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なつかしのメロディ

[1:名無しさん@お腹いっぱい。 (2020/05/05(Tue) 19:21)]
懐メロが死語になってしまったようです。日本の文化遺産、日本の古き良き時代の
思い出のメロディを語りましょう。
あなたのなつかしのメロディはなんですか!?。


[2:名無しさん@お腹いっぱい。 (2020/05/05(Tue) 21:07)]
(参考)

日本歌謡六十年史
オリジナル原盤による 日本歌謡六十年史 (20巻組)
発売日 :1985.3
規格品番:CHS〈30291~310 (HML〈1751~70)


DISC1  戦前編1

A1.アラビヤの唄〈二村定一、天野喜久代〉
A2.青空〈二村定一、天野喜久代〉
A3.沓掛小唄〈川崎豊、曽我直子〉
A4.モン・巴里〈宝塚花組スター連〉
A5.酒は涙か溜息か〈藤山一郎〉
A6.丘を越えて〈藤山一郎〉

B1.影を慕いて〈藤山一郎〉
B2.サーカスの唄〈松平晃〉
B3.ほんとにそうなら〈赤坂小梅〉
B4.十九の春〈ミス・コロムビア〉
B5.山の人気者〈中野忠晴、他〉
B6.小さな喫茶店〈中野忠晴〉

DISC2   戦前編2

A1.君恋し〈二村定一〉
A2.東京行進曲〈佐藤千夜子〉
A3.紅屋の娘〈佐藤千夜子〉
A4.浪花小唄(道頓堀夜景) 〈二村定一〉
A5.愛して頂戴〈佐藤千夜子〉
A6.洒落男〈二村定一〉

B1.祇園小唄〈藤本二三吉〉
B2.唐人お吉小唄(明烏篇) 〈藤本二三吉〉
B3.女給の唄〈羽衣歌子〉
B4.侍ニッポン〈徳山l〉
B5.銀座の柳〈四家文子〉
B6.天国に結ぶ恋〈徳山l、四家文子〉


DISC3 戦前編3

A1.旅は青空〈渡辺光子〉
A2.涙の渡り鳥〈小林千代子〉
A3.島の娘〈小唄勝太郎〉
A4.僕の青春〈藤山一郎〉
A5.東京音頭〈小唄勝太郎、三島一声〉
A6.天竜下れば〈市丸〉

B1.ルンペン節〈徳山l〉
B2.チェリオ〈藤山一郎、小林千代子〉
B3.無情の夢〈児玉好雄〉
B4.忘れちゃいやよ〈渡辺はま子〉
B5.タバコやの娘〈岸井明、平井英子〉
B6.熱海ブルース〈由利あけみ〉


DISC4 戦前編4

A1.船頭可愛や〈音丸〉
A2.夕日は落ちて〈松平晃、豆千代〉
A3.下田夜曲〈音丸〉
A4.花言葉の唄〈松平晃、伏見信子〉
A5.別れのブルース〈淡谷のり子〉
A6.愛国の花〈渡辺はま子〉

B1.雨のブルース〈淡谷のり子〉
B2.旅の夜風〈霧島昇、ミス・コロムビア〉
B3.シナの夜〈渡辺はま子〉
B4.一杯のコーヒーから〈霧島昇、ミス・コロムビア〉
B5.古き花園〈二葉あき子〉
B6.誰か故郷を想わざる〈霧島昇〉.


DISC5   戦前編5

A1.ルンバ東京〈由利あけみ〉
A2.長崎物語〈由利あけみ〉
A3.燦めく星座〈灰田勝彦〉
A4.隣組〈徳山l〉
A5.お玉杓子は蛙の子〈灰田勝彦〉
A6.森の小径〈灰田勝彦〉

B1.明日はお立ちか〈小唄勝太郎〉
B2.ジャワのマンゴ売り〈灰田勝彦、大谷冽子〉
B3.新雪〈灰田勝彦〉
B4.鈴懸の径〈灰田勝彦〉
B5.婦系図の歌〈小畑実、藤原亮子〉  婦(おんな)系図の歌(湯島の白梅)
B6.勘太郎月夜唄〈小畑実、藤原亮子〉


