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歴史・世界史

[1:レゲーさん (2011/08/05(Fri) 11:29)]
歴史について詳しく解説していきます。


[69:レゲーさん (2011/09/27(Tue) 16:21)]
エピソード8

         【ヘレニズム文化】
はい皆さんお元気でしょうか。世界史の時間がやってまいりました〜。
今日はねヘレニズム文化とこのようにタイトルにも書いていますけれども
ヘレニズム時代およびその時代の文化という事でヘレニズム文字という事をお話していこうと思います。
え〜まず黒板を見てみますとヘレニズム時代とはいったいどんな時代なのかというとポイント@です。

『アレクサンドロス大王』の東征。まあ『東征遠征』ですね。この東征遠征の約300年間をヘレニズム時代と
このように言っておるんだという事をまず第1点おさえておきましょう。
じゃあこの時代をどういう風に理解するかというとやっぱりキーパーソンが出てくるわけなんですね。
すでに人物の名前が出ました。『アレクサンドロス大王』。彼の業績というものを追いながらその政治史というものを確認していくのが
このヘレニズム時代を理解する為の大きなポイントとなるわけです。
あっちいったりこっちいったりというんじゃなしにアレクサンドロスの業績を追いながら展開していこうと思います。
ではね中身に入っていきましょう。


[70:レゲーさん (2011/09/27(Tue) 16:21)]
ギリシアのね北の方にマケドニアという国が大昔建国されていたんです。
マケドニアという国。重要な語句ですね。え〜バルカン半島の南側でアテネなどのポリスが数多くあるエリアです。
マケドニア人はギリシア人の一派なんですね。ギリシア人の仲間と考えても良いでしょう。
アテネなどギリシアの中心部の人達と比べてだいぶまあ、なまりがあったみたいなんで彼らはバルバロイ
これもやりましたね〜覚えてますかバルバロイ。
英語でいうとバーバリアン。ね。汚い言葉を話す連中とこのように呼ばれてケイベツされていたんですね。
まあいわゆるヤバン人扱い。とでもいいましょうか。
でまあマケドニア人はポリスを形成していなくて王の元に貴族そうが支配下になっていたんです。
そう言った意味でも非常に遅れていた連中だとこのように思われていたのでしょう。
だいたい大まかな背景というのはそういう感じですね。

しかしここから逆転劇が始まっていくんですね。ところがこのマケドニアという国
南方の、せいしん地域が指導権争いでどんどん衰退していった。そういう時代背景だったんです。
それとは逆点する形で遅れていたマケドニアが力をつけてきた。いいですか?
マケドニアを1大強国(強い国)に発展させたのが『フィリッポス2世』という人物です。
キーパーソンですよ!フィリッポス2世!彼がマケドニアの国を1大強国にした立役者です。
フィリッポス2世は若かりし頃にテーベに人質になっていたそういう時代があったんですね実は
重装歩兵の戦術をじっくりと学んだんですそこで。人質の時代に『ファランクス戦法』という戦術をマスターした。
ファランクス戦法・・分かりますよね?別名『徴集密集戦法(ちょうしゅうみっしゅうせんぽう)』というんですが・・。

ファランクス戦法・・人が並ぶわけです。横に並んで縦にも並ぶわけです。
前にいる人は『たて』をもちます、たて・・防御・ガードする器具。
隣の人の『たて』がまた隣の人を防御する。守る。ガードですね。
そして後ろの列の人達は『ヤリ』です。一番前の列が『たて』を持って
で、2列目の人は『ヤリ』を持つ。こういう形で的に迫っていくわけです。
その形を崩さずにね。その形のまま相手にぶつかっていくわけです。
真正面から見ると1列目は『たて』に守られています。だから1列目の兵隊は安全なんです。
『たて』の間から矢を、ヤリを構えている。そして敵をやっつけるわけですね。
でもこの『ファランクス戦法』実はウィークポイントが存在します。ウィークポイント・・弱点があります。
何処が弱いか、弱い部分は右サイドと左サイドの人です。

つまり隅っこにいる人。一番端っこに立ってる人が一番危険なんです。
何故ならば自分が一番隅にいるから横から攻撃されたらアウトなんです。
真ん中の人達は相手の『たて』でガードされてるので半分身を守られているのでまだ安全なんです。
でも一番隅(端っこ)にいる人は身体半分はみ出してしまっているから危ないんです。
という事はこのファランクス戦法・・一番隅に行く人物が非常に英雄(ヒーロー)として称えられるわけです。

