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昭和歌謡が好きな人集まれ!

1 名前:名無しさん@お腹いっぱい。 投稿日:2017/05/16(Tue) 23:04
歌謡曲は好きだけど「演歌」は好きでない、昭和歌謡特に昭和戦前から昭和30年代頃までの日本の歌謡(レコード歌謡)が好きな人集まれ!。
あなたの好きな歌は何ですか!

400 名前:名無しさん@お腹いっぱい。 投稿日:2020/03/23(Mon) 19:33
「なつかしの歌声」は、戦前昭和歌謡の名曲の一つではなかろうかと思います。
先ず、古賀メロディによる長い前奏が素晴らしく、聴き手は期待感を膨らませて、歌の世界の入口へと誘われます。そして、西條八十さんによる歌詞と合体して、詩情溢れる歌の世界が始まります。
勿論、歌全体が好きですが、殊更、各番の出だし部分(歌詞1番では、♪銀座の街 きょうも暮れて♪)が、心に響きます。
ついでながら、古賀メロディによる長い素晴らしい前奏の、他の例として、「丘を越えて」(S6)を思い起こします。


401 名前:名無しさん@お腹いっぱい。 投稿日:2020/03/23(Mon) 19:37
西条八十と関東大震災

 その話のなかで「西條八十が関東大震災に遭遇して上野の山に避難したおり、少年の吹くハ−モニカを聞いたその時の感激が、歌謡作詩家になっていった」という話に、とくに興味をそそられた。そこでその出典となった本や西條八十の経歴を調べてみた。
西條八十に関する資料をみると「フランス象徴派の影響を受けた近代詩人、童謡詩人、歌謡作詩家の三つの顔を持つ」と書かれている。

 歌謡作詞家の顔を出すきっかけは、中央公論社、昭和50年4月10日発行の西條嫩子著「父 西條八十」のなかに書かれている。

 「大正12年、母がお産で入院中、大震災がおきた。私はまだ、四歳で、妹の慧子と盲目の祖母をかかえるようにして、琴という名の保母兼家政婦が中庭につれだすと同時に、目の前の物置が大震動で瞬時にくずれてめちゃめちゃになってしまった。
すぐに父が駈けもどってきた。近くの髪床屋に行っていたのでエプロン姿のまま、落ちてきた屋根瓦にひたいを割られ血だらけであった。私共の無事な姿を見た時の父の顔を忘れることができない。家は壁が落ちた位だったのでひといきつくと父は双児を死産したばかりの母を案じて池袋の高橋病院へでかけていった。

 余震がひんぴんと繰り返された。都心や下町方面の空が炎のように赤く染まっていた。朝鮮人の襲撃があると言って近所の男の人たちが竹槍をかまえて出ていった。病院へかけつけた父は母が池袋駅の構内に寝たまま避難して無事であることをたしかめると月島に住む兄英治夫婦を案じて築地の方角へ歩き出した。
ところが、倒れた家屋や避難民の激しい動きにまきこまれ、いつのまにか上野の山の方へおしよせられてしまった。自警団に阻まれたりして、けっきょく上野の山で一夜を明かす羽目となった。

 その夜半、地獄のように遠く近く燃えさかる火災を眼下にみながら、恐怖にふるえる避難民の中からとつぜん一少年の吹くハ−モニカの音が響いた。それは思いがけぬ美しく優しい音であった。激しい地震と火災におびえ、疲れた人々の心に、それは慰撫の天使の喇叭のように鳴りひびき、しみ渡った。この時の得もいわれぬ深い感銘が父をして歌う唄、大衆への歌、レコ−ドへ向かう機縁となったようである」と、「父西条八十は私の白鳥だった(集英社文庫)」などの著作の八十の娘さんが書いている。



402 名前:名無しさん@お腹いっぱい。 投稿日:2020/03/23(Mon) 19:54
西条八十と船頭小唄

 この話を聞いたのは、阪神大震災のあった年、平成7年の5月頃だった。その年の暮れの日曜日、車の中でNHKラジオから野口雨情を話題にした童謡漫談を聞いた。その中で西條八十が遭遇した関東大震災とハ−モニカの話が出てきた。

 内容は上記とほぼ同じだったが、その時少年が吹いた曲は、野口雨情作詞、中山晋平作曲の「船頭小唄」だったという。それを漫談風にしゃべっていたところでは、八十は「この非常時に」と遮ろうとしたが、すでにハ−モニカの奏でる哀調を帯びた旋律が流れていて、あたりの人たちが静まり返ってその音色に聞き入ったそうだ。

 ちなみに、ハ−モニカが初めて日本に伝えられたのは明治中ごろらしい。当初はドイツ製が優勢だった。その輸入が第一次世界大戦で止まっていた間の大正5、6年に国産品が相次いで現れ、急激な普及の糸口になった。(世界大百科事典・平凡社)

 この「船頭小唄」は大正10年に発表され、その前年からの恐慌で民衆の生活が窮迫化し、それまでの楽天的な曲調が影をひそめていった時代である。関東大震災が起こった大正12年当時には、庶民のあいだで歌われていたのだろう。

   船頭小唄 
         野口雨情作詞、中山晋平作曲
   おれは河原の 枯れすすき
   同じお前も 枯れすすき
   どうせ二人は この世では
   花の咲かない 枯れすすき

 と、日本人特有の哀調を極度にゆりうごかしたこの歌は、空前の大ヒットとなったと歌謡史に書かれている。


403 名前:名無しさん@お腹いっぱい。 投稿日:2020/03/23(Mon) 20:20
フランス留学後発表した東京行進曲

  「関東大震災の翌年の早春、愛児慧子への深い傷心をいだきながら、父は早大の留学生として渡仏することになった」と、上記「父 西條八十」の次の章に書いている。
 昭和2年フランスから帰国したときにすっかり復興した東京の姿を見て作ったのが「当世銀座節」だった。西條が雑誌に発表した詩に中山晋平が作曲し、佐藤千夜子がレコ−ドに吹き込んだが、あまり流行らなかった。

 昭和4年に発表した「東京行進曲」は、同名の映画主題歌として日活が八十に依頼したもので、関東大震災後の復興で面目を一新した東京の風物を軽快な曲で描いて25万枚売れたという。




「東京行進曲」大ヒット


 「生まれてはじめて、当てようとして思い切り調子をおろして書いたものだけにこの『東京行進曲』の成功、不成功は私の重大な関心事だった」と自叙伝に書いている。

 この『東京行進曲』の大成功によって、ビクタ−専属の作詞家となって歌謡作詞家としての顔が見ることができる。
 
     東京行進曲
             西條八十作詞、中山晋平作曲
   昔恋しい銀座の柳
   婀娜(あだ)な年増を誰が知ろ
   ジャズで踊って リキュ−ルで更けて
   明けりゃダンサ−の涙雨




東京音頭大流行(西條八十作詞・中山晋平作曲)


404 名前:名無しさん@お腹いっぱい。 投稿日:2020/03/23(Mon) 21:55
なつかしの歌声

作詞:西條八十、
作曲:古賀政男、
歌 :藤山一郎・二葉あき子
昭和15年(1940)


一.
 銀座の街 きょうも暮れて
 赤き灯(ひ)燃ゆ 恋し東京
 恋し東京
 あの窓あの小道 やさしの柳
 あこがれは悲しき 乙女の涙
 風よ運べよ いとしの君へ

二.
 歎きの途(みち) ひとり行けば
 みどりの樹に 鳥はうたう
 鳥はうたう
 やさしく寄り添いし 姿よいずこ
 おもい出の窓辺に わすれな草が
 風に泣いてる 昨日も今日も

三.
 夕焼け空 君とながめ
 うたいし歌 たのしメロディー
 たのしメロディー
 うたえば涙ぐみ こころはむせぶ
 落葉ちる朝(あした)に 雪ふる宵に
 呼ぶよこの歌 返らぬ涙


90年前の昭和15年(1940)2月21日公開の東宝映画『春よいづこ』(渡辺邦男監督)の主題歌として作られ、同年4月にコロムビアからレコードのA面として発売されました。
B面は『春よいづこ』で、『なつかしの歌声』のほうが広く愛唱されました。

405 名前:名無しさん@お腹いっぱい。 投稿日:2020/03/23(Mon) 23:15
一口に詩人と呼んでいるが、彼ほど多彩な顔を持つ詩人はいない。『かなりや』などの童謡詩人。『砂金』『巴里小曲集』など、フランス象徴詩の影響が濃い純粋詩人。そして『東京行進曲』に始まる流行歌の作詞家。歌謡を含めて、作った歌も他を圧して巨大で、中山晋平に続き、JASRAC日本音楽著作権協会会長や、日本詩人連盟会長・・などを務めてもいる。又、童謡協会の童謡作詞賞にも今でも彼の名を冠した賞がある。

