支那・東洋史における「宦官」の歴史
[1:名無しさん@お腹いっぱい。 (2019/04/21(Sun) 19:58)]
宦官の歴史は,人類の歴史、中国殷の時代から20世紀初頭まであった。中国を中心としてイスラム、インド、シリア・・・など宮廷に仕えた「宦官」と呼ぶ去勢された男子がいて宮廷の雑務をつかさどっていた。
何千人、何万人もいた宮廷に、男子は皇帝ただ一人、皇帝以外の女官を除く男は宦官と言って女官と交接できぬよう去勢され男の資格を完全に奪われた去勢男子のみ。中国清代は其のほとんどは少年の時去勢(完全去勢)された少年宦官だった。
[2:名無しさん@お腹いっぱい。 (2019/04/21(Sun) 20:00)]
(参考文献)
三田村 泰助「宦官―側近政治の構造 」(中公新書7)中央公論社
池島信平著「歴史よもやま話・東洋編」文芸春秋社
宦官: 中国四千年を操った異形の集団 (徳間文庫カレッジ) 文庫 ? 2015/12/3
顧 蓉 (著), 葛 金芳 (著), 尾鷲 卓彦 (翻訳)
寺尾 善雄 「宦官物語―男を失った男たち」 (河出文庫) 文庫 ? 1989/9
賈 英華 (著), 林 芳 (原著, 翻訳), NHK出版 (翻訳) 「最後の宦官秘聞ーラストエンペラー溥儀に仕えて」 NHK出版
加藤 康男 (著) 「ラストエンペラーの私生活 」(幻冬舎新書) 新書 ? 2019/1/30
加藤 康男 (著)「禁城の虜 ラストエンペラー私生活秘聞」 ? 2014/1/9
賈 英華「最後の宦官―」溥儀に仕えた波乱の生涯」NHK出版
「桑原隲藏全集 第一卷 東洋史説苑」岩波書店 1968(昭和43)年2月13日発行
(親本:「東洋史説苑」1927(昭和2)年5月10日発行)
「トプカプ宮殿の光と影」法政大学出版局 (1992-01-25出版)
「紫禁城探検3・最期の宦官が明かした秘話」(「週間朝日」1991.11.22号)
「最後の宦官」(上下2巻、朝日ソノラマ文庫)
ラストエンペラー [Blu-ray][DVD]
ジョン・ローン (出演), ジョアン・チェン (出演), ベルナルド・ベルトルッチ (監督) 形式: Blu-ray
[3:名無しさん@お腹いっぱい。 (2019/04/21(Sun) 20:06)]
ちょっと前の話だが、中国の田舎の庵廟(寺)にはよく、皺皺になった老人がいる。
元宦官で、余命をすごすだけだという。そういう中で、「週間朝日」1991.11.22号
「紫禁城探検3」・最期の宦官が明かした秘話・には、紫禁城の中の写真と、紫禁城から車で
30分のところにある広化寺に、最期の宦官孫さん(91)をたずねたことと、孫さんと
写真がのってる。「私が浄身(去勢)したのは12歳のとき、その時民国6年になって宮廷にはいった。」という。
1991年に91歳ということは、20世紀1900年生まれ、そして1912か、12歳で男の子の盛りこれから
男の子になっていくときに、「男の子」を完全に失う。1924年(1226年に昭和元年)に溥儀が紫禁城を追放され、一緒に追放された。
たぶん彼も「映画・ラストエンペラー」そのままに、「男のもの」を入れた「箱・パオ」を大切に捧げて門から
追放されたのだろう。一生の殆どは、男で無い。つまり少なくとも。宦官の生き残りは20世紀最後までいた。
追放で終りではなく、彼?はその後、満州国で溥儀の側近になっています。
だから宦官としての仕事?の終焉は、1945年。
[4:名無しさん@お腹いっぱい。 (2019/04/21(Sun) 20:22)]
ちなみに最後の宦官・孫輝庭(スン・ヤオチン)は1998年に死去しますた。
90歳ぐらいの時の写真を見たことがあるが、小柄でかわいい感じのおじいさんだったよ。
彼のインタビューを元にノヴェライズした「最後の宦官」という文庫本
(上下2巻、朝日ソノラマ文庫)が発行されてる。去勢本であることを抜きにしても、結構おもしろい。
去勢後まもなく清王朝が倒れ、中華民国になった。「これではすすんで生殖器を失った
だけではないか」というくだりがおもしろかった。その後数年を生まれた村でサオなしの状態で過ごすのだが、次第にバカにされるようになり(声変わりもしないし、立ちションできないし)、
寺に身を寄せるようになる.......
