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【日本のクラッシック】 古賀メロディの歴史

[1:名無しさん@お腹いっぱい。 (2019/05/27(Mon) 08:43)]
昭和6年(1931)「酒は涙かため息か」「丘を越えて」「影を慕いて」・・いずれも藤山一郎、
今から88年前、まもなく90年を迎える「古賀メロディ」。
《日本のクラッシック》「古賀メロディ」の歴史を振り返る。


[11:名無しさん@お腹いっぱい。 (2019/05/27(Mon) 09:39)]
「古賀メロデー」というのは、いろいろあるが映画と積極的に提携して映画主題歌が多い。古賀政男が活躍した昭和一桁時代から、
10年代そして20年代初めにかけて、日本はまだ貧しい時代だった。貧しくとも心豊かな時代だっのだ、そして昭和30年代はすでに歌謡界の「大御所」だった。
そして「古賀メロデー」は、たとえば「人生の並木路」や「新妻鏡」・・など人生の苦悩、青春の苦悩と言う重いテーマをテーマとしたものにより名曲が多い。
古賀政男は亡くなる直前頃、・・古賀メロデーよいつまで続くんだ、古賀メロデーよ消えされ。これまでたくさんの歌を作ってきたが、僕の古賀メロデーが受け入れられる世の中というのは、不幸な時代なのだ、
今はハッピ−な歌が受け入れられる時代なんだ。・・というようなことをいっていたことがある。と、そして、亡くなる前日かに便せんに書かれたメモが、旧古賀邸跡の古賀政男音楽博物館に展示されている。

「もうぼくのメロデーが受け入れられる時代ではない。いまは明るいハッピーな歌が受け入れられているんだ。
そういう歌がいまの歌なんだ。」って。

これについて吉田正は、僕はまったく逆説だと思う。古賀先生が言いたかったのはね、
人間というのは、ハッピーな時だけではない。苦しいときも、悲しいときもある。
そういう人間の一番暗い面がでたときは、わたしの歌を聴いてくださいよって、そういうことだとぼくは思うんだ。
人間が苦境に立ったとき、そのときには自分の歌が歌われるはずだという確信があったんですよ。
先生には。・・と本で書いている
 「昭和の日本のこころ 古賀政男・・わが歌は永遠に」 昭和53年12月(平凡出版)

古賀政男(正男)初期のレコード
文のかをり  古賀正男  佐藤千夜子 1930年2月 ビクター 51091
娘心も    浜田広介  同     1930年2月 ビクター 51091
青い小鳥   不詳    同     1930年11月 ビクター 51464
影を慕いて  古賀正男  同    1930年12月 ビクター 51519
日本橋から  浜田広介  同     1930年12月 ビクター 51519
片想い    浜田広介  同     1931年5月  ビクター 51689
風の鈴蘭   浜田広介  同     1931年5月 ビクター 51689
以上は,作曲家になる前の学生時代の作品

乙女心   鹿山鶯村  関種子   1931年5月 コロムビア 26275
チャッカリしてるわネ 西岡水朗 天野喜久代 1931年5月 コロムビア 26275
月の浜辺  島田芳文 河原喜久恵 1931年6月 コロムビア 26325
キャンプ小唄 島田芳文 藤山一郎 1931年6月 コロムビア 26325


昭和元年は大正15年、昭和は実質昭和2年から始まった。日本に本格的なレコード会社ができたのは昭和2年から3年にかけて。レコード音楽は昭和と共に始まった。古賀メロデーのルーツと言える「影を慕いて」が佐藤千夜子によって世に出るのは今から89年前の昭和5年だが、「影を慕いて」が作られた昭和3年、日本にはまだ、「波浮の港」、「アラビアの唄」、「君恋し」などしかなく、唱歌・童謡、民謡・新民謡など以外現在あるものはまだ殆どなかった。
「古賀メロデー」といわれるようになったのは、昭和10年代人々が敬意を込めてこう呼んだ。



