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いじめの後遺症

[1:名無しさん@お腹いっぱい。 (2011/01/09(Sun) 16:51)]
いじめに遭って、後遺症が残ってしまった人のスレッドです
身体的な後遺症ではなく、精神的な後遺症です

・自分に自信が持てなくなった
・人が怖い(対人恐怖症等)
・周りの視線が気になって外に出れない
・当時と同じようなシチュエーションになると動機が激しくなって恐怖を感じる

等、精神的な後遺症は残ります
カウンセリングで症状が軽くなる場合はありますが完治は難しいです
そして私にも後遺症はあります
自分に自信が持てません
周りと比較すると、やはり異常です

此処は傷をなめ合う場ではなく、少しずつ治していく手助けをする場です


[16:(2017/02/19(Sun) 21:22)]
何だろう・・・今も続いていて、初めて話す人がとても怖いです。
対人恐怖症みたいなやつです。すごく怖い。もしこの人も私を虐めてくる
ような人だったら・・・とか考えてしまって、とても怖い。
教室では絶対に話さない。先生とか、SCの人だけと話しています。
2年間ずっと暴力と悪口に耐えていました。
今は人形みたいに動きたくない。


[17:名無しさん@お腹いっぱい。 (2018/09/21(Fri) 19:32)]
いじめの後遺症

http://www.10ch.tv/bbs/test/read.cgi?bbs=bullying&key=294559470&ls=50


[18:名無しさん@お腹いっぱい。 (2019/01/02(Wed) 21:33)]
株式会社オキムスの星川薫はクソ人間
いじめ大好きパワハラ大好き不倫大好き
チビで歯が 汚いメガネ


[19:名無しさん@お腹いっぱい。 (2023/05/09(Tue) 02:22)]
株式会社のオキムスの星川薫はクソ人間
いじめ大好き不倫大好き
パワハラ大好き
チビで歯が汚いメガネ


[20:松堀不動産 (2024/12/02(Mon) 14:41)]
新型コロナ関連倒産-株式会社松堀不動産(埼玉県東松山市)が破産決定(創業50年以上の不動産会社)

株式会社松堀不動産(埼玉県東松山市、1973年2月、資本金10,000万円、堀越 宏一社長)は11月18日、地方裁判所熊谷支部より破産開始決定を受けた。
破産管財人には伊島 博 弁護士(伊島法律事務所、埼玉県東松山市)が選任された。負債総額は約19,500万円。
株式会社松堀不動産は1973年2月創業の不動産業者で、不動産仲介、売買等を手掛け、2018年10月期は8,126万円の売上高を計上していた。
しかし、その後は新型コロナウイルス感染拡大に伴う外出自粛の影響等で業績は伸び悩み、宅地分譲にも着手したものの、販売面は苦戦を強いられていた模様。
また、昨今の物価高も加わり採算的にも厳しい経営が続いていたもので、資金繰りも限界に達し、今回の事態に至った。
     (2024年11月18日 毎日新聞)


[21:名無しさん@お腹いっぱい。 (2025/05/15(Thu) 08:12)]
株式会社オキムスの星川薫はクソ人間
いじめ大好き
パワハラ大好き
不倫大好き
チビで歯が 汚いメガネ


[22:名無しさん@お腹いっぱい。 (2025/05/18(Sun) 00:07)]
オキムス確定
星川ハゲヲ
つるっぱげ


[23:まさゆき (2025/06/01(Sun) 09:21)]
1986年、神戸市立垂水中学校。当時私は3年10組でした。
私は「北斗の拳ごっこ」と称して、同級生から日常的に暴力を受け続けました。
理由などなく、ただ面白半分で殴られ、蹴られ、心の奥深くにまで傷を刻まれるような日々でした。
来る日も来る日も、私は恐怖の中で生きていました。そして次第に、「悪いのは自分なのだ」と思い込むようになっていきました。
誰かに助けを求める勇気など、持てませんでした。

担任のロイヤーは、いじめの現場を目にしながらも見て見ぬふりを決め込み、私は完全に孤立していきました。
やがて、クラスの他の生徒たちからも冷たい視線を向けられ、ツバを吐きかけられ、黒板消しで制服を汚されました。
学生帽を溝に捨てられる。パンツを脱がされ、蹴られる。日々繰り返される嫌がらせと暴力。
子どもだった私は、それをただ耐えるしかなかった。心を麻痺させ、理不尽を受け入れることで、なんとか毎日をやり過ごしていたのです。
本当は泣きたかった。助けてほしかった。
けれど、誰ひとり、手を差し伸べてはくれませんでした。