DISC6 戦前編6

A1.なつかしの歌声〈藤山一郎、二葉あき子〉
A2.新妻鏡〈霧島昇、二葉あき子〉
A3.目ン無い千鳥〈霧島昇、松原操〉
A4.湖畔の宿〈高峰三枝子〉
A5.蘇州夜曲〈霧島昇、渡辺はま子〉
A6.小雨の丘〈小夜福子〉

B1.熱砂の誓い〈伊藤久男〉     熱砂の誓い(建設の歌)
B2.紅い睡蓮〈李香蘭〉
B3.めんこい仔馬〈二葉あき子、他〉
B4.南から南から〈三原純子〉
B5.お使いは自転車に乗って〈〈轟夕起子〉
B6.お山の杉の子〈安西愛子、他(加賀美一郎、寿永恵美子、日畜合唱団)〉


DISC 7   戦前編7

A1.二人は若い〈ディック・ミネ、星玲子〉
A2.緑の地平線〈楠木繁夫〉
A3.東京ラプソディ〈藤山一郎〉
A4.あゝそれなのに〈美ち奴〉
A5.アイルランドの娘〈ディック・ミネ〉
A6.青い背広で〈藤山一郎〉

B1.旅姿三人男〈ディック・ミネ〉
B2.満州娘〈服部富子〉
B3.或る雨の午后〈ディック・ミネ〉
B4.九段の母〈塩まさる〉
B5.十三夜〈小笠原美都子〉
B6.かえり船〈田端義夫〉


[3:名無しさん@お腹いっぱい。 (2020/05/05(Tue) 21:16)]
☆戦前の流行歌
 h ttp://kazuhisa.eco.coocan.jp/senzen1.txt


[4:名無しさん@お腹いっぱい。 (2020/05/05(Tue) 21:49)]
緑の地平線

作詞:佐藤惣之助、作曲:古賀政男、唄:楠木繁夫

1 なぜか忘れぬ人ゆえに
  涙かくして踊る夜は
  濡れし瞳にすすり泣く
  リラの花さえなつかしや

2 わざと気強くふりすてて
  無理に注がして飲む酒も
  霧の都の夜は更けて
  夢もはかなく散りて行く

3 山のけむりを慕いつつ
  いとし小鳩の声きけば
  遠き前途(ゆくて)にほのぼのと
  緑うれしや地平線


昭和10年(1935)に日活多摩川撮影所で制作された同名の映画の主題歌で、古賀メロディーの傑作の1つ。
 映画は3人の女性が紆余曲折の末、真の愛に目覚めるといったストーリーで、原節子、岡譲二などが出演しました。
子供の頃から知っている歌です。(言うまでもなく、生まれる前の、映画「緑の地平線」は観ておりません。)
最近、カラオケで、たまたま、見知らぬ人がこの歌を謳っているのに出合い、懐かしく感じました。
私自身、古賀メロディが心地よく、調子よく歌えることもあって、ときどき、この歌を口遊んでおります。
歌詞1番の、♪リラの花さえなつかしや♪の、懐かしく思い起こす、リラ(ライラック)が咲いていた地はどこだろうか?ライラック祭りの、北海道


[5:名無しさん@お腹いっぱい。 (2020/05/05(Tue) 22:03)]
これは、日活「緑の地平線」の主題歌で、浅間山を望む高原です。

さすが、詩人・佐藤惣之助の詩は見事です。

3 山のけむりを慕いつつ
  いとし小鳩の声きけば
  遠き前途(ゆくて)にほのぼのと
  緑うれしや地平線

これを下手な作詞家だったら「高原列車は行く」とかつまらぬ訳の分からぬことを書くんでしょうが、短い簡潔な言葉で『緑うれしや地平線』と叙述しています。


[6:名無しさん@お腹いっぱい。 (2020/05/05(Tue) 22:27)]
☆【日本のクラッシック】 古賀メロディの歴史
http://www.10ch.tv/bbs/test/read.cgi?bbs=music&key=558914195&ls=50

