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星のカービィアンチスレ

1 名前:名無しさん@お腹いっぱい。 投稿日:2011/07/17(Sun) 00:02
星のカービィが嫌いな方来て下さい!ファンや荒らしは来ないでください!

970 名前:名無しさん@お腹いっぱい。 投稿日:2016/05/04(Wed) 16:52
2ちゃんねるは、助け合いという雰囲気が全くなくて、貶し合い・荒らしばかりで、礼儀作法も全くなく、初心者が何か質問をしても「そんなこと質問するな。ぐぐれ」とか、そんなのが当たり前で、人間自体が嫌いになりそうでした。

昨日、某あまりよろしくないゲームをパソコンでやろうとしていて、ちょっと問題が発生したので、いつものごとくグーグルで検索したのです。

出てきたのはほぼすべて英語の掲示板でした。

私は、昔英語に激しく燃えていた時期がありまして、読み書きには何の支障もありませんので、普通に英語の掲示板サイトを開いて読んでみました。

もちろん日本語と同じレベルでの理解力や速度はありませんが、辞書無しでもストレスなく読むことはできます。

そこで、思い知ったことが、2チャンネルとの違いです。

匿名での書き込みはなく、皆、自分のハンドルネームを名乗り、助け合いの雰囲気や礼儀作法が当たり前のようにありました。

初心者が質問してても「what you want is here.」とか、ちゃんと上級者がヘルプを用意してくれてる。

日本みたいに、「ぐぐれ」とか「かえれ」とか「くるな」とか、そんな書き込みは無い。

見てるだけで気分悪くなるようなことも書いてない。
もう、日本語読めなくていいや池沼などガイジの差別用語もあり見ていて気分が悪くなります日本人はもっとネット掲示板を監視をするべき

971 名前:名無しさん@お腹いっぱい。 投稿日:2016/05/04(Wed) 17:11
ネット掲示板、人間の本能的感情や自我的主張が、超自我の規制を離れたところで顕現しているサイトだろうと思います。
自らの内なる本能や自我的要素と通底するものが含まれているからこそ
、同族嫌悪的に忌避しつつも引き込まれるのでしょう。
「>2:8ぐらいで反対派です。」
とおっしゃるのはバランスの取れた感覚ではないかと思いますけどね。

本能と自我、と述べましたが、忌避する原動力となっているのは超自我でしょう。
超自我は善悪の判断に関与していると普通は捉えますが、その本質は本能や自我への規制・抑制です。
(今回のご質問とは関係ないですが、場合によっては過剰な抑制が現出することもしばしばあります。)

>なぜ2ちゃんねらーは創価や北朝鮮、中国などを
ものすごく嫌うんですか?
:いわゆる異端と捉えるからでしょう。
彼らにとって、異端とはつまり、理解できないこととほぼ同義です。
理解できないことは怖いので排斥しようとする、ということだろうと思います

>2chって宗教?じゃないのだろうか?
:そうとも言えるかもしれませんね。
宗教とは絶対的に正しい何かを盲目的に祭り上げるものですが、
あの場における絶対的に正しいものは本能であり、また(相手の立場を考慮しようという気など初めから一切無い、あくまで一方的な)自我であるでしょうから。

>どういう心構えで行くべきでしょうか?
>どうすればうまい具合に利用できるでしょうか?
:まず、2chを無理に忌避しようとしないことでしょうね。
忌避しつつも見るというのは結局それを望んでいるわけですから、他者に害が及ばない限り無理に規制しないほうが良いと思います。
なぜ忌避しつつも見るのかというと、先にも触れましたが、
現実世界では超自我によって規制されている本能や(無制限の)自我の発散場所となっているからです。
自分で発散しなくても、発散する人たち、その内容を見ることで彼らに同化し、自らのカタルシスの発散を行っているわけです。
物理エネルギーと同じでガスは抜いておかないと暴発します。

しかし、超自我だけでは生きられないのと同様に本能や自我だけでも生きられないように人はできています。
規制のはずれた全く素の本能や自我に接触し続けると疲弊するのはそのためです。
自らの本能や自我を自らの超自我で制御(時には解放し時には引き締めるように)できるようになったとき、evaaaaaaaaさんにとっての2ch依存は終了するでしょう。

