掲示板に戻る 全部 前 50 次 50 1 - 50 最新 50 スレ一覧

日本の歴史における「男色」について

94 名前:名無しさん@お腹いっぱい。 投稿日:2013/04/21(Sun) 17:44
>>32
「郷中」や「什」の掟にかいてあることを現代風に解釈してはならない・・

江戸時代武家の間での男色(美童愛)は一般的だが、特に激しかったところとして、薩摩・土佐・会津が言われる。元服前の少年武士が年長者から愛を求められたら、つまり今で言えば強制わいせつ行為・肉体を求められたら、受けなければならないのはおきて。これが「年長者に従う」ということ。もし愛(契り)を求められて拒否されたら、その子の家に押しかけてでも、親がいてもその場で犯してもいい、つまり肛門姦による強姦していいとされたという。そのため婦女はもちろん他の男と交わることも禁止。このあたりが抜けてしまう。


「郷中教育」では、悪辣非道なことを教育・強制していた・・

>>17
【郷中教育】
薩摩藩の武士階級子弟の教育法
五才くらいから罪人(年貢を払い切れなかった百姓)を斬り殺させて
それを家族が褒める。百姓が結婚式をあげると乗り込んで行って親族を斬殺
最後に新郎と花嫁を残し 花嫁レイプで新郎は試し斬り。
もちろん百姓側の訴えなど取りあげられない。

【薩摩隼人】
薩摩地方の男性をさす言葉。転じて、その男らしさを意味する言葉。

薩摩の郷中で男色行為を拒否すると、
郷中のメンバーたちが家まで押しかけて来て、
その者を集団レイプする。
その者の家族も見て見ぬふりだったそうな。

薩摩では、男らしさとはそういうことを指して言った。
先輩の命令には絶対服従で、皆で同じことをする。
皆で犬を食い、皆で焼酎を飲み、皆でホモる。
それが、男らしいということであった。

一人だけ違うことをする、群れない、
たとえ先輩に対してもおかしなことにはおかしいと異を唱える、
このようなことは薩摩では「女の腐った奴(おなごんくっされ)」のやることとされた。




掲示板に戻る 全部 前 50 次 50 1 - 50 最新 50 スレ一覧
名前: E-mail(省略可)

read.cgi ver.4.21.10c (2006/07/10)