☆懐かしの銀座を歌った歌
 http://www.10ch.tv/bbs/test/read.cgi?bbs=music&key=510311914&ls=50

☆名前を名にした歌
 http://www.10ch.tv/bbs/test/read.cgi?bbs=music&key=513078845&ls=50
 
☆昭和歌謡が好きな人集まれ!
 http://www.10ch.tv/bbs/test/read.cgi?bbs=music&key=494943486&ls=50


[7:名無しさん@お腹いっぱい。 (2020/05/06(Wed) 09:39)]
☆古賀政男とタンゴ

古賀政男は、クラッシック音楽を土台に世界の音楽を広く取り入れた作曲家で知られる。

特にタンゴで古賀政男の世界における存在は大きなものが有る。
佐藤千夜子が歌った「日本橋から」(昭和6年1月 ビクタ―)は日本最初の和声タンゴとして知られる。

昭和14年秋、古賀政男は,外務省の音楽文化親善使節として渡米。ハワイ、アメリカ、アルゼンチンを訪問。
1939年(昭和14年)秋、アメリカNBC放送で古賀の作品が取り上げられ、15分間放送された。
古賀政男アルゼンチンを訪問。Mariano Moresと親交を結び、Moresの楽団演奏で古賀の
「青い背広で」「東京ラプソディ」「望郷の歌」を録音。

古賀の提供した「荒城の月」の楽譜を元に、Tangueraを作曲。 古賀は、アルゼンチンのタンゴのテンポの速さに驚く。

タンゲーラ(Tanguera)とは、マリアーノ・モーレスが作曲したタンゴである。
タンゲーラは、「タンゴ的なもの」という意味である。タンゲーラ(Tanguera)とは、マリアーノ・モーレスが作曲したタンゴである。
「荒城の月」と似たようなメロディーが出てくることでも知られているが、このとき古賀政男の提供したもの。
古賀政男には「荒城の月」の編曲もある。

タンゴダンスにもよく用いられ、よく聴かれる曲である。
マリアーノ・モーレス楽団の演奏が最もよく聞かれるが、他の楽団の演奏もある。

(参考)私のタンゴ年表(保坂)
ttp://members.optusnet.com.au/~yhosaka/mytangohistory.html


(参考)古賀政男と日本タンゴの歴史

(保坂「私のタンゴ年表」 から参考抜粋)