実際的には、自らの変革を恐れないようにできればいいんですけどね。
その時点で2chはevaaaaaaaaさんの掌中にあるでしょうし、掌中にあるものに依存することはしなくなります。
自らの変革というのは、無論、現実世界での話です。
口幅ったい表現をすれば、身近な世界を地に足を付けて変革していく勇気といったところでしょう。
通常は、ほんの小さな、実に些細と思われるようなことから始めるしかないというのが現実だろうと思います。

972 名前:名無しさん@お腹いっぱい。 投稿日:2016/05/04(Wed) 17:12
自分の土俵」といえば、K‐1で通用しなかった曙を思い出します。
曙は、キックやパンチ、寝技などよりも、
巨体を生かし、プッシュしていくのが得意なのですから、
そういう戦いに相手を引きずり込むことで、満足な結果が得られるのです。
つまり、他のK−1戦士にマワシをつけさせ、
相撲の土俵に上げさせることで、楽に全勝できるのです。
自分がグローブをつけてK−1のリングに上がるのは圧倒的に不利。
また、「自分がどうありたいか」ということも、上がる“土俵”の選択基準となります。

>土俵に引きずり込まれたら、やはり応酬するほうがいいと思いますね。

とのことですが、「応酬する」ということをすればするほど、
さらに相手の土俵に引きずり込まれていきます。
というか、「応酬」という行為そのものが要注意です。
また、「自分がどうありたいか」ということも考えてみる必要があります。

「なんとも文章にするのさえ気分がわるくなるような低俗粗野きわまる人物像」
に、自分が近づいていきたいのかどうかということです。

ま、実を言えば、私も「引きずり込まれた経験」のあるクチです。
ネットの中には「いい影響のある人」「為にならない人」が無限に存在するのです。
為にならないような影響を、好き好んで他人から受けることもありません。
すべては自己責任です。もし、他人から悪い影響を受けたとしたら、
相手が悪いというよりも、それを選んだ自分にほぼ100%責任があるのです。

「応酬する」というのは、
見方を変えれば、「相手に近づき、より真剣に関わり、影響をし合う」ということです。
最初は相手をいさめるつもりであっても、
しばしば、いつの間にやら“土俵”に引きずり込まれて、
相手と同じレベルの自分に変わっていってしまうのです。
ウイルスは「伝染するもの」ですが、
「バカ」も強力に伝染しますので、近づく際はぜひともご用心のことを。

973 名前:名無しさん@お腹いっぱい。 投稿日:2016/05/04(Wed) 17:12
彼らの心性だけではなく、その言語にも問題があります。もとはといえば彼らに謙虚さがないだけではありますが。

974 名前:名無しさん@お腹いっぱい。 投稿日:2016/05/04(Wed) 17:13
他者攻撃をする人種は、基本的に自己イメージが低い者ばかりです。
低い自己イメージを補完するために、バーチャルな世界で虚勢を張っているのです。
他者と友好を深めたり、他者から学ぼうという、善良な目的は持っておらず、
他者を打ち負かし一時的な自己陶酔に浸ることが目的で、手段を選びません。

そこで、議論が得意でなく誹謗中傷が得意な者が、議論を回避しつつ勝つために、
「個人攻撃」という“自分の土俵”に持ち込もうとするのです。
そこでは、攻撃性、威勢の良さ、ガラの悪さ、低俗なボキャブラリーなど、
“持ち味”を存分に駆使しながら善戦できるので、とても都合のいい選択肢なのです。

975 名前:名無しさん@お腹いっぱい。 投稿日:2016/05/04(Wed) 17:16
相手の姿が見えないし、言動も部分的にしか見えないから
憶測で、相手を貶めるために、差別的表現をすることがよく見られますね。

2chみたいなところにいくと、意見と考え方や価値観が違う人の間で
相手のことを、勝手にアスペルガー症候群とか
統合失調症といった病状をかかえている人呼ばわりしたりします。

