掲示板に戻る 全部 前 50 次 50 1 - 50 最新 50 スレ一覧

日本の名曲 【日本の優れた文化遺産!】

1 名前:名無しさん@お腹いっぱい。 投稿日:2018/03/19(Mon) 23:51
何でも有り余る飽食の時代と言われて久しい今、歌もありあまり、そしてなんでも「名曲」となって本当の名曲を知らない人が多くなった今、
明治以降の長い歴史の中で、優れた日本の文化遺産としての真の名曲を振り返り、
つつ、真の【日本の名曲】について語ろう!。

21 名前:名無しさん@お腹いっぱい。 投稿日:2018/12/27(Thu) 08:33
「荒城の月」

「荒城の月」(土井晩翠作詞・瀧廉太郎作曲)という歌は、現在の東京芸術大学〈音楽学部〉の前身である「東京音楽学校」主導で中学の音楽教科書のためにつくられた。

明治34年「中学唱歌」の懸賞応募作品として作曲し、入選となった作品だが、メロディーだけで伴奏が無く、後に三浦環に頼まれた山田耕筰がピアノ伴奏を付けたものが今日歌われているものとされる。

明治44年、師である瀧廉太郎が日本最初にドイツに留学するにあたって、門下生である三浦環は、送別演奏会で「荒城の月」(『荒城月』)を歌った。

当時は「歌曲」と言えば外国曲(でなければばらない)とうのが一般的風潮だった中で、昭和3年、藤原義江によってビクターで吹き込まれたのが「荒城の月」レコードの最初。

哀切をおびたメロディーと歌詞が特徴。七五調の歌詞(今様形式)と西洋音楽のメロディが融合した楽曲。

世界で活躍していた我等のテナー「藤原義江」は、どこの国に行っても自分の生れた国の歌も歌えないようでは相手にされないとして、率先して日本の歌曲を歌い広めた事でしたれる。

三浦環の「歌姫は強き愛国心をもたざれは」に通ずることだ。

他に、藤原義江は山田耕筰の「この道」その他や、弘田龍太郎の「叱られて」「浜千鳥」などをレコードにしている。

『荒城の月』は、特定の史実・史話に基づいたというものではないが、つい30年前「明治維新」 における日本の内戦である戊辰戦争(慶応4年/明治元年〜- 明治2年(1868年 - 1869年))と無関係ではないのだ。

武家の「栄枯盛衰」とそれに伴う「無常感」が滲んだ詩は、お寺の「講話」にも使われている。
「荒城の月」は、1898(明治31)年、土井晩翠は会津の「鶴ヶ城」をイメージして造られたものだと土井晩翠自身が語っている。(※)

※土井晩翠が1927年6月29日滝廉太郎45年祭で語り、放送された。

幼い頃から父と祖父から戊辰戦争における会津の悲劇と仙台から見た会津の英雄伝をたくさん聞かされて育った晩翠。

そして二高の時、明治維新後、落城したまま、ほったらかされていた「鶴ヶ城」に行き、悲惨な戦争の跡地から月を見て、なんとも儚い想いを詩にした晩翠の詩、それに子供のころを過ごした・大分県竹田の「岡城」から曲を着想した滝廉太郎の作曲がおりなす「荒城の月」。

「李香蘭」が戦地慰問でかならず最初に歌ったというのもわかります。そしてこの李香蘭が歌う「荒城の月」こそが昭和17年古賀政男編曲になる。

戦乱の世の栄華と哀愁とがないまぜになった名曲・・しっとりしていい歌いで、風格、品格を保ちつつ、ひとつひとつの言葉が心に深く沁みてきます。

「荒城の月」をオペラでも歌うつもりか、頭の芯に突き刺さるような高い声を張り上げて歌うクラッシックを標榜する若手歌手が今、少なくないが、戦時中慰問先で「李香蘭」の歌う「荒城の月」は何と美しいことか。どれほど多くの兵士を勇気ずけたことか。

この歌は戦後、新東宝映画 谷口千吉監督「暁の脱走」(1950年 主演 山口淑子=李香蘭、池部良)に取り入れられ、You Tubeでも見れる他、国立近代美術館フィルムセンター、歌は以下に含まれる。

