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童謡の歴史の中の、戦後、「ロバの会」と童謡排斥運動

[1:名無しさん@お腹いっぱい。 (2019/06/29(Sat) 16:43)]
大正8年の起こった童話童謡運動、多くの文学者、詩人、作曲家によって
多くの名作童謡を生んだ童話童謡運動。

しかし、それは戦後新しい若手勢力「ロバの会」による自らの利益を図る「童謡排斥運動」によって
終焉を迎えた。

その歴史に残る汚点は決して忘られるべきでない。


[52:名無しさん@お腹いっぱい。 (2019/07/31(Wed) 23:18)]
雨情は小学校を卒業すると上京し伯父の家から中学校に通い、ついで東京専門学校(今の早稲田大学)に入学して坪内逍遥の指導薫陶を受けた。
明治36年(1903年)には父量平が村長在職中に死亡し、雨情は郷里に帰り家督を相続して家業を守ることになったが、父の残した膨大な借財整理が肩にのしかかってきた。
そのころ日本の詩壇は新体詩の新しい時代に入りつつあり、与謝野鉄幹・島崎藤村(1872−1943)などが詩集を続々と刊行している。

雨情は借財整理に負われて、放浪する青春時代を経て世に出、そしてその後も、日本各地や、台湾、蒙古にいたるまで足跡がある。
彼の詩作活動は、土の詩人という表現は別として、深く地に根ざしたものということはできる。
大なり小なり昔の人は旅をしたが、彼ほど日本中をくまなく旅したものはいない。

しかし、昭和12年(1937年)に日中戦争が勃発すると、社会は次第に戦時色が強まり、歌謡の世界も軍歌、軍国歌謡の時代となった。
雨情は進んで軍歌の類を作ろうとしなかったのでその活躍の場も次第に狭まることになったが、それでも雨情の雅致雄渾の書を愛する人が多かったので、揮毫のため各地を旅行するようになり、求められてはその地の民謡新作もした。

昭和18年(1943年)、それまで全国を駆け歩いていた雨情は突然軽い脳出血に冒され、それ以後、山陰と四国への揮毫旅行を最後として、療養に専念することになった。
そのうち空襲が激しくなったので宇都宮近郊に疎開したが、昭和20年1月6日・・(丁度ラジオからは「お山の杉の子」などが流れてたであろうころ)・・家族に見守られながら静かにこの世を去った。

雨情没後7年目の昭和27年(1952年)に、中山晋平、時雨音羽などが中心となって東京に「雨情会」が創設された。初代会長は中山晋平だったが、晋平も昭和27年に亡くなっている。



[53:名無しさん@お腹いっぱい。 (2019/07/31(Wed) 23:23)]

簡単な分かりやすい詩の中に
深い人生の悲苦等隠されていて、
素晴らしい雨情の詩。


十五夜お月さん
野口雨情作詞、本居長世作曲

十五夜お月さん
御機嫌さん
婆やは お暇(いとま)とりました

十五夜お月さん
妹は
田舎へ貰(も)られてゆきました

十五夜お月さん 母(かか)さんに
も一度
わたしは逢ひたいな。


雨情は他に「雨降りお月さん」という曲も作詞しています。
月のような優しい陰徳の光を好んだのかもしれませんね。
表に立つのでなく裏で下で悲しむ人、苦しむ人を支えていた
月の柔らかい光の人だったと信じます。


雨情は一見暗そうだけど、人の痛みを理解し生きる人。
雨情は有情にもつながる。
生きとし生けるものへの人一倍の優しさを感じる。



[54:名無しさん@お腹いっぱい。 (2019/07/31(Wed) 23:44)]
日本の歌こころの歌

http://www.10ch.tv/bbs/test/read.cgi?bbs=radio&key=508252044&ls=50


[55:名無しさん@お腹いっぱい。 (2019/08/04(Sun) 23:28)]
童謡「やさしいお母さま」昭和15年

昭和30年代、童謡黄金時代に、多くの童謡歌手によってよく歌われた歌、母と子の情愛を歌った何かいいようのないとても
優しい旋律である。

昭和15年といえば太平洋戦争突入前年、太平洋戦争突入前年と言いながら、平和最後の時代、それに似つかわしくない優しい歌が集中している。
「誰か故郷を想わざる」「春よいづこ」「高原の月」(西條八十)、「新妻鏡」(佐藤惣之助)・・など、


<大道眞弓の「やさしいお母さま」>

「やさしいお母さま」

  作詞:稲穂雅巳
  作曲:海沼 實

わたしが おねむになったとき
やさしくねんねん こもりうた
歌って ねかせてくださった
ほんとにやさしい おかあさま

夏は ねびえをせぬように
冬はおかぜを ひかぬよう
おふとん なおしてくださった
ほんとにやさしい おかあさま

わたしが 大きくなったなら
ご恩をお返し いたします
それまでたっしゃで まっててね
ほんとにやさしい おかあさま


この歌は海沼實の作曲。海沼實は、音羽ゆりかご会を指導していたが 昭和18年の関東児童唱歌研究会主催のコンクールで音羽ゆりかご会が圧勝。この「やさしいお母さま」を歌った大道眞弓が優勝し、2位は「兵隊さんの汽車(後の汽車ポッポ)」を歌った川田正子で、いずれも音羽ゆりかご会のメンバーだったという。