差別用語についても、同じようなことはめずらしくなく
ちょっとした文法の間違いで、日本人じゃ無いかのように扱うこともあります。
こうなると、人種差別めいてくるので、差別用語と似た特性にもなりますね。


で、たぶんほとんどの場合、それは言いがかりなわけです。
そうすると、そういう人の一部は、そこで覚えた言葉を
腹いせ混じりに、ほかの人に対して使うんだと思います。


被差別の特徴を持っている人であれば、差別用語に対してナーバスで
自分で使おうとはしないことが多いでしょうが…

976 名前:名無しさん@お腹いっぱい。 投稿日:2016/05/04(Wed) 17:18
この記事で取り上げられてるキーワードは「池沼」なんだけれど今回のエントリーではこれに限定すること無く、罵倒、差別コメントについて考えたい。
ただ一つだけ言わせてもらうとするなら差別語を単語ごとに規制していっても「知障」が「池沼」に変わったように新たな言葉に変換されるだけで全く効果が無いことだけは先に言っておく。いままでにもこのブログで何度も似たようなことは書いてきた。
こうやってブログを全世界に向けて公開している以上、全く建設的でないコメントを書き込む輩は一定数存在する。
そればかりか差別や侮辱のみを目的にしたようなコメントも散見される。

実生活でどんなストレスを抱えているのか、泥をすするような生活を強いられているのか知らないが、お前のストレスのはけ口をこっちに向けてくるな。

発端になったコメントは野球に打ち込む親子を綴った記事に付けられたものだが、その野球少年の見た目を「池沼」に例えた醜悪なものである。
本人がそれを見たらどれほどショックを受けるか明白である。
そのコメントを書いた本人に問うてみたいが、自分の大切な人に対して同じコメントが投げかけられたらあなたはどう思うのか想像してもらいたい。


人の心をえぐるようなコメントを残して少しばかりの鬱憤晴らしをしているのかもしれないがそれは通り魔みたいなもんだ。

実生活では、よく知りもしない人にいきなり罵声を浴びせたりしない。
もしそういうことをする奴がいたならば、しかるべき罰を受けることになるし、適切な治療を受けた方がいい。

ところがネット上にはそういった輩が結構な数いる。
実生活だったら到底許されるはずのない行為をネットだからといって恥ずかしげもなくやってのけるのだ。

そういった悪意を向けられる方としてはたまったもんじゃない。
最近はすっかり慣れてきて随分と面の皮が厚くなってきたせいか、ブログを始めた当初のように傷ついたりはしなくなったけれど、ブログ初心者がそういった悪意に晒されたら心を折られてしまう。

そうやってブログを閉じてしまったケースを何度か目にした。悪意をその辺にばら撒いて憂さ晴らしをしている輩は安全圏から石を投げているつもりなのかもしれないが、それは正確には間違いだ。
ネット上にはログが残る。
それを根拠に発言から法的責任を取らされることだって実際に起こっている。


今は俺を含めた多くのブロガーは泣き寝入りをしている状態だ。
それは現状だと名誉毀損に該当するようなコメントを付けられたとしてもそれを法的に決着を付けるまで持っていくのに膨大なコストが必要になるからだ。
それを考えると何もせず地蔵になって耐えるのが最善手となる。
しかしだ、もしこれらの一連の手続きが簡素化されて気軽に訴訟まで持っていけるようなシステムや法整備がなされたのなら今のネット環境は一変するかもしれない。
現時点では情報発信者側である書き手や作り手ばかりがやられ損になっている。
そういう不均衡が是正されたら果たしてどうなるのか興味がある。


ネットは基本的に匿名の世界だからこそ本音の声が聞ける。
それは最大のメリットと言ってもいいほどではあるが、その匿名性を曲解してなんでも言っていいと勘違いしているバカがいる。
こういった連中は罵倒語や差別語をなんの躊躇もせずに使うのだ。
学校や会社で同じような言動をすれば白眼視されるような発言をネットの中では使いまくっている。
そういった連中はネットは安全地帯で自分には石を投げ返されることは無いと、高をくくっているに違いない。