[12:名無しさん@お腹いっぱい。 (2019/05/27(Mon) 09:51)]
「古賀メロデー」というのは、いろいろあるが映画と積極的に提携して映画主題歌が多い。古賀政男が活躍した昭和一桁時代から、
10年代そして20年代初めにかけて、日本はまだ貧しい時代だった。貧しくとも心豊かな時代だっのだ、そして昭和30年代はすでに歌謡界の「大御所」だった。
そして「古賀メロデー」は、たとえば「人生の並木路」や「新妻鏡」・・など人生の苦悩、青春の苦悩と言う重いテーマをテーマとしたものにより名曲が多い。
古賀政男は亡くなる直前頃、・・古賀メロデーよいつまで続くんだ、古賀メロデーよ消えされ。これまでたくさんの歌を作ってきたが、僕の古賀メロデーが受け入れられる世の中というのは、不幸な時代なのだ、
今はハッピ−な歌が受け入れられる時代なんだ。・・というようなことをいっていたことがある。と、そして、亡くなる前日かに便せんに書かれたメモが、旧古賀邸跡の古賀政男音楽博物館に展示されている。

「もうぼくのメロデーが受け入れられる時代ではない。いまは明るいハッピーな歌が受け入れられているんだ。
そういう歌がいまの歌なんだ。」って。

これについて吉田正は、僕はまったく逆説だと思う。古賀先生が言いたかったのはね、
人間というのは、ハッピーな時だけではない。苦しいときも、悲しいときもある。
そういう人間の一番暗い面がでたときは、わたしの歌を聴いてくださいよって、そういうことだとぼくは思うんだ。
人間が苦境に立ったとき、そのときには自分の歌が歌われるはずだという確信があったんですよ。
先生には。・・と本で書いている
 「昭和の日本のこころ 古賀政男・・わが歌は永遠に」 昭和53年12月(平凡出版)

古賀政男(正男)初期のレコード
文のかをり  古賀正男  佐藤千夜子 1930年2月 ビクター 51091
娘心も    浜田広介  同     1930年2月 ビクター 51091
青い小鳥   不詳    同     1930年11月 ビクター 51464
影を慕いて  古賀正男  同    1930年12月 ビクター 51519
日本橋から  浜田広介  同     1930年12月 ビクター 51519
片想い    浜田広介  同     1931年5月  ビクター 51689
風の鈴蘭   浜田広介  同     1931年5月 ビクター 51689
以上は,作曲家になる前の学生時代の作品

乙女心   鹿山鶯村  関種子   1931年5月 コロムビア 26275
チャッカリしてるわネ 西岡水朗 天野喜久代 1931年5月 コロムビア 26275
月の浜辺  島田芳文 河原喜久恵 1931年6月 コロムビア 26325
キャンプ小唄 島田芳文 藤山一郎 1931年6月 コロムビア 26325




[13:名無しさん@お腹いっぱい。 (2019/05/27(Mon) 09:54)]
☆古賀メロディを支えた名歌手 と最初の歌(戦前戦後)

佐藤千夜子  東京音楽学校  文のかおり(古賀正夫作詞)1929.12
関 種子   東京音楽学校  乙女心 (鹿山鶯村作詞) 1931.6
藤山一郎   東京音楽学校  キャンプ小唄 (島田芳文作詞) 1931.7
河原喜久恵  東京音楽学校 月の浜辺 (島田芳文作詞)    1931.7
淡谷のり子   東洋音楽学校  私此頃憂鬱よ (高橋掬太郎作詞)   1931.10
渡辺光子   東京音楽学校  強くなってね (西條八十作詞) 1933.2
ミス・コロムビア 東京音楽学校 お蝶夫人の唄 (西條八十作詞)   1933.3
松平 晃  東京音楽学校 サーカスの唄 (西條八十作詞) 1933.5
楠木繁夫  東京音楽学校 国境を越えて (佐藤惣之助作詞) 1934.3
ディック・ミネ  立教大学    戀は荷物と同じよ (瀬川与志作詩) 1935.6
杉狂児 東京音楽学校 のぞかれた花嫁(玉川英二作詞) 1935.10
千早淑子(松島詩子)       純情一座の唄  (玉川映二作詞) 1936
奥田瑛子(ミス・タイヘイ) 別れの唄 (山川あさを作詞)  1936
有島通男  東洋音楽学校  春まだ浅く  (石川啄木作詞)  1936.4
由利あけみ 東京音楽学校  黒いパイプ (倉仲佳人作詞〉 1937.9
李 香蘭(山口淑子)*    紅い睡蓮   (西條八十作詞)   1939.9
二葉あき子 東京音楽学校 あの花この花 (西條八十作詞) 1940.2
霧島 昇  東洋音楽学校  誰か故郷を思わざる(西條八十作詞) 1940.2
奥山彩子  東洋音楽学校  蛇姫絵巻(西條八十作詞)1940
菊池章子 東洋音楽学校  相呼ぶ歌   (西條八十作詞) 1940.9
伊藤久男 帝国音楽学校 熱砂の誓い(建設の歌)(西條八十作詞)1940.11
中野忠晴 武蔵野音楽学校 歓喜の歌  (西岡水朗作詞)  1933.1
渡辺はま子 武蔵野音楽学校 サヨンの鐘  (西條八十作詞) 1941.7
奈良光枝  東洋音楽学校  青い牧場  (サトウハチロー作詞) 1942.12
波平暁男 東京音楽学校 月夜船 (藤浦洸作詞) 1944.11
近江俊郎  武蔵野音楽学校  明日もまた  (サトウハチロー作詞) 1944.11
轟由紀子 宝塚音楽歌劇学校 勝利の日まで (サトウハチロー作詞) 1945.1


