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昭和SPレコード歌謡番組を待望する。

[1:名無しさん@お腹いっぱい。 (2020/01/12(Sun) 20:30)]
昭和は60年を超える世界で一番長い年号。まだ日本が貧しかった、貧しくも心豊かだった時代。まだテレビもなく、どんな小さな街にも小さな映画館があったころ、日本映画黄金時代、昭和戦前の「古賀メロディ」などSP歌謡番組をぜひ期待。


[66:名無しさん@お腹いっぱい。 (2020/06/27(Sat) 12:21)]
・流浪の民Zigeunerleben (Schumann)  日本発売:昭和11年1936)1月
石倉小三郎作詩、奥山貞吉編曲 独唱:関種子、松原操、内本実、青山薫 コロムビア合唱団、コロムビア・オーケストラ COL28642

・国民歌謡 我が家の唄 松原 操  西條八十作詞 山田耕筰作曲 12年3月 col29241 @黒盤

・赤とんぼ 松原 操 三木露風作詞 山田耕筰作曲 13年12月 COL29981 @ 黒盤13241

・この道  松原 操  北原白秋作詞 山田耕筰作曲 14年07月 COL30253 @ 黒盤14715

霧島昇・松原操の世界
h ttp://matubaramisao.com/kirisimanoboru&matubaramisao-cd-index.html
h ttps://www.youtube.com/watch?v=MUrkuBt0NoI




[67:名無しさん@お腹いっぱい。 (2020/06/27(Sat) 12:30)]
h ttps://ameblo.jp/attentialgatto/entry-11542899735.html

代々木上原へ二代目松原操を聴きに行く
2013-06-01 23:28:36
テーマ:音楽
二代目松原操こと大滝てる子を聴きに代々木上原の古賀政男音楽博物館へ行って来た。会場はリアル満席。いちばん後ろにパイプ椅子を出すほど。
二代目というからには初代がいる訳で…ミス・コロムビアの名前でも知られた松原操は1948年に引退してしまっているので、その全盛期を知る人というのは80年配だろうなあ。二代目松原操こと大滝てる子は、この松原操、霧島昇夫妻の三女だそう。長男にあたる坂本紀男は東京音大の先生をしていて、過去にテレビ出演もしていたし、そのステージも実見したことがあるので知っていたけれど、三女も声楽家だったというのは、つい最近知ったばかり。
松原と書くと初代だか二代目だか紛らわしいので、以下、大滝と書くと、大滝も東京音大のオペラ科卒で、そもそもが霧島が東洋音楽学校時代の東京音大を出ているので、その影響もあるのだろうか。なお霧島夫人の初代松原操は東京音楽学校時代の東京芸大を出ているので、音楽一家ということになる。
戦前の歌手というのはクラシック畑の人が圧倒的に多数派で、女性歌手だと市丸だとか勝太郎だとか芸者出身の人もいたけれど、そうした例外はともかく、現在の演歌歌手のそれとは歌い方がまるで違っていた。戦前版の「目ン無い千鳥」「人生劇場」などを今様の演歌のイメージで聴くと、曲調は演歌のそれなのに歌い方が朗々とした感じで、慣れていない人は戸惑うんじゃないかと思う。
♪銀座の街、今日も暮れて、の「なつかしの歌声」で幕開け。
以下、演目は記憶があいまい。

「影を慕いて」(平均年齢73歳という合唱団による)
「気まぐれ涙」(初代松原操のレコード音源)
「ああそれなのに」
「二人は若い」
「目ン無い千鳥」
「新妻鏡」
「誰か故郷を想わざる」
「熱砂の誓い」
「リンゴは紅い」(歌なし、エレクトーン)
「青い牧場」
「南の花嫁さん」(古賀政男編曲として)
「そうだその意気」
「勝利の日まで」
「想い出の記」(古賀の台詞、歌唱のレコード音源)
〜幕間〜
「丘を越えて」
「悲しき竹笛」
「三百六十五夜」
「トンコ節」
「赤い靴のタンゴ」
「ゲイシャワルツ」
「柔」(歌なし、尺八、普通の太鼓)
「白虎隊」
「無法松の一生」(歌なし、尺八、巨大な太鼓)
「青春サイクリング」
ラストはグランドフィナーレで「東京ラプソディ」。