ネットであろうが現実の延長線上でしか無いわけだからその発言は常に責任が生じる。
その事実を理解していれば迂闊な言動は控えられるはずなんだが……。

罵倒「芸」なんてものは本来存在しない。

977 名前:名無しさん@お腹いっぱい。 投稿日:2016/05/04(Wed) 17:24
での差別用語問題について。
僕はネットスラングとして使われている「池沼」(ちしょう=「知的障害」の隠語)については、見ると不快になりますし、使うべきではないと考えています。
でも、特定の言葉だけを削除すればいい、というものでもないんですよね、こういうのって。
使い捨てアカウントから、「バカ」とか「あたまがわるい」とか「死ねばいいのに」って言われるのはイヤなものですが、僕に関していえば、「もうそういうのは慣れてきた」のも事実です。
あーはいはい、とか、そういう感じ。10年言われていると、さすがに少しは慣れます。それで実際に何か具体的なデメリットがあった、ということもないですし。


ただ、「言葉としては差別表現じゃないけど、なんだかとてもつらくなるコメント」っていうのもあるんですよね。
「この人の子供がかわいそう」とか言われると、正直、気になります。
そんなことはない、と思うのだけれども、子供にとって、どう見えているのかという不安をかき立てられるところがあるんですよね。
僕自身に関しては、自分自身のことよりも、自分の周囲の人を攻撃するようなコメントのほうが、いたたまれなくなります。
……とまあ、こういうことを書くと、また嬉々としてそんなコメントを書く人がいるのでしょうけどね。
あと、「何を書いていても、揚げ足をとるようにして粘着してくる特定アカウントの人」は、めんどくさいし怖いな、と。


問題は「差別用語を使っているかどうか」ではなくて、そこに「差別意識があからさまに見られるかどうか」なんですよね、本来は。
「池沼」って言葉に感じる不快さは、「ある人を侮辱したいという意図」と、「差別用語として糾弾されることを回避しようとする狡猾さ」が同居していることにあるのです。
少なくとも「知的障害に関する問題をまともに考えようとしている人」は「池沼」なんて言葉は使わないはずだから。


現実には「ある文章に差別意識があるのかどうか」というのを証明するのは、非常に難しい。
「セクハラやじ」のときだって、「あなたのことを心配してあんなヤジをとばしたんです!」と言っていた人がいましたが、他人の「内心」って、わからないし、証明のしようがないところがあります。
そもそも「思っただけで、罪に問う」ことなんてできない。
仕方がないから、基準をつくりやすい「発された言葉」で判断しましょう、ということになっているのです。


この「差別用語問題」というのは、本当に難しいところがあるんですよ。
『はてな』の「池沼」についての判断は、「それは被害者が直接申告してくれないと、対応できない」という形での保留だったと記憶しています。
僕も、あからさまな差別・侮蔑の言葉だろう、と思うのだけれども、たしかに、第三者が不快な言葉を通報し、それに対しての判断をいちいち求められるようになったら、「はてな」もパンクしてしまうのではないでしょうか。
「コストや人的資源の限界で、第三者からの通報にまで対応するのは難しい」のだよね。



書いている側からすれば(というか僕基準では)、捨てアカウントとか、他人の悪口しか言わないようなアカウントから侮辱されても、「ああ、蝉の季節だねえ」くらいものんです。
ミンミン鳴くのは、そういう生き物だから、しょうがないな、と。
粘着系に較べたら、どうってことはありません。


ただし、こういう「名無しさん」は、ひとりひとりから受けるダメージは小さくでも、あまりに膨大な数に襲いかかられると、「世界を相手に闘っているような恐怖感」に駆られることもあります。
個々の質量は小さくでも、数が大きければ、やはり「重くなる」のです。
まあ、それは「マスメディアで採り上げられるような大炎上レベル」の場合ですが。



ただ、僕は「変化」を感じてもいるのです。


参考リンクのなかに、こんな文章があります。

差別用語を平気で口にして他人を攻撃する
匿名のアカウントも生身の人間の一部だ。
そして差別用語は対象者を差別するものではなく
平然と差別用語を使う本人こそを選別して差別するための用語である。