[14:名無しさん@お腹いっぱい。 (2019/05/27(Mon) 10:00)]
☆藤山一郎代表曲(古賀メロディ)

キャンプ小唄 (島田芳文作詞、 古賀政男作曲)  1931年 7月
酒は涙か溜息か (高橋掬太郎作詞、古賀政男作曲)  1931年10月
丘を越えて   (島田芳文作詞、 古賀政男作曲)  1931年12月
スキーの唄  (島田芳文作詞、 古賀政男作曲) 1932年1月
鳩笛を吹く女の唄(佐藤惣之助作詞、古賀政男作曲)1932年2月 井上静雄名
影を慕いて   (古賀政男作詞、 古賀政男作曲)  1932年3月
東京ラプソディ (門田ゆたか作詞、古賀政男作曲)   1936年7月
東京娘    (佐藤惣之助作詞、古賀政男作曲) 1936年6月 (映画「東京ラプソデー」挿入歌)
さらば青春  (佐藤惣之助作詞、古賀政男作曲) 1936年7月
男の純情   (佐藤惣之助作詞、古賀政男作曲) 1936年8月
大洋の寵児  (佐藤惣之助作詞、古賀政男作曲) 1936年10月
旅の鴎(かもめ)(佐藤惣之助作詞、古賀政男作曲)  1936年10月
回想譜(今城靖児作詞、古賀政男作曲) 映画「女の階級」挿入歌1936.12
青春の謝肉祭  (島田欣也作詞、古賀政男作曲)   1936年12月
聖処女(きよおとめ)の唄(佐藤惣之助作詞、古賀政男作曲)1937.1(日活「検事とその妹」挿入歌)
青い背広で  (佐藤惣之助作詞、古賀政男作曲) 1937年2月
青春日記   (佐藤惣之助作詞、古賀政男作曲) 1937年2月
白薔薇は咲けど(佐藤惣之助作詞、古賀政男作曲) 1937年5月
青春旅情   (佐藤惣之助作詞、古賀政男作曲) 1938年3月
歓喜の丘   (島田芳文作詞、 古賀政男作曲) 1938年3月
白虎隊     (鈴木吟亮 詩吟)(島田磐也作詞、古賀政男作曲) 1937.11
なつかしの歌声 (西條八十作詞、古賀政男作曲)(二葉あき子) 1940.5
春よいづこ   (西條八十作詞、古賀政男作曲)(二葉あき子) 1940.5
働こうぜ友よ  (佐藤惣之助作詞、古賀政男作曲)       1941.3
歌えば天国  (西條八十作詞、古賀政男作曲)(古川ロッパ、二葉あき子)1941,7
崑崙(こんろん)越えて(大木惇夫作詞、古賀政男作曲)     1941,7
リンゴが紅い (サトウハチロー作詞、古賀政男作曲)(古川ロッパ、松原 操)1941.8
青い牧場    (サトウハチロー作詞、古賀政男作曲)(奈良光枝) 1943.2
(これ以降、藤山一郎は南方慰問に駆り出され、終戦を迎え抑留となる。)

(戦後)
嘆きの小鳩   (西條八十作詞、古賀政男作曲) 1947
友情の歌    (藤浦洸作詞、 古賀政男作曲 1948
愛のカレンダー (西條八十作詞、古賀政男作曲) 1951
夜の湖     (藤浦洸作詞、 古賀政男作曲) 1952


