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日本の大衆歌曲・歌謡曲の歴史

164 名前:名無しさん@お腹いっぱい。 投稿日:2013/09/07(Sat) 23:54
☆佐藤惣之助没後70年

今年、平成24年の5月15日は、大正から昭和戦前に活躍した稀有な詩人であって、古賀政男と多くの名曲を世に送り出した佐藤惣之助が、昭和17年(1942)にこの世を去って70年になる。

古賀メロディーの「名曲」と言われる歌に「佐藤惣之助作詞」というのがなんと多いことか。佐藤惣之助の詞にもいろいろあるが、青春を謳いあげ、あるいは青春の苦悩をテーマとしたものが多い。

古賀政男は「詩はお姉さん、曲は弟」といって特に「詩」を大切にした人として知られる。

古賀メロディーのヒット、特にテイチク黄金時代といわれる昭和10年代のそれには、「佐藤惣之助」の日本人の心の琴線に触れる名詞があったことを否定できないでしょう。

まだ日本が草深い、貧しかった昭和の初めから昭和10年代、日本人の古き良き哀歓を謳いあげたその歌は“簡潔にして適切”。

大正から昭和初期の詩壇にて活躍した詩人にして殊玉の作品を世に送り、「詩の家」を主宰して多くの後進の指導にあたったと言われている。

短い文字数や文節で多くのことを伝えるのに長けている。無駄が無く、詞だけでもその歌の境地を存分に堪能することができる、幸いYou−Tubeが発達し、そのオリジナル音源も聞くことができる。

佐藤惣之助は、萩原朔太郎はじめ、島崎藤村、野口雨情、佐藤紅禄、与謝野晶子など当代随一の詩人や、川端康成、尾崎士郎、小島政二郎、広津和郎、山本有三、吉屋信子、宇野千代などの作家、川端龍子など画家、俳人など様々な分野で活躍し交友のあった文士仲間は多い。

惣之助は、「私は詩を大衆の中に捨てた、そして波浪の中から自然の魚を釣った」と書いている。

大正から昭和の初めにかけて活躍した作曲家中山晋平の偉大なところ、それは自らがコンクールで賞をとったり栄誉に浴することではなく、ひたすら《誰にでも歌える歌》を作ることにあったこと。

実際、数多くの童謡や新民謡などを世に送り出し、現在でも歌われており、その中で「レコード歌謡」と言うものが勃興する。

その歴史の上に日本に「歌謡曲」と言う大衆音楽分野が確立されて、それが一般大衆の中に普及していく。「昭和」の半世紀にわたる「古賀メロディ」の歴史とは、まさにその歴史そのものと言われる。

その「古賀メロディ」の歴史の中で、実際に一般庶民の生活を題材とし、無駄のない簡潔で平易な馴染みやすい言葉によって、誰でも歌える身近な音楽とした佐藤惣之助の功績は大きいのではないでしょうか。




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