掲示板に戻る 前 10 次 10 1 - 10 最新 10

いじめってそんなに楽しい?

[1:ひよこ (2014/08/28(Thu) 10:36)]
いじめってそんなに楽しい?
私は全然楽しくない!
だって、いじめられている方は苦しんだり・家で泣いたり・もしかすると自殺まで!
ここでいじめている方に質問です、
・いじめってどこが楽しいのですか?


[37:名無しさん@お腹いっぱい。 (2024/11/05(Tue) 05:23)]
オキムス


[38:(2024/11/17(Sun) 13:39)]
株式会社オキムスの公社住宅事業部
星川薫はいじめ、パワハラ、不倫大好きな
チビで歯が汚いメガネ
いじめ、パワハラ、不倫をするために生を受けた明らかな欠陥品、害虫


[39:名無しさん@お腹いっぱい。 (2024/11/22(Fri) 23:44)]
しいなはげを
おきむす確定


[40:& ◆zXis1DRo (2024/11/25(Mon) 06:38)]
株式会社オキムスの公社住宅事業部
星川薫はいじめ、パワハラ、不倫大好きな
チビで歯が汚いメガネ
いじめ、パワハラ、不倫をするために生を受けた明らかな欠陥品、害虫


[41:名無しさん@お腹いっぱい。 (2024/11/27(Wed) 09:41)]
朱に交わればハゲになる


[42:あいる (2024/11/29(Fri) 23:41)]
前、俺はいじめられていた。
そのいじめがあったから、いじめっ子にもいじめをしてしまった。
いじめるほうが悪く、いじめられているほうは何も悪くない。そういうことを、
授業で習った。でもそれは、少しおかしいと思っている。いじめられたのも
いじめたのも三年前だ。でも今、そのことを後悔している。
もともと幼稚園からの友達だったのに。今は、全然話すことがなくなった。
いじめというものをなくすにはどうするかなんて、完全になくすことは
無理に決まっていて、でもいじめはなくなってほしい。


[43:& ◆14F2N4nU (2025/01/02(Thu) 23:21)]
皆は知っているだろうかコンクリート事件その後真実
犯人の一味であるは横山裕史
2007年に仮出所、そして2009年に刑期満了で完全に出所した横山裕史は、保護司と養子縁組をして「海老川 奨」という名に変更。悠々自適に家庭を持ち暮らす糞野郎に罰を

現住所
7815235
高 知 県 香 南 市 野 市 下井
1 1 0 1- 1 1
09036757078


[44:名無しさん@お腹いっぱい。 (2025/01/06(Mon) 20:14)]
株式会社オキムスの公社住宅事業部
星川薫はいじめ、パワハラ、不倫大好きな
チビで歯が汚いメガネ
いじめ、パワハラ、不倫をするために生を受けた明らかな欠陥品、害虫


[45:名無しさん@お腹いっぱい。 (2025/01/08(Wed) 00:23)]
okimusukakutei


[46:まさゆき (2025/06/01(Sun) 09:20)]
1986年、神戸市立垂水中学校。当時私は3年10組でした。
私は「北斗の拳ごっこ」と称して、同級生から日常的に暴力を受け続けました。
理由などなく、ただ面白半分で殴られ、蹴られ、心の奥深くにまで傷を刻まれるような日々でした。
来る日も来る日も、私は恐怖の中で生きていました。そして次第に、「悪いのは自分なのだ」と思い込むようになっていきました。
誰かに助けを求める勇気など、持てませんでした。

担任のロイヤーは、いじめの現場を目にしながらも見て見ぬふりを決め込み、私は完全に孤立していきました。
やがて、クラスの他の生徒たちからも冷たい視線を向けられ、ツバを吐きかけられ、黒板消しで制服を汚されました。
学生帽を溝に捨てられる。パンツを脱がされ、蹴られる。日々繰り返される嫌がらせと暴力。
子どもだった私は、それをただ耐えるしかなかった。心を麻痺させ、理不尽を受け入れることで、なんとか毎日をやり過ごしていたのです。
本当は泣きたかった。助けてほしかった。
けれど、誰ひとり、手を差し伸べてはくれませんでした。

あれから、40年近くが経ちました。
けれど、あのときの痛みと屈辱は今も私の心に棲みついたままです。
社会人として生きながらも、心のどこかは、今もあの寒々とした教室に閉じ込められたままでした。
怖くて、誰も信じられなくて、ふとした瞬間に記憶がよみがえり、心をえぐるのです。

その果てに、私は10年間、引きこもりの生活を送りました。
誰とも会わず、誰とも話さず、社会から姿を消した時間。
窓の外の世界を見ながら、「自分の居場所は、もうこの世界にはない」と、心を閉ざして生きていました。

社会に戻ることは、絶望にも似た恐怖でした。
外に出ること、人と目を合わせること、その一歩一歩が崖を登るような挑戦でした。
それでも私はあきらめたくなかった。壊れた心を抱えながらも、世界の中にもう一度立つために、必死で闘いました。

そして、最近ようやく気づいたのです。
あの頃、自分を責め続けていたけれど、悪かったのは私ではなかった。
私を殴り、笑い、傷つけたのは、あの加害者たちだったのだと。
長い年月をかけて、ようやくその呪いから、少しだけ自由になれたのです。

私はその思いをすべて言葉にして、掲示板に投稿しました。
同じように苦しんでいる誰かに、私の声が届けばと願って。
しかし、加害者の実名を記したことで、名誉毀損の容疑をかけられ、須磨署の警察が二度にわたり自宅を訪れました。
その後、神戸地検に2度出頭し、計70万円の罰金を科されました。

いじめに苦しみ続けた末、ようやく声を上げた私に、社会は「罰」という形で応えたのです。

なぜ、傷つけられた者が、さらに傷つけられなければならないのでしょうか。
なぜ、加害者たちは何の責任も問われず、何の償いもなく、平然と生きているのでしょうか。
この国にとっての「正義」とは、一体何なのでしょう。

日本社会は、「いじめをなかったことにする」ことに慣れています。
表面上の平穏を守るために、真実を覆い隠し、被害者に沈黙を強いる文化が根付いているのです。
事実を見て見ぬふりをする教師たち。責任を問われることのない加害者たち。
そして、声を上げた被害者にだけ下される、冷たく無慈悲な裁き。

私は今も、うつ病と対人恐怖に苦しみながら生きています。
自分を責め続ける夜も、孤独に押しつぶされそうになる朝も、まだ消えたわけではありません。
それでも、私は生きています。
言葉を紡ぎ、痛みを語ることでしか、自分を支えることができないから。

私は信じています。
たとえ小さな声でも、たとえすぐには何も変わらなくても、
この痛みを言葉にすることが、きっと誰かの心に届くと。

夜がどれほど深くても、闇がどれほど重くても、
必ず夜明けは訪れる。
それを信じて、私はこれからも語り続けます。

あのとき、声を上げられなかった自分に、
そして、今もなお、傷つきながら生きている誰かに向けて――。


掲示板に戻る 前 10 次 10 1 - 10 最新 10

NAME:
MAIL:

read.cgi ver.4.21.10c (2006/07/10)