李香蘭が戦地を慰問した際に最初に歌うのが、この「荒城の月」だった。戦時中の慰問の姿を自らが再現したともいえる映画である。

「荒城の月」;土井晩翠作詞・滝廉太郎作曲 古賀政男編曲 明大マンドリンクラブ演奏


なお、滝廉太郎作曲「荒城の月」の原曲は無伴奏で、以下「山田耕筰編曲版」、「本居長世編曲版」、「橋本国彦編曲版」、それに、李香蘭が戦地で歌った「古賀政男編曲版」がある。







22 名前:名無しさん@お腹いっぱい。 投稿日:2018/12/27(Thu) 08:38
☆「荒城の月」について

『荒城月』 (土井晩翠・詩/瀧 廉太郎・曲)  明治34年発表(無伴奏)

『荒城の月』(土井晩翠・詩/瀧 廉太郎・曲/山田耕筰・編曲) 大正6年編曲

『荒城の月』(土井晩翠・詩/瀧 廉太郎・曲/本居長世・編曲) 昭和5年発表

『荒城の月』(土井晩翠・詩/瀧 廉太郎・曲/橋本国彦・編曲) 昭和6年編曲

『荒城の月』(土井晩翠・詩/瀧 廉太郎・曲/古賀政男・編曲)昭和17年編曲(歌李香蘭)


23 名前:名無しさん@お腹いっぱい。 投稿日:2018/12/27(Thu) 08:44
☆(参考)「荒城の月」 SP時代の主な名盤

 1928.02 藤原義江 VIC1175赤盤

 1931,01 萩野綾子 VIC13109赤盤         (橋本国彦編曲版)

 1931,02 奥田良三 POL631631

 1933.05 四家文子 VIC52673

 1933.07 増永丈夫(藤山一郎)VIC52756      (橋本国彦編曲版)

 1936.01 関屋敏子 VIC13452赤盤

 1937.10 藤原義江 VIC13527赤盤

 1942.09 李香蘭  COL100542 @赤盤(スダレ)   (古賀政男編曲版)


24 名前:名無しさん@お腹いっぱい。 投稿日:2018/12/27(Thu) 11:16
「宵待草」
大正浪漫を代表する画家・詩人である竹久夢二によって創られた詩歌『宵待草』。
”待てど暮らせど来ぬ人を 宵待草のやるせなさ 今宵は月も出ぬさうな”
宵待ち草は、日暮れを待ちかねたように月を映して咲きはじめ、一夜限りにはかなく散ってゆきます。
一般には月見草と呼ばれていますが、正しくは”オオマチヨイグサ”。
夢二によって創られた『宵待草』は、「待ち」「宵」にかけているのでしょう。
大正浪漫を代表する詩人の付けたタイトルには、どこか粋とロマンを感じます。。
恋多き夢二だったようですが、これは実ることのなかったひと夏の恋を詞に謳い上げたものです。

「宵待草」
竹久夢二作詩
多忠亮(おおのただすけ)作曲

待てど 暮らせど
こぬひとを
宵待草の
やるせなさ
こよいは月も
出ぬそうな




25 名前:名無しさん@お腹いっぱい。 投稿日:2018/12/27(Thu) 11:19
宵待草 名盤

宵待草  藤原義江 竹久夢二 多 忠亮  0307 VIC4045 赤盤
宵待草  柴田秀子 竹久夢二 多 忠亮  0606 COL26271 黒盤
宵待草  井上脇子 竹久夢二 多 忠亮  0704 VIC52216 黒盤
宵待草  和田春子 竹久夢二 多 忠亮  0711 PAR E1941
宵待草  内木 実 竹久夢二 多 忠亮  0807 COL35365 青盤
宵待草  奥田良三 竹久夢二 多 忠亮  0905 POL2051 黒盤
宵待草  関屋敏子 竹久夢二 多 忠亮  1006 VIC13430 赤盤
宵待草  三浦 環 竹久夢二 多 忠亮  1106 COL35435 青盤
宵待草  内木 実 竹久夢二 多 忠亮  1110 NIT61002 青盤
宵待草  川路美子 竹久夢二 多 忠亮  1100 NIT S1413 大衆S盤
宵待草  長門美保 竹久夢二 多 忠亮  1306 KIN20096 群青盤
宵待草  柴田秀子 竹久夢二 多 忠亮  1310 VIC J54395 黒盤
宵待草  長門美保 竹久夢二 多 忠亮  1411 KIN30123 群青盤
宵待草  東海林太郎 竹久夢二 多 忠亮  1410 POL2883 黒盤
宵待草  長門美保 竹久夢二 多 忠亮  1704 KIN67025 群青盤
宵待草  李香 蘭 竹久夢二 多 忠亮  1709 COL100542 赤盤