TwitterやFacebook、はてなでは、あるアカウント(id)を持っている人の行動は、ログとして積み重ねられていきます。
SNSというのを、「他者に言及するためのツール」だと思い込んでいる人は多いけれども、「自分自身をひとつのコンテンツとして、ネットという公共の場に晒すツール」でもあるんですよね。

978 名前:名無しさん@お腹いっぱい。 投稿日:2016/05/04(Wed) 17:24
だ、「言葉としては差別表現じゃないけど、なんだかとてもつらくなるコメント」っていうのもあるんですよね。
「この人の子供がかわいそう」とか言われると、正直、気になります。
そんなことはない、と思うのだけれども、子供にとって、どう見えているのかという不安をかき立てられるところがあるんですよね。
僕自身に関しては、自分自身のことよりも、自分の周囲の人を攻撃するようなコメントのほうが、いたたまれなくなります。
……とまあ、こういうことを書くと、また嬉々としてそんなコメントを書く人がいるのでしょうけどね。
あと、「何を書いていても、揚げ足をとるようにして粘着してくる特定アカウントの人」は、めんどくさいし怖いな、と。


問題は「差別用語を使っているかどうか」ではなくて、そこに「差別意識があからさまに見られるかどうか」なんですよね、本来は。
「池沼」って言葉に感じる不快さは、「ある人を侮辱したいという意図」と、「差別用語として糾弾されることを回避しようとする狡猾さ」が同居していることにあるのです。
少なくとも「知的障害に関する問題をまともに考えようとしている人」は「池沼」なんて言葉は使わないはずだから。


現実には「ある文章に差別意識があるのかどうか」というのを証明するのは、非常に難しい。
「セクハラやじ」のときだって、「あなたのことを心配してあんなヤジをとばしたんです!」と言っていた人がいましたが、他人の「内心」って、わからないし、証明のしようがないところがあります。
そもそも「思っただけで、罪に問う」ことなんてできない。
仕方がないから、基準をつくりやすい「発された言葉」で判断しましょう、ということになっているのです。


この「差別用語問題」というのは、本当に難しいところがあるんですよ。
『はてな』の「池沼」についての判断は、「それは被害者が直接申告してくれないと、対応できない」という形での保留だったと記憶しています。
僕も、あからさまな差別・侮蔑の言葉だろう、と思うのだけれども、たしかに、第三者が不快な言葉を通報し、それに対しての判断をいちいち求められるようになったら、「はてな」もパンクしてしまうのではないでしょうか。
「コストや人的資源の限界で、第三者からの通報にまで対応するのは難しい」のだよね。

979 名前:名無しさん@お腹いっぱい。 投稿日:2016/05/04(Wed) 17:26
書いている側からすれば(というか僕基準では)、捨てアカウントとか、他人の悪口しか言わないようなアカウントから侮辱されても、「ああ、蝉の季節だねえ」くらいものんです。
ミンミン鳴くのは、そういう生き物だから、しょうがないな、と。
粘着系に較べたら、どうってことはありません。


ただし、こういう「名無しさん」は、ひとりひとりから受けるダメージは小さくでも、あまりに膨大な数に襲いかかられると、「世界を相手に闘っているような恐怖感」に駆られることもあります。
個々の質量は小さくでも、数が大きければ、やはり「重くなる」のです。
まあ、それは「マスメディアで採り上げられるような大炎上レベル」の場合ですが。



ただ、僕は「変化」を感じてもいるのです。


参考リンクのなかに、こんな文章があります。

980 名前:名無しさん@お腹いっぱい。 投稿日:2016/05/04(Wed) 17:26
差別用語を平気で口にして他人を攻撃する
匿名のアカウントも生身の人間の一部だ。
そして差別用語は対象者を差別するものではなく
平然と差別用語を使う本人こそを選別して差別するための用語である。

TwitterやFacebook、はてなでは、あるアカウント(id)を持っている人の行動は、ログとして積み重ねられていきます。
SNSというのを、「他者に言及するためのツール」だと思い込んでいる人は多いけれども、「自分自身をひとつのコンテンツとして、ネットという公共の場に晒すツール」でもあるんですよね。


