掲示板に戻る 前 10 次 10 1 - 10 最新 10

ラジオ番組について

[1:名無しさん@お腹いっぱい。 (2012/10/25(Thu) 18:11)]
ラジオ番組に要望や意見をどうぞ。


[2:名無しさん@お腹いっぱい。 (2012/10/25(Thu) 18:13)]
昭和戦前戦中や終戦直後の優れたSPレコード歌謡曲を聴きたい。


[3:名無しさん@お腹いっぱい。 (2013/04/23(Tue) 07:27)]
90年代はラジオ面白かった


[4:かいき (2013/04/25(Thu) 22:51)]
ナック5の『おに魂』って知ってる?


[5:この投稿は削除されました (この投稿は削除されました)]
この投稿は削除されました


[6:占い・心理テストBBS (2014/02/16(Sun) 11:32)]
18日の停電が国民のパニックをおさえるためにネズミのせいにしたのは
高等な判断というものでしょうか?

ネズミじゃなくて鳥やクモのせいにしなかったのは何故なのか?
まあ+と−の間隔が15cmくらいらしいので、それで隊長25cmのネズミが
ヒトミゴクウに選ばれたのかも知れないですね。

停電があった日がまたまた18日

七時前後らしいですが、ひょっとして6時46分だったら気持ち悪いですね。

でも本当にネズミが原因で、しかも焼け焦げた死体があったのだからすぐに
それが原因とわかりそうなものではないでしょうか?
まあ万が一にもテロ工作員が潜入していることも想定していたのかも知れませんが。


[7:名無しさん@お腹いっぱい。 (2014/12/23(Tue) 11:34)]
KBS京都の海平和(うみひらなごみ)にぶっかけたい


[8:名無しさん@お腹いっぱい。 (2017/10/28(Sat) 00:44)]
最近のは「昭和歌謡」といっても昭和末期、飽食の時代と言われる、
昭和50年代くらい、演歌だとかあちらのJ−POP(ポピュラー)、ロックとかばかり。

昭和戦前、戦中や終戦直後の優れたSPレコード歌謡の名曲を聴きたい。


[9:名無しさん@お腹いっぱい。 (2017/11/13(Mon) 20:26)]
M.C.ドナルドはダンスに夢中なのか?最終鬼畜道化師ドナルド・M
ttp://www.nicovideo.jp/watch/sm2057168


[10:名無しさん@お腹いっぱい。 (2017/11/17(Fri) 21:55)]

 
<<11月18日は偉大なる作曲家・古賀政男の誕生日>>



史上二人目、音楽界では初の国民栄誉賞を受賞した古賀政男(こが まさお、1904年11月18日 - 1978年7月25日)は、昭和の初めから作曲活動に従事し、生涯でおよそ5000曲もの作品を遺したと云われる。古賀の才能を開花させるきっかけになったともいえる歌手・藤山一郎が歌った「丘を越えて」「影を慕いて」をはじめ、戦後もレコード大賞を受賞した美空ひばりの代表作「柔」など、国民的な作曲家として数多のヒット曲を生んだ。流行歌の歴史に燦然と輝き続けている“古賀メロディ”から、戦後のエポックとなった東京オリンピックを象徴する国民歌「東京五輪音頭」周辺のエピソードを紹介したい。11月18日は偉大なる作曲家・古賀政男の誕生日。1904年生まれであることから、生誕から実に112年を迎える。
東京・代々木上原の駅からほど近く、古賀が1932年から住居を置いた場所は、現在“古賀政男音楽博物館”として、JASRAC(=日本音楽著作権協会)が本部を構え、音楽会やシンポジウムが開催される“けやきホール”を擁する瀟洒な建物が聳えている。ここには財団法人・古賀政男音楽文化振興財団が存在するほか、誕生の地である福岡県大川市には“古賀政男記念館”もあり、我が国を代表する作曲家であることが窺われる。戦前から連なる作品群には、「酒は涙か溜息か」「影を慕いて」「人生の並木路」「湯の町エレジー」「悲しい酒」といった哀愁溢れるメロディから、「丘を越えて」「緑の地平線」「東京ラプソディ」などの明朗な旋律、さらには「ああそれなのに」「うちの女房にゃ髭がある」などリズミカルでユニークなものまで、バラエティに富んだヒット曲が数え切れない程に存在するのだ。
流行歌のヒット作家として最も脂の乗っていたのは1930~50年代であろうが、その後も大作曲家としての健在ぶりを証明したのが、歌謡界の女王・美空ひばりがようやく栄冠を手にした1965年の日本レコード大賞受賞曲「柔」と、元々は北見沢惇という歌手に提供された曲の再生としてひばりが大ヒットさせた「悲しい酒」だった。ちょうどその頃から巻き起こった懐メロブームも手伝って、古賀政男の名は再び盛んに巷を賑わすこととなるのだが、その前に古賀を国民的作曲家という位置づけに押し上げた大きな波がある。それがアジア初の開催となった1964年のオリンピック東京大会を記念して作られた「東京五輪音頭」である。東京オリンピックの音楽では、開会式の選手団入場の際に演奏された「オリンピック・マーチ」(作曲: 古関裕而 )をはじめ、歌ものでは組織大会が選定した「この日のために」(作曲:福井文彦)、NHK制作による「海をこえて友よきたれ」(作曲:飯田三郎)などもあるが、やはりなんといっても「東京五輪音頭」がダントツの知名度を誇る。
レコード会社各社の競作となった「東京五輪音頭」はオリンピック開催前年の1963年の6月23日(オリンピックデー=IOCの創設記念日)に発表され、各社から一斉にシングル盤が発売された。会社の歴史順に並べると、コロムビアは北島三郎・畠山みどりの共唱、ビクターはつくば兄弟・神楽坂浮子盤と、橋幸夫盤の2種、キングは三橋美智也、テイチクは三波春夫、ポリドールは大木伸夫・司富子、最も新興の東芝が坂本九という布陣。面白いのは橋幸夫盤と坂本九盤を除くすべてのシングル盤が、同じNHK制定による「海をこえて友よ来たれ」などをA面とし、「東京五輪音頭」はB面扱いが多かった点である。もっともキングとテイチクに関しては、「東京五輪音頭」をA面とした後刷りのジャケットが存在するのであるが。ちなみにフォノシートでは、古賀と縁の深い藤山一郎が歌ったソノレコード盤、菅原洋一の歌による朝日ソノラマ盤(ただし非売品のプロモシート)も出された。その中でダントツの売り上げを示したテイチクの三波春夫がいつしかオリジナル歌手の様な形になってゆくも、楽曲発表の際の歌唱者は三橋美智也であり、古賀も三橋の歌唱を想定して作曲したのだという。しかし、イベントの成功を願い、日本の戦後の復興をアピールしながら宣伝活動にも余念がなかった三波の努力が報われる結果となった。


掲示板に戻る 前 10 次 10 1 - 10 最新 10

NAME:
MAIL:

read.cgi ver.4.21.10c (2006/07/10)