また、昭和18年には、「音羽ゆりかご会」は、「東京放送児童合唱団」として、NHKに任命され、戦中、戦後のNHKラジオ放送に貢献している。



[56:名無しさん@お腹いっぱい。 (2019/08/04(Sun) 23:53)]
音羽ゆりかご会の歴史


「音羽ゆりかご会」の創設者である海沼實は、明治42年に長野県埴科郡松代町で誕生しました。童謡の作曲家を志して、昭和7年に上京すると、同郷出身の作曲家・草川信に弟子入りして作曲活動を開始。当時の護国寺貫首・佐々木教純の好意で護国寺境内に無償で教室を借り受け、子どもの情操教育を志して合唱団を創設し、自らその会長となりました。

海沼の師匠にあたる草川は、自らの代表作である「ゆりかごの歌」を、この合唱団の会歌として贈り、また大正時代の半ばから「赤い鳥童謡運動」を支えてきた詩人の北原白秋は、同会を「音羽ゆりかご会」と命名し、協力にサポートして下さいました。 やがて「お猿のかごや」「あの子はたあれ」「ちんから峠」「やさしいおかあさま」等の曲で頭角を現し始めた海沼は、これら新作童謡を音羽ゆりかご会に歌わせ、次第に全国民的な支持を受け始めます。海沼が指導した音羽ゆりかご会は着実に実力を高め、創設から10周年目を迎えた昭和18年には、児童唱歌コンクールで優勝と準優勝を独占。この年から、NHKの放送では、東京放送児童合唱団という呼称でも活動を始めることになりました。


[57:名無しさん@お腹いっぱい。 (2019/08/06(Tue) 10:24)]
「あの子はたあれ」

作詞 細川雄太郎
作曲 海沼 實


あの子はたあれ たれでしょね
なんなんなつめの 花の下
お人形さんと 遊んでる
かわいい美代ちゃんじゃ ないでしょか

あの子はたあれ たれでしょね
こんこん小やぶの 細道を
竹馬ごっこで 遊んでる
隣の健ちゃんじゃ ないでしょか

あの子はたあれ たれでしょね
とんとん峠(とうげ)の 坂道を
ひとりでてくてく 歩いてく
お寺の小僧さんじゃ ないでしょか

あの子はたあれ たれでしょね
お窓にうつった 影法師(かげぼうし)
お外はいつか 日がくれて
お空にお月さんの 笑い顔

昭和15年に音羽ゆりかご会の秋田貴美子の歌で発売され、昭和30年代、多くの童謡歌手によって広く歌われた。

運動会にも流された。



[58:名無しさん@お腹いっぱい。 (2019/08/10(Sat) 09:50)]

復刻盤 懐かしの童謡歌手たち @〜B  COCC-12794〜6 日本コロムビア1995
 
復刻 懐かしの童謡歌手たち @  COCC-12794

川田正子 みかんの花咲く丘  他
川田孝子 お花のホテル    他

復刻 懐かしの童謡歌手たち A  COCC-12795

伴久美子  人形       他
久保木幸子 仲良し小道    他

復刻 懐かしの童謡歌手たち B  COCC-12796

安田祥子  七つの子     他
安田章子  愉快な街の風船屋 他
岡田孝   赤とんぼ     他
羽崎共子  浜千鳥      他
松島トモ子 かもめの水兵さん 他
桑名貞子  グッドバイ    他
井上裕子  ロンドン橋落ちる 他
安西愛子  お山の杉の子   他
松田トシ  お山のお猿    他
河村順子  うれしいひなまつり他


図書館棟にあり CD,テープ


[59:名無しさん@お腹いっぱい。 (2019/08/17(Sat) 15:11)]
大村主計作詞、豊田義一作曲。昭和6年(1931年)に発表されました。子供らしくかわいい歌です。

「絵日傘」

桜 ひらひら 絵日傘に
蝶々もひらひら きてとまる
乳母(うば)のお里は 花の路
すみれの花も たんぽぽも

まわす絵日傘 花吹雪
ひばりもぴーちく 来てあそぶ
乳母(うば)のお里は 春がすみ
絵日傘くるくる 通りゃんせ


「花かげ」がお姉さまへの、こちらは乳母への想いが味わい深い内容で浮かんでくるいい曲です。

「花かげ」
 大村主計作詞/豊田義一作曲

   十五夜お月さま ひとりぼち
   桜吹雪の 花かげに 
   花嫁すがたの お姉さま
   車に揺られて 行きました
   
   十五夜お月さま 見てたでしょう
   桜吹雪の 花かげに
   花嫁すがたの 姉さまと
   お別れ惜んで 泣きました
   
   十五夜お月さま ひとりぼち
   桜吹雪の 花かげに
   遠いお里の お姉さま
   わたしは一人に なりました

絵日傘、花影、いずれも大村主計作詞/豊田義一作曲、
昭和6年、童謡歌手永岡志津子の歌で世に出た。よく舞踊に歌われた。


[60:名無しさん@お腹いっぱい。 (2020/01/11(Sat) 09:05)]
日本の名曲 【日本の優れた文化遺産!】


http://www.10ch.tv/bbs/test/read.cgi?bbs=history&key=521471093&ls=50


[61:名無しさん@お腹いっぱい。 (2020/01/26(Sun) 12:47)]
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