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【聖闘士星矢】山羊座のシュラが質問に答える

739 名前:山羊座のシュラ ◆FiGr3YaU 投稿日:2008/11/03(Mon) 14:20
>>726(第八感の向こう、第九感とはどんな能力なんですか?)
これはまた答えるのに厄介な問いがきたものだな。

とりあえずオレが教わったのは第八感までだ。
だから八感を超える感覚とはいったいどんなものだろうか、ということで
答えることになるのだが……。
どこから手をつけたらいいのか、正直途方にくれる。


結論だけ先に言っておくと、第九感とは「神を乗り越える」ことにあると思う。


いきなりこんなことを言ってみたところで、まるで説得力もないだろう。
荒唐無稽にさえ思える。
一応、そこに至った道筋は言ってみるが、かなり退屈な話にはなるだろう
から興味がなければ聞かんでもいい。
まず、第八感とはなんなのかを説明してから第九感に対する推察を
言うことになる。


更に最初に了解してもらわねばならんことがある。

八感とは阿頼耶識とも呼ばれているが、オレが語る八感とは
いわゆる仏教用語の阿頼耶識とは異なるものだろう。
オレ自身は仏教徒ではないので、あちらでいう阿頼耶識が何なのかは
まるで知らんのだ。
聖闘士の間で語り継がれる阿頼耶識も由来は仏教からだろうとは思う
のだが、解釈はまるで違うということは大いにありえる。

前置きだけでかなり長いが、最初に言っておくこととしてはこんなところだ。





八感というと単純に七感の上をいく感覚と捉える人間は多いかもしれん。
実際にそういう説明をされることもある。
個人的には八感は七感の更に奥底に隠され、直視にくい存在といった
ほうがいいような気もするな。

七感も八感も本来人間誰もが持っているものであるが、それにもかかわらず、
普通の人間はそれらを直視しようとはしない。
あるのに見えない。

七感に目覚めるというのは生命の根源を探ることだと言っていい。
七感が生命の源といわれるのは聞いたことがあるだろう。



一方、八感は死に関わる。

簡単に言ってしまうと八感は死の国へのパスポートだ。
これに目覚めないことには死の国へいけない。

通常、八感は死の直後に目覚めるものだが、死を迎えたにもかかわらず
八感に目覚められない者も稀にいる。
そういった者たちがアケローン川の岸辺にいる。
無為無益に命ある日々を送り続け、「生きた」とはいえない者たちだ。
本来は生を受けたものはその生を懸命に生きる。
しかし、アケローン川にいる連中というのはその生命の本能すら
忘れさった者たちなのだ。


たとえ生まれた瞬間に死を迎えることになっても、260年もの長さを生き抜く
ことになったとしても、生を全うすることに生きた長さは問題とはならない。
赤ん坊のように生の意味を言葉や論理で説明することができず、ひたすらに
本能に従うままであったとしても、それぞれ懸命に「生きる」ものだ。
そうして生を全うしてこそ、初めて八感に目覚める準備ができる。
それでも常人が八感に目覚めることができるのは、実際に己自身の命を
終えた後だ。
そこに至って初めて己の中にある八感に人は気づく。


それは生命の奥の奥に深く隠蔽され、命あるときにはけして気が付くことが
できなかった本当の意味でかけがえのない「己の死」そのものだ。


(続く)

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