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ラジオ放送について
- 1 名前:名無しさん@お腹いっぱい。 投稿日:2020/02/07(Fri) 14:24
- ラジオ放送について、番組や放送について、
取り上げてほしいことや、やめてほしいこと、その他なんでも
どうぞ!!。
- 101 名前:名無しさん@お腹いっぱい。 投稿日:2020/10/10(Sat) 11:48
- 坪井栄の小説「二十四の瞳」は、昭和27年〈1952)に発表、29年に映画化された。
1928年(昭和3年)から1946年(昭和21年)まで、すなわち、昭和の戦前期、終戦、その翌年まで、18年間が描かれている。
日本がまだ貧しかった時代である。またそれはレコード歌謡の黄金時代、日本の映画黄金時代ともかさなる。
当時の時代背景を知るうえで非常に貴重で参考となる。
昭和3年〈1928)には。日本におけるレコード歌謡の初めたる日本の名曲「波浮の港」(野口雨情作詞、中山晋平作曲、佐藤千夜子歌)が生まれた。
また同じく日本の名曲「影を慕いて」はこの昭和3年(1928)に作られたものである。(昭和6年1月発売、ビクター盤。佐藤千夜子歌)
- 102 名前:名無しさん@お腹いっぱい。 投稿日:2020/10/13(Tue) 20:47
- 最近、「昭和歌謡」「昭和」というと、昭和末期、昭和50年代頃をさすようだ。
「昭和」とは大正15年(1926)12月25日から昭和64(1989)年1月7日まで、
61年と2週間余り。
昭和とは、明治、大正を合わせた60年より長く、日本の歴史はもちろん、中国を含めた世界のどの年号より長い。
だから、「昭和」とは60年を俯瞰したものでなければならない。
このうち前半の昭和30年代までは、日本は貧しい時代だった、そして飢饉と飢え、戦争に明け暮れた時代。
昭和6年、東北大凶作による飢饉によって、農業試験所は冷害に強いコメの研究を行い、2000種のコメを掛け合わせ藤阪五号という冷害に強いコメが出來たのは戦後も20年以上たった昭和46年だった。日本にコメが余るなどと言われるようになったのは昭和46年、50年前、つい最近だった。
農業関係者の弛まぬ努力の賜物とされる。
この昭和、・・「昭和」の初めから、昭和30,40年代・・を一貫して支えているのは50年の歴史を持つ「古賀メロディ」ただ一つ。
古賀政男の亡き後、重石をなくして、どんどんタガが外れて素人化、詩がなくなり散文化、訳の分からない、聴きとれない歌、それに、素人歌手化、ヘタクソ、グループサウンズ化、ライブ化が進む。歌というより、素人がなんか調子をつけて、訳の分からぬことを喚いているとしか言えないものに。
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