こういうね『徴集密集戦法』というんですが、その『ファランクス戦法』という戦い方・戦術を
人質時代にテーベで学んだわけですフィリッポス2世という人はね
こうしてフィリッポス2世さんは非常に戦術にたけたそういう人物になっていった。
その能力を精一杯利用していったんです。勿論、マケドニア国で王位の座について活躍したんですね。
マケドニアという国の軍隊は貴族の騎兵が中心だったので、農民を『重装歩兵』にして、
フィリッポス2世は軍制改革を成功させていきます。それと同時に王様の権利を強化します。
で、ごたごたが続くギリシアに向かって攻めていったんです。戦いです。

ラウンドワン(第1ラウンド)というのが『アテネ・テーベ』連合軍がマケドニア軍を迎え撃った!
これが紀元年338年・・・『カイロネイアの戦い』という戦争。カイロネイアの戦い。
これね実は迎え撃ったわけですから、やられちゃったんですね。やられたのは勿論アテネ・テーベの連合軍ですよ。
破ったのはマケドニアです。そりゃスキをつかれた形になるんでしょうね。
表向きは迎え撃ったとなっていますが実際は不意打ちらしいですよこれ。

まさかギリシアのごたごたが続いてる間に、あんなに遅れているマケドニアが
パワー(力)を身に付けて、まさか自分達に攻めてくるなんて思いもしなかった。
そういう時に、フッと攻撃されたんで慌ててしまってねアテネ・テーベの連合軍は
ズタズタにやられてしまったわけです。そういう説があります。


[71:レゲーさん (2011/09/27(Tue) 16:46)]
その後、フィリッポス2世はアケメネス朝ペルシアの企画中にね暗殺されてしまったんです。
殺害されてしまったんです。
当時彼は40代半ばでした。これからいよいよというところで暗殺されてしまう。皮肉な話ですよね。
この暗殺された背景というのは実は分かっていません。半マケドニアの連中によっては、

こんなチャンスはないですよね。だってフィリッポス2世がお亡くなりになられたんだから
独立を回復するにはフィリッポス2世の死ほどアリがたいものはありませんからね。
何しろマケドニアはフィリッポス1代でこんなに強い国になった。
彼さえいなければマケドニアの支配というのはすぐに崩れるだろうとこのように考えられていたわけですね。

そしてフィリッポス2世には息子がおりました。息子はまだ20歳(ハタチ)です。
このハタチの息子にフィリッポス2世の偉大な業績というものが受け継げるわけがないでしょう。
まあ非常に常識的な考え方で当時もそのように考えられていたわけですね。
しかしこのハタチの後継ぎが・・実はそれが『アレクサンドロス大王』という人物なんですが
彼がね〜実はやってしまうんですよ色々と。

周囲の連中はね『ハタチそこらの若僧にこの国を守れるわけがない!任せるわけにはいかん!』
などと否定したんですが、ところがどっこいの世界なんですね。
どんどん実力を発揮していったわけです。まあ英語では『アレキサンダー』と呼ばれていますね。
でまあアレクサンドロスは非常に英雄なんですね。政治的にも優れていたし軍事的な能力でも非常に優れていた。


[72:レゲーさん (2011/09/27(Tue) 16:47)]
で、以前お話したかと思いますが『アレクサンドロス』は少年時代、家庭教師についてもらって学んだんです。
で、父(フィリッポス2世)の死を即位するとギリシアの独立運動を徹底的におさえてペルシア遠征を実行するんです。
そのペルシア遠征の出発の年、重要ですここ。紀元前334年!という時代です。
紀元前334年・・・まず当然エジプトを支配していきます。近いですからね。
エジプトを支配した後、アケメネス朝ペルシアを紀元前333年『イッソスの戦い』という戦乱
そして紀元年331年『アルベラの戦い』という田tか合いで打ち破っていく。

で、『ダレイオス1世』という人物は負けて逃げている時に家臣に暗殺されて
実はこの王朝というものが滅亡してしまうんです。
で、エジプトから今度は真反対の方に行くんですね。え〜、東進、東に進んでいく
イランとか中心アジアというエリアを経て、『インダス川』のエリアにまで進出
このインダス川・・ポイントですね。最初の授業でやりましたね。インダス川

