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日本の大衆歌曲・歌謡曲の歴史

181 名前:名無しさん@お腹いっぱい。 投稿日:2013/09/08(Sun) 15:54
☆古賀メロデー」とは

「古賀メロディ」には、たとえば『影を慕いて』『人生の並木路』や『新妻鏡』『あけみの唄』・・など人生の苦悩、青春の苦悩と言う重いテーマをテーマとしたものにより「名曲」が多い。

「写真・昭和30年史」でもわかるように、壷井栄原作の映画[二十四の瞳](昭和3年から戦後早々までの話)を見るまでもなく、「古賀メロディ」が大衆の中に浸透していった「昭和」・戦争に明け暮れたその前半の日本は貧しい中にも心豊かな時代でもあったのだ。

古賀政男は「詩はお姉さん、曲は姉」といって「詩」を大切にした人として知られる。曲は詩を越えることができない。しかし、詩ができる背景は世相と無関係でありえない。世相だけではないが、「古賀メロディ」はそうした[昭和]の世相の中で生れそして歌われたたことは確かである。

映画[二十四の瞳]では卒業を待たず幼くして「奉公」にだされるこどもたち・・男の子は丁稚奉公、女の子は子守や女中奉公、貧しさゆえに自分の子どもを「奉公」に出すというような辛い選択が普通だった貧しい時代、大正時代に作られた童謡「叱られて」の世界、それが昭和である。

日本はいつのまにか物があふれる「飽食の時代」と言われるようになった。しかし、「豊かさ」と引き換えに大切なものを失ったのではないか。この時代の歌には、酔いしれ失う前に持っていた大切なもの、温かと優しさがある。

「人生の並木路」は昭和12年1月の日活映画「検事とその妹」の主題歌だが、映画を離れて広く時代を超えて愛されています。日本はいつの間にか豊かになりましたが、昔日本がまだ農村主体の貧しかった時代、貧乏人の子沢山・・長男とか兄は、弟・妹の面倒を一身にみる、それがあたりまえだったそうです。

『泣くな妹よ 妹よ泣くな・・』(佐藤惣之助作詩)・・この歌は聴けば聴くほどに味のあるメロディーのすばらしさが存分に味わえる名曲です。

戦時中には「誰か故郷を想わざる」とともに兵士たちの間で最もよく歌われたといわれ,「この歌のおかげで,ぜひ妹の顔をもう一度見ようと思って,つらい間も生き抜くことができた.」という便りも作曲者のもとに寄せられたそうです。最後に『生きてゆこうよ 希望に燃えて・・』 で結ばれる、簡潔な中に今失われつつある「兄弟の絆」を歌いあげた説得力のあるすばらしい名曲だと思います。

古賀政男は亡くなる直前頃、・・古賀メロデーよいつまで続くんだ、古賀メロデーよ消えされ。これまでたくさんの歌を作ってきたが、僕の古賀メロデーが受け入れられる世の中というのは、不幸な時代なのだ。今はハッピ−な歌が受け入れられる時代なんだ。・・というようなことをいっていたことがある。そして、亡くなる前日かに便せんに書かれたメモが、旧古賀邸跡の「古賀政男音楽博物館」に展示されている。

「もうぼくのメロデーが受け入れられる時代ではない。いまは明るいハッピーな歌が受け入れられているんだ。
そういう歌がいまの歌なんだ。」って。

これについて吉田正は、僕はまったく逆説だと思う。古賀先生が言いたかったのはね、人間というのは、ハッピーな時だけではない。苦しいときも、悲しいときもある。そういう人間の一番暗い面がでたときは、わたしの歌を聴いてくださいよって、・・そういうことだとぼくは思うんだ。
人間が苦境に立ったとき、そのときには自分の歌が歌われるはずだという確信があったんですよ。
先生には。・・と本で書いている 。( 「昭和の日本のこころ 古賀政男・・わが歌は永遠に」 昭和53年12月(平凡出版) )

歌人・楠本憲吉氏は、「古賀メロデー」という言葉には、二つの使い方があるのではないかと思っているという。

ひとつは広く「古賀政男作曲」を意味するものと、もうひとつは「古賀政男」の書いた曲のうち、特に詩のテーマが人生の悩みや苦しみを表現しているもの。・・と。

昭和の歴史とともに大きく変わったこと、それはラジオ放送の開始と、昭和3年『波浮の港』(佐藤千夜子)に始まるレコード。それに昭和4年日活『東京行進曲』(佐藤千夜子歌)にはじまる日本映画黄金時代。ラジオ放送は、本格的レコード会社の発足より一足早い大正14年(1925)だった。



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