さらに、八十は、詩人・歌謡曲作詞家という顔と、もうひとつ忘れてならないのが、仏文学者・芸術院会員・早稲田大学教授としての顔。大正13年、ソルボンヌ大学留学帰国後、早大仏文科教授になった。アルチュール・ランボーの研究でも有名。「西條八十全集」(国書刊行会刊1991)という本は、16巻まである大作である。

明治25年に東京牛込(新宿)に生まれた八十の生家は石鹸製造業を営んで隆盛であったが、中学3年生の時に父が亡くなり、一家は没落してしまう。八十は早稲田中学校卒業後、同大学英文科を主席で卒業した。鈴木三重吉の主唱する童謡運動に参加し、大正7年27歳で「赤い鳥」に「カナリヤ」を発表して一躍有名になった。翌大正8年処女詩集「砂金」を発表して、たちまち象徴派詩人としての名声を高めたとされる。こうして、丁度「金の船」(大正8年)で野口雨情の才能が一気に花を開くように、「唄をわすれたカナリヤ・・八十」は、一気に花開く。(ついでに、日本でも30数万人が死んだという「スペイン風邪」のウイルスは、鳥のウイルス由来だったことが米ハーバード大などの研究で分かったそうですが、丁度この頃大流行したという。)


406 名前:名無しさん@お腹いっぱい。 投稿日:2020/03/24(Tue) 00:00
>>399
>>404

今から80年前の昭和15年(1940年)3月、コロムビアレコード(株式会社日本蓄音器商会、現・日本コロムビア)から「なつかしの歌声」が発売された。カップリング曲は「春よいずこ」で、レコード発売直前の同年2月21日には東宝から映画『春よいづこ』が公開された。

「なつかしの歌声」
作詞:西條八十 / 作曲:古賀政男 / 歌:藤山一郎、二葉あき子

「春よいずこ」
作詞:西條八十 / 作曲:古賀政男 / 歌:藤山一郎、二葉あき子

407 名前:名無しさん@お腹いっぱい。 投稿日:2020/03/24(Tue) 18:49
戦前は、貧しい時代ではあったが、軍国主義を除けば情緒があったようです。日本の天才的な数学者の岡潔さんもそう言っています。「戦前は軍国主義を除けば、良い時代であった」と。


408 名前:名無しさん@お腹いっぱい。 投稿日:2020/03/24(Tue) 19:19
主な歌

歌謡曲の数々 恐ろしい数がある。  ←これで検索のこと

409 名前:名無しさん@お腹いっぱい。 投稿日:2020/03/24(Tue) 20:22
『古賀政男生誕100年記念 SP原盤による古賀政男名曲集(上・下)』 
テイチクTECE 24459,25460

<上>
 国境を越えて  (佐藤惣之助)  楠木繁夫・・古賀政男テイチク第一作(昭和9年7月) 
 影を慕いて   (古賀政男)   楠木繁夫・・・(編集したような作曲)
 スキーの唄   (島田芳文)   楠木繁夫
 白い椿の唄   (佐藤惣之助)  楠木繁夫・・前奏・間奏・後奏が独立した一曲に値する。
                    菊池寛原作「貞操問答」映画化主題歌
 ハイキングの唄 (島田芳文)    楠木繁夫
 望郷の唄    (島田欣也)   デイックミネ
 のぞかれた花嫁 (玉川映二/サトウハチロー)   杉狂児
 二人は若い   (玉川映二/サトウハチロー)  デイックミネ・星玲子
 波止場がらす  (佐藤惣之助)  デイックミネ
 男のまごころ  (佐藤惣之助)  楠木繁夫
 夕べ仄かに   (島田芳文)   デイックミネ
 緑の地平線   (佐藤惣之助)  楠木繁夫
 ゆかりの唄   (佐藤惣之助)  デイックミネ
 白衣の佳人   (佐藤惣之助)  デイックミネ
 啄木の歌    (島田欣也)   楠木繁夫
 春まだ浅く   (石川啄木)   有島通男
 東京ラプソデイー(門田ゆたか)   藤山一郎
 東京娘     (佐藤惣之助)  藤山一郎
 慈悲心鳥    (佐藤惣之助)  楠木繁夫
 さらば青春   (佐藤惣之助)  藤山一郎
              

<下>
男の純情    (佐藤惣之助)  藤山一郎
愛の小窓    (佐藤惣之助)  デイックミネ
女の階級    (村瀬まゆみ)  楠木繁夫
回想譜     (今城靖児)   藤山一郎
青春の謝肉祭(カーニバル )(島田欣也) 藤山一郎
南国の乙女   (水島洋)    奥田英子
あゝそれなのに (星野貞志/サトウハチロー)    美ち奴
うちの女房にゃ髭がある (星野貞志/サトウハチロー) 杉狂児、美ち奴
聖処女の唄      (佐藤惣之助)   藤山一郎
人生の並木路     (佐藤惣之助)  デイックミネ・・・・(オリジナルレコード)
青い背広で      (佐藤惣之助)  藤山一郎
青春日記       (佐藤惣之助)  藤山一郎
緑の月        (佐藤惣之助)  奥田英子 
のばせばのびる    (江川真夫)   楠木繁夫
真実一路の唄     (佐藤惣之助)   楠木繁夫
軍国の母       (島田欣也)   美ち奴
黒いパイプ      (倉仲住人)・・  由利あけみ・・三浦環と「蝶々夫人」にも出演。
白虎隊        (島田欣也)   藤山一郎
人生劇場       (佐藤惣之助)  楠木繁夫
弥次喜多道中記    (古賀政男)    楠木繁夫



410 名前:名無しさん@お腹いっぱい。 投稿日:2020/03/25(Wed) 13:12
戦前の流行歌

塩尻精八
1928 道頓堀行進曲 詞:日比繁次郎 歌:筑波久仁子、内海一郎、海原千里・万里(1977)
1931 女給の唄   詞:西條八十  歌:羽衣歌子(前半)、二三吉(後半)

梁田貞 [やなだ ただし] (1885〜1959)
1932 城ヶ島の雨  詞:北原白秋 歌:奥田良三 [1913(T2)の作]

佐々紅華 (1886〜1961)
1929 君恋し    詞:時雨音羽 歌:二村定一、佐藤千夜子、フランク永井(1961)
1929 浪花小唄   詞:時雨音羽 歌:二村定一(前半)、二三吉(後半)、古都清乃(1969)
1930 祇園小唄   詞:長田幹彦 歌:二三吉

中山晋平 (1887〜1952)
1928 出船の港   詞:時雨音羽 歌:藤原義江、佐藤千夜子
1928 波浮の港   詞:野口雨情 歌:佐藤千夜子、藤原義江
1928 旅人の唄   詞:野口雨情 歌:佐藤千夜子 [1923(T12)の作]
1928 当世銀座節  詞:西條八十 歌:佐藤千夜子
1929 東京行進曲  詞:西條八十 歌:佐藤千夜子
1929 紅屋の娘   詞:野口雨情 歌:佐藤千夜子
1929 愛して頂戴  詞:西條八十 歌:佐藤千夜子
1932 銀座の柳   詞:西條八十 歌:四家文子
1933 東京音頭   詞:西條八十 歌:小唄勝太郎・三島一声
1933 天竜下れば  詞:長田幹彦 歌:市丸

奥山貞吉 (1887〜1956)
1929 沓掛小唄    詞:長谷川伸 歌:川崎豊・曽我直子
1940 お島千太郎旅唄 詞:西條八十 歌:伊藤久男・二葉あき子

杉山長谷夫 (1889〜1952)
1928 出船     詞:勝田香月 歌:藤原義江

松平信博 (1893〜1949) [別名:林純平]
1931 侍ニッポン  詞:西條八十 歌:徳山l
1932 夜の酒場に  詞:西條八十 歌:徳山l

大村能章 (1893〜1962)
1935 旅笠道中  詞:藤田まさと 歌:東海林太郎
1935 野崎小唄  詞:今中楓渓  歌:東海林太郎
1935 明治一代女 詞:藤田まさと 歌:喜代三

鈴木静一(1901〜1980)
1937 タバコやの娘      詞:薗ひさし 歌:岸井明・平井英子
1943 お使いは自転車に乗って 詞:上山雅輔 歌:轟夕起子

