苗字とは・・ 明治8年 平民苗字許可令
[1:名無しさん@お腹いっぱい。 (2017/05/25(Thu) 19:59)]
昔、明治になるまでは平民が「苗字」を名乗ることはできませんでした。
よくテレビ番組で「苗字」についてやってるが、祖先が藤原氏だとか武田(信玄)だとか思ってしまうが、
間違いです。
日本国中の誰もが名字を名乗るようになったのは、
明治維新後の明治8年2月13日の「平民苗字必称義務令」からです。
姓名はどうやって名乗ったか〜それは明治8年2月13日に遡ることが重要です。
[36:名無しさん@お腹いっぱい。 (2017/10/25(Wed) 09:10)]
家系調査、家系図請負を業とする業者がいる。業者や本屋などが昔から平民も苗字を持っていたということを根拠(古文書等)なしに
言ってるようだね!。
[37:名無しさん@お腹いっぱい。 (2017/10/25(Wed) 09:19)]
飢饉や大災害、疫病、戦乱、貧困、つい昭和の初めまでそうであった日本、庶民は昭和の初めまで、
かやぶき屋根から月が見えるあばら家で家畜と暮らしていた。
テレビを見てミカンを食べながらコタツで暖をとる、昔も、江戸時代もそんなものと勘違いしているようだ。
[38:名無しさん@お腹いっぱい。 (2017/11/06(Mon) 14:10)]
平民苗字必称義務令(へいみんみょうじひっしょうぎむれい、平民苗字必唱義務令)は、日本の法令である(明治8年太政官布告第22号)。1875年(明治8年)2月13日公布。すべての国民に苗字(名字・姓)を名乗ることを義務付けた。
江戸時代まで、日本において公的に苗字を使用したのは、原則として、公家及び武士などの支配階層に限られ、一種の特権とされていた[1]。明治維新により、従来の身分制度の再編が図られ、明治3年9月19日(1870年10月13日)に「平民苗字許可令」(明治3年太政官布告第608号)[2]が定められた。この布告では初めて「平民」の語を用いて、華族及び士族(この両者は公家・武士の家柄がほとんどである)に属さない平民に「苗字」の使用を許した。しかし、当時の国民(平民)には、あえて苗字を使用しない者も多かった。そのため、1875年(明治8年)に改めて名字の使用を義務づける「苗字必称義務令」を出した[3]。
本令では、苗字を称える(唱える)ことを義務づけ、「祖先以來苗字不分明ノ向」は新たに苗字を設けることとした。
1875年(明治8年)2月13日に平民苗字必称義務令が出されたことから、2月13日を「苗字制定記念日」という。また、明治3年9月19日(1870年10月13日)に平民苗字許可令が出されたことから、9月19日は「苗字の日」とされている。
[39:名無しさん@お腹いっぱい。 (2017/11/06(Mon) 14:13)]
本令では、苗字を称える(唱える)ことを義務づけ、「祖先以來苗字不分明ノ向」は新たに苗字を設けることとした。
[40:名無しさん@お腹いっぱい。 (2017/11/06(Mon) 14:19)]
平民苗字必唱義務令
明治8年2月13日太政官布告第22号
平民苗字被差許候旨明治三年九月布?候處自今必苗字相唱可尤?先以來苗字不分明ノ向ハ新タニ苗字ヲ設ケ候樣可致此旨布?候事
[41:名無しさん@お腹いっぱい。 (2017/11/06(Mon) 17:05)]
村の庄屋が苗字を付けたところには、全くのお百姓なのに「井伊」「本多」「酒井」「榊原」と四天王が小さな村に勢ぞろいしたところがあったとか。もっとすごいのは、自分で「近衛」「鷹司」などと届けようとした人が、さすがに役場から拒否されたという話を聞いたことがあります。
[42:名無しさん@お腹いっぱい。 (2017/11/06(Mon) 17:12)]
藤原にあやかりたいけど使っちゃ駄目だから一文字だけ貰って
佐藤、伊藤、斉藤、加藤とか籐の字が流行ったんだっけ
藤原が伊勢とくっつく→伊藤みたいな感じやぞ
[43:名無しさん@お腹いっぱい。 (2017/11/07(Tue) 16:50)]
明治時代以降、日本国民の全てが名字(苗字)を名乗るようになった。誰もが知っている通り、それ以前の時代では公家や武士、医師や学者、そして一部の豪農(庄屋・名主など)や有力な町人(町名主・年寄など)などに限って名字(苗字)を持つことが許されていた。
それが明治3年(1870年)9月19日の『平民苗字許可令』を経て、明治8年(1875年)2月13日の『平民苗字必称義務令』により、我国の国民は皆、公的に名字(苗字)を持つことになった。これは、明治維新を迎えて武士の世が終わりを告げ、文明開化と共に四民平等の世界が来たことの象徴の様に思えるが、「徴兵制」と「徴税」の効率化のためだった・・・。
[44:名無しさん@お腹いっぱい。 (2017/11/07(Tue) 16:55)]
明治8年前までの日本の苗字
苗字は「名前の豆知識」ページにも紹介しているように、平安時代の終わり頃に新興の武士が名乗り、その後は時代の流れに沿い御家人や公家などにも付けられるようになり、地主となる豪農などにも付けられるようになります。
領地の管理に関わることで付けられた苗字ですが、江戸時代には「苗字帯刀禁止令」が出され、苗字を名乗り帯刀することは武士の特権とされたため、平民は公の場で苗字を名乗ることを禁じられました。
明治に入り、明治3年に平民にも苗字の使用が許可され登録を促しましたが、税金を多く取られるようになるのではないかという憶測や登録後改名をしてはいけないという法令、徴兵令が出されたことなどにより、順調には進みませんでした。
平民苗字必称義務令の発令
苗字制度は、明治8年2月13日に公布された「平民苗字必称義務令」により、大きく動きます。この法令により強制的に全ての国民に苗字が付けられました。ほとんどの人はご先祖から受け継いだ家名を登録したようですが、中には家名も分からない人やこれを機に苗字を変えた人もいました。
苗字がわからないという人が新しい苗字を持ち、苗字を変えた人などがいたこの時期は苗字の転換期となり、この頃生まれた新しい苗字のことを「明治の新姓」と呼びます。
[45:名無しさん@お腹いっぱい。 (2017/12/01(Fri) 13:52)]
テレビでいろいろな苗字についてやってるが、
それぞれその苗字の個人が、それとつながってるわけではないのだ。
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