[15:名無しさん@お腹いっぱい。 (2019/05/27(Mon) 10:12)]
■■NHKTV 「日本の名曲10曲」■■ 


「荒城の月」   土井晩翠作詞、  滝廉太郎作曲    1901
「波浮の港」   野口雨情作詞、  中山晋平作曲    1928
「叱られて」   清水かつら作詞、 弘田竜太郎作曲   1920
「この道」    北原白秋作詞、  山田耕作作曲    1927
「浜千鳥」    鹿島鳴秋作詞、  弘田竜太郎作曲   1919
「影を慕いて」  古賀政男作詞、  古賀政男作曲    1931.1932
「出船」     勝田香月作詞,   杉山長谷夫作曲   1928
「宵待草」    竹久夢二作詞、  多 忠亮作曲    1918
「花」      武島羽衣作詞、  滝廉太郎作曲    1900
「からたちの花」 北原白秋作詞、  山田耕作作曲    1925

日本がまだ貧しかった80年以上前,明治・大正から昭和の初め、第一級の詩人が、第一級の作曲家がその日本の抒情を、心を込めて、歌いこみ、そして藤原義江、三浦環、関屋敏子、佐藤千夜子・・、日本を愛する知る人ぞ知る歴史に残る、第一級大歌手・声楽家が愛して
歌った歌、世に広めた名歌、それが今に歌い継ぐ日本の名曲でした。


[16:名無しさん@お腹いっぱい。 (2019/05/27(Mon) 10:15)]
霧島昇代表曲(古賀メロディ)
誰か故郷を想わざる 西條八十作詞 古賀政男作曲(1940):
新妻鏡          佐藤惣之助作詞 古賀政男作曲 霧島昇,二葉あき子 (1940)
目ン無い千鳥      サトウハチロー作詞 古賀政男作曲 ミス・コロムビア (1940)
相呼ぶ歌         西條八十作詞 古賀政男作曲     菊池明子    1940
そうだその意気     西條八十作詞 古賀政男作曲     松原操・李香蘭 (1941)
勝利の日まで      サトウハチロー作詞 古賀政男作曲(1944)
麗人の歌         西條八十作詞 古賀政男作曲                (1946)
旅役者の唄       西條八十作詞 古賀政男作曲  (1946)
旅の舞姫         西條八十作詞 古賀政男作曲     二葉あき子 (1948)
三百六十五夜  西條八十作詞 古賀政男作曲     松原操 (1948)
あの夢この歌  西條八十作詞 古賀政男作曲 二葉あき子 (1948)
白虎隊 台詞:鈴木吟亮島田欣也作詞  古賀政男作曲 (1952)
ギター月夜   西條八十作詞 古賀政男作曲(1952)
湖畔のギター 野村俊夫作詞 古賀政男作曲  (1954)