仁木他喜雄 (1901〜1958)
1941 蘇州の夜  詞:西條八十 歌:李香蘭
1942 高原の月  詞:西條八十 歌:霧島昇・二葉あき子

阿部武雄 (1902〜1968)
1935 むらさき小唄 詞:佐藤惣之助 歌:東海林太郎
1937 妻恋道中   詞:藤田まさと 歌:上原敏
1937 流転     詞:藤田まさと 歌:上原敏
1937 裏町人生   詞:島田馨也  歌:上原敏・結城道子
1938 鴛鴦道中   詞:藤田まさと 歌:上原敏・青葉笙子

江口夜詩 (1903〜1978)
1932 忘れられぬ花 詞:西岡水朗  歌:池上利夫(松平晃)
1933 十九の春   詞:西條八十  歌:松原操
1934 急げ幌馬車  詞:島田芳文  歌:松平晃
1935 夕日は落ちて 詞:久保田宵二 歌:松平晃・豆千代

細田義勝 (1904〜1966)
1936 忘れちゃいやヨ  詞:最上洋  歌:渡辺はま子

早乙女光 (1904〜1944)
1939 古き花園    詞:サトウハチロー 歌:二葉あき子
1943 湖畔の乙女   詞:西條八十    歌:菊池章子

長津義司 (1904〜1986)
1939 大利根月夜 詞:藤田まさと 歌:田端義夫
1941 十三夜   詞:石松秋二  歌:小笠原美都子、榎本美佐江(1965)

橋本國彦 (1904〜1949)
1928 お菓子と娘    詞:西條八十 歌:奥田良三(1929)、荻野綾子(1931)



411 名前:名無しさん@お腹いっぱい。 投稿日:2020/03/25(Wed) 13:22
古賀政男 (1904〜1978)
1931 影を慕いて     詞:古賀政男  歌:佐藤千夜子、藤山一郎(1932)
1931 酒は涙か溜息か   詞:高橋掬太郎 歌:藤山一郎
1931 私此頃憂鬱よ    詞:高橋掬太郎 歌:淡谷のり子
1931 丘を越えて     詞:島田芳文  歌:藤山一郎、矢野顕子(1976)
1933 サーカスの唄    詞:西條八十  歌:松平晃
1933 緑の地平線     詞:佐藤惣之助 歌:楠木繁夫
1935 二人は若い     詞:玉川映二  歌:ディック・ミネ・星玲子
1936 東京ラプソディ   詞:門田ゆたか 歌:藤山一郎
1936 男の純情      詞:佐藤惣之助 歌:藤山一郎
1936 女の階級      詞:佐藤惣之助 歌:楠木繁夫
1936 ああそれなのに   詞:星野貞志  歌:美ち奴
1937 青い背広で     詞:佐藤惣之助 歌:藤山一郎
1937 人生の並木路    詞:佐藤惣之助 歌:ディック・ミネ
1937 青春日記      詞:佐藤惣之助 歌:藤山一郎
1937 白虎隊       詞:島田磬也  歌:藤山一郎、霧島昇(1952)
1938 人生劇場      詞:佐藤惣之助 歌:楠木繁夫、村田英雄(1959)
1940 誰か故郷を想わざる 詞:西條八十  歌:霧島昇
1940 なつかしの歌声   詞:西條八十  歌:藤山一郎・二葉あき子
1940 新妻鏡       詞:佐藤惣之助 歌:霧島昇・二葉あき子、島倉千代子(1965)
1940 目ン無い千鳥    詞:サトウハチロー 歌:霧島昇、島倉千代子(1965)

万城目正 (1905〜1968)
1938 旅の夜風  詞:西條八十 歌:霧島昇・松原操、高石かつ枝・藤原良(1962)
1939 純情二重奏 詞:西條八十 歌:高峰三枝子
1939 純情の丘  詞;西條八十 歌:二葉あき子、高石かつ枝(1963)

原野為二 (1905〜1943) [別名:池上敏夫、池田不二男]
1932 幌馬車の唄 詞:山田としを 歌:和田春子
1934 並木の雨  詞:高橋掬太郎 歌:松原操、井上ひろし(1961)
1935 雨に咲く花 詞:高橋掬太郎 歌:関種子、井上ひろし(1960)
1936 花言葉の唄 詞:西條八十  歌:松平晃・伏見信子、松平晃(愛のささやき,1937)

山田栄一 (1906〜1995)
1937 すみだ川  詞:佐藤惣之助 歌:東海林太郎(台詞:田中絹代)、島倉千代子(1969)



412 名前:名無しさん@お腹いっぱい。 投稿日:2020/03/25(Wed) 13:27
竹岡信幸 (1907〜1985)
1934 赤城の子守唄 詞:佐藤惣之助 歌:東海林太郎
1938 悲しき子守唄 詞:西條八十  歌:松原操
1938 支那の夜   詞:西條八十  歌:渡辺はま子

菊池博
1939 名月赤城山  詞:矢島寵児  歌:東海林太郎
1941 琵琶湖哀歌  詞:奥野椰子夫 歌:東海林太郎・小笠原美都子

佐々木俊一 (1907〜1957)
1932 涙の渡り鳥   詞:西條八十 歌:小林千代子
1933 島の娘     詞:長田幹彦 歌:小唄勝太郎
1935 無情の夢    詞:佐伯孝夫 歌:児玉好雄、佐川満男(1961)
1939 長崎物語    詞:梅木三郎 歌:由利あけみ
1940 燦めく星座   詞:佐伯孝夫 歌:灰田勝彦
1942 新雪      詞:佐伯孝夫 歌:灰田勝彦
1942 明日はお立ちか 詞:佐伯孝夫 歌:小唄勝太郎、三沢あけみ(1964)

服部良一 (1907〜1993)
1936 別れのブルース   詞:藤浦洸     歌:淡谷のり子
1937 雨のブルース    詞:野川香文    歌:淡谷のり子
1939 一杯のコーヒーから 詞:藤浦洸     歌:霧島昇・松原操
1940 いとしあの星    詞:サトウハチロー 歌:渡辺はま子
1940 小雨の丘      詞:サトウハチロー 歌:小夜福子
1940 湖畔の宿      詞:佐藤惣之助   歌:高峰三枝子
1940 蘇州夜曲      詞:西條八十    歌:渡辺はま子・霧島昇

大久保徳二郎 (1908〜1974)
1939 或る雨の午後  詞:島田磬也  歌:ディック・ミネ

田村しげる (1908〜1980)
1934 女の友情の唄  詞:吉屋信子  歌:松島詩子・山野美和子

灰田晴彦 (1909〜1986) [別名:灰田有紀彦]
1940 森の小径    詞:佐伯孝夫  歌:灰田勝彦
1942 鈴懸の径    詞:佐伯孝夫  歌:灰田勝彦

古関裕而 (1909〜1989)
1935 船頭可愛いや  詞:高橋掬太郎 歌:音丸

清水保雄 (1910〜1980)
1942 婦系図の歌   詞:佐伯孝夫  歌:藤原亮子・小畑実
1943 勘太郎月夜唄  詞:佐伯孝夫  歌:小畑実・藤原亮子

倉若晴生 (1912〜1982)
1939 島の船唄    詞:清水みのる 歌:田端義夫
1939 旅のつばくろ  詞:清水みのる 歌:小林千代子

細川潤一 (1913〜1991)
1937 マロニエの木陰 詞:坂口淳   歌:松島詩子

八洲秀章 (1915〜1985) [別名:鈴木義章]
1940 高原の旅愁   詞:関沢潤一郎 歌:伊藤久男


413 名前:名無しさん@お腹いっぱい。 投稿日:2020/03/25(Wed) 22:31
玉川映二,星野貞志は、サトウハチロ―の別名。
詩人サトウハチロ―(佐藤八郎)は西条八十の弟子で,他に山野三郎、倉中佳人,倉中房雄など多くの別名を持つ。

414 名前:名無しさん@お腹いっぱい。 投稿日:2020/03/26(Thu) 15:43
昭和7年(1932年)