ある人が「池沼」という言葉を使って誰かを攻撃していたとします。
それで、攻撃した本人は少し溜飲が下がるかもしれません。
言われたほうは、傷つくでしょう。
そして、第三者には、「他人に『池沼』なんてひどい言葉を投げつける人」の姿が見えているのです。


佐々木俊尚さんの『自分でつくるセーフティネット』という本のなかに、こんな一節がありました。

そして、これは有名人だけの問題じゃない。会社の同僚とか上司とか、学校の友人とか、さらには街ですれ違った見知らぬ人同士だって、その人の悪口をこっそり言ったつもりでも、ふつうに本人にあからさまに伝わっちゃうようなことが起きてるんですよ。
 これこそが、すべてが丸見えになる総透明社会。悪意も嘲笑も、全部丸見えの透明になっちゃうんですね。
 悪口を言われたほうは、たまったものじゃありませんよね。陰口をたたかれるのも嫌なものですが、それが陰口じゃなくて面と向かって言われるようになっちゃうと、精神的なダメージはもっと大きいでしょう。

 でもね、見方を変えてみましょう。悪口を言ったほうは安全な場所にいると思いますか? 上から目線で他人の悪口を言って、それでうさを晴らしたとしたら、あとはすっきり忘れられる?
 そんなことはないですよね。たとえばあなたの近くにいる人、たとえば会社の上司が、仕事場では真面目で通っている人なのに、ある日その人のツイッタ―を覗いてみたら、誰かに対する呪いのことばみたいな悪口を延々と言い続けている。うひゃー、こんな人だったんだ! もうそれだけで、翌日からこの上司さんへの見方が変わっちゃうんでは。
 信頼している人が、安倍首相に「下痢ピー」なんて言ってたらどうでしょう。自民党を支持してるとか支持してないとかって政治の立場のことなんかより先に、「ああ、この人は病気に理解がない人なんだなあ」と思われてしまう。

人というのは「自分視点」になりがちです。
というか、かなり意識的にやらないと、自分を俯瞰するのは難しい。


981 名前:名無しさん@お腹いっぱい。 投稿日:2016/05/04(Wed) 17:27
このエントリを書きながら、僕もいろいろ反省しているのです。
悪口や誹謗中傷に対して、ついカッとなって反撃してしまったり、根拠があいまいな情報を紹介したり、リツイートしたりしたこともあるので。
相手にどんなに非があると感じていても、斬り合った時点で、第三者からみれば「同じ土俵の上に乗っている人」に見えてしまうこともある。
(僕だって、そういうふうに見てしまうことがある)
それでも、我慢しきれないときもあるし、ときには反撃しておかないと、やられっぱなしでは際限なく攻撃されるのではないか、と不安にもなる。
それは、僕の至らなさであり、弱さです。


982 名前:名無しさん@お腹いっぱい。 投稿日:2016/05/04(Wed) 17:27
「池沼」というネットスラングを見るたびに、わたしは心臓をぎゅっと掴まれたように胸が痛くなり、息が止まりそうなくらいに凍りついてしまう。
他の差別用語でもそのようになってしまうのだけど、特に「池沼」は堪える。

それは、身内に知的障害者がいるからかもしれない。
いや、正確に言えば「いた」だ。
母の従兄弟は、知的障害者だった。

いつか書きたかったことだけど、ちょうど書くタイミングかもしれないな。

Kちゃんが知的障害者になった理由

わたしの家族は、彼をKちゃんと呼んでいた。
母が彼をそう呼んでいたので、それが父や義父(つまりわたしの祖父)や娘たちにも伝染していった。

Kちゃんは、戦時中に生まれた。
先天的に知的障害があったわけではなかった。
幼いころに破傷風に罹り、高熱と痙攣を起こした後遺症として残ったものだと聞いている。
戦時下ということでまともに医療を受けられる時代じゃなかったから、死ななかっただけ奇跡というレベルだったらしい。