0307 :発売年月 昭和3年7月









26 名前:名無しさん@お腹いっぱい。 投稿日:2018/12/30(Sun) 23:04
>>24-25

ほかに


宵待草 ベラトラメリ能子 竹久夢二 多 忠亮 1008 COL35471 青盤

四家文子(1928)、関種子(1934)などの盤がある。

27 名前:名無しさん@お腹いっぱい。 投稿日:2019/01/03(Thu) 22:51
日本の名曲・・それは日本の歴史を凝縮し、その上にそれなりの知る人ぞ知る名詩人が、知る人ぞ知る大作曲家が心を込めて
作った、そして昨日今日できたものではなく、戦前から80年以上の長きにわたって、藤原義江、三浦環、
関谷敏子、ベラトラメリ能子,川路美子、奥田良三、四家文子、関種子など知る人ぞ知る日本の名歌手たちが
競って歌い広めた歴史を持つもの。

28 名前:名無しさん@お腹いっぱい。 投稿日:2019/01/04(Fri) 12:36
>>22-23

荒城の月
作詩 土井晩翠  作曲 滝廉太郎

藤原義江 0302 VIC1175 赤盤
藤原義江  0310 ORI30012
ブカナン  0511 COL26015
荻野綾子  0601 VIC13109 赤盤
奥田良三  0602 POL631
黒田 進  0606 TAI3034
牧 嗣人  0701 COL35221
内本 実   0801 COL35336
四家文子 0805 VIC52673
藤山一郎 0800 VIC52756
藤山一郎 0907 VIC53108
関屋敏子 1101 VIC13452 赤盤
奥田良三 1104 POL2268@
永田絃次郎 1110 KIN10002
藤原義江 1210 VIC J54098
藤原義江 1211 VIC13527 赤盤
藤山一郎、女声合唱団1501 COL30467@
井口小夜子 1704 KIN67025
李 香蘭 1709 COL100542@
帝国合唱団 1803 TEI T3418




29 名前:名無しさん@お腹いっぱい。 投稿日:2019/06/03(Mon) 23:56
【日本のクラッシック】 古賀メロディの歴史

http://www.10ch.tv/bbs/test/read.cgi?bbs=music&key=558914195&ls=50


30 名前:名無しさん@お腹いっぱい。 投稿日:2019/07/16(Tue) 22:19

メロディパタンのクラスタ分析 : 古賀メロディパタンの特徴
Cluster analysis of melody pattern : A characteristics of KOGA melody style
秋山、松田 日本音響学会誌 53(12), 915-921, 1997


31 名前:名無しさん@お腹いっぱい。 投稿日:2019/12/10(Tue) 22:59
日本の大衆歌曲・歌謡曲の歴史

http://www.10ch.tv/bbs/test/read.cgi?bbs=history&key=354361110&ls=50

32 名前:名無しさん@お腹いっぱい。 投稿日:2020/01/20(Mon) 12:17

■■NHKTV「日本の名曲10曲」■■ 
  1990 NHK TV (1年間毎週放送)

「荒城の月」   土井晩翠作詞、  滝廉太郎作曲    1901
「波浮の港」   野口雨情作詞、  中山晋平作曲    1928
「叱られて」   清水かつら作詞、 弘田竜太郎作曲   1920
「この道」    北原白秋作詞、  山田耕作作曲    1927
「浜千鳥」    鹿島鳴秋作詞、  弘田竜太郎作曲   1919
「影を慕いて」  古賀政男作詞、  古賀政男作曲    1931.1932
「出船」     勝田香月作詞,   杉山長谷夫作曲   1928
「宵待草」    竹久夢二作詞、  多 忠亮作曲    1918
「花」      武島羽衣作詞、  滝廉太郎作曲    1900
「からたちの花」 北原白秋作詞、  山田耕作作曲    1925

日本がまだ貧しかった80年以上前から、第一級の詩人が、第一級の作曲家がその抒情を、心を込めて、歌いこみ、そして藤原義江、三浦環、関屋敏子・・、日本を愛する知る人ぞ知る歴史に残る、第一級大歌手・声楽家が好んで
歌った歌、世に広めた名歌、それが今に歌い継ぐ日本の名曲でした。



33 名前:名無しさん@お腹いっぱい。 投稿日:2020/01/26(Sun) 13:12
h ttps://columbia.jp/shinyabin/
NHK CD「ラジオ深夜便 にっぽんの歌 こころの歌」

好評 発売中!