あけみの唄
作詞:原阿佐緒
作曲:古賀政男
歌唱:関  種子

(一)
あけみ悲しや 何処(いずこ)へ往く
酒場の花と ひとはいうが
酔うては醒める 酒のよな
恋はすまいぞ ひとが泣くもの

(二)
あけみ悲しや 何処へ往く
いまさらさらに 思う我が子
ゆりかごゆりて 笑みし日を
恋ては泣くよ 母なればこそ

(三)
あけみ悲しや 何処へ往く
恋にも世にも 敗れ果てて
せめて子のため 永らえよ
あああ あけみ 何処へ往くよ



「佳人よいずこへ」主題歌、歌人原阿佐緒作詞、関種子は東京音楽学校主席卒業、
初期の古賀メロディを支えた歌手。
もう一つの「佳人よいずこへ」は淡谷のり子歌。





☆古賀政男と女流歌人・原阿佐緒 ー「あけみの唄」(新興キネマ『佳人よ何処へ』)

古賀政男ほど詩を大切にし、歌と真剣に取り組んだ作曲家もいない。
佐藤惣之助、原阿佐緒、西條八十、萩原朔太郎、サトウハチロー、大木敦夫・・古賀政男ほど多くの詩人や歌人に恵まれ、直接深い付き合いを持っていた作曲家もいないだろう。

昭和7年、大衆文芸映画社 配給=新興キネマ『佳人よ何処へ』・・この原阿佐緒主演で原阿佐緒の人生を描いたといえる映画に主題歌が要るからと、阿佐緒は自分で「あけみの歌」を書きます。阿佐緒は赤ん坊を背中に背負って、コロムビア本社に古賀政男を訪ねて作曲を依頼します。見れば歌詞には「あけみかなしや 何処へ行く/恋にも世にも敗れ果てて/せめて子のため ながらえよ/ああああ あけみ 何処へ行く」などとあります。この姿と、子どもと生きる苦労話に、古賀は打たれ、承諾します。その夜から作曲にとりかかった古賀は、自分を育てるのに苦労した母の姿を重ね、「ギターの胴を涙で濡らしながら曲を書いた」(自伝や関係者の話)のでした。

映画のほうはさっぱり客が入らず、とうとうプロダクションもつぶれてしまいましたが、今聞いてもなかなかいい旋律で、歌は長く歌われ今日でも古さは感じない。
その詩は、80年経った今でも、歴史を超えて今日の社会でも十分普遍性を持って生きているすばらしい歌です。

初期の古賀メロディを支えた美貌の名ソプラノ歌手、関種子の切々と歌う哀愁を帯びた古賀メロディの佳曲「あけみの歌」、U-Tubeでも聞ける。

子供の虐待とかが世間を騒がせている今こそ、ぜひこの名曲を聴かせてあげたい。
聴いてください。


原阿佐緒は、明治40年(1909年)、新詩社に入って与謝野晶子に師事、『スバル』に短歌を発表。『スバル』終刊後は『アララギ』に移り、今井邦子や三ヶ島葭子とともにアララギ女流の新鋭と見なされるようになる。
アララギ派の女流歌人、美貌の持ち主であり若くからさまざまな恋愛問題を引き起こしてきた。
昭和7年( 1932年)、直木三十五の紹介で「大衆文芸映画社」に入社、阿佐緒が原作を書き女優として主演したサイレント映画『佳人よ何処へ』(監督福西譲治)が製作され、同年6月1日に新興キネマが配給して公開された[2]。

同作の公開に先行し、阿佐緒が作詞し古賀政男が作曲・編曲、淡谷のり子が歌った同名の主題歌「佳人よ何処へ」、および美貌のソプラノ歌手関種子が歌った『あけみの唄』を、日本コロムビアが同年5月に発売している。



・原阿佐緒歌集
涙痕 歌集 東雲堂 1913
白木槿 歌集 東雲堂書店 1916
うす雲 歌集 不二書房 1928
原阿佐緒抒情歌集 平凡社 1929
原阿佐緒全歌集 小野勝美編 至芸出版社 1978.6
死をみつめて 歌集 短歌新聞社 1995.9 (短歌新聞社文庫)
原阿佐緒自伝・黒い絵具 西田耕三編・制作 耕風社 1997.8 (みやぎ文学館ライブラリー)



・原阿佐緒作品
『恋人形の唄』: 作曲・編曲堀田公明、歌唱淡谷のり子、ポリドール、1931年3月
『浪花小唄』: 作曲山野芳作、編曲奥山貞吉、歌唱かね本幾松、タイヘイ、1933年12月
『あけみの唄』: 作曲・編曲古賀政男、歌唱関種子、コロムビア、1932年5月
『佳人よ何処へ』作曲・編曲古賀政男、歌唱淡谷のり子、コロムビア、1932年5月
『山の娘』: 作曲・編曲・演奏高倉彰、歌唱三浦環、コロムビア、1940年7月


『原阿佐緒の生涯 その恋と歌』、小野勝美、古川叢書、古川書房、1974年




415 名前:名無しさん@お腹いっぱい。 投稿日:2020/03/26(Thu) 18:49
昔は、昭和の初めごろは、大方、詩人が詩を作り、作曲家が曲を作り、歌手たちが歌った。
歌手達は、たいてい音楽学校出身者で、オペラとかにも出演していた。

古賀メロディを支えた藤山一郎、関種子など東京音楽学校(現、東京藝術大学音楽学部)の首席であった。

今こうした本格的な歌手・声楽家が歌った歌を歌えるものがいない状況。

416 名前:名無しさん@お腹いっぱい。 投稿日:2020/03/26(Thu) 18:57
歌は「童謡」の中に入ったとき、[愛唱歌]になると思うが、「影を慕いて」は、今や「古賀メロデー」を越えて,童謡その他の愛唱歌と渾然一体になって、[日本の愛唱歌][日本の名曲]「人生の主題歌」になっているのではないでしょうか。


寺山修司編「日本童謡集」(光文社1972)という本がある。その前書きには、『優れた「童謡」というものは、長い人生に二度あらわれる、一度目は子供時代の歌として、二度目は大人になってからの歌としてである。』・・と。そして、『映画に主題歌があるように、人の一生にもそれぞれ主題歌があるのではないだろうか。そして、それを思い出して唄ってみるときに、人はいつでも原点に立ち戻り、人生のやり直しがきくようなカタルシスを味わうのではないだろうか。』・・として、広い分野の歌を集めてあるのが特徴。『赤い靴』『青い眼の人形』から 、古賀メロデー『影を慕いて』『人生の並木路』・・など優れた童謡としてあげられている。

417 名前:名無しさん@お腹いっぱい。 投稿日:2020/03/27(Fri) 21:19
八十と惣之助

  大正期の詩人として、西条八十(1892ー1968)と佐藤惣之助(1890ー1942)のふたりが、 なぜか気になる。八十は芸術派、惣之助は人道派とタイプは違うが、似ているところもあ る。ひとつは、詩のうまさ。もとより、その質は異なるし、そのうまさに余剰(余情にあ らず)がないところがものたりないと云えるが。もうひとつは、後に歌謡曲の作詞家とし て名をなしたところ。・・


なお、惣之助の義兄であり「日本詩人」同人でもある萩原朔太郎も古賀政男とは関係が深い詩人で、「古賀メロディ」を高く評価していました。


418 名前:名無しさん@お腹いっぱい。 投稿日:2020/03/29(Sun) 17:45
「浮き草の唄」「十九の春」「気まぐれ涙」「秋の銀座」「並木の雨」「河原ススキ」「ヒュッテの一夜」「月のキャンプ」「峠の雨」「真白き富士の根」「乙女鳥」「「そんなのないわ」「旅の夜風」「悲しき子守唄」「母の歌」「一杯のコーヒーから」「港の歌」「愛染夜曲」「朝月夕月」「乙女七人」「日本よい国」「愛染草紙」「荒野の夜風」「新妻模様」「目ン無い千鳥」「楊柳芽をふく頃」「大空に祈る」「三百六十五夜」 コロンビアAL・5070〜1

ミス・コロンビア・松原 操の歌謡曲のSP録音を復刻したセットである。彼女は昭和6年に東京音楽学校を卒業し、クラシックの声楽家として活動していたが、コロンビアにスカウトされ歌謡曲も歌うようになった。
彼女の歌を聴いていると、かつて存在したが今はもう失われた日本女性の美徳、純情、可憐、清楚、貞淑といった要素をその歌唱の中に昇華し結晶化しているように思われる。大げさな言い方になるかもしれないが、西洋音楽の歌唱において日本らしさ、日本的スタイルがここに確立しているとみることができる。そして彼女以後、これ程、日本的な良さを感じさせる歌手は出なかった。その意味でまことに貴重な記録がここにあるといえよう。
また、彼女のノンヴィヴラートの発声を聴いていると、ヴィヴィラートというのは、あってもいい場合もあるという程度に理解すべきことが痛感される。中世ルネッサンスの宗教曲等でヴィヴラートがあると困る場合はあっても、逆にヴィヴラートがなくてはならないという曲はないのではないかということである。