明治20年 1888
Tangoをタイトルにした楽譜・span class=SpellE>Baltoro・/span>が出版され、これをタンゴ発祥の起源とする。
明治22年  1890
東京音楽学校 日本最初の音楽学校として1890年5月12日に開校された。
ヤマハオルガン製作所が学校向けオルガンの大量生産を行う。
1904年
古賀 政男(こが まさお、1904年11月18日 - 1978年7月25日)
大正14年 1925
日本初のラジオ放送は1925年3月22日午前9時30分、社団法人東京放送局(JOAK)より発信。
昭和2年 1926
目賀田綱美男爵、6年に及ぶパリ遊学より帰国。アルゼンチン・タンゴを日本に伝える。
Bianco/Bachicha, Manuel Pizaro、O.T.Victorなどのレコード。
Caminito・・・Fuan De Dios Filiberto 作曲
昭和4年  1929 影を慕いて・・・古賀政男作曲
和製タンゴ「君恋し」大ヒット。作曲・佐々紅華 /作詞・時雨音羽 ,
戦後フランク永井がリバイバル。
昭和5 1930
「アルゼンチンタンゴの踊り方」森潤三郎著発行。上流階級にダンス流行。
タンゴも踊られる。
昭和6年 1931
チェロ奏者の松原興輔、日本初のタンゴ楽団を結成、京橋の日米ダンスホールで出演。
昭和7年 1932
東京音楽学校に作曲科が開設。
昭和8年
1933.5.19 保坂佳秀誕生
伴薫(ピアニスト)正統派のタンゴ楽団として結成。NHKラジオ、国華ダンスホールで活躍。
早川真平、池田光夫、見砂直照を輩出。
桜井潔(バイオリン)タンゴ楽団結成。赤坂フロリダで活躍。
昭和11年 1936
東京ラプソディ・・・古賀政男作曲
昭和12年 1937
高橋忠雄、アルゼンチン訪問。
昭和13年 1938
淡谷のり子Poemaを録音。藤原義江Alma de Bandoneon を録音。藤山一郎、ディックミネ
昭和14年  1939
秋、古賀政男,外務省の音楽文化親善使節として渡米。ハワイ、アメリカ、アルゼンチンを訪問。
昭和14年秋、アメリカNBC放送で古賀の作品が取り上げられ、15分間放送された。
古賀政男アルゼンチンを訪問。Mariano Moresと親交を結び、Moresの楽団演奏で古賀の「青い背広で」「東京ラプソディ」「望郷の歌」を録音。古賀の提供した「荒城の月」の楽譜を元に、Tangueraを作曲。 古賀は、アルゼンチンのタンゴのテンポの速さに驚く。
1935年から、アルゼンチンではテンポの早いD'Arienzo楽団が人気を博していた。
1939年 江戸川蘭子La Cumparsitaを録音。
日本ビクターよりタンゴアルバム発売。高橋忠雄の選曲と解説。「Argentine Album」141ページ
昭和15年 1940 皇紀2600年
保坂佳秀青柳尋常小学校い入学。担任三原先生
昭和16年 1941
Malena ・・・Lucio Demare(9 August 1906 - 6 March 1974)作曲。
昭和16−20年
1941-1945
12月8日太平洋戦争





[8:名無しさん@お腹いっぱい。 (2020/05/06(Wed) 10:04)]
「中山晋平の時代から古賀メロディの時代へ」・・・『古賀メロディ』の由来


昭和一桁、初期の頃、彗星のように現れたまだ作曲家になったばかりの駆け出しの頃、古賀政男について、新聞に「中山晋平の時代から古賀メロディの時代へ」という意味の記事が大きく載った。

古賀は、大慌てで大先輩の「中山晋平先生」のところに謝りに出向いた。

そしたら「中山晋平先生」から、「いいですよ、あなたは私には無いいいところを持っています。頑張ってください。」

と逆に励まされたという。

これが、「中山晋平(晋平節)の時代から古賀メロディの時代へ」を決定ずけ、かつ『古賀メロディ』の名を普遍的なものとした。

昭和53年(1978年)7月25日、古賀政男が亡くなった。

その夜、訃報を伝えるNHKラジオはすべての番組を停止して古賀メロディを流し続けた。

古賀メロディの原点であり、不朽の名曲『影を慕いて』は、美しき日本の歌で、『波浮の港』とともにクラッシックの演奏会のプログラムにもよく見受けられるスタンダード。

今や「古賀メロディ」を超えて『日本の名曲』になっている。

優しい詩、優しく哀調を帯びた、誰にも真似できない独特のメロディー、その多くは映画音楽(映画主題歌)でもある。

人生の、青春の苦悩や喜びという時代を越え、世代を越えた永遠の、青春のテーマを秘めているので、80年を超えた今でも古さを感じさせない。

多くの歌い手を悩ませた譜面に並ぶとりわけ多くの音符、音域も広い、あるいは怒涛のような、あるいは流れるような、音のキャンバスいっぱいに使ったような、「三分間の芸術」の極致を行くような新鮮な作品。

歌詞はもちろんとして、前奏・間奏・後奏など歌詞がないところにも、並々ならぬ想いが込められていて、それぞれが一曲にも値するような曲。

詞の語句と語句の間にもいくつもの音符。これらが一つになり、一つのメロディーとなって聴く人の心を捉えて離さない。


人々は、それを中山晋平の【晋平・節】に対し、【古賀・メロディ】と呼んだ。

   “メロディーこそは音楽の本質”(モーツァルト)

