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(取り戻そう日本の歌)日本の歌謡の歴史(日本の文化遺産)

16 名前:名無しさん@お腹いっぱい。 投稿日:2020/05/20(Wed) 09:24
■歌で巡る長崎

□長崎の歌(16) 蝶々夫人を唄う

文・宮川密義
長崎観光は“蝶々夫人ゆかりの地”グラバー園が柱になっていますが、その“蝶々夫人ブーム”ともいえる現象が見られたのは昭和8年(1933)でした。
アメリカ映画「マダム・バタフライ」が公開され、映画にあやかって演劇、音楽分野にも続々と“蝶々夫人もの”が登場します。
歌では同年の「お蝶夫人の唄」を皮切りに次々にレコードが出て、ブームに拍車をかけました。
以下、ヒット曲の中から5曲を紹介します。

1.「「お蝶夫人」の唄」

(昭和8年=1933、西条八十・作詞、古賀政男・作曲、ミス・コロムビア・歌)

20ある「お蝶夫人」の歌の最初



昭和8年1月早々、コロムビアはライバル(ビクター)の看板作詞家・西条八十(さいじょうやそ)さんと、自社の看板作曲家・古賀政男(こがまさお)さんにコンビを組ませるというショッキングな企画を発表、世間をアッと言わせます。
その“百万ドルコンビ”第1作で、5月に発売されました。
歌ったミス・コロムビアは同年3月「浮草の唄」でデビューしたばかりの覆面歌手。
本名は松原操(まつばらみさお=のちの霧島昇夫人)さん。
アイマスクを掛けた覆面写真に「これは誰でしょう」のというキャッチコピーで宣伝、話題を集め、歌もヒットしました。
戦後、長崎復興に観光が第一と考えた文化関係者が“グラバー邸はお蝶夫人ゆかりの地”のお墨付きを与えた際、この歌も有力な材料になりました。

昭和25年春、グラバー邸で
「お蝶夫人の唄」の舞踊
(藤間勘美智さん)を見る



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