419 名前:名無しさん@お腹いっぱい。 投稿日:2020/04/01(Wed) 23:18
月の浜辺    

作詞:島田 芳文 作曲:古賀 政男
唄:河原 喜久惠
昭和6年(1931)

1.月影白き 波の上
  ただひとり聞く 調べ告げよ千鳥
  姿いずこ かの人
  ああ なやましの夏の夜
  こころなの 別れ

2.月 はやかげり 風立ちぬ
  われすすり泣く 浜辺語れ風よ
  姿いずこ かの人
  ああ 狂(くる)おしの夏の夜
  永久(とこしえ)の 別れ

3.月 永遠(とわ)に落ち 波立ちぬ
  胸あやしくも 乱る返れ心
  姿いずこ かの人
  ああ さびしやの夏の夜
  一人泣く 浜辺

島田芳文:作詞、古賀正男:作曲。昭和六年(1931),
古賀の好むジプシー短音階で作曲された。戦後もリバイバル発売され二代目コロムビア・ローズのステレオ盤でも聴くことができる。
この曲の、幻想的で誘うような官能的なメロディが好きです。でも、世間的にあまり知られた曲ではないですね。
89年も前の古い曲ですが、とてもいい曲です。コレ古賀さんの初期の作品だで、音はノイズが多いけどよく聴くと歌謡曲に収まらい格調の高さが見られる!詞も文語体ですね!。
河原喜久恵さんは上野の音楽学校、東京芸大出身、他にザッツ.オッケーなど歌って居られる! 。








420 名前:名無しさん@お腹いっぱい。 投稿日:2020/04/02(Thu) 00:12
古賀政男初期のレコード

乙女心         鹿山鶯村 関種子    1931年5月 コロムビア 26275
チャッカリしてるわネ 西岡水朗 天野喜久代 1931年5月 コロムビア 同

月の浜辺    島田芳文 河原喜久恵 1931年6月 コロムビア 26325
キャンプ小唄  島田芳文 藤山一郎  1931年6月 コロムビア 同
 h ttp://www.koga.or.jp/melody/year01.html

河原喜久恵(1902-?)
東京出身。昭和2年に東京音楽学校本科卒業、4年に研究科卒業。「ザッツ・オーケー」「月の浜辺」などでヒット。
聖心女学院や中央音楽学校の講師などもしていたが、7年5月に松竹蒲田入りし、女優業のかたわら声楽指導なども行った。
しかし芸能活動は9年頃に引退、16年にベース歌手の阿部英雄との10年にわたる結婚生活に区切りをつけ、その後は大陸へ渡り実業家に転身、23年に帰国した。
戦後は歌手時代の思い出は「強いて忘れたい」と芸能界とは縁を切り、市井の人として暮らした。
h ttp://www.geocities.jp/showahistory/music/singer03.html


421 名前:名無しさん@お腹いっぱい。 投稿日:2020/04/03(Fri) 19:57
新民謡「波浮の港」は1923年(大正12年)に野口雨情が発表した詞に、中山晋平が作曲した歌曲 です。 レコードは1928年(昭和3年)5月に「佐藤千夜子」が日本ビクターから、2ヶ月後の7月に「藤原義江」が米国ビクターから発売しています。
日本における商業レコード第一号とされる。


波浮の港
【作詞】野口 雨情
【作曲】中山 晋平

磯の鵜の鳥ゃ 日暮れにゃ帰る
波浮の港にゃ 夕焼け小焼け
明日の日和は
ヤレホンニサ 凪るやら

船もせかれりゃ 出船の仕度
島の娘たちゃ 御神火ぐらし
なじょな心で
ヤレホンニサ いるのやら

島で暮らすにゃ 乏しゅうてならぬ
伊豆の伊東とは 郵便だより
下田港とは
ヤレホンニサ 風だより

風は潮風 御神火おろし
島の娘たちゃ 出船の時にゃ
船のとも綱
ヤレホンニサ 泣いて解く

422 名前:名無しさん@お腹いっぱい。 投稿日:2020/04/06(Mon) 14:58
赤とんぼ 松原操 歌/三木露風 作詞/山田耕筰 作曲編曲【レコード】昭和13年11月、コロムビア
YouTube · 213 回の視聴 · 2019/05/15
制作者 童謡・唱歌・流行歌

423 名前:名無しさん@お腹いっぱい。 投稿日:2020/04/10(Fri) 21:37
国民歌謡・日本よい国。

歌手は松原操さん。

作詞・作曲;中央教化団体連合会



一、日本よい国 東の空に

  昇る朝日は

  日の御旗 日の御旗

  大和ごころを一つに染めて

  いつもほのぼの夜があける



二、上は万代 桜は万朶

  繁り栄える

  たみくさは たみくさは

  国の内外満ちたる潮の

  西に東に展びていく



三、晴れて美し みどりの海に

  映す姿も

  雪の富士 雪の富士

  産業日本の矜持を積んで

  船は世界の海を往く



四、鍬を持つ手を劔にかへて

  いざといや起つ

  意気で起つ 意気で起つ

  大和男子のこころを見よと

  今日も桜の花が咲く花が咲く

他に関種子盤、戦後版に西六郷少年少女合唱団がある。

424 名前:名無しさん@お腹いっぱい。 投稿日:2020/04/10(Fri) 22:01
歌謡曲の数々 恐ろしい数がある。
h ttp://ahokamone.jugem.jp/?eid=897

425 名前:名無しさん@お腹いっぱい。 投稿日:2020/05/10(Sun) 12:02
緑の地平線

作詞:佐藤惣之助、作曲:古賀政男、唄:楠木繁夫

1 なぜか忘れぬ人ゆえに
  涙かくして踊る夜は
  濡れし瞳にすすり泣く
  リラの花さえなつかしや

2 わざと気強くふりすてて
  無理に注がして飲む酒も
  霧の都の夜は更けて
  夢もはかなく散りて行く

3 山のけむりを慕いつつ
  いとし小鳩の声きけば
  遠き前途(ゆくて)にほのぼのと
  緑うれしや地平線


昭和10年(1935)に日活多摩川撮影所で制作された同名の映画の主題歌で、古賀メロディーの傑作の1つ。
 映画は3人の女性が紆余曲折の末、真の愛に目覚めるといったストーリーで、原節子、岡譲二などが出演しました。
子供の頃から知っている歌です。(言うまでもなく、生まれる前の、映画「緑の地平線」は観ておりません。)
最近、カラオケで、たまたま、見知らぬ人がこの歌を謳っているのに出合い、懐かしく感じました。
私自身、古賀メロディが心地よく、調子よく歌えることもあって、ときどき、この歌を口遊んでおります。
歌詞1番の、♪リラの花さえなつかしや♪の、懐かしく思い起こす、リラ(ライラック)が咲いていた地はどこだろうか?ライラック祭りの、北海道みたいですが、
浅間山を望む浅間高原。


426 名前:名無しさん@お腹いっぱい。 投稿日:2020/05/10(Sun) 12:23
東京ラプソディ

作詞:門田ゆたか
作曲:古賀政男
歌 :藤山一郎


1.花咲き花散る宵も
  銀座の柳の下で
  待つは君ひとり 君ひとり
  逢えば行く 喫茶店(ティールーム)
  楽し都 恋の都
  夢の楽園(パラダイス)よ 花の東京

2.うつつに夢見る君の
  神田は想い出の街
  いまもこの胸に この胸に
  ニコライの 鐘も鳴る
  楽し都 恋の都
  夢の楽園よ 花の東京

3.明けても暮れてもうたう
  ジャズの浅草行けば
  恋の踊り子の 踊り子の
  黒子(ほくろ)さえ 忘られぬ
  楽し都 恋の都
  夢の楽園よ 花の東京

4.夜更けにひと時寄せて
  なまめく新宿駅の
  あの娘はダンサーか ダンサーか
  気にかかる あの指輪
  楽し都 恋の都
  夢の楽園よ 花の東京

5.花咲く都に住んで
  変わらぬ誓ひを交わす
  変わる東京の 屋根の下
  咲く花も 赤い薔薇
  楽し都 恋の都
  夢の楽園よ 花の東京




427 名前:名無しさん@お腹いっぱい。 投稿日:2020/05/10(Sun) 12:30
人生の並木路

(佐藤惣之助 作詞、古賀政男 作曲 )