ヘレニズム文化・・ギリシア人が東方に移ったという事、それによってギリシア文化が普及されて
更に東方の文化も融合されていったわけなんです。その結果生まれたのがヘレニズム文化という
非常にまあ美しい、美しいというのは物が美しいとかじゃなくて精神ですね。
そういう文化が生まれた。『世界市民主義の風潮』ね。『世界市民主義』・・政治からの逃避
心の安静を追求していった。その有名な人物というのが『ゼノン』であり『エピクロス』という人物でありました。

でも勿論ギリシア文化もそうでしたし、この時代の文化も自然科学が大いに発達したわけです。
その発達の中でねどうしても外せないのがやっぱり『アルキメデス』というもの。
数学でもありますよねアルキメデスの原理とか。聞いた事ありませんか?
数学物理の初原理を色々こう編み出していった。え〜アルキメデス
非常に有名な人物ですね。で、このアルキメデスという人の業績というのがありまして
プトレマオス朝・・エジプトですね。
エジプトの都、アレクサンドリアというのは学塾の都として多くの俊才(しゅんさい)を集わせたらしいです。
シラクサというエリアがあるんですがシラクサ出身のアルキメデスも実はここで学んだ一人なんです。彼の故郷なんですシラクサは。
アルキメデスが結果として多方面に数多くの業績を残していったんですね。
数学では円周率の丸(円)の、旧跡法を解いて物理学では『テコの原理』というものを明らかにして
『私に足場を与えよ!そしたら地球をも動かしてみせよう!』というような事を言ったらしいです。

テコの原理を考え出して自分自身に足場さえあれば大きい地球だって動かす事簡単なんだと言い放ったわけですね。
で、インダス川・・インドの直前まで行った。当時は勿論自動車なんて存在しませんよ。
そう考えるとね非常に広いエリアを支配していたんだという事が分かると思います。

広大な知識をハタチそこらの若僧(アレクサンドロス)がね支配してしまうんですから非常に有能な人物ですね


[73:レゲーさん (2011/09/27(Tue) 16:50)]
↑訂正

      


[74:レゲーさん (2011/09/27(Tue) 16:51)]
         【ヘレニズム文化】
はい皆さんお元気でしょうか。世界史の時間がやってまいりました〜。
今日はねヘレニズム文化とこのようにタイトルにも書いていますけれども
ヘレニズム時代およびその時代の文化という事でヘレニズム文字という事をお話していこうと思います。
え〜まず黒板を見てみますとヘレニズム時代とはいったいどんな時代なのかというとポイント@です。

『アレクサンドロス大王』の東征。まあ『東征遠征』ですね。この東征遠征の約300年間をヘレニズム時代と
このように言っておるんだという事をまず第1点おさえておきましょう。
じゃあこの時代をどういう風に理解するかというとやっぱりキーパーソンが出てくるわけなんですね。
すでに人物の名前が出ました。『アレクサンドロス大王』。彼の業績というものを追いながらその政治史というものを確認していくのが
このヘレニズム時代を理解する為の大きなポイントとなるわけです。
あっちいったりこっちいったりというんじゃなしにアレクサンドロスの業績を追いながら展開していこうと思います。
ではね中身に入っていきましょう。

ギリシアのね北の方にマケドニアという国が大昔建国されていたんです。
マケドニアという国。重要な語句ですね。え〜バルカン半島の南側でアテネなどのポリスが数多くあるエリアです。
マケドニア人はギリシア人の一派なんですね。ギリシア人の仲間と考えても良いでしょう。
アテネなどギリシアの中心部の人達と比べてだいぶまあ、なまりがあったみたいなんで彼らはバルバロイ
これもやりましたね〜覚えてますかバルバロイ。
英語でいうとバーバリアン。ね。汚い言葉を話す連中とこのように呼ばれてケイベツされていたんですね。
まあいわゆるヤバン人扱い。とでもいいましょうか。
でまあマケドニア人はポリスを形成していなくて王の元に貴族そうが支配下になっていたんです。
そう言った意味でも非常に遅れていた連中だとこのように思われていたのでしょう。
だいたい大まかな背景というのはそういう感じですね。