当時を知っている人たちはみんな鬼籍に入ってしまったので伝聞ばかりだけど、おおまかに言うとそういうことみたい。
結果、Kちゃんには知的障害と軽度の難聴と軽い運動障害とてんかんのような発作が残った。
知的障害の程度としては、小学校低学年くらいの知能だった。

戦中戦後の混乱期ということもあってか、それなりに世間は受け入れてくれたみたいだ。
わたしの母の伯母の力添えもあって、小学校を出て、少ししてから食品工場に勤め始めた。
母の伯母が亡くなってからは一人で暮らしながら工場で働き続けた。
母の伯父は戦争で亡くなったんだったかな。なぜか伯父の存在は親戚間でもあまり語られたことがないからわからない。

Kちゃんは、時代に翻弄された人だった。

Kちゃんとわたし

ややこしいので家系図的なものを。

983 名前:名無しさん@お腹いっぱい。 投稿日:2016/05/04(Wed) 17:28
こうして見るとけっこう遠いけど、付き合いは全然遠くなかったな。

母の伯母が亡くなってから、よく面倒を見ていたのはわたしの祖母と母だった。
母が結婚した先がKちゃんの家と地下鉄で3駅だったこともあって、母がメインで面倒を見てた。
母の結婚相手の父も義父(わたしの祖父)も当たり前のようにKちゃんを受け入れていて、Kちゃんもよく自転車で家に遊びに来た。
工場で作っているシュークリームやアップルパイを持って。朝でも昼でも「こーんばーんは」って言いながら。

わたしの中でのKちゃんは、「いつもシュークリームやアップルパイを持ってきて、時々おもちゃを買ってきてくれて、高い高いしたりメリーゴーランドして遊んでくれる優しいおじさん」だった。
知的障害があるなんてまったく思いもしなかったし、妹に聞いてみても妹もそう思ってなかった。
わたしも妹も、Kちゃんが遊びに来るのが楽しみだった。Kちゃんはわたしと妹をとてもかわいがってくれたし、わたしも妹もKちゃんが好きだった。
KちゃんはKちゃんで、それ以上でも以下でもなかった。

Kちゃんの晩年

60歳で工場を定年退職したあと、Kちゃんは近所を散歩したり自転車で好きな動物園へ行ったりしながら毎日を過ごしていた。
加齢に伴って少しづつ身体のあちこちが悪くなり、認知症のような症状も出ていたけど、母が定期的に様子を見に行くことと近所のタバコ屋さんの協力、要支援認定での食事宅配サービスを使いながら一人暮らしをしていた。

さすがに一人暮らしが危なくなってきたので、母は施設を探した。
片っ端から施設に問い合わせても、ただでさえ要介護認定を受けた人が順番待ちをしているような時代に、身体障害者4級+要支援認定ではなかなか見つからない。
ある施設で「愛護手帳があれば」と言われ、母は愛護手帳を探した。

しかし、Kちゃんは身体障害者手帳しか持っていなかった。愛護手帳*1の存在を母の伯母は知らなかったため申請を出していなかったことが、そのとき初めてわかった。
愛護手帳は1973年(昭和48年)に厚生省(現厚生労働省)が出した通知(「療育手帳制度について」)に基づくものなので、知らなかったとしても仕方ない…とはいえ行政が一言教えてくれてたら、とは今でも思う。
知的障害者福祉センターに出向いてもみたけど、今から愛護手帳の申請をしようにも、そもそも知的障害者となった経緯や過去の通知表などの客観的証拠がまったくないため、認定は難しいと言われてしまった。

施設を探すようになった理由は、もうひとつあった。
当時一人暮らしをしていたわたしが実家に帰ったときに、遊びに来ていたKちゃんがぽつりと漏らした。
「最近なぁ、近所に子供がおるんだわ。
 うちの前通るときになぁ、「知恵遅れ」やら「頭おかしい奴」やら言ってくんだわ。
 おれ、何もしとらんがや」
そう言ってKちゃんは、ぽろりと涙を流した。
わたしと母は、あまりの怒りと悲しみで涙をこぼした。体中の血が沸騰しながら巡るような激しい怒りだった。
わたしは今でも、「池沼」という言葉をネットで見ると、時々このときの激しい怒りがフラッシュバックすることがある。

