掲示板に戻る 前 10 次 10 1 - 10 最新 10

【日本の音楽文化遺産】日本の名歌・名唱を語ろう!!

[1:名無しさん@お腹いっぱい。 (2016/06/19(Sun) 18:45)]

唱歌・童謡、新民謡、歌曲・歌謡曲、多くの詩人、作曲家が生まれ、明治以来たくさんの「日本の歌」が生まれました。

その歌は多くの詩人や作曲家の人一倍の歌にかけるたゆまぬ情熱と努力の賜物であり結晶であり、かけがえのない文化遺産です。

日本の音楽文化遺産、日本の名歌・名曲・名盤を語りましょう。


[2:名無しさん@お腹いっぱい。 (2016/06/19(Sun) 18:56)]

 まず何と言っても日本の名歌「荒城の月」から。

「荒城の月」実際に歌われているのは瀧廉太郎作曲(荒城月)そのものでなく、編曲曲。

 戦前期に作られた主なものは以下の4つ。・・・


☆「荒城の月」について

『荒城月』 (土井晩翠・詩/瀧 廉太郎・曲)  明治34年発表(無伴奏)

『荒城の月』(土井晩翠・詩/瀧 廉太郎・曲/山田耕筰・編曲) 大正6年編曲

『荒城の月』(土井晩翠・詩/瀧 廉太郎・曲/本居長世・編曲) 昭和5年発表

『荒城の月』(土井晩翠・詩/瀧 廉太郎・曲/橋本国彦・編曲) 昭和6年編曲

『荒城の月』(土井晩翠・詩/瀧 廉太郎・曲/古賀政男・編曲)昭和17年編曲(歌李香蘭)


☆(参考)「荒城の月」 SP時代の主な名盤

 1928.02 藤原義江 VIC1175赤盤

 1931,01 萩野綾子 VIC13109赤盤         (橋本国彦編曲版)

 1931,02 奥田良三 POL631631

 1933.05 四家文子 VIC52673

 1933.07 増永丈夫(藤山一郎)VIC52756      (橋本国彦編曲版)

 1936.01 関屋敏子 VIC13452赤盤

 1937.10 藤原義江 VIC13527赤盤

 1942.09 李香蘭  COL100542 @赤盤(スダレ)   (古賀政男編曲版)


[3:名無しさん@お腹いっぱい。 (2016/06/19(Sun) 19:10)]
(参考)古賀政男編曲「荒城の月」CD

・CD[古賀政男大全集〜20世紀の遺産]日本コロムビア
 発売日:1998年7月18日  CD16枚、
(荒城の月 ;No,16−14)
ttp://joshinweb.jp/dp/4988001187691.html
  tp://music.yahoo.co.jp/record/dtl/LAA349020/

・CD「夜霧の馬車 山口淑子 (李香蘭) 」1990 COCA-71089
 15.宵待草   李香蘭 古賀政男編曲、 明大マンドリンクラブ演奏
 16. 荒城の月 山口淑子 (李香蘭)(歌); 作詞 土井晩翠; 作曲 滝廉太郎; 編曲 古賀政男 明大マ ンドリンクラブ演奏
ttp://music.yahoo.co.jp/record/dtl/LAA318749/


[4:名無しさん@お腹いっぱい。 (2016/06/19(Sun) 19:16)]
「荒城の月」(土井晩翠作詞・瀧廉太郎作曲)という歌は、現在の東京芸術大学〈音楽学部〉の前身である「東京音楽学校」主導で中学の音楽教科書のためにつくられた。

明治34年「中学唱歌」の懸賞応募作品として作曲し、入選となった作品だが、メロディーだけで伴奏が無く、後に三浦環に頼まれた山田耕筰がピアノ伴奏を付けたものが今日歌われているものとされる。

明治44年、師である瀧廉太郎が日本最初にドイツに留学するにあたって、門下生である三浦環は、送別演奏会で「荒城の月」(『荒城月』)を歌った。

当時は「歌曲」と言えば外国曲(でなければばらない)とうのが一般的風潮だった中で、昭和3年、藤原義江によってビクターで吹き込まれたのが「荒城の月」レコードの最初。

哀切をおびたメロディーと歌詞が特徴。七五調の歌詞(今様形式)と西洋音楽のメロディが融合した楽曲。

世界で活躍していた我等のテナー「藤原義江」は、どこの国に行っても自分の生れた国の歌も歌えないようでは相手にされないとして、率先して日本の歌曲を歌い広めた事でしたれる。

