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(取り戻そう日本の歌)日本の歌謡の歴史(日本の文化遺産)

[1:名無しさん@お腹いっぱい。 (2020/05/19(Tue) 18:28)]
今、テレビには、その歌番組は、我流自己流本位のグループサウンズや、シンガーソングライターや、ロックなど、ほとんど楽譜さえ満足に読めない、
楽譜もない、すべて自分流、我流でしか存在できない若者文化に占領されてしまっています。
いつのまにこんなになってしまったのか!?。

日本には、もっと素晴らしい日本の歌、心の歌、日本の文化遺産がたくさんあります。
テレビに。お茶の間に取り戻そうではありませんか!。


[2:名無しさん@お腹いっぱい。 (2020/05/19(Tue) 18:47)]
【ラジオ放送とレコードの国内製作】
(大正14年3月)ラジオ放送が開始。
ラジオによる歌の放送によって、レコードのヒット盤の宣伝となり、流行歌のレコードが多く誕生した。
(昭和3年4月)ビクター
ビクター第一回発売「波浮の港」「出船の港」「鉾をおさめて」等中山晋平の曲。
「私の青空」「アラビアの唄」などのジャズ。
(昭和3年12月)「君恋し」、(昭和4年5月)「東京行進曲」が流行歌として作られた最初のもの。

(昭和4年6月)コロンビア
コロンビア第一号「沓掛小唄」。
佐藤千夜子ビクター「影を慕いて」の古賀政男をコロンビアにスカウトし、(昭和6年6月)「キャンプ小唄」、(8月)「酒は涙か溜息か」、(11月)「丘を越えて」(藤山一郎唄)が大ヒットし、ビクターの中山晋平と相対した。

(昭和5年8月)ポリドール
「酋長の娘」「野崎小唄」「すみだ川」を発表。
(昭和9年)「赤城の子守唄」「国境の町」など、東海林太郎を起用し股旅物でヒットした。

(昭和6年1月)キング
「マドロス小唄」「山は夕焼」「マロニエの木蔭」など。

(昭和10年)テイチク
大阪から東京へ進出したテイチクは、古賀政男をスカウトし「東京ラプソディー」「人生の並木路」「二人は若い」「緑の地平線」「東京ラプソディー」等連続ヒットさせた。


【流行歌の誕生(流行歌作曲家の誕生)-流行-音楽統制】
レコードの隆盛により流行歌が生まれ、それまでの音楽学校出身の作曲家から、流行歌作曲家へと移った。
古賀政男、佐々紅華、佐々木俊一、万城目正、服部良一、古関裕而、細川潤一郎、など、中山晋平のヨナ抜きの5音短音階のメロディー(晋平節)が日本人の心に受け入れられ、(それまでの唱歌的な歌でなく)それが古賀政男等に受け継がれ流行歌という分野が誕生した。

<主な流行歌>
(昭和11年)「東京ラプソディ」藤山一郎歌
(昭和12年)「青い背広で」  藤山一郎歌
(昭和13年)「雨のブルース」「支那の夜」「満州娘」「人生劇場」
(昭和14年)「一杯のコーヒーから」「旅姿三人男」「名月赤城山」
(昭和15年)「誰か故郷を想わざる」「目ン無い千鳥」「蘇州夜曲」
(昭和16年)「十三夜」「めんこい仔馬」、たきび、里の秋、うみ、おうま、たなばたさま
(昭和17年)「新雪」「鈴懸の径」「南から南から」
(昭和18年)「勘太郎月夜唄」「お使いは自転車に乗って」

<音楽統制>
流行歌、ジャズ、シャンソンなど大衆音楽は大量に発表されたが、軍国主義とともにだんだん統制されていった。第一段階は、健全な歌を推し進めた「国民歌謡」(昭和11年)。
(昭和15年)興行も演奏者もすべて登録とし、許可証がないと演奏もできなかった。
(昭和16年)音楽雑誌もすべて廃刊し統制される。
(昭和18年)には「音楽文化」「音楽知識」の二種、米英音楽のすべてを追放される。


[3:名無しさん@お腹いっぱい。 (2020/05/19(Tue) 18:50)]
やはり日本の歌いいですね、特に日本がまだ貧しかった時代の歌は。
今、日本は豊かになり飽食の時代と言われ久しくなりましたが、昭和20
年代頃まで、日本は今では考えられない貧しい時代、貧しいけど心豊か
な時代だったと思います。
 
