本映画の象徴とも言えるものが至る所にあるのですね。
>時間が限られている以上、見て回れるものが限られてしまうものは惜しいですが
>その中で楽しませて頂きましょう。

なるほど、三女ちゃんから借りたタブレットでも色々と情報が拾えますわ
京福電鉄の全身の京都電燈株式会社という会社が、日本に映画…シネマトグラフの試写を行ったのが、発明から2年目の1897年
日本で最初期の劇映画『本能寺合戦』が制作されたのが1908年、左京区は真正極楽寺であった、と…
残念ながら、もうその映画のフィルムは現存していないそうですが

わたくしの城館でも、その頃には城内にホームシアターを造って、いろいろ映画を楽しんでいたものですわ
こんなことなら、父におねだりしてその映画のフィルムを買っておいていただきたかったですわね

名だたる映画会社の撮影所が京都に設立され、その後も長きに渡る映画製作の伝統は脈々と受け継がれて今日に…
『京都映画祭』、『京都太秦シネマフェスティバル』と、映画イベントも多々ありますようで
あら、その一環として『太秦上洛まつり』という歴史イベントも
これから高台寺に向かうわたくしとしても、注目したいイベントですね
11月の開催なので、その頃にまた京都に参るわけにもいきませんでしょうけれど

あら、この太秦上洛まつり、3年前には公式キャラクターとしてからす天狗の『うじゅ方千歳』様がご降臨された、とか
イメージソングも公式サイトを歌っていらっしゃいますわ
うじゅ様、大活躍でございますのね

>ふふっ、子ども達に楽しんでもらいたいという気持ち…それがあれば十分ではありませんか。
>そして何より、読み聞かせを自分が楽しいと思う事…。
>それが伝われば、きっと採用して頂けると思いますよ。

ありがとうございます
現役の、子どもたちの人気者でいらっしゃる柚葉さんにそう言っていただけると元気が出てまいりますね
勇気を出して、応募してみますわ

『萌え紙芝居』をなさっている倉嶋らむね様は、
『演じている自分の表情や動きも込みでお客様に見てもらっている』
と仰っています
幸いにして採用していただけましたら、わたくしも、自分が楽しんで演じている様子も含めて、子どもたちに楽しんでもらえるように、心がけてまいりましょう

>ええ、じつはこの作品、先日友人から借りて読んだのですが…。
>一度読んだら…ぷっ!くくく…。(必死に話題を堪えています)

あらあら、本当に楽しそう
そうですわね、わたくしも読んでみたいです
わたくし、漫画喫茶というものには参ったことがないのですが、近所にございますから一度行ってみようかしら?
アニメも、放送が始まりましたらぜひ見てみたいですわね


963 名前:吸血姫アーチェロ ◆ufrlRV4E 投稿日:2016/11/18(Fri) 23:46
>>959(柚葉さん) (つづきでございます)

>それでは、ライトアップが始まるまでの間美術館を見学いたしましょう。
>まあ…本当に色鮮やかな蒔絵の調度品ですね。
>文庫に薬味壺、箪笥…。どれも安土桃山時代の重要文化財だそうですね。

まあ…、これは何とも…調度品が漆の黒と鮮やかな金粉銀粉の上品な輝きを纏って何とも絶妙なバランスの色合い…
これほどの上品でなおかつ煌びやかな品々を、高台院様は愛用されていたのですね

マリー・アントワネット様をはじめ欧州の王侯貴族の女性が、日本の蒔絵の小箱を愛用したと聞いていますし、我が家にも花鳥を描いた小箱を見たことがございますが
さすがは歴史の風雪を潜り抜けてきたここにございます品々の醸し出す風雅は、殊の外素晴らしゅうございますわね

>余談ですが、秀吉公が死後「豊国大明神」となられたのに対し、
>家康公は「明神」ではなく「権現」としたのは秀吉公との対比に加え
>滅びた豊臣家と同じ神号を使うべきではない、と天海僧正に進言されたからだとか。

ガイドブックで付け焼刃で、いろいろ知識を仕込んで参りました
天海僧正様と仰いますと、実は明智光秀公であったと噂されるお方ですね
もしそれが本当でしたら、僧正様は自分を討った秀吉公に代わる新政権を恒久ならしめることを願って、そのように進言された…なんて、想像してしまいますわ

そういった歴史の謎を紐解いてくださる方、我が一族にいないものかしら?
高台院様と同時代に、『南蛮人』・『紅毛人』と呼ばれた人々に混じってこの地に参ることは、決して不可能ではなかったと思うのですけれど…

>北政所様は、この高台寺の茶室で炎上する大阪城を見ていたと言われておりますが、
>その際の心中は如何ほどのものだったのでしょう…。

秀頼公は、北政所様のことを『まんかか様』と呼んでいたと聞きますわ
北政所様のことを慕われていたのではないでしょうか?

北政所様は気さくな方で、秀吉公麾下の武将たちからも慕われていたのに、淀の方様が北政所様を粗略に扱ったので、彼らは東軍についてしまった、という説もありますとか

如何に戦国武将の有為転変を久しくご覧になってこられたとは申せ、息子とも思えた秀頼公が滅ぶのをご覧になるのは…さぞお辛かったのではないか、と拝察いたしますわ

他にも豊臣家の栄枯盛衰にその運命を翻弄された女性は数多いでしょうけれど、もう一人、わたくしが印象深いのは『甲斐姫』様でございますね

関東の戦国武将・成田氏長の娘で、大層な美女にして兵法・武芸に秀でた女傑でいらっしゃったそうでございます
小田原征伐で石田三成公の水攻めに抵抗、さらにかの真田昌幸・信繁率いる敵軍の城攻めには自ら甲冑を身に纏い獅子奮迅の大奮戦
開城後、秀吉公よりその武勇を認められて側室になられ、父君も彼女の口添えで領地を得ることが出来た、とのこと
一説には、秀頼公の養育係を務められたとも言い、大坂の陣の後尼寺に入られた、とか

高台院様、淀の方様、甲斐姫様…、それぞれの運命を懸命に生き、時代を駆け抜けられた方々…
こうして蒔絵を見ていますと、姿も声も確かめられないその方々の息吹がふとこの身に感じられるかような気がいたしますわ…

このようなミュージアムがございますことで、人間は多くの文物を守り、伝え、わたくしどもが為すより豊かな記憶を、世代を超えて伝えて参った…
そう思わずにはいられませんわ


掲示板に戻る 全部 前 50 次 50 1 - 50 最新 50 スレ一覧

read.cgi ver.4.21.10c (2006/07/10)