1.泣くな妹よ 妹よ泣くな
  泣けば幼い二人して
  故郷を捨てた甲斐がない
 
2.遠いさびしい日暮れの路で
  泣いて叱った兄さんの
  涙の声を忘れたか
 
3.雪も降れ触れ 夜路のはても
  やがて輝くあけぼのに
  わが世の春はきっと来る
 
4.生きて行こうよ 希望に燃えて
  愛の口笛高らかに
  この人生の並木路

CD『古賀政男生誕100年記念 SP原盤による古賀政男名曲集(上・ 
下)』    テイチクTECE 24459,25460

この歌はデイックミネが歌ったものだが、普通戦後30〜40年代ごろに歌っているのは
オリジナルのものとはだいぶ違っている。
昭和12年オリジナル(テイチク1200)は悲壮感漂うものでいい!!。


428 名前:名無しさん@お腹いっぱい。 投稿日:2020/05/10(Sun) 12:45
目 ン 無 い 千 鳥

 サトウハチロー作詩   古賀政男作曲
昭和15年

1 目ン無い千鳥の 高島田
  見えぬ鏡に いたわしや
  曇る今宵の 金屏風
  誰の科(とが)やら 罪じゃやら

2 千々(ちぢ)に乱れる 思い出は
  過ぎし月日の 糸車
  まわす心の 杯に
  紅はさしても 晴れぬ胸

3 雨の夜更けに 弾く琴が
  白い小指に 沁みてゆく
  花が散る散る 春が逝く
  胸の扉が また濡れる

4 目ン無い千鳥の 寂しさは
  切れてはかない 琴の糸
  青春(はる)の盛りの 若い葉に
  咽(むせ)び泣くよな 小糠(こぬか)雨


429 名前:名無しさん@お腹いっぱい。 投稿日:2020/05/10(Sun) 15:41
白 い 椿 の 唄
(作詩 佐藤惣之助 作曲 古賀政男 )  (昭和10年) 
1 雪もかがやけ 青春の
  花は涙の おくりもの
  風にきびしく 泣きぬれし
  あわれ乙女の 白つばき


2 宵の酒場に 咲く花は
  燃えてほのぼの 誰を待つ
  ながきまつ毛の 横顔も
  夢にやつれし 白つばき


3 呼べど返らぬ 面影は
  きえてはるかな 山の上
  月にささげて ひとり泣く
  あわれ涙の 白つばき

呼べど返らぬ 面影は・・これは、古賀政男が母を亡くしたその思いと重なる。
この歌は菊池寛原作「貞操問答」主題歌、前奏・間奏・後奏がそれぞれ独立した一曲にあたるようなうた。




430 名前:名無しさん@お腹いっぱい。 投稿日:2020/05/10(Sun) 15:51
あけみの唄 昭和7年(1932年)

作詞:原阿佐緒
作曲:古賀政男
歌唱:関  種子

(一)
あけみ悲しや 何処(いずこ)へ往く
酒場の花と ひとはいうが
酔うては醒める 酒のよな
恋はすまいぞ ひとが泣くもの

(二)
あけみ悲しや 何処へ往く
いまさらさらに 思う我が子
ゆりかごゆりて 笑みし日を
恋ては泣くよ 母なればこそ

(三)
あけみ悲しや 何処へ往く
恋にも世にも 敗れ果てて
せめて子のため 永らえよ
あああ あけみ 何処へ往くよ

431 名前:名無しさん@お腹いっぱい。 投稿日:2020/05/10(Sun) 15:59
>>428

目ン無い千鳥(霧島昇・ミスコロムビア)
サトウハチロー作詞 、古賀政男作曲

これは、今からナツメロを聴いてみようかな、という人には絶対オススメの一曲。
あっ、でもリバイバルはだめです。オリジナルの霧島&ミスコロのデュエットで聴くからこその青春歌謡であって、大川栄策では、なんか歌謡曲というよりベタベタの演歌みたいで、私はどうも好きになれない。
「目ン無い千鳥」というのは、もともと子供の「目かくし鬼ごっこ」のことらしいですが、ここではそういう意味ではなく、「新妻鏡」という映画の主人公である、目の見えない妻という設定に関連づけられているのでしょう。
映画の設定はともかくとして、それと切り離して聴いても、この歌は素晴らしい青春回想記です。
    h ttp://www1.neweb.ne.jp/wa/mayu/mennai.html



やはり日本の歌いいですね、特に日本がまだ貧しかった時代の歌は。
今、日本は豊かになり飽食の時代と言われ久しくなりましたが、昭和20
年代頃まで、日本は今では考えられない貧しい時代、貧しいけど心豊か
な時代だったと思います。
 
日本の歌にも、いろいろな分野の歌がありますが、この頃の歌の底流
に共通していえること、それは心温まるやさしさではないでしょうか。
今の日本人が忘れかけようとしている、何か大切なものを思い起こさせ
てくれます。詩も、歌も、歌い手も・・この頃の歌を聞くとなぜか涙が
出てきます。しみじみと聞く、究極の癒しといえないでしょうか。

 h ttp://www5f.biglobe.ne.jp/~Minerva/nipponnouta/nipponnouta_kokoronouta.html

432 名前:名無しさん@お腹いっぱい。 投稿日:2020/05/10(Sun) 16:18
「女の階級」 (日活『女の階級』主題歌)

作詩 村瀬まゆみ 作曲 古賀政男


1 君に捧げた まごころの 愛が女の 命なら
弱い涙は 今日かぎり 捨てていばらの 径(みち)を行く

2 心砕(くだ)けど ままならぬ 辛い浮世の 小夜嵐
愛の船路を 祈るごと 星もまたたく この夕べ

3 想い乱れて 咲く花は 女心か 月草よ 涙誘うな 秋風に
散るは彼の日の 夢ばかり


4 君を信濃の 高原に 涙かくして 見送れば
靡(なび)く煙りも 一すじに 燃えて火を吐く 浅間山

433 名前:名無しさん@お腹いっぱい。 投稿日:2020/05/10(Sun) 18:25
昭和11年(1936年) TEICHIKU 日活「女の階級」主題歌



作詞:村瀬まゆみ
作編曲:古賀政男
歌唱:楠木繁夫
伴奏:古賀政男オーケストラ


1.君に捧げた 純情の
愛が女の 生命なら
弱い涙は 今日限り
捨てて荊刺の 径を行く

2.心砕けど 侭ならぬ
つらい浮き世の 小夜嵐
愛の船路を 祈る毎
星も瞬く この夕べ

3.想い乱れて 咲く花は
女心か 月草よ
涙誘うな 秋風に
散るは彼の日の 夢ばかり

4.君を信濃の 高原に
涙隠して 見送れば
靡く煙も 一筋に
燃えて火を噴く 浅間山

434 名前:名無しさん@お腹いっぱい。 投稿日:2020/05/10(Sun) 18:41


「回想譜(加壽子のうたへる)」

・作詞 今城靖児 / 作曲 古賀政男 / 編曲 古賀政男 ・歌 藤山一郎 / 演奏 古賀政男オーケストラ ・


・「回想譜(加壽子のうたへる)」 (日活『女の階級』主題歌)(作詞 今城靖児 作曲 古 賀政男)

1 星みれば はろかに遠く 雲みれば つきせぬ想い 離れゆきし 君は問わねど 御宿(おんじゅく)の ああ 海の恋しさ

2 風ふけば 風もさびしや 虫なけば 虫もわびしや ただひとり ロッジにあれば たえがたく ああ 涙ながるる

3 朝(あした)には あしたの祈り 夕べには 夕べのねがい 嫁(とつ)ぎゆく 妹にのみ いまはただ ああ 幸(さち)を請うのみ

435 名前:名無しさん@お腹いっぱい。 投稿日:2020/05/10(Sun) 20:16
名曲とは・・

名曲とは、何といっても、詩が一番大切でしょう。

詩の内容が、誰でも、簡単にできない詩、短くも、簡潔なな中に、詩が重厚で凄みがあり、内容が薄っぺらで、ありきたりで一般的で、ただ受けの良いだけの、幸せだけの、美辞麗句を並べただけのものでなくて、青春の苦悩を秘めた、軽いものでないもの。
やはり、「叱られて」とか「影を慕いて」のような歴史の重みを、歴史を凝縮したような曲、「青い山脈」みたいなものでない、すばらしい!!。