[68:名無しさん@お腹いっぱい。 (2020/06/27(Sat) 12:57)]
当たり前だけど客席は年寄りが多いので、長丁場でダレてしまわないように、大滝が歌の合間に共演者いじりをして笑いを取ったり、客席に降りていって、「さあ、みなさんもご一緒に」のノリでマイクを向けたり、はたまた巨大な太鼓をステージに持ち込んでみたり、いろいろ工夫を凝らしたためか、最後まで2時間超、みんな集中力を切らすことなく、「東京ラプソディ」を満場の手拍子で終えた。

大滝は七変化のごとく、次々と衣装を替えていくのだけれど、何と1着を除いて初代の松原操の着ていたものを仕立て直したもののよう。そもそも初代の松原操は60年以上前に引退しているので、そのステージ衣装だとしたら、随分とカラフルな。

ステージは一応、古賀政男の人生をたどるという面持ちで、岡本妙子のナレーションが入り、その合間に大滝が出て来て歌うという内容。なので古賀政男縛りとなり、万城目正作曲の「旅の夜風」とかは歌わない。共演としてエレクトーンの長谷川幹人、尺八の岩田卓也、和太鼓の壱太郎、トランペットの岩尾浩史、マンドリンの宮田蝶子、平均年齢73歳の懐メロ楽唱団。

「影を慕いて」は大滝は出て来ず、平均年齢73歳の懐メロ楽唱団のコーラスだったのだけど、楽唱団の人たちがステージに出て来ず、舞台袖から姿を見せずに声だけという演出だったので、なんだか御詠歌のようだった。

大滝いわく、古賀メロディは歌いづらく、わけても「新妻鏡」は難曲だとのこと。古賀メロディが歌いにくいというのは藤山一郎も言っていたので、クラシック畑の人たちの共通認識なのだろうか。この辺の事情はいたく関心がある。

「誰か故郷を想わざる」は私が大好きな霧島昇の代表曲で、伯父が出征する時の写真に「花摘む野辺に日は落ちて」の歌詞の焼き込みがある。当時、写真に文字を焼き込んでくれるというサービスがあり、他の人は「武運長久」とか勇ましい文言にしたのに、なぜか伯父は流行歌の文句にした由。

「熱砂の誓い」はトランペットから入ったのだけど、岩尾浩史は嵐のツアーなどにも同行している由。トランペットを意識して聴くのって、ニニ・ロッソのレコードを昔に聴いた時以来だ。「リンゴは紅い」は長谷川幹人によるエレクトーン独奏だったのだけど、今日びのエレクトーンって、「二十四の瞳」に出てくるオルガンみたいなイメージでいたら、全然違うシロモノで、エレクトーン1つあればフルバンドはいらないという位だった。

戦時歌謡は「そうだその意気」のような悲壮な曲が好みなので、明るい曲調で歌詞も芸が無い「勝利の日まで」は以前は余り好きではなかったのだけど、津島恵子の「ひめゆりの塔」で歌われていたのを聴いて、世の中にこんな悲しい歌があるのかといっぺんで好きになった。

幕間に入る前に大滝が会場に来ている古賀政男ゆかりの人たちを紹介。古賀の養子の通人の奥さんと息子さん、古賀の兄の久次郎の息子さん、古関裕而、丘灯至夫、江口浩司の家族の人や長田暁二さんとか。

「丘を越えて」はマンドリンの曲なのだけど、宮田蝶子はハーモニカの宮田東峰の兄の孫にあたる。宮田っていうから何となくあやしいと思っていたのだけど、やっぱり一族だった。「悲しき竹笛」の前奏は本来は尺八の音域ではないのだけど、大滝の教え子にあたるらしい岩田卓也が熱演。「赤い靴のタンゴ」は真紅のライトを浴びて歌う大滝の背後に、巨大な和太鼓があって何ともシュールな感じ。大滝の声は奈良光枝の歌と相性がよさそう。「秋草の歌」とか歌ったらいいんじゃないか。

大滝が物心ついた時、霧島が「白虎隊」ばかり練習していたので、大滝の子供のころに慣れ親しんだ最初の曲というのが「白虎隊」だそう。霧島は詩吟の部分も含めて練習していたらしい。自分は霧島昇が好きなので、こうしたエピソードはいたく面白い。霧島はコスモスが好きだったとか。