オリジナル原盤を使っているので良い!。


34 名前:名無しさん@お腹いっぱい。 投稿日:2020/01/31(Fri) 16:50
レコード草創期
h ttps://idol.ne.jp/record-creation-period

藤原義江など

35 名前:名無しさん@お腹いっぱい。 投稿日:2020/04/11(Sat) 21:57
<「日本の名曲」影を慕いて >

「影を慕いて」は 『日本の名曲』で、現在でもクラッシックコンサートで演奏されています。


h ttp://www.geocities.jp/jose_yacopi1977/2007_12_07malgorzata.htm

PROGRAM

1 「春の海」  作曲:宮城道雄(尺八:森川友博、ピアノ:吉野りん子)
Spring Sea music by MIYAGI Michio
syakuhachi:MORIKAWA Tomohiro,piano:YOSHINO Rinko

2 「アランブラ宮殿の思い出」  作曲:F.タレガ(ギター:中子祐二)
Recuerdos de la Alhambra music by Francisco Tárrega (guitar:NAKAKO Yuji)

3 「バルカローレ」  作曲:A.タンスマン(ギター:中子祐二)
Barcarole music by Alexandre Tansman(guitar:NAKAKO Yuji)

4  「影を慕いて」  作曲:古賀 政男(ギター:中子祐二)
 KAGE WO SHITAI TE music by KOGA Masao(guitar:NAKAKO Yuji)

5  「ダニー・ボーイ」  作曲:アイルランド民謡
(ソプラノ:伊藤明日奈、アルト:吉野りん子、ギター:中子祐二)
Danny Boy Irish traditional (soprano:ITOH Asuna,alt:YOSHINO Rinko,guitar:NAKAKO Yuji)

6  「エーデルワイス」  作曲:R.ロジャース 作詞:O. ハマースタイン2世
(ソプラノ:伊藤明日奈、アルト:吉野りん子、ウクレレ:中子祐二)
Edelweiss music by Richard Rodgers & words by Oscar Hammerstein II
(soprano:ITOH Asuna,alt:YOSHINO Rinko, ukulele :NAKAKO Yuji)

【曲目解説】
4 影を慕いて (ギター:中子祐二)
 KAGE WO SHITAITE(guitar:NAKAKO Yuji)
『影を慕いて』 (かげをしたいて) は歌謡曲の一つ。古賀政男作。藤山一郎の歌でヒットした。歌謡曲としては1931年発表。藤山一郎のヒット曲。作曲者古賀政男の人生の苦悩から生れた昭和流行歌の最高傑作である。
この歌には古賀の人生の苦悩・絶望からの魂の叫びが込められており、古賀政男の人生の歌ともいえよう。



36 名前:名無しさん@お腹いっぱい。 投稿日:2020/05/03(Sun) 20:44
★♪ 第4回ダブルレインボー音楽会 ♪
ttp://www.jrps.org/chiba/local/kaiho1/chiba53-1.html
ttp://www.jrps.org/chiba/local/kaiho1/chiba53-1.html

2.山本 英子  歌唱
   「千曲川旅情の歌」(広田 龍太郎作曲)
   ピアノ伴奏 宇佐見 幸子
4.宇佐見 幸子  ピアノ演奏
   「春の歌」(メンデルスゾーン作曲)
   「ワルツ 69の1」(ショパン作曲)
5.伊藤 勲  ギター演奏
   「荒城の月変奏曲」(瀧 錬太郎作曲)
   「我が心のアランフェス」(ロドリーゴ作曲)
12.伊藤 和子  琴演奏
   「六段の調べ」(八橋 検校作曲)
   「千鳥の曲」(吉澤 検校作曲)
13.中野 早苗  歌唱
   「影を慕いて」(古賀 政男作曲)
   ギター伴奏 伊藤 勲

