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キリスト教はオウム真理教とまったく同じ

41 名前:名無しさん@お腹いっぱい。 投稿日:2015/11/15(Sun) 07:20

「20年後の角栄ブーム」を反映して、このごろ筆者自身、角栄についての講演を求められることが増えた。そこで私が「角栄はキンケンだったけれども、ゴケンでもあった」と説明すると、参加者がオヤと耳を傾ける。
角栄は自民党総裁選に立候補したときの「国民への提言―私の十大基本政策」の中で、「日本は軍事大国を目指すべきでなく、憲法9条を対外政策の根幹にする」と盛り込んでいる。日本の戦後平和思想のシンボルである憲法9条(戦争放棄、戦力および交戦権の否認)を守るという角栄の言明が中国側から評価され、国交正常化につながったのである。

自民党は立党以来、「憲法改正」、つまり9条改正による軍の復活を党是としてきた。日本国憲法はマッカーサー占領軍の「押しつけ」によるものというのが理由だった。だが角栄は、例えば「自民党結党25年」の報道番組に出て「占領軍の大前提は、日本の弱体化を図ることだった。だが戦後の諸法規は、日本人の英知によってすべて消化され定着をした」と語っている。
実態をいえば、自民党は「建前改憲、実質護憲」で、安全保障投資はほどほどにして、それよりも経済発展に資源を集中してきた。「安保費の節約」が角栄にとっての9条のありがたみであり、角栄の平和思想の根底にある。「戦争はもうこりごりだ。もっと平和で豊かな生活をしたい」という戦後の国民思想は、まさにそれだったのである。

小さくなった政治家の器量、大きくなる角栄の存在感

安倍首相はそんな憲法9条の効用を「マインドコントロール」と断じ、国際社会の緊張に立ち向かうために9条の解釈変更で集団的自衛権の行使に進もうとしている。護憲派は、これを「専守防衛」から「海外で戦争のできる国」に転換しようとすることであり、9条の無意味化であると批判する。

しかし、安倍首相が説く国際情勢の厳しさとは、多分に安倍首相本人の対決的な政治戦略がもたらしたものである。田中角栄だったら、もう少し近隣と気持ちを合わせながらうまくやっているのではないか。戦後70年になるに及んで政治家の器量が小さくなり、大きな妥協ができないのではないか。

やはり戦争という苛烈な人生体験が人物を鍛えたのか、戦後体制を作った吉田茂に始まって、岸信介、池田勇人、佐藤栄作らは、明らかに今の政治家よりも大物だった。角栄の同世代には福田赳夫、大平正芳、中曽根康弘などの個性的なライバルがいた。角栄はこれらの群像の一人にすぎないともいえる。ただ角栄という人物はとりわけ「情」に厚く、その人生は人間ドラマとして起伏に満ちており、人々から今なお思い出されるということである。

今、田中角栄がそこまでの力を発揮できるかどうかはともかくとして、「没後20年の角栄ブーム」は、「日本政治の今」への根底的な国民の違和感の表れと考えるべきなのである。


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