やがて北京の王府で、皇族の家に下働きとしてつとめるようになり、馬の世話をやらされた
(当然馬のアナルやチンポを洗ったりもしたろう)。
その後念願かなって紫禁城入り(中華民国になったが、溥儀はまだ紫禁城に住んでいた)。
総管大監に「服を脱げ」を言われ、去勢股間を観察された後「服を着ていい」。
溥儀は不能で、同僚の宦官が「俺たちは大事なものを切り取って宮仕えをしているが、
肝心の皇帝もアレがダメだとすると、お互い様ってところじゃないか、いい気味だ」
などと陰で悪口を言っているのが興味深い。
彼は溥儀のインポを治すことに熱心だったため、溥儀のお気に入りの御前大監になった。
しかし宦官大粛正の折、溥儀と婉容が希望したにもかかわらず、彼は追放されてしまう。
のちに溥儀に再会した時には、婉容はすでに麻薬中毒であった......
[5:名無しさん@お腹いっぱい。 (2019/04/21(Sun) 20:27)]
中公新書「宦官」の最初に「北京の宦官」の写真が出てますが、1946年だかその頃だから
本当にいたんですね!。
中国の実際の宦官の最期は、日本の「満州国」ですか!。
[6:名無しさん@お腹いっぱい。 (2019/04/21(Sun) 20:48)]
支那の宦官:
最近の新聞紙の報道によると、支那の宣統〔前〕帝は、宮廷所屬の宦官の不埒を怒
り、彼等を一律に放逐して、爾後永遠に使役せぬといふ諭旨を發布されたといふこ
とである。その動機は論ぜず、その理由は問はず、事件そのものが、兔に角一大壯
擧たるを失はぬと思ふ。(大正12年8月3―5・7日『大阪毎日新聞』所載)
URLリンク(www.aozora.gr.jp)
:「桑原隲藏全集 第一卷 東洋史説苑」岩波書店 1968(昭和43)年2月13日発行
(親本:「東洋史説苑」1927(昭和2)年5月10日発行)
[7:名無しさん@お腹いっぱい。 (2019/04/21(Sun) 21:29)]
関東大震災(9月1日)のあった大正12年(1923)は、宦官の歴史に大きな
出来事が!
URLリンク(www.ucatv.ne.jp)
7月16日 中国・宣統帝溥儀、宦官約3,000人を解放。・・宦官追放
7月24日 ローザンヌ平和条約(トルコの独立を国際的に承認)。
9月1日 関東大震災(M7.9)
10月29日 トルコ、共和国宣言(大統領にケマル)。
オスマン・トルコ帝国崩壊・ ・・・・ハレム・宦官終焉
(資料紹介)「トプカプ宮殿の光と影」法政大学出版局 (1992-01-25出版)
URLリンク(bookweb.kinokuniya.co.jp)
URLリンク(www.din.or.jp)
DVD[ラストハーレム]ポニーキャニオン PCBG-50153
[8:名無しさん@お腹いっぱい。 (2019/04/21(Sun) 21:35)]
中華民国政府が清朝と締結した『退位協定』(抜粋)
1. 大清皇帝(宣統帝・溥儀)は辞位(退位)後も皇帝の尊号を廃止せず
中華民国(支那共和国)は外国君主に対する礼を以てこれを待遇する。
2. 大清皇帝は年金として毎年400万両(テール)を中華民国より受領する
。
3. 大清皇帝は暫時、紫禁城内に居住し、後日、頤和園に移住する。
4. 大清皇帝の宗廟・陵(墓所)は永遠に奉祀し、中華民国はこれを
慎重に
保護する。
5. 先帝・徳宗景皇帝(光緒帝)陵の工事は予定通り続行する。その奉
安の
儀式も旧制のままとする。
6. 紫禁城内の各職員は従来通り使用出来る。但し太監(宦官)は今後
採用
出来ない。
7. 大清皇帝の私有財産は中華民国が特別に保護する。
8. 禁衛軍(皇帝守備軍)は中華民国陸軍部の編成下に置かれる。
『退位協定』には、この他、清朝皇族・満州・モンゴル・ウイグル・チベット
各民
族に対する優待条件等も規定されていましたが、やはり核心は、宣統帝・溥儀に
対する処遇であった事は確かです。
支那王朝史上、幾多の皇帝・王がその地位を失い、玉座から引きずり下ろされてき
ました
URLリンク(www.taip.org)
[9:名無しさん@お腹いっぱい。 (2019/04/21(Sun) 22:03)]
近年まで「宦官」がいたところ・・
・中国・・紫禁城・大正時代関東大震災頃に宦官追放・・
さらに満州国1945
・トルコ・・トプカプ宮殿 ・・同じ頃
・ベトナム・? 同
・ ・・
宦官ではないが、カストラート・・イタリア等で20世紀が始まる頃まで
[10:名無しさん@お腹いっぱい。 (2019/04/21(Sun) 22:08)]
昭和30−40年代ごろ、意味のわからない歌がはやりました。「♪ウシュク
ダラはるばるたずねてみたら・・これでは男がかわいそう・・」というんだ
が、「これでは男がかわいそう」という意味がわからず謎です、何方か解説し
てください。私の推測では宦官・・去勢かな?と思います。なお、「トプカプ
宮殿」・・つい最近20世紀途中まで宦官がいた・・に行く途中がウシュクダ
ラの街とか・ URLリンク(www1.odn.ne.jp)
read.cgi ver.4.21.10c (2006/07/10)