三百六十五夜
作詞:西條八十、作曲:古賀政男、唄:霧島昇・松原操

 みどりの風に おくれ毛が
 やさしくゆれた 恋の夜
 初めて逢(お)うた あの夜の君が
 今は生命(いのち)を 賭ける君


 たそがれ窓に 浮かぶのは
 いとしき人の 旅すがた
 我ゆえ歩む 道頓堀の
 水の夕陽が 悲しかろ


 気づよく無理に 別れたが
 想い出の道 恋の街
 背広に残る 移り香(が)かなし
 雨の銀座を ひとりゆく


[17:名無しさん@お腹いっぱい。 (2019/05/27(Mon) 10:21)]
楠木繁夫は、作曲家・古賀政男を重役として迎えて間もないテイチクの専属になる。この時に、自らの名前が似ていることから、楠木正成(戦前は大楠公と呼ばれた)に傾倒していた当時のテイチク社長・南口重太郎によって、楠木繁夫という芸名が付けられるのであった。1935年(昭和10年)には、古賀政男とのコンビで、「白い椿の唄」「ハイキングの唄」「男のまごころ」「緑の地平線」と大ヒットが続き、一躍大ヒット歌手となる。その後も、「女の階級」「のばせばのびる」「啄木の歌」「人生劇場」とヒットを続けるが、昭和13年、古賀政男がテイチク上層部との対立から退社すると、楠木もビクターに移籍。「馬と兵隊」「東京ラグタイム」など、曲には恵まれたが、ヒットに結びつく作品は少なかった。
1939年(昭和14年)頃からは、スクリーンにも活躍の場を広げ、特に日活作品に数多く出演。マキノ正博の監督による「弥次喜多道中記」ではディック・ミネとコンビで弥次喜多を演じ、大映映画「歌う狸御殿」では、狸の国の総理大臣を演じた。テイチク時代に、同じ会社のヒット歌手・美ち奴との浮名を流し、周囲からは二人は結婚するものと噂が高かったが、1942年(昭和17年)に、再び古賀政男の誘いでコロムビアに移籍した後に撮影した「歌う狸御殿」で共演した歌手・三原純子と、翌年の年末に結婚。戦時中ながら、おしどり夫婦の歌手として、工場慰問などに活躍した。
第二次世界大戦後、自らの作曲作品「思い出の喫茶店」などをレコーディングする一方で、夫婦揃って出演した大映映画「春爛漫狸御殿」をはじめ、「蛇姫道中」「江の島エレジー」などスクリーンにも活躍するが、折から流行していたヒロポンと呼ばれる覚せい剤の影響で、往年の光彩を失っていった。1949年(昭和24年)、古巣のテイチクに移籍し、「紅燃ゆる地平線」「ハルピン恋し」などのヒットを出し、NHK紅白歌合戦にも出演している。純子との夫婦揃ってのステージや巡業に活躍していたが、かねてからのヒロポン中毒のため、1953年(昭和28年)の「湯の香恋しや」を最後にレコーディングから遠ざかった。さらに、脳溢血のため、音程が狂うという歌手にとっての致命的なダメージと、愛妻・純子の肺結核の悪化が重なり、1956年(昭和31年)の春に夫婦揃ってのステージを名古屋で務めた後、二人は二度と生きて会うことはなかった。将来に悲観した楠木は、宝くじの当選で新築したばかりという東京・新大久保の自宅で、1956年(昭和31年)12月14日、女中を映画見物に出かけさせた後、ひとり物置小屋で、首を吊って自殺。52歳という早すぎる死に、高木東六、松平晃ら生前に親しかった友人たちは「緑の地平線」を合唱して、楠木の棺を見送った。故郷・飛騨高山で転地療養していた妻の純子も、彼の後を追うように1959年(昭和34年)に38歳の若さで世を去って

楠木繁夫代表曲(古賀メロディ)テイチク
国境を越えて   佐藤惣之助作詞 古賀政男作曲 1934
男のまごころ   佐藤惣之助作詞 古賀政男作曲 1935
白い椿の唄    佐藤惣之助作詞 古賀政男作曲 1935
ハイキングの唄  島田芳文作詞  古賀政男作曲 1935
緑の地平線    佐藤惣之助作詞 古賀政男作曲 1935
慈悲心鳥の唄   佐藤惣之助作詞 古賀政男作曲 1936
女の階級     村瀬まゆみ作詞 古賀政男作曲 1936
啄木の歌     島田欣也作詞  古賀政男作曲 1936
のばせばのびる  江川貞夫作詞  古賀政男作曲 1937
真実一路の唄   佐藤惣之助作詞 古賀政男作曲 1937
人生劇場     佐藤惣之助作詞 古賀政男作曲 1938
いさおを胸に   野村俊夫作詞、 古賀政男作曲 弘田竜太郎編曲 1944 松原操


[18:名無しさん@お腹いっぱい。 (2019/05/27(Mon) 10:23)]
☆ディックミネの代表曲(古賀メロディ)

恋は荷物と同じよ (瀬川与志=サトウハチロー作詞、古賀政男作曲) (川畑文子)1935.6
望郷の唄  (島田磬也作詞、 古賀政男作曲) 1935.7
二人は若い (玉川英二作詞、 古賀政男作曲) 1935.10(星玲子)
波止場がらす(佐藤惣之助作詞、古賀政男作曲) 1935.10
夕べ仄かに  (島田芳文作詩、 古賀政男作曲) 1935.11
ゆかりの唄   (佐藤惣之助作詞、古賀政男作曲) 1935.11(台詞:星玲子)
白衣(びゃくえ)の佳人の唄 (佐藤惣之助作詞、古賀政男作曲) 1936.3
愛の小窓    (佐藤惣之助作詞、古賀政男作曲) 1936.10
人生の並木路 (佐藤惣之助作詞、古賀政男作曲) 1937.1(テイチク1200)
ギターに寄せて (星野貞志作詞、 古賀政男作曲) 1937.5
恋のハワイ   (吉本英夫作詞、 古賀政男作曲) 1937.12
黄河の月 (佐藤惣之助作詞、古賀政男作曲)(三根耕一名)1938.7
弥次喜多道中記 (古賀政男作詞 、 古賀政男作曲) (楠木繁夫)  1938