あれから、40年近くが経ちました。
けれど、あのときの痛みと屈辱は今も私の心に棲みついたままです。
社会人として生きながらも、心のどこかは、今もあの寒々とした教室に閉じ込められたままでした。
怖くて、誰も信じられなくて、ふとした瞬間に記憶がよみがえり、心をえぐるのです。

その果てに、私は10年間、引きこもりの生活を送りました。
誰とも会わず、誰とも話さず、社会から姿を消した時間。
窓の外の世界を見ながら、「自分の居場所は、もうこの世界にはない」と、心を閉ざして生きていました。

社会に戻ることは、絶望にも似た恐怖でした。
外に出ること、人と目を合わせること、その一歩一歩が崖を登るような挑戦でした。
それでも私はあきらめたくなかった。壊れた心を抱えながらも、世界の中にもう一度立つために、必死で闘いました。

そして、最近ようやく気づいたのです。
あの頃、自分を責め続けていたけれど、悪かったのは私ではなかった。
私を殴り、笑い、傷つけたのは、あの加害者たちだったのだと。
長い年月をかけて、ようやくその呪いから、少しだけ自由になれたのです。

私はその思いをすべて言葉にして、掲示板に投稿しました。
同じように苦しんでいる誰かに、私の声が届けばと願って。
しかし、加害者の実名を記したことで、名誉毀損の容疑をかけられ、須磨署の警察が二度にわたり自宅を訪れました。
その後、神戸地検に2度出頭し、計70万円の罰金を科されました。

いじめに苦しみ続けた末、ようやく声を上げた私に、社会は「罰」という形で応えたのです。

なぜ、傷つけられた者が、さらに傷つけられなければならないのでしょうか。
なぜ、加害者たちは何の責任も問われず、何の償いもなく、平然と生きているのでしょうか。
この国にとっての「正義」とは、一体何なのでしょう。

日本社会は、「いじめをなかったことにする」ことに慣れています。
表面上の平穏を守るために、真実を覆い隠し、被害者に沈黙を強いる文化が根付いているのです。
事実を見て見ぬふりをする教師たち。責任を問われることのない加害者たち。
そして、声を上げた被害者にだけ下される、冷たく無慈悲な裁き。

私は今も、うつ病と対人恐怖に苦しみながら生きています。
自分を責め続ける夜も、孤独に押しつぶされそうになる朝も、まだ消えたわけではありません。
それでも、私は生きています。
言葉を紡ぎ、痛みを語ることでしか、自分を支えることができないから。

私は信じています。
たとえ小さな声でも、たとえすぐには何も変わらなくても、
この痛みを言葉にすることが、きっと誰かの心に届くと。

夜がどれほど深くても、闇がどれほど重くても、
必ず夜明けは訪れる。
それを信じて、私はこれからも語り続けます。

あのとき、声を上げられなかった自分に、
そして、今もなお、傷つきながら生きている誰かに向けて――。


[24:まさゆき (2025/06/04(Wed) 07:38)]
あの日の朝のことは、一生忘れません。

2022年6月13日(月)。
何気ない日常の一コマ、いつものように職場に出勤したはずでした。
けれど――その朝、私の人生は突如として「容疑者」として扱われる側に変わったのです。

ベージュの日産エクストレイル。
私服姿の警察官が数名、静かに、しかし確実な目的を持って私の職場に現れました。
彼らは、迷いなく私のもとへ歩いてきて、こう告げました。

「後藤さん?ちょっと来て。警察や。」

その瞬間、私の心臓は強く脈打ち、全身の血が逆流するような感覚に襲われました。
彼らは無言で水色の警察手帳を広げ、私を囲むように立ちました。
「何も変な物持ってへんな」――軽く身体検査。
そして、キャノンの一眼レフカメラが無言で私を捉え、シャッター音だけが響きました。

「荷物ここに持って来て。逮捕せえへんから。何で警察来たか心当たりたるか?
インターネットの掲示板に書き込みせんかったか?あれ、名誉毀損にあたるねん。
今から署に来れる?それか、仕事が終わった後、須磨署に来れる?」

私は震えていました。
手も足も心も凍りついて、ただ「はい」と頷くしかなかった。

でも、それはまだ序章に過ぎませんでした。
彼らは、仕事が終わった私の自宅にもやってくると告げたのです。

そして夜。
私は、何事もなかったかのように玄関を開けました。
するとそこにいたのは、アルファードに乗ってやってきた6名の警察官たち。

まるでドラマのワンシーンのようでした。
彼らは無言で家に上がり込み、淡々とインターネット環境を調べ、私の中学の卒業証書を手に取り、それを写真に収めました。
2時間。
自宅は尋問室のように変わり果て、私は何も言えずにただ見つめるだけ。
彼らは、すべてを“証拠”に変えながら、やがて静かに去っていきました。

