相談のります
[1:名無しさん@お腹いっぱい。 (2010/10/20(Wed) 19:50)]
よかったら話聞かせてください。
[25:名無しさん@お腹いっぱい。 (2012/09/04(Tue) 21:42)]
ここの「いじめっ子専用スレ」58,59,60〜69に全国の「いじめ相談窓口」のリストがあります。
[26:みるきー (2012/10/07(Sun) 20:34)]
いじめはなくなればそれを復讐しようと繰り返す。
いじめはなくならない。
[27:名無しさん@お腹いっぱい。 (2012/10/07(Sun) 21:12)]
↑うまくまとめたな、おい。
[28:名無しさん@お腹いっぱい。 (2012/10/22(Mon) 09:33)]
ここの「いじめっ子専用スレ」58,59,60〜77に全国の「いじめ相談窓口」のリストがあります。
活用してみよう。
ttp://www.10ch.tv/bbs/test/read.cgi?bbs=bullying&key=345096405&ls=50
[29:名無しさん@お腹いっぱい。 (2019/09/20(Fri) 12:03)]
プンプン
[30:みか (2019/09/28(Sat) 00:27)]
ぶう!!!!!!!!!!!!
[31:名無しさん@お腹いっぱい。 (2019/10/10(Thu) 08:49)]
株式会社オキムスにいた椎橋幸平は犯罪者のクズ
パワハラ チビ キモ面 貧乏 鶴見の部落出身者
顔はカエルに似て不細工 ハゲた頭
趣味は酒 タバコ ギャンブル
自分のミスを他人に押し付けるクズ
人を平気で殴るクズ 傷害罪 暴行罪
[32:名無しさん@お腹いっぱい。 (2025/06/11(Wed) 09:21)]
あの頃の僕は、どうしても「自分が悪い」と思わずにはいられませんでした。
休み時間が怖かった。チャイムの音が憂鬱の合図だった。
同級生は、毎日のように僕を殴りました。
「北斗の拳ごっこ」と称しながら、本気で。
彼の拳は、遊びではなく暴力でした。
顔は決して殴られなかった。
アザができれば大人にバレるから。
だからいつも狙われるのは、服で隠れる場所――胸、背中、脇腹。
痛みも、悔しさも、誰にも見えなかった。
だから助けも、なかった。
教室には教師がいました。見て見ぬふりでした。
むしろ、クラスの空気に合わせて流していたようにも思います。
だから僕は、黙るしかなかった。
「やり返せないお前が悪い」
「友達と上手くやれないお前が悪い」
そう思い込んでいくうちに、僕は自分の存在価値すら信じられなくなっていきました。
卒業してからも、その記憶はいつも僕の中にありました。
新しい学校、社会に出てからも、誰かの目が怖かった。
人を信じることが難しかった。
僕はうつ病になり、働くことも、人と話すことも、笑うことすら苦しくなりました。
誰にも言えず、誰にもわかってもらえず、
30年以上、心の奥に封印していたこの記憶。
けれど今、ようやく僕は声をあげることにしました。
たとえ、名誉毀損で処罰されても。
たとえ、また傷つくことになっても。
それでも「僕の身に起きたことは、事実なんだ」と、証明したかった。
いじめは、記録に残らなければ「なかったこと」にされてしまう。
だからこそ、僕が語らなければならなかったのです。
[33:名無しさん@お腹いっぱい。 (2025/06/14(Sat) 09:19)]
1986年、神戸市立垂水中学校3年の時、私は「北斗の拳ごっこ」と称して、同級生の川鵜仮名から日常的に暴力を受けていました。理由もなく殴られ、そのうち他の同級生からも、唾を吐かれ、帽子を溝に捨てられるパンツを脱がされるなどの暴力を受けました。日々私は次第に「自分が悪いのだ」と思い込むようになり、助けを求めることもできず、担任も見て見ぬふりでした。
子どもだった私は、理不尽な暴力を当たり前として受け入れ、心を麻痺させて生き延びました。本当は泣きたかった。助けてほしかった。でも誰も手を差し伸べてくれなかったのです。
あれから40年近くが経ちましたが、あの痛みと屈辱は今も消えず、心の奥に棲みついています。社会人として生活しながらも、心の一部はあの教室に閉じ込められたままでした。恐怖や不信感が心を支配し、私は10年もの間、引きこもりの生活を送りました。
