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ラジオ放送について

1 名前:名無しさん@お腹いっぱい。 投稿日:2020/02/07(Fri) 14:24
ラジオ放送について、番組や放送について、
取り上げてほしいことや、やめてほしいこと、その他なんでも
どうぞ!!。

68 名前:名無しさん@お腹いっぱい。 投稿日:2020/05/21(Thu) 22:52
名曲とは・・

「名曲」であるためには、一義的には何といっても、詩ほど大切なものはないでしょう。

詩の内容が、誰でも、簡単にできない詩、短くも、簡潔なな中に、詩が重厚で凄みがあり、内容が薄っぺらで、ありきたりで一般的で、ただ受けの良いだけの、幸せだけの、美辞麗句を並べただけのものでなくて、青春の苦悩を秘めた、軽いものでないもの。
やはり、「叱られて」とか「影を慕いて」のような歴史の重みを、歴史を凝縮したような曲、「青い山脈」みたいなものでないもの、・・すばらしい!!。

「白鳥の歌」というのがある。そもそも、それ自身が短歌で完結した「歌」(短歌)であり、短歌自体が完結した歌であるのに、それを別の「歌」(歌謡曲)にしてしまう意味が分からない、歌として中途半端な歌。(「白鳥の歌」はれっきとした「歌謡曲」です。)
短いので、他の同じ短歌を二つ持ってきて、長さはかせいだものの、まだ「寂しさ」で完結してしまっていて、肝心の知りたい、その先が見えない、歌としては、詞として中途半端。

だったら、短歌のまま詠めば、もっといいのではと思ってしまう!。
曲は詩を超えることはできないのだ。


69 名前:名無しさん@お腹いっぱい。 投稿日:2020/05/22(Fri) 15:25
参考

2013-07-12 03:37:07

エッセイ:『青い山脈』を考える@西條八十と懺悔としての『青い山脈』其の1
h ttps://ameblo.jp/metyagojira/entry-11570970839.html


70 名前:名無しさん@お腹いっぱい。 投稿日:2020/05/22(Fri) 15:54
>>68-69

2013-07-12 03:37:07

エッセイ:『青い山脈』を考える@西條八十と懺悔としての『青い山脈』其の1
h ttps://ameblo.jp/metyagojira/entry-11570970839.html

●なぜ『青い山脈』なのか

先日、軽く今井正監督の映画『青い山脈』を民衆蜂起の 映画として捉えた小文を書こうと思った。そのために原作である石坂洋次郎の小説『青い山脈』を確認したい部分が出てきたため、持っていた文庫を探そうと考 えた。膨大な蔵書の中から探し出す労苦を惜しんで総合書店へ買いに行ったが、文庫どころか全集の単行本もない。調べると版元の新潮社では石坂洋次郎の文庫 は全て廃刊になっている。
30年前なら石坂洋次郎の代表作はどんな小さな書店にでも置いていたものだ。
戦後民主主義の歴史に おいて民主主義大衆文学として金字塔であった『青い山脈』が廃刊になっているという事実は筆者にとって大きな驚きであった。『青い山脈』は原節子と吉永小 百合という戦前戦後の永遠の美貌と輝きを持った女優の人気にのみ後押しされて、DVDで初作の東宝版と日活版が映画が視聴できるのみ。主題歌『青い山脈』 は藤山一郎のCDアルバムや日本コロムビアの日本映画主題歌集などで聴けるのみである。(廃盤になってないものでは東宝の1979年のリメイク版主題歌 だった、石川さゆりと潮哲也歌唱のものが『石川さゆり・アーリーアルバム』で聴くことができる)
肝心の原作である石坂洋次郎の『青い山脈』はあれ程までに多くの人に読まれたのにも関わらず、現状では廃刊、古書で探してもなかなか入手が難しいのだ。この事には筆者にとって大きなショックだった。