三浦環の「歌姫は強き愛国心をもたざれは」に通ずることだ。

他に、藤原義江は山田耕筰の「この道」その他や、弘田龍太郎の「叱られて」「浜千鳥」などをレコードにしている。

『荒城の月』は、特定の史実・史話に基づいたというものではないが、つい30年前「明治維新」 における日本の内戦である戊辰戦争(慶応4年/明治元年〜- 明治2年(1868年 - 1869年))と無関係ではないのだ。

武家の「栄枯盛衰」とそれに伴う「無常感」が滲んだ詩は、お寺の「講話」にも使われている。
「荒城の月」は、1898(明治31)年、土井晩翠は会津の「鶴ヶ城」をイメージして造られたものだと土井晩翠自身が語っている。(※)

※土井晩翠が1927年6月29日滝廉太郎45年祭で語り、放送された。

幼い頃から父と祖父から戊辰戦争における会津の悲劇と仙台から見た会津の英雄伝をたくさん聞かされて育った晩翠。

そして二高の時、明治維新後、落城したまま、ほったらかされていた「鶴ヶ城」に行き、悲惨な戦争の跡地から月を見て、なんとも儚い想いを詩にした晩翠の詩、それに子供のころを過ごした・大分県竹田の「岡城」から曲を着想した滝廉太郎の作曲がおりなす「荒城の月」。

「李香蘭」が戦地慰問でかならず最初に歌ったというのもわかります。そしてこの李香蘭が歌う「荒城の月」こそが昭和17年古賀政男編曲になる。

戦乱の世の栄華と哀愁とがないまぜになった名曲・・しっとりしていい歌いで、風格、品格を保ちつつ、ひとつひとつの言葉が心に深く沁みてきます。

「荒城の月」をオペラでも歌うつもりか、頭の芯に突き刺さるような高い声を張り上げて歌うクラッシックを標榜する若手歌手が今、少なくないが、戦時中慰問先で「李香蘭」の歌う「荒城の月」は何と美しいことか。どれほど多くの兵士を勇気ずけたことか。

この歌は戦後、新東宝映画 谷口千吉監督「暁の脱走」(1950年 主演 山口淑子=李香蘭、池部良)に取り入れられ、You Tubeでも見れる他、国立近代美術館フィルムセンター、歌は以下に含まれる。

李香蘭が戦地を慰問した際に最初に歌うのが、この「荒城の月」だった。戦時中の慰問の姿を自らが再現したともいえる映画である。

「荒城の月」;土井晩翠作詞・滝廉太郎作曲 古賀政男編曲 明大マンドリンクラブ演奏


なお、滝廉太郎作曲「荒城の月」の原曲は無伴奏で、以下「山田耕筰編曲版」、「本居長世編曲版」、「橋本国彦編曲版」、それに、李香蘭が戦地で歌った「古賀政男編曲版」がある。




[5:名無しさん@お腹いっぱい。 (2016/06/20(Mon) 11:00)]

昭和前半のの歌謡は、第一級の詩人・作詞家が心をこめて作った詩に、当代随一の第一級作曲家が心をこめて曲を付け、第一級の歌手が心をこめて録音したもので、
貴重な文化遺産と言えます。

大切に歌い継ぎ、大切に残して行かねばなりません。


[6:名無しさん@お腹いっぱい。 (2016/06/20(Mon) 11:06)]

日本の名曲 「波浮の港」

  野口雨情作詞、中山晋平作曲 鈴木静一編曲

 藤原義江  米国ビクタ―  NK−3001(A7632)

 1928(昭和3年)7月発売

 佐藤千夜子 日本ビクタ― 昭和3年5月発売


[7:名無しさん@お腹いっぱい。 (2016/06/20(Mon) 11:14)]

日本の名曲 「影を慕いて」


影を慕いて(古賀正男作詞、古賀正男作曲)佐藤千夜子 ビクタ― 黒盤 51519@  昭和6年1月


影を慕いて(古賀政男作詞、古賀政男作曲)藤山一郎  コロムビア黒盤 26748@  昭和7年3月


[8:名無しさん@お腹いっぱい。 (2016/06/20(Mon) 12:04)]
☆佐藤千夜子歌唱の主なレコード作品
童謡、新民謡、歌謡歌曲、新日本音楽を含めて、100曲を超えるレコード歌手第一号・佐藤千夜子歌唱のレコード作品,その代表的なもの。