日本の歌にも、いろいろな分野の歌がありますが、この頃の歌の底流
に共通していえること、それは心温まるやさしさではないでしょうか。
今の日本人が忘れかけようとしている、何か大切なものを思い起こさせ
てくれます。詩も、歌も、歌い手も・・この頃の歌を聞くとなぜか涙が
出てきます。しみじみと聞く、究極の癒しといえないでしょうか。

 h ttp://www5f.biglobe.ne.jp/~Minerva/nipponnouta/nipponnouta_kokoronouta.html


[4:名無しさん@お腹いっぱい。 (2020/05/19(Tue) 18:51)]
(参考)
ステレオで聴く不滅の古賀メロディー大全集
12,100円(税込) 5,580円(税込)
作曲家活動90周年の90曲!
「影を慕いて」(昭和3年)を作曲してから90年
そして昭和53年にこの世を去るまで、半世紀にわたって第一線の作曲家として活躍した古賀政男。
「酒は涙か溜息か」「丘を越えて」「東京ラプソディ 」「人生劇場」「湯の町エレジー」など戦前SP時代の大ヒット曲も名歌手によるステレオ録音で、また「柔」「悲しい酒」など後期の代表曲も収録。
日本人の心のメロディーとなった名曲の数々をぜひご堪能ください。


●発売日 2018年05月18日
●CD5枚組(全90曲)
●別冊歌詞・解説書つき
●ボックスケース入り
h ttps://www.eroaniment.shop/index.php?main_page=product_info&products_id=1349
会社名:株式会社toto・noel
-->店舗連絡先:free@emorimoto.com


[5:名無しさん@お腹いっぱい。 (2020/05/19(Tue) 18:59)]
歌の世界も戦後、昭和23年あたりを境に大きく変わることとなってしまった。石坂洋二郎の「青い山脈」とは、昭和22年から新聞に連載された小説で、学園における若者の奔放な男女交際をめぐる騒動を描いた、これまでにない、たわいもないもの。これまでの、淑やかな恋愛や「価値観」が「民主主義」の名のもとに覆されてゆく。
「恋愛」というより、学園における奔放な「騒動」。
戦後の典型的な作品は「青い山脈」(1947年、石坂洋次郎)で、「自由恋愛」のもとに、明治生まれの年寄りを、若い世代が「民主的でない」と非難する場面が頻繁に出てくる。

ドラマや映画でも「お父さんは封建的」「家族会議を開くべきよ」といったせりふがよく聞かれたが、作家の関川夏央さんに言わせれば石坂作品は良くも悪くも、「戦後民主主義」を流布させる思想小説となる。そんな作品で強調されたのが「自由恋愛」だった。
『愛染かつら』三部作など、これまで数知れない沢山の名作の歌を書いてきた西条八十も困ってしまったことでしょう。
情景にすり替えられて、昭和23年の」「三百六十五夜」のように、中身,情感の部分に、あまり触れていない。

中身の情感の部分が貴いのであって、小説を知れば「若く明るい」だけでは軽い。真の大人の歌になるためには苦悩とか心の襞もないとと、西条八十もおもったはず。


[6:名無しさん@お腹いっぱい。 (2020/05/19(Tue) 19:06)]
>>5

「青い山脈」は、歌詞の内容は映画の内容とは何ら関係していない。映画のドラマや主人公の名前も出てくるわけでもない。出てくるのは「青い山脈」という言葉だけである。
戦後民主主義というのは自由奔放に過ぎなかった。詞にするには引けてしまうもの。
ほとんどすべてが、あまり関係ない情景と美辞麗句で構成されただけ。
それほど元気の出る歌でもないという評価。
西条八十にしては、あるいは西条八十の作詞だが、ただ、若く明るい・・だけでは軽い感じは否めない。

石坂洋二郎の作品は、戦後民主主義の象徴みたいに読まれていたが、「青い山脈」を含め、当時は読まれていたが今絶版。見向きもされない。


[7:名無しさん@お腹いっぱい。 (2020/05/19(Tue) 19:11)]
[青い山脈」・・、「若く明るい」だけでは軽い!。


[8:名無しさん@お腹いっぱい。 (2020/05/19(Tue) 19:18)]
(取り戻そう日本の歌)日本の歌謡の歴史(日本の文化遺産)

http://www.10ch.tv/bbs/test/read.cgi?bbs=radio&key=589880538&ls=50


[9:名無しさん@お腹いっぱい。 (2020/05/19(Tue) 19:41)]
昭和SPレコード歌謡番組を待望する。

http://www.10ch.tv/bbs/test/read.cgi?bbs=radio&key=578828634&ls=50


[10:名無しさん@お腹いっぱい。 (2020/05/19(Tue) 22:25)]
日本の大衆歌曲・歌謡曲の歴史

http://www.10ch.tv/bbs/test/read.cgi?bbs=history&key=354361110&ls=50


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