だが、これで終わりではなかった。

後日、須磨警察署に出頭を命じられました。
朝9時から夕方17時半まで――丸一日かけての取り調べ。
パソコンの前で、何度も何度も答えさせられる。
「なぜ書いた?」「何のために?」「どんなつもりだった?」
そのたびに、胸の奥に眠っていた過去の傷が再び暴かれ、突き刺されていくのを感じました。

そして数週間後、神戸地方検察庁からの呼び出し。
今度は3時間に及ぶ聴取。
「2週間後にまた連絡するわ」――そう言い残して、彼らは私を返しました。
けれど、その後4ヶ月もの間、何の音沙汰もなかったのです。

忘れられたのか?
無視されているのか?
それとも、じわじわと精神を蝕んでいくための“沈黙の罰”だったのか――

やっと来た連絡。
再び呼び出され、告げられたのは冷たく、事務的な一言でした。

「20万円の罰金刑です。」

それだけ。
私の叫びも、苦しみも、何一つ考慮されることなく、「名誉毀損」という一点だけで判断されて。

そしてさらに追い打ち。
罰金通知書が届いたのは12月13日。支払い期限は、たった3日後の16日。
あまりにも急すぎる。あまりにも冷酷すぎる。
私は怒りと虚しさで、しばらく言葉も出ませんでした。

なぜ、こんな仕打ちを受けなければならないのか。
私は、ただ「声を上げた」だけだったのです。

過去に受けた理不尽な暴力。
助けてもらえなかった、あの教室。
見て見ぬふりをした大人たち。
傷つけられたまま、誰にも届かぬ叫びを、ようやく社会にぶつけた。

それが、罪になる。

一方、いじめた当人は――
「覚えていません」と言えば、それで済むのです。

加害者は保護され、被害者は罰せられる。
それが、今の日本です。

警察も検察も、ただ「業務を遂行した」に過ぎないのでしょう。
でも、私はこの一連の流れの中で、はっきりと理解しました。

この社会は、被害者にとって、あまりに残酷で、あまりに冷たい。
声を上げれば、潰される。
顔を出せば、叩き落とされる。
正しさを叫べば、沈黙を強いられる。

いじめられた人間は、ただ「耐える」ことしか許されないのでしょうか?

――私は、断固として言います。

これは、絶対に、間違っている。


[25:名無しさん@お腹いっぱい。 (2025/06/15(Sun) 13:41)]

【告発文】







声をあげた者が罰せられる国で、誰が真実を語れるのか





1986年、神戸市立垂水中学校。私は同級生から「北斗の拳ごっこ」と称した暴力を、日常的に受けていました。殴られ、笑われ、他の同級生からは唾を吐かれ、パンツを脱がされ、帽子を溝に捨てられる――担任教師も見て見ぬふり。子どもだった私は、耐えるしかありませんでした。



その痛みは、40年近く経った今も消えません。心の中の教室に、私はまだ閉じ込められています。



苦しみ続けた末、ようやく私は気づきました。「悪いのは自分ではなかった」。そしてその想いを言葉にし、加害者の名前とともにネット掲示板に投稿しました。誰かに届けばと願って。



しかし、返ってきたのは社会からの「罰」でした。

警察が家に来て、「掲示板に名前を書いたから名誉毀損だ」と告げられました。神戸地検に呼び出され、罰金70万円。いじめの事実を語っただけなのに、私は犯罪者にされたのです。



どうして、こんなことが許されるのでしょうか?



いじめを訴える声が処罰され、加害者は何の責任も問われず、のうのうと暮らしている。

それが、この国の「正義」なのでしょうか?



この国では、いじめはなかったことにされます。学校も、社会も、見て見ぬふりをします。

そして、やっと声をあげた被害者を「名誉毀損」で追い詰める。これは「法」という名を借りた、国家ぐるみの二次加害ではないでしょうか。



私が語ったことはすべて事実です。虚偽はありません。

私には、「真実を語る権利」があります。

過去の傷を、嘘のない言葉で伝えることの、どこが罪なのでしょうか?



私は、国に問い続けます。

傷つけられた者が、さらに罰せられるこの国で、誰が真実を語れるのか――と。



この声が、今なお苦しむ誰かの力になることを信じて。私はこれからも語り続けます。

もう、黙ってはいけないのです。


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