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ラジオ放送について
- 34 名前:名無しさん@お腹いっぱい。 投稿日:2020/05/02(Sat) 20:00
- 人生の苦悩から始まった古賀メロディ。
一方、晋平の生き方とも逆に、コンクールに入賞?して、英国留学を目指したものの、なぜ英国なのか知らないが、山田耕筰にダメ出しされ挫折。
挫折に始まった古関・・最初から燃え尽きてしまった古関。
何と言っても、古関作品の残念なのは、一貫したものが見られないということだろう。
古関の場合、戦後間もないころのラジオドラマ作品やテーマ音楽などに注目すると、いい作品がたくさんある。
しかし、ネットなどに、戦前を含めて、この、元の間違った評伝などがそのままコピーされたかのように、史実に基本的間違いも同じでいるのは大変残念なことではないだろうか。
間違いから出たものが正しいものにはなりえないのだ。
たとえば福島コンビで、古関の代表曲とされる戦後の、「高原列車は行く」(丘灯至夫作詞・古関裕而作曲)など、戦後を含めマイナ−なごくごくありきたりの普通の「歌謡曲」でしかないのに「クラッシック」(クラッシックの香り)とかいう一語をつけて格上げされるべきでない。
「クラッシック」とは基本的意味において、そんないいかげんなものでは決してないはずなのだが!?。
「クラッシックの香り」だとか、「クラッシック紛い」はいらない!。
なんでも、?紛い物(似非・エセという)?などはいらない!。
(参考までにトイレの芳香剤に「クラッシックの香り」(クラッシックフローラ)というのがある。ネットで検索すると消臭剤がでてくるはず!>)
アロマじゃないわけだから「香り」などいらない。
クラッシックに香りは不要!!。
やはり歌謡曲(レコード歌謡)というのは「詩」があって、詩で決まってしまうものだろう。「曲」は「詩」を超えることができないのだ。
古関の評伝に基本的に間違いが多いものが目に付く。
古関は参考にしていた作曲の本のコロムビアの山田耕筰に英国留学を相談するも、
山田に思い留まるよう説諭されたのだが、多くは、このことを知らないか、この部分が削除されているのだ。
コロムビア専属も食い違いがあるのも、このあたりに理由が潜んでいる。
NHKはすでに調査して結論をだしていることは大変重いのだが。
一応、名前も変えてあり事実ではないというのだが。
洋楽の殆どはクラッシック音楽を基本としてるのは常識。
したがって、クラッシック音楽そのものが、なんらの特長、利点になるためには、何らかの明確で顕著な特長を兼ね備えなければならないだろう。
世の中には、「クラッシック音楽」そのものでもなく、かといって格段何らかの明快な特長を持つわけでもないものも少なくない(クラシック紛い)。
音楽家たちに求められるものは、そうした一般的・表面的なものではなく、心に染み入る一歩突き進んだものではないだろうか。
一般的に「クラッシックの香り漂う」とか、「格調高い」とかだけのものもある。
しかし、表面的で心に残るものがなければ、決して長く世代を超えて普遍性をもって受け容れられるものとはならないだろう!。
音楽には何より心に染み入る一歩突き進んだもの・・「詩」の心が何にも増して大切なことを改めて気ずかざるを得ない。
真に人の心に届くものがなければ、年月を超えて多くの人に共感を与えることはない。
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