2.永遠の青春歌謡としての『青い山脈』

い つだったか、NHKが歌謡オールタイムベストテンを募集したところ、『青い山脈』がベストワンであったという調査結果が出たという事を聞いたことがある。 残念ながらその際、記録しておかなかったので、いつの調査でどんな番組だったかは筆者は記憶していない。今世紀に入ってからだと思う。いずれにしても西條 八十作詞、服部良一作曲のこの映画主題歌は1949年に国内で大ヒットしてからというもの日本人の心の中に刻み込まれている名曲であることは確かだ。毎年 の夏に放映されているNHKの『思い出のメロディー』でも、1970年代後半頃、最後の取りは藤山一郎を中心に参加歌手全員が歌う『青い山脈』や『丘は花 ざかり』だった。最初にレコードが発売されたのは1949年。東宝が石坂洋次郎の新聞連載小説『青い山脈』を映画化した折、その主題歌として作られたもの で、映画では合唱のみだがレコードでは藤山一郎と奈良光枝のデュエット形式。映画は都合1988年まで初作も含めて5作品作られたが、全ての作品の主題歌 がこの服部良一作曲、西條八十作詞による『青い山脈』が使用された。現在では原作小説や映画がほとんど影を潜めてしまったのに対して、この歌は今も日本人 の心の中に青春歌謡の代表作として生き続けている。

歌詞の内容は映画の内容とは何ら関係していない。映画のドラマや主人公の名前も出てくるわけでもない。出てくるのは「青い山脈」という言葉だけである。
レ コードは映画封切りよりも3ヶ月前に先行発売されており、映画よりも早く全国でヒットしていた。この曲は服部良一お得意のジャズ調ブギウギものとは違い、 戦前から戦時下に流行した映画主題歌同様のマイナー音階で、例えば『愛染かつら』や『純情二重奏』などに近い、日本人にとって馴染みやすくヒットし易い要 素を持ったものだった。主題歌を先行発売して映画を盛り上げようと考えたのは東宝の名プロデューサー藤本澄一の商戦法だった。予想通りのこの歌のヒットは 主題歌が映画宣伝とその観客動員への役割も果たしたのである。
明るい青春歌謡、戦後民主主義を代表する永遠の青春歌謡とし


71 名前:名無しさん@お腹いっぱい。 投稿日:2020/05/22(Fri) 16:06
明るい青春歌謡、戦後民主主義を代表する永遠の青春歌謡としての『青い山脈』。

ただ、一見明るい内容の歌の歌詞と今井正監督による映画化作品とは多少の不協和音が響てくる。
歌詞の内容をよく見てみると決して、映画ほどには革新的ではないのだ。
長 年、それが著者には大きな疑問の一つだった。映画の内容に対してどうして主題歌の歌詞がこの様に暗いイメージなのか?その違和感は何とも説明し難いもの だ。筆者自身は西條八十の『青い山脈』は新しく始まる戦後民主主義文化の始まりを封切るものではなく、過去との決別を意味しているのではないかと思えてな らないのだ。

『青い山脈』 西条八十作詞 服部良一作曲

1.
若く明るい 歌声に
雪崩は消える 花も咲く
青い山脈 雪割桜
空のはて
今日もわれらの 夢を呼ぶ

2.
古い上衣よ さようなら
さみしい夢よ さようなら
青い山脈 バラ色雲へ
あこがれの旅の乙女に 鳥も啼く

3.
雨にぬれてる 焼けあとの
名も無い花も ふり仰ぐ
青い山脈 かがやく嶺の
なつかしさ見れば涙が またにじむ

4.
父も夢見た 母も見た
旅路のはての そのはての
青い山脈 みどりの谷へ
旅をゆく若いわれらに 鐘が鳴る



72 名前:名無しさん@お腹いっぱい。 投稿日:2020/05/22(Fri) 16:12
>>69-71

・先日、軽く今井正監督の映画『青い山脈』を民衆蜂起の 映画として捉えた小文を書こうと思った。そのために原作である石坂洋次郎の小説『青い山脈』を確認したい部分が出てきたため、持っていた文庫を探そうと考 えた。膨大な蔵書の中から探し出す労苦を惜しんで総合書店へ買いに行ったが、文庫どころか全集の単行本もない。調べると版元の新潮社では石坂洋次郎の文庫 は全て廃刊になっている。
30年前なら石坂洋次郎の代表作はどんな小さな書店にでも置いていたものだ。
戦後民主主義の歴史に おいて民主主義大衆文学として金字塔であった『青い山脈』が廃刊になっているという事実は筆者にとって大きな驚きであった。

・肝心の原作である石坂洋次郎の『青い山脈』はあれ程までに多くの人に読まれたのにも関わらず、現状では廃刊、古書で探してもなかなか入手が難しいのだ。この事には筆者にとって大きなショックだった。

