掲示板に戻る 前 10 次 10 1 - 10 最新 10

山本八重は、凄い

[1:(2013/01/07(Mon) 13:43)]
この女性は、日本の鏡


[22:名無しさん@お腹いっぱい。 (2013/05/22(Wed) 07:12)]
護衛隊 (ごえいたい)
 13〜15歳の少年有志で編成。
 城内の守備を行ない、開城まで奮戦。
 後に第6代大阪市長を務めた池上四郎の兄/三郎も加入し、篭城戦を戦いぬいた。


 中軍護衛隊 約50名  隊長:西郷寧太郎


[23:名無しさん@お腹いっぱい。 (2013/05/22(Wed) 07:14)]
年少隊 (ねんしょうたい、幼少隊、ようしょうたい)
 14歳から15歳で編成。
 士中、寄合一中隊で構成。
 城下で戦うも、多くが戦死。


 年少隊 (幼少隊) 約100名  隊長:安部井登


[24:名無しさん@お腹いっぱい。 (2013/05/22(Wed) 07:18)]
◆白虎隊

 会津戦争に際して会津藩が組織した、16歳から17歳の武家の男子によって構成された部隊である。中には志願して生年月日を改め15歳で出陣した者もいたほか、幼少組として13歳の少年も加わっていた。 

 幕末の会津藩が組織した部隊には他に玄武隊、朱雀隊、青龍隊、幼少隊などがある。慶応4年(1868年)、鳥羽・伏見の戦いにより戊辰戦争が勃発した。会津藩は旧幕府勢力の中心と見なされ、新政府軍の仇敵となった。


[25:名無しさん@お腹いっぱい。 (2013/05/22(Wed) 07:30)]
戊辰の少年兵たち

 戦争には悲劇か必ず起こる。二本松少年隊もその一つである。戊辰戦争では、多くの血気盛んな少年達が参加し、命を落とした。最も有名なものに会津白虎隊がある。会津白虎隊も二本松少年隊も成り立ちが似ており、その行動も似ている為、白虎隊を解説すれば二本松少年隊の悲劇も解説できてしまうと思われ、これまで二本松少年隊が脚光を浴びる事は少なかった。ところが実際は立場がまったく違う。白虎隊は戦争の当事国である会津藩の少年達で作られた。会津藩は少なくても、戦争するか無条件降伏するかという決定権は持っていた。会津藩は戦争の道を選び、白虎隊は戦ったのである。これに対して二本松藩は当事国ではなく、どちらかと言えば戦争に巻き込まれた藩だ。明治新政府に二本松藩を滅ぼす意志は無いが、戦いを挑まれれば戦わざるを得ない。二本松藩も明治新政府と戦う理由は無かった。しかし、置かれた立場から戦わざるを得なかった。その二本松藩の少年達で作られた部隊が二本松少年隊なのだ。つまり会津白虎隊と二本松少年隊という二つの悲劇は、まったく別々の悲劇を物語っている。

白河城の敗報が届く中、七月二十六日早朝に、少年達にも出陣命令が下される。当初会津藩の白虎隊と同様に十六歳十五歳までとされたが、十四歳十三歳の少年達も出陣を強く希望した。藩庁はさすがに十三歳という少年に戦争させる事は忍びなかったが、主力がまったくいない今、彼らに頼らざるを得ず、出陣を黙認する形で認める事となる。明日の二本松藩を背負って立つ少年達である。心中苦しかっただろう。


[26:名無しさん@お腹いっぱい。 (2013/05/22(Wed) 07:38)]
会津白虎隊と並び称されることがあるものの、白虎隊士の構成年齢が16〜17歳だったことに対し、二本松少年隊のそれは
最年少隊士の年齢がわずか12歳でした。現在でいえば、まだ小学生でしかない彼らが激戦区の最前線で戦い、時には単独で雲霞
のごとき大軍の中に斬り込み、壮絶な戦死を遂げたりしているのです。
 会津武士道の昇華を白虎隊に例えるのなら、二本松少年隊はまさしく二本松武士道の昇華そのものと言っていいでありましょう。
出陣に先立ち、岡山篤次郎(13)は母に頼んでその所持品すべてに
「二本松藩士 岡山篤次郎十三歳」と記名してもらいました。その理由はというと、
「自分で書くのは字が下手で恥ずかしいから母に頼みました。書いてもらった理由は、
戦死した時に、その屍を探しやすいようにするためです」と答えたそうです。


[27:名無しさん@お腹いっぱい。 (2013/05/22(Wed) 07:47)]
戊辰戦争への出陣は12歳や13歳では不可能なのだが、二本松藩には危急の際には年齢を2歳加算すると言う入れ年(実年齢より高い年齢として出兵の許可を出す)の制度があり、最少年齢の隊士の年齢は12歳となってしまった。二本松少年隊は藩内各地に出陣した62名を指すが、藩の西洋流(高島流)砲術師範(元は同じ砲術の武衛流師範で後に江戸留学の際に西洋流(高島流)砲術を習得した木村銃太郎指揮下の25名が特に有名で、大壇口での戦いにおいて木村をはじめその多くが戦死した。負傷して称念寺に運ばれた者もいたが、やがては息絶えてしまった。これらの出来事は、戊辰戦争における悲劇のひとつとして知られている。
戊辰戦争が始まり、奥州は未曾有の危機にありました。西軍は鳥羽・伏見の戦いで東軍を
破り北上を続け、慶応四年(1868)潤四月、白河城へ入城、ついに奥州の地を踏んだのです
白河口では激しい攻防戦が幾度となく繰り返されました。会津の援軍として、二本松もその
戦地に赴きました。大激戦でした。多くの二本松藩士が命を落としていったのです。白河城
侵略を皮切りに西軍は奥州の地を北上し、慶応四年七月に二本松の目前にある本宮へと
軍を進めたのです。当時、二本松藩はその主力を須賀川方面においていました。その欠を
補うために、六十歳以上の男子で結成された老人隊、そして十二歳から十七歳の幼い少年
六十二名で結成された少年隊が出陣と相成ったのです。