青い芒(すすき)1924(野口雨情作詩・中山晋平作曲)   大正13年(内外蓄音機)
紅薔薇   (林愛雄作詞、宮城道雄作曲)ビクター50698 新日本音楽
こすもす      (与謝野晶子作詞、宮城道雄作曲)  同
ひばり  1929.4(西條八十作詞、 宮城道雄作曲)   同
鶯の夢 1928.5(野口雨情作詞、 中山晋平作曲)  ビクター50313
波浮の港 1928.5 (野口雨情作詞、 中山晋平作曲) ビクター50313
マノン・レスコオの唄1928 .5  (西條八十作詞、中山晋平作曲) ビクター50321
旅人の歌 1928.12 (野口雨情作詞、中山晋平作曲)   ビクター50502
信田の藪  1936吹込(野口雨情作詞、藤井清水作曲1922) ビクター53876
当世銀座節   1928.7  (西條八十作詞、中山晋平作曲) ビクター-50371
須坂小唄 1928.8  (野口雨情作詞、中山晋平作曲)   ビクター50385
出船の港 1928.12 (時雨音羽作詞、中山晋平作曲) ビクター50502
毬と殿様   1929 ,2 (西條八十作詞、中山晋平作曲) ビクター50624
東京行進曲  1929.6  (西條八十作詞、中山晋平作曲) ビクター50755
君恋し    1929.10 (時雨音羽作詞、 佐々紅華作曲) ビクター50881
青い芒    1929.9 (野口雨情作詩, 中山晋平作曲) (再吹込)ビクター50901
鎮西小唄 1929 (野口雨情作詞、中山晋平作曲)
上州小唄   1929 .5 (野口雨情作詞、中山晋平作曲)
鉾をおさめて 1929.7 (時雨音羽作詞、中山晋平作曲)   ビクター50776
港おどり  1929.8 (野口雨情作詞、中山晋平作曲)
愛して頂戴  1929.8 (西條八十作詞、松竹蒲田音楽部(中山晋平)作曲)50901
黒百合の花  1929.10 (時雨音羽作詞、 佐々紅華作曲)   ビクタ‐50881
紅屋の娘   1929,6 (野口雨情作詞、中山晋平作曲)   ビクタ‐50755
摩天楼 1929.9 (時雨音羽作詞、 佐々紅華作曲)   ビクタ‐50936
文のかをり  1929 (古賀正男作詞、 古賀正男作曲)ビクター51091 (1930.3発売)
娘心も    1929 (浜田広介作詞、 古賀正男作曲)ビクター51091 (1930.3発売)
青い小鳥   1929 (不詳 、  古賀正男編曲)ビクター51464 (1930.12 発売) *
風の鈴蘭   1929 (浜田広介作詞、 古賀正男作曲)ビクター51698B(1931.6発売)
片想い    1929 (浜田広介作詞、 古賀正男作曲)ビクター51688A (1931.6発売)
母の歌    1930.1(鶴見祐輔作詞、 中山晋平作曲) ビクター51027@
唐人お吉の唄(黒船篇)1930.2(西條八十作詞、中山晋平作曲)  ビクター51093
この太陽   1930.6  (西條八十作詞、  中山晋平作曲) ビクター51240
琵琶湖シャンソン1930 (西条八十作詩・中山晋平作曲)
影を慕いて  1930 (古賀正男作詞、古賀正男作曲)ビクター51519B(1931.1発売)
日本橋から  1930 (浜田広介作詞、古賀正男作曲)ビクター51519A(1931.1発売)

*『青い小鳥』は、『星の飛ぶ夜』(堀正明作詩、小松平五郎作曲編曲・佐藤千夜子歌唱)とカップリング


[9:名無しさん@お腹いっぱい。 (2016/06/20(Mon) 12:08)]
※1932録音
カチューシャの唄 1932.6(島村抱月・相馬御風作詞、中山晋平作曲)ビクター52393
船頭小唄 1932.6(野口雨情作詞、中山晋平作曲)  ビクター52393


※古賀政男(正男)初期のレコード(プレクトラム音楽家・「古賀正男」作品)上記

文のかをり  古賀正男  佐藤千夜子 1930年3月 ビクター 51091
娘心も    浜田広介  同     1930年3月 ビクター 51091
青い小鳥   不詳    同     1930年12月 ビクター 51464 (*)
影を慕いて  古賀正男  同     1931年1月 ビクター 51519
日本橋から  浜田広介  同     1931年1月 ビクター 51519
片想い    浜田広介  同     1931年6月 ビクター 51688
風の鈴蘭   浜田広介  同     1931年6月 ビクター 51688
以上は,作曲家になる前の作品