社会復帰は恐怖との闘いでした。外に出ること、人と会うこと、それだけで崖を登るような苦しさがありました。それでも私は、もう一度立ち上がりたいと必死に自分と向き合いました。
そしてようやく気づいたのです。悪かったのは私ではない。暴力をふるった彼らだったのだと。ようやく、自分を責め続ける呪いから少し解放されました。
私は思いのすべてを言葉にし、掲示板に投稿しました。誰かの心に届いてほしいと願って。しかし加害者の実名を記したことで、名誉毀損に問われ、警察が2度訪れ、神戸地検で計70万円の罰金を科されました。
いじめの事実を告げた私に、社会は「罰」で応えたのです。
なぜ、傷つけられた側がさらに傷つけられなければならないのか。なぜ、加害者は何の責任も問われず、今ものうのうと生きているのか。この国の正義とは一体何なのでしょう。
日本社会は、いじめを「なかったこと」にするのが上手すぎます。問題を隠し、被害者にだけ沈黙を強いる空気が今も続いているのです。
私は今も、うつ病と対人恐怖と共に生きています。自分を責める夜も、孤独に沈む朝もあります。それでも私は、こうして言葉を紡ぐことで自分を支えています。
たとえ小さな声でも、この言葉が誰かの心に届くことを信じて。
そして、あのとき声を上げられなかった自分へ。今もなお苦しむ誰かへ。
私はこれからも語り続けます。
[34:名無しさん@お腹いっぱい。 (2025/06/16(Mon) 06:36)]
名誉毀損で罰金を科された私の体験 ―加害者は忘れ、被害者だけが罰せられる理不尽さ―
私は過去に、5ちゃんねるというインターネット掲示板に、実名を交えて中学時代に受けたいじめについて書き込みました。あれは、今も心に深い傷として残る体験であり、忘れようにも忘れられない出来事です。
ところが、2022年6月13日(月)の朝、勤務先に私服警察官が数名現れ、「後藤さん?ちょっと来て。警察や。」と声をかけられました。水色の表紙の警察手帳を見せられた後、「何も変な物持ってへんな」と軽く身体検査され、カメラで写真を撮られました。「荷物持って来て、逮捕せえへんから。なんで警察来たか心当たりあるか?掲示板の書き込みや。それが名誉毀損にあたるねん」と言われました。
その日の夕方には、自宅に警察官7名が訪れ、パソコンなどインターネット環境の確認や、中学の卒業証書を含む私物を撮影。6月21日には兵庫県警須磨署で一日がかりの取り調べが行われました。さらに7月20日には神戸地検で3時間ほどの事情聴取がありましたが、「2週間後に連絡する」と言われたまま、音沙汰は4か月もありませんでした。
ようやく来たのは11月14日。再び神戸地検に呼ばれ、「印鑑を持ってきて」と言われ罰金刑に。通知書類は12月13日に届き、12月16日までに振り込めという内容でした。時間もなく、慌ただしく振り込みました。とても嫌な気分でした。
そして、それから約1年後の2023年9月4日早朝、私は再び警察の訪問を受けました。出勤しようと車に乗り込んだその時、後ろから腹の出た中年の男性が、腹を揺らしながら走ってきました。「遅刻でもして焦っているのかな?」と思い、私は車を発進させようとしました。すると、彼は私の車のボディをパンパンと叩きながら接近してきました。右手にペラペラと警察手帳を広げて見せつけながら、汗でシャツはびっしょり、においもきつく、とても不快でした。私はそのまま、黒いスズキ・スイフトに乗せられ、警察へ連行されました。どうやら、イニシャルで再び書き込んだ件も問題視されていたようです。
それなのに、当のいじめ加害者は「覚えていない」と証言したそうです。…いじめた側は忘れ、いじめられた側だけが、いつまでも苦しみ、声を上げれば法によって罰せられる。これが、この国の“正義”なのでしょうか。
警察も検察も、それぞれ職務を遂行していただけだとは思います。しかし、私はこの出来事を通して、社会の「構造的な不公平」を痛感しました。
正直、とてもやり切れない気持ちでした。
いま、いじめで苦しんでいるあなたへ。どうか、ひとりで抱え込まずに、信頼できる大人や先生、支援団体に話してください。いじめる側が100%悪いのです。あなたが自分を責める必要は、決してありません。
私は、奪われた声を取り戻すために、これからも伝え続けます。社会が少しでも「公正なもの」へと変わっていくように。
read.cgi ver.4.21.10c (2006/07/10)