二本松少年隊
?隊長 ★木村銃太郎 22歳
?副隊長★二階堂衛守 33歳
?歳 ☆久保豊三郎
?歳 上田孫三郎 ★高橋辰治 ★徳田鉄吉 ★岡山篤次郎 ☆大島七郎 ☆小川安次郎 ★遊佐辰弥 後藤タ太 高橋源十郎
?歳 ★成田才次郎 成田虎治 武谷剛介 全田熊吉 宗形幸吉 馬場定治 水野進 鈴木松之助 ★木村丈太郎 渡辺駒之助
?歳 ★奥田午之介 ☆久保鉄次郎 ☆三浦行蔵 安部井壮蔵
?歳 ★大桶 勝十郎
☆は負傷者、★は戦死を示す。

12歳の久保豊三郎と、15歳の久保鉄次郎は兄弟であり、兄鉄次郎は病弱でありながらも、「豊三郎までがいったのに、おめおめとねている訳にはいきません」と言って母親を振り切り、弟のあとに続いたという。その後2人は負傷して称念寺に運ばれたが、おたがいのことを知らないままに12月、弟の豊三郎が先に亡くなったとされている。


[28:名無しさん@お腹いっぱい。 (2013/05/22(Wed) 07:47)]
?は・です。


[29:名無しさん@お腹いっぱい。 (2013/05/22(Wed) 07:49)]
二本松少年隊

隊長 ★木村銃太郎 22歳
副隊長★二階堂衛守 33歳

12歳 ☆久保豊三郎
13歳 上田孫三郎 ★高橋辰治 ★徳田鉄吉 ★岡山篤次郎 ☆大島七郎 ☆小川安次郎 ★遊佐辰弥 後藤タ太 高橋源十郎
14歳 ★成田才次郎 成田虎治 武谷剛介 全田熊吉 宗形幸吉 馬場定治 水野進 鈴木松之助 ★木村丈太郎 渡辺駒之助
15歳 ★奥田午之介 ☆久保鉄次郎 ☆三浦行蔵 安部井壮蔵
17歳 ★大桶 勝十郎
☆は負傷者、★は戦死を示す。

12歳の久保豊三郎と、15歳の久保鉄次郎は兄弟であり、兄鉄次郎は病弱でありながらも、「豊三郎までがいったのに、おめおめとねている訳にはいきません」と言って母親を振り切り、弟のあとに続いたという。その後2人は負傷して称念寺に運ばれたが、おたがいのことを知らないままに12月、弟の豊三郎が先に亡くなったとされている。



[30:名無しさん@お腹いっぱい。 (2013/05/22(Wed) 08:16)]
「戊辰戦争」としてとらえると、会津藩だけでなく二本松藩を始め東北諸藩が参加。

この「戊辰戦争」には、多くの少年兵が参加していることが分かる。
主に戦った相手は、「男色」の盛んな薩摩であった。

会津藩では・・
白虎隊(15(のちに16歳)から17歳の武家の男子によって構成された部隊。中には志願して生年月日を改め15歳で出陣した者もいた。)
年小隊(13〜15歳の少年有志で編成)100名
護衛隊(14〜15歳の少年有志で編成。)50名

二本松藩では・・
二本松少年隊(12歳から17歳の幼い少年62名で結成された少年隊)

薩摩の軍勢が,ちょうど「男色」における「二才(にせ)」の齢であるのに対し、
ほんの12,3〜4の「稚児」にあたる少年兵たちが活躍した会津や二本松藩・・

生け捕りにされたりした少年兵もいただろうが哀れ





[31:名無しさん@お腹いっぱい。 (2013/05/22(Wed) 08:40)]
戊辰(ぼしん)戦争に出征した幼い少年兵たちの証言をまとめた「十二歳の戊辰戦争」(現代書館刊)を出版した。明治維新の下、戦争に苦しみ、逆境に立ち向かった子どもたちに光を当てたい−。本には、そんな林さんの思いが詰まっている。

 登場するのは、幕末の二本松藩(福島県二本松市)の12−17歳の「二本松少年隊」、新選組に14人ほどいた少年兵、会津藩(同県会津地方)の16−17歳の武家の男子で構成された「白虎隊」、少女でつくられた部隊「会津娘子軍」など。文献や史料に残る少年少女24人の聞き書きなどを集め、現代語に訳してまとめた。

 林さんは2007年、二本松少年隊をモデルにした小説「母成(ぼなり)峠 そして少年は戦場に消えた」を自費出版。少年兵やその母たちの悲劇を描き、以来、激動の時代や戦争を生きた子どもたちの存在に関心を寄せていたという。「当時の子どもたちは、戦争という言葉の意味や恐ろしさを知らず、戦場に駆り出されたと想像できる」といい、「現代の子どもたちにも、歴史の裏側を見るという意味で、ぜひ読んでほしい」と語る。

 四六判、270ページ。2100円。現代書館=03(3221)1321。 



掲示板に戻る 前 10 次 10 1 - 10 最新 10

NAME:
MAIL:

read.cgi ver.4.21.10c (2006/07/10)