※古賀作品レコーディング曲のうち以下3曲は後にコロムビアで歌詩変更。・・
・『文のかをり』→1933年9月『来る来るサーカス』(西条八十作詩・古賀政男作曲編
曲・淡谷のり子歌)
・『娘心も』 →1932年6月『月夜の恋』(西岡水朗作詩・古賀政男作曲編曲・丸山和
  歌子歌)
・『青い小鳥』 →1932年9月『笛は冴ゆれど』(佐藤惣之助作詩・古賀政男作曲編曲・
  関種子歌)。

1934年(昭和9年)、イタリア留学中だった佐藤千夜子が、帰国を前にイタリア・グラモホン本社スタジオ=ミラノ・スカラ座での録音が実現。上記に加えて佐藤千夜子の名唱が聴けます。ゴンドラの唄、さすらいの唄など、
レコード歌手第一号・佐藤千夜子の本格的な歌唱(1934,2)が絶品です。
(ミラノ・スカラ座管絃楽団伴奏)。佐藤さんのイタリア録音曲ビクター VDR-5171


☆イタリア・グラモホン本社スタジオ=ミラノ・スカラ座録音6曲  昭和9年2月☆
(ミラノ・スカラ座管絃楽団伴奏・ミラノグラモフォレ管絃楽団)

カチューシャの唄 (島村抱月・相馬御風作詞、中山晋平作曲)
船頭小唄    (野口雨情作詞、中山晋平作曲)
さすらいの唄 (北原白秋作詞、中山晋平作曲)ビクター52972
ゴンドラの唄 (吉井勇 作詞、中山晋平作曲〉ビクター52972
酒場の唄    (北原白秋作詞、中山晋平作曲) ビクター53100
春の雨     (相馬御風作詞、中山晋平作曲)ビクター53100

※信田の藪(しのだのやぶ) 1936吹込 (1922野口雨情作詞、藤井清水作曲)
この歌は大阪府泉大津市と和泉市のあいだの「信太山(信田)」に古くから伝わる有名な白狐の話を元に野口雨情が「十五夜お月さん」中のこの詩に、日本的で美しいメロディの歌曲を多数作られた宮崎県出身の作曲家藤井清水(ふじいきよみ)が曲をつけたもの。

1922年(大正11年)に作られたこの名曲の初録音は1928年の藤原義江、それに1936年の佐藤千夜子が有ります。他に童謡で羽崎共子盤がある以外ない。

佐藤千夜子の叙情豊かで、一語一語大切に心をこめて歌う歌唱は、豊かな日本の叙情を歌ったこの歌曲の良さを最大限に引き出す、すばらしい歌唱でまさに絶品中の絶品といえます。これを超える歌は聞いたことが無い、ぜひ聴いてみましょう。
ttp://www13.big.or.jp/~sparrow/MIDI-shinodanoyabu.html

※青い芒(すすき)(1924 野口雨情作詩・中山晋平作曲)
1924年(大正13年)、歌手・佐藤千夜子の初レコーディング曲と言われています。佐藤は大正時代、野口&中山コンビ主宰「新民謡童謡普及運動」である「新民謡・新童謡コンサート」(「全国歌の旅」)に歌手兼講師で参加。当時「新民謡童謡普及運動」のメンバーは台湾まで出掛けています。巡演先のレコード会社「内外蓄音機」で1924年レコーディング。1929年(昭和4年)にもビクターで再録音されてます。
♪青い芒(すすき)に蛍の虫は・・・。


CD紹介 ・・これを聴くと佐藤千夜子の偉大さがわかってくる。

・CD「昭和を飾った名歌手たち 1/佐藤千夜子」VICL 60326
  ttp://www.tsutaya.co.jp/works/20058945.html
・ CD「七つの子~野口雨情作品集 」ビクターエンターテインメントVICG-60536
 ttp://www.neowing.co.jp/detailview.html?KEY=VICG-60536


[10:名無しさん@お腹いっぱい。 (2016/06/21(Tue) 20:16)]
>>7

日本の名曲 「影を慕いて」


古賀メロディーの原点と言われる名曲
古賀政男(正男)作詞・作曲
昭和5年 ビクタ−  佐藤千夜子 歌
昭和7年 コロムビア 藤山一郎  歌
(明治大学学生の時、昭和3年秋に作曲したとされる、完成まで2年かかっている。)

平成の初め、NHKTVで「日本の名曲10」として、
「荒城の月」、「波浮の港」などとともに1年間、夜8時の大河ドラマの後の空き時間に
1曲ずつ替わりばんこに流され続けた。


掲示板に戻る 前 10 次 10 1 - 10 最新 10

NAME:
MAIL:

read.cgi ver.4.21.10c (2006/07/10)