984 名前:名無しさん@お腹いっぱい。 投稿日:2016/05/04(Wed) 17:28
心ない人が増えてきた中で、一人で置いておくのは危ない。でも、家に引き取るのも難しかった。
母は何度も行政へ相談に行き、申込書を送った。
わたしは働きながらネットで情報を探し、母に伝えた。

ある冬の日、わたしは仕事中にふと「Kちゃんの施設、どうなったんだろう」と思い出した。
その夜、母からKちゃんが救急搬送されたことと、危篤であることを知らされた。
仕事が忙しい時期で面会時間に間に合わないから、明後日の祝日にお見舞いに行くね、と言って電話を切った。
お見舞いに行くはずだった祝日に、わたしは呆然としながらKちゃんのお骨を拾った。

Kちゃんの遺影は、今も家にある。
戒名には、「智」という文字が入れられている。

「池沼」という言葉を使う前に、考えてほしいこと

「池沼」や「あうあうあー」といった言葉や「^p^」という顔文字は、知的障害者を指すネットスラングとしてよく使われている。
知的障害者への暴言を目にすることも少なくない。
そこには、知的障害者なら言ってもわからないだろう、という意識があると考えている。

985 名前:名無しさん@お腹いっぱい。 投稿日:2016/05/04(Wed) 17:28
池沼」という言葉を使う前に、考えてほしいこと

「池沼」や「あうあうあー」といった言葉や「^p^」という顔文字は、知的障害者を指すネットスラングとしてよく使われている。
知的障害者への暴言を目にすることも少なくない。
そこには、知的障害者なら言ってもわからないだろう、という意識があると考えている。

でもね。
言葉の意味はわからないかもしれないけど、そこにある明確な悪意は、ちゃんと伝わってる。
それは、「池沼」という言葉を知的障害者以外への罵倒語として使うときだって同じ。
「使うな」とは言わないし言えない。グレーゾーンの言葉を規制するのは、言葉狩りにつながることだから。
ただ、そこに含まれた差別感情や悪意、嫌悪や侮蔑は、知的障害者本人や周囲の人間に伝わる。
そのことは、忘れないでほしい。


986 名前:名無しさん@お腹いっぱい。 投稿日:2016/05/04(Wed) 17:33
ネットでもそういう言葉気軽に使えるやつは育ち悪いんだろうなと思う
汚い言葉使っちゃう俺カッケーなんだろうか

987 名前:名無しさん@お腹いっぱい。 投稿日:2016/05/04(Wed) 17:34
だから屁理屈だろうが
アスペって言われたら誰だってムカつくし
だからってムカつくからってアスペの人を侮辱したいわけでは決して無い

988 名前:名無しさん@お腹いっぱい。 投稿日:2016/05/04(Wed) 17:35
バカの一つ覚えみたいに池沼ガイジ アスペ連呼してるやつ嫌い

989 名前:名無しさん@お腹いっぱい。 投稿日:2016/05/04(Wed) 17:40
理屈はないけど「アウト」ってあるよね。伊集院光氏いうところのどんな気が合っても万引きを正当化する価値観のヒトのとつきあえないってのと似てる。たしかに「ガイジ」とか「池沼」はちょっとね

990 名前:名無しさん@お腹いっぱい。 投稿日:2016/05/04(Wed) 17:42
気に食わない奴になんでもかんでも 池沼池沼言ってる奴の方がよっぽど池沼っぽく見えるってのは既出だろうけど言いたい

991 名前:名無しさん@お腹いっぱい。 投稿日:2016/05/04(Wed) 17:44
あとここでいう池沼の定義がよくわからないが、広汎性発達障害や精神遅滞なら軽度の人はたくさんいる。
ADHDとかアスペルガーなら今までに皆かなり遭遇してるはずだけど、彼ら全員が社会不適合者じゃない。いわゆる「空気の読めない人」とかの多くもそう。

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