その誰にも真似のできないメロディ・・その哀調を帯びた、青春の息吹を感じさせる日本人の琴線に触れるメロディ。

【古賀メロディ】とは、当時の主流だった中山晋平の【晋平節】に対するトップブランド名称、【古賀メロディ】としてのみ使われるもの。
あちこち何でも、リズム・JPOP系でも何でもかんでも作曲家の後ろにメロディをつけてしまうような使い方は、昭和40年代以降のテレビ「懐メロ」番組の影響。


(作曲家の後ろに何でも、JPOP、リズム系までなんでもメロディをつけて呼ぶのは、違和感を覚える。これは戦後昭和40年代以降のナツメロ番組ブームの中でのことで、実際にそう呼ばれていたわけではないことに注意。



古賀政男は「詩はお姉さん、曲は弟」といって、詩を大切にした人。

曲作りに人並み外れて熱い想いをかけていた。古賀政男が作曲の醍醐味を知るのは、詩人・佐藤惣之助との出会いであったと自伝にある。

古賀政男ほど多くの詩人との結びつきの深い者も知らない。

『誰か故郷を想わざる』『目ン無い千鳥』『新妻鏡』『なつかしの歌声』等々・・・、古賀メロディーは、佐藤惣之助〈1932〜〉、西條八十(1933〜)、サトウハチロー〈1935〜〉など、詩人との出会いの歴史によってそれは生れたといえるでしょう。

佐藤千夜子の歌で世にでた二つの名曲、《波浮の港》と《影を慕いて》・・、

いずれも、今でも根強く愛され歌われ、演奏されている《日本の名曲》。

そして両方とも、NHKテレビで「日本の名曲10曲」として放送された押しも押されもしない「日本の名曲」である。

古賀メロディーというのは、その殆どが青春を謳った青春歌謡です。
昭和30年代に「青春歌謡」というのができましたが、古賀メロディとは元祖青春歌謡といえる。

古賀政男は、宮本旅人が「中山晋平」の伝記を近く出版するという話を聞いて、序文を書いてあげようと言って数日後には送ってくれたそうです。

それから二ヶ月たたずに、古賀政男は亡くなりました。

宮本旅人「歌謡山脈 : 中山晋平伝記小説 」信濃毎日新聞社 (昭和53年 1978)




[9:名無しさん@お腹いっぱい。 (2020/05/06(Wed) 21:13)]
>>5

歌は心で歌うものであり、テクニックがどんなに優れていても、真に心のつぶやきや叫びから出たものでなければ、けっして聴く人の心を感動させることはできないのだ。


[10:名無しさん@お腹いっぱい。 (2020/05/07(Thu) 00:09)]
古関裕而の場合、経歴に?がつくところが見逃せない。古関の場合、コロムビア入社が昭和5年ということで、「エール」でもそうなっているのだが、昭和5年というと、古賀の曲を佐藤がビクターでレコーディングしていたころ。
実際は、昭和6年10月、古賀政男の入社が、昭和6年(1931)3月。
古関裕而『鐘よ 鳴り響け』によると、「私がコロムビア専属になった頃、古賀政男さんは既に社員として入社していた。ストップウォッチ片手に吹き込みの記録などを担当していた。私のレコーディングにも幾度か立ち会ってくれたこともある。時折、うす暗い地下食堂でお茶を飲みながらお互いに励まし合い、将来を夢みたものだった。彼は社員としてかたわら盛んに作曲もやっていた」(古関裕而『鐘よ 鳴り響け』)
によるとあり、ほぼ同じだが、古関裕而が入社したとき、古賀政男は入社していたので、昭和5年というのは間違い。

これは、実は言ってることとだいぶ違うことで、これは山田耕筰にかかわる説明に大分嘘の部分があり、スル―してしまっている重大な経歴詐称の部分。どこかの国の都知事は経歴詐称で知事をやってるが、経歴という一番基本的で重大な部分だけに詐称は困ったものだ。


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