436 名前:名無しさん@お腹いっぱい。 投稿日:2020/05/11(Mon) 00:13
丘を越えて
 
 作詞:島田芳文
 作曲:古賀政男
 歌唱:藤山一郎
 
 (一)
 丘を越えて行こうよ
 真澄の空は朗らかに
 晴れてたのしいこころ
 鳴るは胸の血潮よ
 讃えよわが青春(はる)を
 いざ行け遥か希望の
 丘を越えて

(二)
 丘を越えて行こうよ
 小春の空は麗らかに
 澄みて嬉しいこころ
 湧くは胸の泉よ
 讃えよわが青春を
 いざ聞け遠く希望の
 鐘は鳴るよ


   

昭和4年、マンドリン合奏曲「ピクニック」として作られ、新興映画「姉」の主題歌として野口雨情門下の詩人島田芳文の詩になる青春賛歌。元祖「青春歌謡」である。
昭和改元(1926年12月)のちょうど5年目、89年前の昭和6年(1931)12月、東京音楽学校の学生だった藤山一郎によってレコード。 藤山一郎とのコンビで9月「酒は涙か溜息か」、昭和7年「影を慕いて」とともに「古賀メロディ−」を確立した。(「写真 昭和30年史」毎日新聞社1956)

戦後75年、昭和95年、「影を慕いて」とともに、童謡と同じく演奏会などで80年を超えて歌われ演奏されている数少ない「日本の名曲」である。
46小節よりなる前奏、歌の部分より前奏・間奏・後奏の方が長い「古賀メロデー」の代表的な曲。
山田耕筰は「明朗性」を表す作品として高く評価、ヨーロッパに行くときはこのレコードを持ち歩いて日本の代表的な作品として自慢していた。





437 名前:名無しさん@お腹いっぱい。 投稿日:2020/05/11(Mon) 00:25
影を慕いて
 
  
  佐藤千夜子 (昭和6年1月 ビクター)
  藤山一郎   (昭和7年3月 コロムビア)

 作詞:古賀政男
 作曲:古賀政男
 

 (一)
 まぼろしの
 影を慕いて 雨に日に
 月にやるせぬ 我が想い
 つつめば燃ゆる 胸の火に
 身は焦がれつつ 忍び泣く
 
 (二)
 わびしさよ
 せめて傷心(いたみ)の慰めに
 ギターをとりて 爪びけば
 どこまで時雨 ゆく秋ぞ
 トレモロ淋し 身は悲し

 (三)
 君故に
 永き人生(ひとよ)を 霜枯れて
 永遠に春見ぬ 我がさだめ
 永ろうべきか 空蝉(うつせみ)の
 儚き影よ 我が恋よ

90年の歴史、青春の苦悩から始まった古賀メロディの歴史、昭和歌謡史に残る最高傑作であるとともに、あちこちのクラッシック演奏会で、「丘を越えて」とともに、よく
演奏され、歌われる日本のクラッシックで、「日本の名曲」である。

昭和が終わった平成元年に、NHKTVで「日本の名曲10曲」として、1年間、1週間ごとに繰り返し放送された。


438 名前:名無しさん@お腹いっぱい。 投稿日:2020/05/11(Mon) 13:04
誰か故郷を想わざる

作詞:西条八十
作曲:古賀政男
歌唱:霧島昇
昭和15年(1940)

(一)
花摘む野辺に 日は落ちて
みんなで肩を くみながら
唄をうたった 帰り道
幼馴染の あの友この友
ああ 誰か故郷を想わざる

(二)
ひとりの姉が 嫁ぐ夜に
小川の岸で さみしさに
泣いた涙の なつかしさ
幼馴染の あの山この川
ああ 誰か故郷を想わざる

(三)
都に雨の 降る夜は
涙に胸も しめりがち
遠く呼ぶのは 誰の声
幼馴染の あの夢この夢
ああ 誰か故郷を想わざる


439 名前:名無しさん@お腹いっぱい。 投稿日:2020/05/11(Mon) 13:11
「新妻鏡」(佐藤惣之助作詞、古賀政男作曲)昭和15年194(1940)

「新妻鏡」・・昭和15年、東宝映画『新妻鏡』(佐藤惣之助作詞、古賀政男作曲)は、目の見えない新妻が苦労の果てに結ばれると言う話で、霧島昇、二葉あき子(戦後島倉千代子)歌。
「目ン無い千鳥」(サトウハチロー作詞,古賀政男作曲)も挿入歌。

 佐藤惣之助の歌には人生の苦悩を歌った歌が多いですが、人生を歌った詩としては、『人生の並木道』にも匹敵したすばらしい応援歌ではないかと思います。

僕がこころの良人(おっと)なら
君はこころの 花の妻
遠くさびしく 離れても
啼くな相模の 鴎(かもめ)どり

たとえこの眼は 見えずとも
聖いあなたの 面影は
きっと見えます 見えました
愛のこころの 青空に

強くなろうよ強くなれ
母となる身は幼児(おさなご)の
愛の揺籠花の籠
なんで嵐にあてらりょう

むかし乙女の 初島田
泣いて踊るも 生計(いのち)なら
清いふたりの人生を
熱い涙で 謳うおうよ

「遠くさびしく離れても」・・と言うと結婚式には不向きかもしれぬが、一語一語味わいに満ちた詩で、「強くなろうよ 強くなれ母となる身は幼児(おさなご)の」
・・今の歌とは決定的に違います。まだ日本が貧しかった時代が生んだ、すごい、人生・青春の応援歌ではないでしょうか!。
この歌は、すごい重みのある歌といえ、男女・年齢を問わず勇気ずける人生の応援歌として、時代を超えて、味わいのある歌だと思います。

三番は歌にはない
強くなろうよ強くなれ ・・
こうした重い歌詞が
簡潔な言葉が
さりげなくちりばめられている
名曲である

戦後、島倉千代子によって歌われた。



440 名前:名無しさん@お腹いっぱい。 投稿日:2020/05/11(Mon) 13:27
ゆかりの唄

作詞:佐藤惣之助
作曲:古賀政男
歌 :ディック・ミネ (台詞;星玲子)

都のともしび たのしく燃ゆれど
わが胸は
露にむしばむ かよわき花
涙にかがやく 初恋も
あゝ短きは 乙女の命

あゝ傷つきぬわが胸は、真白きリラの花のごと、
一人さびしく夕月に、すすり泣きつつしのびつつ、
あわれ今宵も散りて行く、ああ美わしの花よ、
なれの名は乙女、はかなくも消え行く雪よ、
なれの名も乙女、紅そめし頬も、
みどりのくろ髪も、束の間の秋の嵐にちりゆく。

高嶺の白雲 ほのかになびけど
わが夢は
さびし浅間の煙の影
嘆けどうつつに 消えゆきて
あゝ短きは 乙女の命



1935日活映画『緑の地平線』の挿入歌。いずれも佐藤惣之助の詩、星玲子の朗読があり、日本最高のジャズシンガーの称号を持つディック・ミネが歌唱しました。戦後、藤山一郎も歌っている。

「緑の地平線」(佐藤惣之助作詞、古賀政男作曲,楠木繁夫歌)とは前奏から対照的に、繊細な乙女の心情を描く物静かな名曲。



441 名前:名無しさん@お腹いっぱい。 投稿日:2020/05/11(Mon) 13:31
夕べ仄かに

   作詞:島田芳文
   作曲:古賀政男
   歌唱:ディック・ミネ
   
    (一)
    夕べ仄かに 窓辺に立てば
    山のかなたの 空の色
    遠いあの日の 夢に似て
    かいなき君の 偲ばれる

    (二)
    夕べ彩なす あかねの空よ
    何故に思いを こがすやら
    山の遠さよ 過ぎし日の
    儚なき君の 想い出よ
    

    (三)
    夕べ仄かに またたく光
    星になりたや 一つ星
    黒い瞳に うつる影
    誰故流す わが涙

 
これも昭和10年(1935)、日活映画「緑の地平線」の挿入歌です。松島詩子のもある。




442 名前:名無しさん@お腹いっぱい。 投稿日:2020/05/11(Mon) 13:40

「古賀メロディ」というのは、(単に佐曲家の名前の後に「メロディ」という言葉をつけたものでなく)、長い日本の歌謡史の中で生まれ多くの大衆によって育まれ与えられたもので、「メロディ」というのは、古賀作品のみに使われる特別の「称号」ということができるでしょう。