[75:レゲーさん (2011/09/27(Tue) 16:52)]
しかしここから逆転劇が始まっていくんですね。ところがこのマケドニアという国
南方の、せいしん地域が指導権争いでどんどん衰退していった。そういう時代背景だったんです。
それとは逆点する形で遅れていたマケドニアが力をつけてきた。いいですか?
マケドニアを1大強国(強い国)に発展させたのが『フィリッポス2世』という人物です。
キーパーソンですよ!フィリッポス2世!彼がマケドニアの国を1大強国にした立役者です。
フィリッポス2世は若かりし頃にテーベに人質になっていたそういう時代があったんですね実は
重装歩兵の戦術をじっくりと学んだんですそこで。人質の時代に『ファランクス戦法』という戦術をマスターした。
ファランクス戦法・・分かりますよね?別名『徴集密集戦法(ちょうしゅうみっしゅうせんぽう)』というんですが・・。

ファランクス戦法・・人が並ぶわけです。横に並んで縦にも並ぶわけです。
前にいる人は『たて』をもちます、たて・・防御・ガードする器具。
隣の人の『たて』がまた隣の人を防御する。守る。ガードですね。
そして後ろの列の人達は『ヤリ』です。一番前の列が『たて』を持って
で、2列目の人は『ヤリ』を持つ。こういう形で的に迫っていくわけです。
その形を崩さずにね。その形のまま相手にぶつかっていくわけです。
真正面から見ると1列目は『たて』に守られています。だから1列目の兵隊は安全なんです。
『たて』の間から矢を、ヤリを構えている。そして敵をやっつけるわけですね。
でもこの『ファランクス戦法』実はウィークポイントが存在します。ウィークポイント・・弱点があります。
何処が弱いか、弱い部分は右サイドと左サイドの人です。

つまり隅っこにいる人。一番端っこに立ってる人が一番危険なんです。
何故ならば自分が一番隅にいるから横から攻撃されたらアウトなんです。
真ん中の人達は相手の『たて』でガードされてるので半分身を守られているのでまだ安全なんです。
でも一番隅(端っこ)にいる人は身体半分はみ出してしまっているから危ないんです。
という事はこのファランクス戦法・・一番隅に行く人物が非常に英雄(ヒーロー)として称えられるわけです。

こういうね『徴集密集戦法』というんですが、その『ファランクス戦法』という戦い方・戦術を
人質時代にテーベで学んだわけですフィリッポス2世という人はね
こうしてフィリッポス2世さんは非常に戦術にたけたそういう人物になっていった。
その能力を精一杯利用していったんです。勿論、マケドニア国で王位の座について活躍したんですね。
マケドニアという国の軍隊は貴族の騎兵が中心だったので、農民を『重装歩兵』にして、
フィリッポス2世は軍制改革を成功させていきます。それと同時に王様の権利を強化します。
で、ごたごたが続くギリシアに向かって攻めていったんです。戦いです。


[76:レゲーさん (2011/09/27(Tue) 16:52)]
ラウンドワン(第1ラウンド)というのが『アテネ・テーベ』連合軍がマケドニア軍を迎え撃った!
これが紀元年338年・・・『カイロネイアの戦い』という戦争。カイロネイアの戦い。
これね実は迎え撃ったわけですから、やられちゃったんですね。やられたのは勿論アテネ・テーベの連合軍ですよ。
破ったのはマケドニアです。そりゃスキをつかれた形になるんでしょうね。
表向きは迎え撃ったとなっていますが実際は不意打ちらしいですよこれ。

まさかギリシアのごたごたが続いてる間に、あんなに遅れているマケドニアが
パワー(力)を身に付けて、まさか自分達に攻めてくるなんて思いもしなかった。
そういう時に、フッと攻撃されたんで慌ててしまってねアテネ・テーベの連合軍は
ズタズタにやられてしまったわけです。そういう説があります。

その後、フィリッポス2世はアケメネス朝ペルシアの企画中にね暗殺されてしまったんです。
殺害されてしまったんです。
当時彼は40代半ばでした。これからいよいよというところで暗殺されてしまう。皮肉な話ですよね。
この暗殺された背景というのは実は分かっていません。半マケドニアの連中によっては、

こんなチャンスはないですよね。だってフィリッポス2世がお亡くなりになられたんだから
独立を回復するにはフィリッポス2世の死ほどアリがたいものはありませんからね。
何しろマケドニアはフィリッポス1代でこんなに強い国になった。
彼さえいなければマケドニアの支配というのはすぐに崩れるだろうとこのように考えられていたわけですね。