[19:名無しさん@お腹いっぱい。 (2019/05/30(Thu) 20:24)]
藤山一郎の影で、彼ほど知られていないが、藤山一郎とともに、忘れてはならない歌手に、藤山一郎の先輩で藤山一郎と同じく、東京音楽学校本科を首席で卒業し、ドイツリートの傍ら、初期の「古賀メロディ」を支えたクラッシックのソプラノ歌手・関種子がいる。
『乙女心』『窓に凭れて』『日本橋から』『青春図絵の唄(貞子の唄)』『博多小夜曲』『かた思い』『あけみの唄』『金色夜叉(お宮の唄)』『笛は冴ゆれど』『朝顔の唄』『秘めたる恋』『美わしの宵』『嘆きの夜曲』『去りゆく影』
『初恋の唄』『愛は紅い』『さらば上海』・・など多くの「古賀メロディ」を歌っている。

古賀政男がテイチクに移った後、1937年(昭和12年)、ポリドールに移籍。

☆関種子の代表曲(古賀メロディ)

乙女心    鹿山鴬村作詞、 古賀政男作曲    1931.6
博多小夜曲  西岡水朗作詞 古賀政男作曲     1931.8
窓に凭れて  島田芳文作詞 古賀政男作曲     1931.12
南海小唄   島田芳文作詞 古賀政男作曲  1932.1
日本橋から  浜田廣介作詞、古賀政男作曲 1932.3
青春図会(ずえ)の唄(貞子の唄)  菊池 寛作詞 古賀政男作曲  1931.11
金色夜叉(お宮の唄) 佐藤惣之助作詞 古賀政男作曲 1932.1
美わしの宵 島田芳文作詞、古賀政男作曲       1932.1
嘆きの夜曲  西岡水朗作詞,古賀政男作曲       1932.2
秘めたる恋  佐藤惣之助作詞、古賀政男作曲      1932.3
あけみの唄  原阿佐緒作詞、古賀政男作曲       1932.5
かた思い   浜田廣介作詞 古賀政男作曲       1932.6
笛は冴ゆれど 佐藤惣之助作詞 古賀政男作曲     1932.7
朝顔の唄   佐藤惣之助作詞、古賀政男作曲      1932.7
さらば上海 時雨音羽作詞、古賀政男作曲       1932.7
愛は紅い 佐藤惣之助作詞、古賀政男作曲      1932.10
去りゆく影 西條八十作詞、古賀政男作曲       1932.12
初恋の唄  西條八十作詞、古賀政男作曲       1933.3


[20:名無しさん@お腹いっぱい。 (2019/05/30(Thu) 22:08)]
☆古賀政男の主な編曲曲

アリランの唄〈朝鮮民謡〉1932(佐藤惣之助作詞、古賀政男編曲)
(コロムビア27066/淡谷のり子・長谷川一郎=蔡奎Y)
  ・・ 日本で「アリラン」が歌になった最初の歌とされる。

二見情話(沖縄民謡)1932(西岡水朗作詞、補作詞 照屋朝保、古賀政男作曲、編曲 佐々永治)

ヨサホイ節 (鹿山鶯邨=鹿山鶯村作詩・日本民謡曲・古賀政男編曲)1934年9月、永井松子=音丸、テイチク

会津磐梯山(佐藤惣之助作詩・日本民謡曲・古賀政男編曲)1938年、音丸、 テイチクTEI907

のぞかれた花嫁(玉川映二作詞、古賀政男編曲、杉 狂児歌)(1935.8テイチク50055)(アメリカ民謡曲)

軍艦行進曲(鳥山啓作詞、瀬戸口藤吉作曲、古賀政男編曲、演奏 明治大学マンドリン倶楽部)1938.2

愛国行進曲(森川幸雄作詞、瀬戸口藤吉作曲、古賀政男編曲、歌 藤山一郎) テイチク1938.2発売、レコード番号 2074

荒城の月 (土肥晩翠作詞、滝廉太郎作曲、古賀政男編曲、李 香蘭歌)(1942.9コロムビアCOL100542)明大マンドリンクラブ演奏・・李香蘭が慰問先の戦地でいつも最初に歌った歌

宵待草 (竹久夢二作詞、多 忠亮作曲、古賀政男編曲、李 香蘭歌)(1942.9 COL100542)
明大マンドリンクラブ演奏

南の花嫁さん1943.1(藤浦洸作詞・古賀政男編曲、高峰三枝子歌)コロムビアレコード 100596。(原曲 1935任光「彩雲追月」)(藤浦洸作詞・古賀政男作編曲、高峰三枝子歌)

イッチョライ節 (福井音頭)」1962年 モノラル 作詞:西村爽 作曲:古賀政男. ... 島倉千代子・守屋浩




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