・ 歌詞の内容は映画の内容とは何ら関係していない。映画のドラマや主人公の名前も出てくるわけでもない。出てくるのは「青い山脈」という言葉だけである。

・明るい青春歌謡、戦後民主主義を代表する永遠の青春歌謡としての『青い山脈』。

・ただ、一見明るい内容の歌の歌詞と今井正監督による映画化作品とは多少の不協和音が響てくる。
歌詞の内容をよく見てみると決して、映画ほどには革新的ではないのだ。
長 年、それが著者には大きな疑問の一つだった。映画の内容に対してどうして主題歌の歌詞がこの様に暗いイメージなのか?その違和感は何とも説明し難いもの だ。

73 名前:名無しさん@お腹いっぱい。 投稿日:2020/05/22(Fri) 17:48
11.石坂洋次郎 『青い山脈』 2006年3月

往年のベストセラー作家、石坂洋次郎の作品が読まれなくなって久しい。かつては本屋の書棚 を埋め尽くしていたものだが、今ではそれが懐かしい。『青い山脈』も、せいぜいその映画主題歌 がしばしば思い出のメロディーとして歌われることで記憶に残っている人が多いのではないか。 この作品が発表されたのは昭和22年。女学校で起きたにせラブレター事件を解決しようと動い た女性教師島崎雪子は、まさに戦後民主主義の申し子といった存在である。 彼女は、この事件の背後に女学生たちの野卑な精神を嗅ぎ取り、それを教室での問題として糾 弾しようとした。教室で首謀者を特定し、その非を諭すというのは彼女の論理からすれば「間違い のない」やり方であったはずだ。ましてや、首謀者が自分の行為を「学校のため」と言い逃れした のであれば、雪子にとってこれは看過できない事柄だったのである。 この事件を教室で問題として取り上げようとしたとき、これに反対したのは校医の沼田であった。 この環境で暮らす女学生たちの背景を踏まえない、直接的な方法は反感を招くばかりであること を、彼は土地の人間として十分すぎるほど知っていたのである。 『青い山脈』は戦後まもない時代の中、民主主義を謳歌した作品として受け取られがちだが、事 情はそう単純ではない。作者は戦前『若い人』を発表した際、右翼団体から不敬罪の被疑者とし て睨まれ、一時期沈黙を余儀なくされた経験がある。彼はむしろ多くの人々が「民主主義万歳」を 叫ぶ当時の風潮に違和感を覚え、読者に警鐘を鳴らそうとしていたフシがうかがえる。それは、 作品中の女学生が実に安易な形で「民主主義」を唱え、その言葉が一人歩きして島崎雪子の進 退問題にまで発展していった経緯からも明らかだ。あるいは、寺崎新子が家の窮乏を救うべく、リ ンゴの密移出を企てる場面が描かれているのも、日本版の『桜の園』とも言える太宰治の『斜陽』 とは明らかに対極的な生き方が志向されている。人間はとりあえず生きなくてはならない。欲望 や嫉妬、あるいは競争心をもった個人が混乱した時代状況の中でいかにして他者と共存し、本当 の意味での民主主義国家を築いていけるのか。作者はそのことを問いかけている。 『青い山脈』は、ヒロイン島崎雪子がこの土地の風土を理解していく物語でもある。その点で彼 女がこの土地の人間である沼田のプロポーズを受け入れるのは、いかにもこの作品の結末にふ さわしい。 しかし、当時の読者はこの作品をどの程度まで理解しえていたのであろうか。この作品が空前 の大ブームとなったことが、長い目で見ると逆に不幸だったと言えるかもしれないのだ。


74 名前:名無しさん@お腹いっぱい。 投稿日:2020/05/22(Fri) 18:36
>>69-72

「青い山脈」・・「自由奔放」!!   自由奔放/騒動=若く明るい

石坂洋次郎によって書かれた学園の集団男女交際を主題とした長編小説である。戦後間もない田舎町での、偽のラブレターに端を発した恋愛騒動を描く。物語は、東北地方の港町を舞台に、若者の男女交際をめぐる自由奔放な学園騒動をさわやかに描いた青春小説である。

東北地方の高等女学校で起こった偽ラブレター事件をきっかけに、男女交際について、古い慣習に捉われる旧派と自由を主張する新派の町をあげた騒動に発展していく物語で、若さ、恋愛、自由などがユーモラスを交えて描かれた代表的青春映画。