そしてフィリッポス2世には息子がおりました。息子はまだ20歳(ハタチ)です。
このハタチの息子にフィリッポス2世の偉大な業績というものが受け継げるわけがないでしょう。
まあ非常に常識的な考え方で当時もそのように考えられていたわけですね。
しかしこのハタチの後継ぎが・・実はそれが『アレクサンドロス大王』という人物なんですが
彼がね〜実はやってしまうんですよ色々と。

周囲の連中はね『ハタチそこらの若僧にこの国を守れるわけがない!任せるわけにはいかん!』
などと否定したんですが、ところがどっこいの世界なんですね。
どんどん実力を発揮していったわけです。まあ英語では『アレキサンダー』と呼ばれていますね。
でまあアレクサンドロスは非常に英雄なんですね。政治的にも優れていたし軍事的な能力でも非常に優れていた。




72 名前:レゲーさん 投稿日:2011/09/27(Tue) 16:47
で、以前お話したかと思いますが『アレクサンドロス』は少年時代、家庭教師についてもらって学んだんです。
で、父(フィリッポス2世)の死を即位するとギリシアの独立運動を徹底的におさえてペルシア遠征を実行するんです。
そのペルシア遠征の出発の年、重要ですここ。紀元前334年!という時代です。
紀元前334年・・・まず当然エジプトを支配していきます。近いですからね。
エジプトを支配した後、アケメネス朝ペルシアを紀元前333年『イッソスの戦い』という戦乱
そして紀元年331年『アルベラの戦い』という田tか合いで打ち破っていく。

で、『ダレイオス1世』という人物は負けて逃げている時に家臣に暗殺されて
実はこの王朝というものが滅亡してしまうんです。
で、エジプトから今度は真反対の方に行くんですね。え〜、東進、東に進んでいく
イランとか中心アジアというエリアを経て、『インダス川』のエリアにまで進出
このインダス川・・ポイントですね。最初の授業でやりましたね。インダス


[77:レゲーさん (2011/09/27(Tue) 17:04)]
インダス川・・インドの直前まで行った。当時は勿論自動車なんて存在しませんからね。
そう考えると非常に広いエリアを支配していたんだという事が分かると思います。
広大なエリアをハタチそこらの若僧(アレクサンドロス)がね支配してしまうんですから
非常に非現実的な話ですよね。でも現実ですよ。

紀元前334年・・・『アレクサンドロス大王』はね東方遠征いわゆる出発!
ひきいるギリシア軍は、騎兵、歩兵、合わせて40000(4万人)。
この当時の食料というのは30日分しかなかったらしいので確実に勝利して帰って来る!
というそういう意気込みで行ったんだと思います。そうとう自信があるんですね。

で、ヨーロッパとアジアを分けるエリアを渡ってまず最初の開戦!
『グラニコスのかはんの戦い』というんですがこの時ペルシア軍もだいたい4万人くらい兵がいました。
ここでアレクサンドロスは軽く敵を蹴散らせて途中の都市を征服しながらメソポタミア地方に向かっていくんです。
まあこの戦術的な能力というのは非常に父親(フィリッポス2世)譲りのものがあって
決断力もあったことから非常に勝利を収めていくのに好都合であったと言えるでしょう。

ですけれどもこのアレクサンドロス大王
こころざし半ばにして命を落としてしまうんです。どんな強い人間でも死は必ず訪れるものなんですね。
彼が亡くなると誰がアレクサンドロス大王の後を受け継ぐかという事でこういう争い・戦乱が起こるんですね。
『ディアドコイ』後継者争いの事をディアドコイと言います。
この争いがキッカケで国が3つに分かれてしまうんです。分裂です。バラバラになるんですね。
歴史の中では非常に多いんですよ。ケンカが原因でバラバラになるというのは。
どういう風に分裂したかというと、

3つに別れていく・・
『アンティゴノス朝』マケドニア。そして『セレウコス朝』シリア。
そして3つ目が『プトレマイオス朝』のエジプト。この3つの王朝が誕生するんです。いいですか?
マケドニア国から分裂して3つの国が建国されたんです。色々問題はあったけど
実はこういう中でお互いの文化、文明というものが栄えていくんですね。

そしていよいよ今回のテーマである『ヘレニズム文化』というものが誕生します。



[78:名無しさん@お腹いっぱい。 (2011/10/01(Sat) 23:43)]
古代史って燃えないんだよな・・・
現代に近ければ近い程いい


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