後半戦でずっとステージに鎮座ましましていた巨大な和太鼓は、想像はついたのだけど「無法松の一生」用で、壱太郎が松五郎ばりの撥さばきを見せた。思うのだけど巨大な和太鼓を連打する音というのは、クラブに共通するものがあるような気がする。音が波動のように身体にズンと来るという部分で、目の前で巨大な和太鼓の音を浴びるのと、道玄坂とかのクラブのハコでエレクトロとかの音を浴びるのと、生理的には同じ快楽であるような気が。

とにもかくにも、命の洗濯という表現が似つかわしい2時間超であった。


[69:名無しさん@お腹いっぱい。 (2020/06/29(Mon) 13:28)]
流行歌の世紀-近代日本の大衆音楽( 菊池清麿 )    
中山晋平・鳥取春陽・古賀政男・藤山一郎 古関裕而
《近代日本流行歌の成立-昭和歌謡の源流》
h ttp://www5e.biglobe.ne.jp/~spkmas/sub7.html


[70:名無しさん@お腹いっぱい。 (2020/06/30(Tue) 11:45)]
2014年02月05日00:29
佐藤千夜子の『影を慕いて』
ディレクター・伊藤正憲記述に拠ると、古賀政男プロデビュー=コロムビア専属のきっかけになったのはコロムビア社員だった伊藤らしい。1931年(昭和6年)当時、営業部の伊藤は東京浅草「鳥越楽器店」でビクター発売『日本橋から(浜田広介作詩・古賀正男作曲編曲・佐藤千夜子歌唱・明治大学マンドリン倶楽部伴奏)』を見掛けた。歌手が佐藤千夜子でメロディも独特、驚いた伊藤はコロムビアの会議で伝えている。特に組み合わせ曲『影を慕いて(古賀正男作詩作曲編曲・佐藤千夜子歌唱・明治大学マンドリン倶楽部伴奏)』は、古賀を代表する作詩作品である。熱心な古賀ファンの方が次のような内容を述べられている。「1928年(昭和3年)、昭和の初め、人生の苦悩からはじまった古賀メロディの歴史、若き古賀政男の人生の苦悩から生れたレコード歌謡の最高傑作とされる『影を慕いて』。この歌には、古賀の人生の苦悩・絶望からの叫びが込められているといわれる。時代を超えた日本の名曲である。この歌が作られるのは『波浮の港(野口雨情作詩・中山晋平作曲・佐藤千夜子歌唱・中山晋平ピアノ伴奏)』と同じ昭和3年といわれる。現在ある殆どすべての日本の歌謡は、まだ存在していなかった時代。そして、菊池寛原作、日本最初の映画主題歌(※外資系企画での)である『東京行進曲(西条八十作詩・中山晋平作曲・井田一郎編曲・佐藤千夜子歌唱・日活管絃楽団伴奏)』が流行した昭和4年の6月22日、佐藤千夜子を招いて明治大学マンドリン倶楽部定期演奏会で『影を慕いて』初演(ギター合奏で独唱なし)。昭和5年10月20日、佐藤千夜子はビクタースタジオで吹込み。大衆音楽の黎明期、まだ一学生演奏家に過ぎなかった無名の作家の作品。ビクター内では反対もあっただろう、しかし佐藤千夜子のすごいところは、反対を押し切る形での録音だったことだ。古賀正男=古賀政男は明大マンドリン倶楽部を通じて、コロムビアの文芸部長・米山正から面会の申し入れを受ける。そして昭和6年3月20日付けで、日本コロムビア入社」。

『影を慕いて』が藤山一郎のアルバイト録音でヒット、佐藤オリジナルと同じ組み合わせ『日本橋から(関種子歌唱)』はモダンな井田一郎編曲。だが「素朴で豊かな味わい」なら佐藤千夜子。『影を慕いて』の佐藤は、古賀が綴った「想い」を高音域で燃え上がるように表現している。菊池清麿氏記述では、演奏曲だった『影を慕いて』を佐藤が気に入り「良いメロディだから、歌詩をつけて歌曲にしなさい」と言ったらしい。佐藤の助言で歌詩があとで作られたなら、『影を慕いて』初演後の作詩と思われる。更に『日本橋から』は、古賀が次のように述べている。「佐藤さんが、レコードは両面ですからね、とおっしゃられた。組み合わせ曲『日本橋から』を急いで作った」。ビクター発売番号「51519」の下表記番号=原盤番号で録音順がわかる。A面『日本橋から』は「2266」、B面曲『影を慕いて』が「2267」になっている。古賀のエピソードで、佐藤が元々『影を慕いて』をメイン曲と考えていたことも伝わる。レコーディング直前にビクター側から「浜田広介作詩をA面発売」と言われたようだ。