37 名前:名無しさん@お腹いっぱい。 投稿日:2020/10/06(Tue) 20:31
佐藤千夜子の『影を慕いて』
コロムビアのディレクター・伊藤正憲記述に拠ると、古賀政男プロデビュー=コロムビア専属のきっかけになったのはコロムビア社員だった伊藤らしい。1931年(昭和6年)当時、営業部の伊藤は東京浅草「鳥越楽器店」でビクター発売『日本橋から(浜田広介作詩・古賀正男作曲編曲・佐藤千夜子歌唱・明治大学マンドリン倶楽部伴奏)』を見掛けた。歌手が佐藤千夜子でメロディも独特、驚いた伊藤はコロムビアの会議で伝えている。特に組み合わせ曲『影を慕いて(古賀正男作詩作曲編曲・佐藤千夜子歌唱・明治大学マンドリン倶楽部伴奏)』は、古賀を代表する作詩作品である。熱心な古賀ファンの方が次のような内容を述べられている。「1928年(昭和3年)、昭和の初め、人生の苦悩からはじまった古賀メロディの歴史、若き古賀政男の人生の苦悩から生れたレコード歌謡の最高傑作とされる『影を慕いて』。この歌には、古賀の人生の苦悩・絶望からの叫びが込められているといわれる。時代を超えた日本の名曲である。この歌が作られるのは『波浮の港(野口雨情作詩・中山晋平作曲・佐藤千夜子歌唱・中山晋平ピアノ伴奏)』と同じ昭和3年といわれる。現在ある殆どすべての日本の歌謡は、まだ存在していなかった時代。そして、菊池寛原作、日本最初の映画主題歌(※外資系企画での)である『東京行進曲(西条八十作詩・中山晋平作曲・井田一郎編曲・佐藤千夜子歌唱・日活管絃楽団伴奏)』が流行した昭和4年の6月22日、佐藤千夜子を招いて明治大学マンドリン倶楽部定期演奏会で『影を慕いて』初演(ギター合奏で独唱なし)。昭和5年10月20日、佐藤千夜子はビクタースタジオで吹込み。大衆音楽の黎明期、まだ一学生演奏家に過ぎなかった無名の作家の作品。ビクター内では反対もあっただろう、しかし佐藤千夜子のすごいところは、反対を押し切る形での録音だったことだ。古賀正男=古賀政男は明大マンドリン倶楽部を通じて、コロムビアの文芸部長・米山正から面会の申し入れを受ける。そして昭和6年3月20日付けで、日本コロムビア入社」。

『影を慕いて』が藤山一郎のアルバイト録音でヒット、佐藤オリジナルと同じ組み合わせ『日本橋から(関種子歌唱)』はモダンな井田一郎編曲。だが「素朴で豊かな味わい」なら佐藤千夜子。『影を慕いて』の佐藤は、古賀が綴った「想い」を高音域で燃え上がるように表現している。菊池清麿氏記述では、演奏曲だった『影を慕いて』を佐藤が気に入り「良いメロディだから、歌詩をつけて歌曲にしなさい」と言ったらしい。佐藤の助言で歌詩があとで作られたなら、『影を慕いて』初演後の作詩と思われる。更に『日本橋から』は、古賀が次のように述べている。「佐藤さんが、レコードは両面ですからね、とおっしゃられた。組み合わせ曲『日本橋から』を急いで作った」。ビクター発売番号「51519」の下表記番号=原盤番号で録音順がわかる。A面『日本橋から』は「2266」、B面曲『影を慕いて』が「2267」になっている。古賀のエピソードで、佐藤が元々『影を慕いて』をメイン曲と考えていたことも伝わる。レコーディング直前にビクター側から「浜田広介作詩をA面発売」と言われたようだ。

38 名前:名無しさん@お腹いっぱい。 投稿日:2020/10/18(Sun) 19:07
昭和5年10月20日、佐藤千夜子はビクタースタジオで[影を慕いて」「日本橋から」を吹き込み。その一週間後佐藤は日本を後にするが、翌昭和6年(1931)1月に発売された。
来年令和2年(2021)は、昭和96年。「影を慕いて」が世に出て、もうすぐ90年。
藤山一郎のコロムビア盤は昭和7年3月。


90年の「古賀メロディ」の歴史。

「日本のクラッシック 古賀メロディ」・・半世紀にわたる古賀メロディの歴史、それは、日本がまだ貧しかった昭和の初めから、戦前、戦中、戦後の日本の歴史の中でも最も苦難の歴史、大衆歌曲・歌謡曲というものが日本に出来て根ずいて隆盛の歴史そのものである。

39 名前:名無しさん@お腹いっぱい。 投稿日:2020/11/14(Sat) 18:16
訂正
来年令和3年(2021)は、昭和96年。「影を慕いて」が世に出て90年。
藤山一郎のコロムビア盤は昭和7年3月。


掲示板に戻る 全部 前 50 次 50 1 - 50 最新 50 スレ一覧
名前: E-mail(省略可)

read.cgi ver.4.21.10c (2006/07/10)