「青い山脈」・・その代表とする言葉、それは「自由奔放・騒動・戦後民主主義」でしょう。

これまでたくさんの名曲を残してきた詩人・西条八十・・困り果てた西条八十は「自由奔放、騒動」を「若く明るい」という言葉で・・言い換えているのです。

それ以外で「青い山脈」に関係する言葉は「青い山脈」という言葉しか出てきません・

「若く明るい」とは戦後民主主義の「自由奔放」ということと理解すればいいでしょう。

霧島昇・松原操の歌った昭和23年の「三百六十五夜」(西条八十作詞・古賀政男作曲)を最後に、世の中は大きく変わって、歌の世界も飲み込まれて、大きく変わってゆく、、その転換点の歌なのです。

一方、《 「若く明るい」だけでは軽い! 》>とも言われるのも事実!。

それが「青春歌謡」であるならば、そこに「青春の苦悩」が込められていないと・・

それほど明るい歌というわけでもないし。

なお、松原操は、時代の変化を感じ取ったのか、この「三百六十五夜」を最後に、歌手生活を離れ、二度と歌うことはなかった。

藤山一郎も昭和29年にレコード歌手を引退。

歌は真に真心がこもったものでない限り、真に名曲として長く愛されることは決してないでしょう。

昭和24年の「青い山脈」(西条八十作詞、服部良一作曲)、同じ年には、同じ服部良一の「東京ブギウギ」が出ている。

しかし、それも年月とともに変わってしまうのです。



75 名前:名無しさん@お腹いっぱい。 投稿日:2020/05/22(Fri) 19:24
>>71

この「青い山脈」の歌詞には、「青い山脈」、という言葉以外、小説や映画についての
関係する言葉は認められていません。

つまり、不可欠な情緒・情感に関することは一切なく、情景に、情景だけで逃げてしまっているのです。

自由奔放では八十でも書きようがないはずです。

美辞麗句をうまく並べて使っているので、それだけに、一般受けは決して悪いわけではないようだが、誠に残念ながら、これまでの八十の重厚さというものが見られない、軽い!。

それ故、「青い山脈」が名曲とは言い難い!。





76 名前:名無しさん@お腹いっぱい。 投稿日:2020/05/22(Fri) 21:45
>>72
歌詞の内容をよく見てみると決して、映画ほどには革新的ではないのだ。
長 年、それが著者には大きな疑問の一つだった。映画の内容に対してどうして主題歌の歌詞がこの様に暗いイメージなのか?その違和感は何とも説明し難いもの だ。

77 名前:名無しさん@お腹いっぱい。 投稿日:2020/05/22(Fri) 22:01
三百六十五夜

作詞:西條八十、作曲:古賀政男、唄:霧島昇・松原操


 みどりの風に おくれ毛が
 やさしくゆれた 恋の夜
 初めて逢(お)うた あの夜の君が
 今は生命(いのち)を 賭ける君


 たそがれ窓に 浮かぶのは
 いとしき人の 旅すがた
 我ゆえ歩む 道頓堀の
 水の夕陽が 悲しかろ


 鈴蘭匂う 春の夜
 灯(ともしび)うるむ 秋の夜
 泣いた 三百六十五夜の
 愛の二人に 朝が来る

昭和23年、三百六十五夜

《蛇足》 昭和23年(1948)に公開された新東宝の同名映画の主題歌。映画は雑誌『ロマンス』に連載された小島政二郎の恋愛小説の映画化で、出演は上原謙、山根寿子、高峰秀子、堀雄二など。
 古賀メロディーの傑作の1つなのに、最近では知る人も少なくなりました。
 霧島昇と松原操は、『旅の夜風』をいっしょに歌ったのが縁となって結婚、多くのヒットを飛ばしました。松原操は子育てをするため、この歌を最後に引退して、専業主婦となりました。
 
翌年、昭和24年の「青い山脈」(西条八十作詞、服部良一作曲)を比べてみると、もの。美辞麗句を並べただけの「青い山脈」はただけの味もそっけもない女学生の合唱コンクールのようなもの。

同じ西条八十の詩とは思えない!。

78 名前:名無しさん@お腹いっぱい。 投稿日:2020/05/22(Fri) 22:04
翌年、昭和24年の「青い山脈」(西条八十作詞、服部良一作曲)を比べてみると、美辞麗句を並べただけの「青い山脈」は同じ西条八十の詩とは思えない味もそっけもない女学生の合唱コンクールのようなもの。



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