[71:名無しさん@お腹いっぱい。 (2020/07/13(Mon) 15:51)]
歌にもブランドというものがあって、西条八十作詞や古賀政男作曲というのは歌謡界に生きる者、作詞家、作曲家、歌手にとっては
一度は得たい最高の憧れだったようである。

昭和36年11 月に出た村田英雄の「王将」(西城八十作詞、 船村徹作曲)もそうである、

西条八十に作詞してもらいたい船村に、西城はなかなかOKしなかったのだが、船村のお百度参りに、やっと書いてくれたのは有名。

なお、西城八十で一番多い名曲は古賀政男作曲(西条八十作詞、古賀政男作曲)である。

古賀政男といえば、どの作詞家、作曲家、歌手も「古賀先生」と呼んだのだが、その古賀が終生、「先生・・西条先生」と呼んだのが西条八十その人。、


[72:名無しさん@お腹いっぱい。 (2020/07/21(Tue) 10:33)]
>>63-69
参考

松原操 写真

h ttps://www.bing.com/images/search?q=%E6%9D%BE%E5%8E%9F%E6%93%8D+%E5%86%99%E7%9C%9F&qpvt=%e6%9d%be%e5%8e%9f%e6%93%8d+%e5%86%99%e7%9c%9f&form=IGRE&first=1&cw=1117&ch=383&scenario=ImageBasicHover


[73:名無しさん@お腹いっぱい。 (2020/07/21(Tue) 19:56)]
愛染かつら三部作

愛染かつら         (西條八十作詞万城目正作曲)
    主題歌 旅の夜風    霧島昇 ミス・コロムビア
    挿入歌 悲しき子守唄  ミス・コロムビア
続・愛染かつら
    主題歌 愛染夜曲    霧島昇 ミス・コロムビア
    挿入歌 朝月夕月    ミス・コロムビア
愛染かつら・完結編
    主題歌 愛染草紙    霧島昇 ミス・コロムビア 
    挿入歌 荒野(あれの)の夜風   ミス・コロムビア、二葉あき子

 


[74:名無しさん@お腹いっぱい。 (2020/07/21(Tue) 20:04)]

        十九の春

   (西條八十作詞 江口夜詩作曲)
    歌:ミス・コロムビア(松原操)

 ながす涙も   輝きみちし
 あわれ十九の  春よ春
 すみれつみつつ 散る白露に
 泣きし十九の  春よ春

 君はやさしく 涙は甘く
 唄をうたえば 花散りぬ
 乙女振袖   ゆく白雲も
 われを眺めて 流れゆく

 我世さみしと 嘆くな小鳥
 春はまだ来る 花も咲く
 愛の光に   夜はほのぼのと
 明けて十九の 春よ春


[75:名無しさん@お腹いっぱい。 (2020/07/21(Tue) 22:30)]
>>73

■愛染かつら三部作

愛染かつら         
    主題歌 旅の夜風 (西條八十作詞,万城目正作曲)  霧島昇 ミス・コロムビア
    挿入歌 悲しき子守唄(西條八十作詞,竹岡信幸作曲)   ミス・コロムビア

続・愛染かつら
    主題歌 愛染夜曲   (西條八十作詞,万城目正作曲) 霧島昇 ミス・コロムビア
    挿入歌 朝月夕月   (西條八十作詞,竹岡信幸作曲) ミス・コロムビア

愛染かつら・完結編
    主題歌 愛染草紙   (西條八十作詞,万城目正作曲) 霧島昇 ミス・コロムビア 
    挿入歌 荒野(あれの)の夜風 (西條八十作詞,早乙女光作曲)ミス・コロムビア、二葉あき子


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