日本人の心の琴線に触れる一種哀調を帯びた優しいメロディ、稀有で卓越した一連のたくさんの古賀作品、それに対する敬意と賞賛の意味が込められているのです。


「古賀メロディ」紛いで、最近なんでもかんでも、いろいろ作曲家、それがリズム系であっても、その名前の後に、「メロディ」をつけて、作曲家の曲を「何とかメロディ」で呼ぶことがあるようで違和感を感じている人もあるのではないでしょうか。
これらは、いつからか戦後昭和40年代前後の頃のテレビ(12チャンネル等)に始まる「ナツメロブーム」の影響でしょうか。
使い方も間違っていると思います。

西條八十、佐藤惣之助、サトウハチローなど、詩人の日本人の琴線に触れるの詩情溢れる「古賀メロディ」・・、昭和の初めから、人は敬意を持って「古賀メロディ」と呼んだのだ。

しかし、最近のはもちろん、「古賀メロディ」以外が、実際SP黄金時代に、そのように「メロディ」をつけて呼ばれてきたわけではないのです。


昭和の長い歌謡の歴史の中で「メロディ」をつけて実際にそう呼ばれてきたのは、たくさんある中で、「古賀メロディ」しかないのです。





443 名前:名無しさん@お腹いっぱい。 投稿日:2020/05/11(Mon) 13:49
昭和12年からNHK「国民歌謡」ができ、名前を変えて戦後の「ラジオ歌謡」まで、たくさんの名曲の
宝庫となったのですが、「国民歌謡」の前身は昭和11年4月からのNHK「新歌謡曲」で、その第一曲目が佐藤
惣之助作詞、弘田竜太郎作曲、関種子が歌った「野薔薇の歌」があります。

ほのぼのと夜明けの野ばら
ほろぼろと幼き野ばら
七つの妹がいたならば
水のにおいの野の頬に
花より薄き紅染めて
今朝もなかずに遊ぼうものを

CD「20世紀の奇跡 ラジオの時代1」コロムビア

444 名前:名無しさん@お腹いっぱい。 投稿日:2020/05/11(Mon) 15:01
「お蝶夫人」の唄
(昭和8年=1933、西条八十作詞、古賀政男作曲、ミス・コロムビア・歌)

おもうお方は 帰らぬ人か
旅のつばめは また来たに
恋の長崎 港の雨は
お蝶夫人の 涙雨

わたしゃ初恋心(おぼこ)の 日本娘
港育ちの 女郎花(おみなえし)
恋は気まぐれ 降るアメリカの
露に濡れたか 恥ずかしや

ねんねおころり 坊やの父(てて)は
青い目の人 ふねのひと
ねんねおころり 謳(うた)うたとても
声もとどかぬ 波の上

来るか来るかの 便りは来ずに
春の丸山 花が咲く
情け知らずの 入船出船
きょうも散る花 のせてゆく


戦後にいたるまで20曲以上ある「お蝶夫人」の歌のはじめとなる名曲。
同時に、東京音楽学校(研究科)をでたばかりのミス・コロムビア最初の古賀メロディでもある。
ミス・コロムビアの初々しい歌である。


445 名前:名無しさん@お腹いっぱい。 投稿日:2020/05/11(Mon) 15:07
日 本 橋 か ら
作詩 浜田広介  作曲 古賀政男
昭和6年(1931)

1 お江戸日本橋 師走も暮れる
  橋の上から あちらを見たりゃ
  あちら葭(よし)町 人形町で
  ヤレサ 鳴るのは 三味太鼓

2 お江戸日本橋 今年も暮れる
  橋の上から こちらを見たりゃ
  ならぶ建物 ほこりの雲で
  ヤレサ 悲しい 入日空(いりひぞら)

3 お江戸日本橋 さいふが空で
  橋の上から 遠くを見ても
  どこえ行こうか ゆく手が見えぬ
  ヤレサ お江戸の 思案橋

テレビで日本橋のことが取り上げられるとき、流される音楽。
それは江戸古謡「お江戸日本橋」に代わって、昭和のはじめ、80年以上前に作られた曲、
浜田広介作詞。古賀政男作曲「日本橋から」。日本におけるタンゴ第一号、タンゴの名曲でもある。
 
昭和6年1月 佐藤千夜子(ビクター)
昭和7年3月 関 種子 (コロムビア)


446 名前:名無しさん@お腹いっぱい。 投稿日:2020/05/12(Tue) 08:41
人生劇場

作詞:佐藤惣之助、作曲:古賀政男、唄:楠木繁夫
昭和13年(1938)

1 やると思えば どこまでやるさ
  それが男の 魂じゃないか
  義理がすたれば この世は闇だ
  なまじとめるな 夜の雨

2 あんな女に 未練はないが
  なぜか涙が 流れてならぬ
  男ごころは 男でなけりゃ
  わかるものかと 諦めた

3 時世時節(ときよじせつ)は 変ろとままよ
  吉良の仁吉(きらのにきち)は 男じゃないか
  おれも生きたや 仁吉のように
  義理と人情の この世界
  
尾崎士郎の同名の小説を下敷きにして作られた歌で、昭和13年(1938)発表。
早稲田の第二校歌。
田中角栄総理が愛した歌。昭和34年(1959)に村田英雄がリバイバル。


 

447 名前:名無しさん@お腹いっぱい。 投稿日:2020/05/24(Sun) 15:47
早稲田大学歌集 第二校歌『人生劇場』

早稲田を舞台に見立てた尾崎士郎の名作「人生劇場」と同じタイトルの歌謡曲です。
早稲田大学の第二校歌ということは恥ずかしながら最近まで知りませんでした。

『人生劇場』 昭和12年 作詞 佐藤惣之助 作曲 古賀 政男

一. やると思えば どこまでやるさ
   それが男の 魂じゃないか
  義理がすたれば この世は闇だ
   なまじとめるな 夜の雨

二. あんな女に 未練はないが
   なぜか涙が 流れてならぬ
   男ごころは 男でなけりゃ
   わかるものかと あきらめた

三. 時よ時節は 変わろとままよ
   吉良の仁吉は 男じゃないか
   おれも生きたや 仁吉のように
   義理と人情の この世界

四. 端役者の 俺ではあるが
   早稲田に学んで 波風受けて
   行くぞ男の この花道を
   人生劇場 いざ序幕

h ttps://www.youtube.com/watch?v=04ZdYSUAW08


(参考)

1.『人生劇場』と尾崎士郎
―『早稲田大学と文学』NO.886 Nov.18,1999
h ttps://www.waseda.jp/student/weekly/tokusyu/tok886-2.html

早稲田大学 第二校歌「人生劇場」 2001年1月29日
h ttp://www2.fukuicanon.co.jp/tamaki/waseda/w010129B.html

448 名前:名無しさん@お腹いっぱい。 投稿日:2020/05/24(Sun) 15:51
窓に凭(もた)れて
作詞:島田芳文
作曲:古賀政男
歌唱:関  種子
新興キネマ「姉」主題歌

(一)
行きて返らぬ 若き日を
窓に凭れて 思いみる
夢多かりし かの頃の
雲のかからぬ 清らかさ
ああ 過ぎにし 過ぎにし春の
思い出よ

(二)
ただやすらけく ありし日の
胸のあこがれ 泡と消え
たけての今日の この胸に
地上の愛の なやましさ
ああ 涙に 涙にくるる
このこころ

昭和6年(1931年)12月に、関種子の歌でレコード発売された。「丘を越えて」(藤山一郎)のB面 いずれも東京音楽学校主席。終戦直後、進駐軍のリクエストNO.1だった曲だとか
「丘を越えて」(藤山一郎)とともに、映画「姉」の主題歌




449 名前:名無しさん@お腹いっぱい。 投稿日:2020/05/24(Sun) 16:03
(参考)
ステレオで聴く不滅の古賀メロディー大全集
12,100円(税込)訂正、 5,580円(税込)
作曲家活動90周年の90曲!
「影を慕いて」(昭和3年)を作曲してから90年
そして昭和53年にこの世を去るまで、半世紀にわたって第一線の作曲家として活躍した古賀政男。
「酒は涙か溜息か」「丘を越えて」「東京ラプソディ 」「人生劇場」「湯の町エレジー」など戦前SP時代の大ヒット曲も名歌手によるステレオ録音で、また「柔」「悲しい酒」など後期の代表曲も収録。
日本人の心のメロディーとなった名曲の数々をぜひご堪能ください。


●発売日 2018年05月18日
●CD5枚組(全90曲)
●別冊歌詞・解説書つき
●ボックスケース入り
h ttps://www.eroaniment.shop/index.php?main_page=product_info&products_id=1349
会社名:株式会社toto・noel
-->店舗連絡先:free@emorimoto.com


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